57.アシェリーへの制裁
「あ、アシェリー様ー? 開けてくださいなー?」
「声が裏返ってる」
うるさい。クソガキは黙って。いきなりだったから調子が出なかっただけ。
「うるさいわね! あっち行ってて!」
ドアの向こうから、こちらへの嫌悪感を隠さない返事が返ってきた。
アシェリーは私とろくに会話を交わしておらず、声もあまり知らない。私がメイドを装っていると気づいていないのか。
なんて愚かな。仮にも、自分が長らく住んでいた屋敷のメイドなのに、その誰とも声が違うから私が偽物だなんて判断もできていない。
こいつは、普段から何も見ていない。金持ちの娘という立場だけが、アシェリーの全て。
「来ないでよ! メイドの分際で私に構うな!」
「あんたね……」
人間として最悪だ。この場で思いっきり罵倒してやろうと考えたけど、不意に私の手が強く握られて口をつぐんでしまった。
レオンが私を見つめている。
「落ち着いて。ルイならできる」
そうだ。まずはこのドアを開けないと。じゃないとアシェリーに罰を下すことはできない。
深呼吸して気持ちを落ち着かせる。こんな人間のクズに心を乱されることなんてない。
「アシェリー様、大変です。マーガレットの遺体が屋敷に入り込みました。扉を破って、旦那様に大怪我を負わせてから、こちらに近づいています。至急逃げましょう!」
「ま、マーガレットが!? 嘘! ありえない!」
「本当です。すごい力で、こんな扉なんか簡単に壊してしまいます。屋敷の外に避難してください!」
「わかったわよ! どこに逃げるの!? 連れていきなさい! それまで私を守りなさい!」
使用人の命を雇用主が守るという発想はないらしい。苛ついた口調と共にアシェリーは扉を開けて、その瞬間に私とレオンは身を引いて死角に隠れる。
アシェリーは、目の前にマーガレットが立っているのを見ることとなった。
虚ろな目、割れた頭を修復した跡。間違いなく、アシェリーがあの日落としたマーガレットの姿だった。
「いやああぁぁぁ! 誰か! 誰か来て!」
こんな情けない悲鳴も出せるんだ。高飛車なだけの女だと思ってたけど、違うのね。
だけどこの期に及んで、まだ他人に助けてもらおうとする辺りは人格がよくわかる。
「来ないでよ! 大人しく死んでなさい! あ、あんたが悪いのよ! 伯爵家の令嬢だからって偉そうにして! 私よりもきれいな服を来て宝石も買ってもらって! ずるいのよ!」
そりゃそうだろう。伯爵家の方がお金持ちなのだから。でも、アシェリーの家だって庶民からすれば十分にお金持ち。それにマーガレットは、浪費家なんかではない。立場に比べて随分と質素な趣味をしていた。
開いた扉から少し顔を出して中の様子を見ると、マーガレットはアシェリーにゆっくりと歩み寄っていた。アシェリーの方も逃げるように後退る。その目はマーガレットにしか向いておらず、私たちに気づく様子はない。
「お父様がお金を稼がせてくれるって言うからやったの! あれはお父様が悪いの! それに、あんただって気づかないふりしても良かったじゃない! なんで、なんで!」
身勝手な言い分を繰り返すアシェリーに、マーガレットは当然返事ができない。代わりに、行動で怒りを示した。
開いている窓際まで追い詰めてから、アシェリーの細い首に両手を伸ばして掴んだ。
腐りかけた腕だけど、遺体が動く仕組みは人間のそれとは根本的に違うらしい。
マーガレットの腕も細いけれど、生前よりはずっと強い力で首を締め上げた。
「や、や……めて……」
マーガレットは生前、突き落とされる際にアシェリーに同じことを言ったのだろうか。殺さないでくれと。
今となっては確かめる術はない。覚悟を決めたマーガレットが命乞いなんてするとも、私は思っていない。
けど、事実としてマーガレットは死んだ。今度はアシェリーの番だ。
「あ、ああ……」
恐怖に満ちた顔。震える体。高いドレスを濡らしながら、床に水たまりができた。令嬢にあるまじき醜態だけど、本人がそれを気にする余裕はなくて。
「な……んで……なんで……わた、し、幸せに、なりたかった……だけな……のに……」
誰しもが持つ願いが、アシェリーの最後の言葉だった。
嫌な音と共に、彼女の首が折れた。さらにマーガレットは一歩踏み出し、窓から突き落とした。
ドサリと重い音。私たちも部屋に入り、窓から下を覗き込んだ。レオンとは、まだ手を繋いだまま。
アシェリーは庭の芝生の上に体を投げ出して、ピクピクと痙攣していた。
足から落ちたのか、両足ともがありえない方向に曲がっている。マーガレットに折られた首も大きく曲がっていて、虚ろな表情をしていた。
「死んだの?」
「死んでない。首が折れても生きてることはあるし、マーガレットもそう調整した。首から下は動かなくなるだろうけどな」
楽しそうではなく、淡々と事実を伝えるような言い方だった。
それは悲惨だな。
霊が見えるレオンが言うのだから、死んでないのは本当なのだろう。
「ふたりとも、逃げるぞ。今頃ここの当主も怪我してるだろうし、使用人たちが事前にある程度事情を知ってるっていっても大騒ぎになる」
「そうね、部外者がいるべき場所じゃないわね。行きましょう」
アシェリーの叫びや落ちた音で、すぐに人が来る。
レオンに手を引っ張られて、私はすぐさま来た道を戻って屋敷から出ようとした。マーガレットもついてくる。
使用人たちはみんな、当主とアシェリーの所にいるのだろう。すれ違うことはなかった。
ただひとりだけ、例外がいた。
「ルイーザ・ジルベット!」
「…………」
階段を降りて裏口へ向かおうとしたところだった。二階から声をかけられた。憎悪に満ちた声だった。