55.ユーファから見たドライセン
敵に見つからないようにと言っても、アシェリーたちが王都から連れてきた侍女たちは私の味方。アシェリーの傲慢さに嫌気がさしているらしく、また彼女たちがどうなろうとも自分たちのこれからに影響はない。
アーキンが連れてきたという護衛も、今はドライセンの使用人たちにおだてられて街に飲みに行っているらしい。屋敷の中だから、主人は安全とでも思ってるのだろうか。
だから問題はアーキンだけ。我が物顔で屋敷を歩き回り、メイドに俺の下で働かないかと誘っているらしい。
歩き回ることは聞き捨てならないけど、なんとかなるだろう。
私たちは屋敷の中を堂々と歩き、階段を登る。マーガレットの遺体を引き連れているのを数人の使用人が見て、少し驚いた顔をしていた。事情を知っていたとしても、死体が目の前で動く事実は衝撃だろう。
けど、大きな反応はなかった。使用人としてのレベルは高いんだな。
アシェリーは噂を恐れて、屋敷の二階にある部屋に引きこもっているという。食事も部屋で食べて、その時以外に使用人を中に入れることもない。
が、その僅かなタイミングでつい先程、メイドのひとりが窓を開けたらしい。外の風を取り入れないと、気分が塞ぐばかりですよと、彼女を気遣うふうにして。
本当に、レオンの要望どおりに動いてくれて、感謝しかない。
「ユーファも準備できてるらしいぞ。ドライセン当主の書斎も、窓とカーテンを開けてくれてるそうだから、ユーファの復讐も準備は整った」
「そうみたいね……」
レオンが立ち止まって廊下の窓から外を見た。
昨日確認した、街路樹が見える。太い木の上に跨っているユーファの姿も、枝葉に隠れてだけど僅かに見えた。
いると知ってないとわからないから、敵に発見されることはない。
――――
ユーファから見たドライセンの当主は、神経質そうな印象だった。
手足はひょろ長いが腹は出ているアンバランスな体型。食が細く運動を好まないと、こんな体型になるらしい。
村では労働ができなくなった、大怪我をした者や病人にしか見られない体型。そんな不幸な村人以外はみんな、普段から体を動かして働いているから、こうならない。
貴族は民を守るために、彼ら以上に頑張らなければいけない。実際にそうしているからこそ、諸君の暮らしは守られている。
一度村に視察に来た、名前は忘れたけど偉い貴族が言っていたのを覚えている。彼は、もう少しまともな格好をしていた。
貴族と村人の仕事が違うことは知っている。けど、彼も彼なりに努力をしているのだろう。
ドライセンはどうだろうか。彼だって家を支える立場にある。悪いことをしたのも、家のためだろうか。お金があれば、家族を幸せにできるだろうか。
そのために、他人のものを盗んで領民を傷つけることは、許されると考えているのだろうか。
考えていないから、部屋の中で椅子に座りこちらに背を向けているドライセンは落ち着かない様子なのだろう。それか、伯爵に悪事がバレることを心配しているのかな。
椅子には無駄に大きな背もたれがついていて、ユーファからは後頭部と、時折動く両腕しか見えなかった。
頭なら今すぐにでも射抜ける。けど、それでは死んでしまう。
レオンから殺生はやめろと言われたから、ユーファは矢をつがえながらじっと機会を待った。
好機はすぐにやってきた。男は落ち着かないあまり仕事が手につかず、立ち上がって部屋の中をウロウロし始めた。
ちょうど窓の近くに来た瞬間、射る。
ドライセンの右肩に矢が刺さり、彼は悲鳴を上げながら左手で押さえた。
素早く次の矢をつがえ、その左手の甲も射抜く。
ふたつめの悲鳴、ドライセンは慌ててしゃがみながら人を呼んだ。
窓枠の外に彼の体が隠れてしまう前に、もう一度射た。
今度は頭部を狙った。もちろん、殺しはしない。
しゃがむ途中の彼の頭頂部に掠った矢は、そこに大きな傷をつくり、髪の毛を数本持っていった。
窓枠の外から、なさけない悲鳴があがる。
使用人たちは少しだけ遅れて、けれど極端に不審にならないタイミングを見計らって、何が起こったのかわからない様子で入ってきた。
ユーファはその頃には、木から降りて逃げ始めていた。その姿をドライセンに見られて、追いかけろと使用人に指示が出てるかも。
問題ない。それも作戦のうち。
屋敷が建ち並ぶ大きな通りをゆっくり歩くエドガーと、すれ違った。彼は、後は任せてくださいとばかりに微笑んだ。
――――
エドガーはドライセンの屋敷に向けて、ゆっくりと歩を進めていた。
急ぎ足だと聖職者の威厳が損なわれる。民衆は神父には、常に悠然とした態度を取ってほしいものらしい。
神父にも個性があってもいいとは思うが、のんびりしていれば敬意を得られる立場が気楽なのも事実。
そういう聖職者であれば、周りが率先して力仕事を買って出てくれるのもありがたい。
ユーファとすれ違ったエドガーは、直後に走ってくるひとりの男を目にした。上質な服を着た執事だ。
「おや。夜分にどうされました? そんなに慌てて」
「これは神父様。ここを、弓を持った不審な人物が通りませんでしたか?」
「はて……そのような者はいませんでしたよ?」
「そう、ですか……」
執事は驚愕の表情を見せた。しかし彼も、聖職者に一定の敬意を払う者。エドガーの言うことを信じた。
それに彼もリリアから、仕える男に不幸が起こることは知っているのだろう。そこに、エドガーが直接介入することまでは知らなかったとしても。
「よかったら、何があったのか教えてください。力になれるかもしれません」
「はい。実は……」
執事は、襲撃者を追うことを諦めたようだった。
ユーファの影でも見たのだろうから、追いかける方向は合っているはずだと彼は考えているのだろう。なのに忽然と消えてしまった相手に対して、多少の恐怖を感じたのかもしれない。