53.街に流れる噂
「あはは! 見たかあの女の顔! めちゃくちゃビビってた! ざまあねえな!」
アシェリーに捕捉された直後、マーガレットの手を引っ張って建物の陰に隠れたレオンが、お腹を抱えて笑っている。
彼女たちの護衛がどんなものかを確認するなら、顔を知られてないレオンがひとりで見に行けばいいだけ。
なのに姉弟を装ってまでマーガレットを連れて行ったのは、完全な嫌がらせだ。死臭を消す香料を大量にふりかけ、顔の傷を隠す化粧も念入りにやる、手間のかかった嫌がらせ。
本当に生意気なガキだけど、私とマーガレットのためにやってるのはわかる。
マーガレットはレオンを見ながら、彼の行為を肯定するように何度も頷いていた。生前果たせなかった意趣返しは、楽しかったのだろう。
私だって良い気味だと思ってる。あの女と顔を合わせるわけにいかないからと、私だけ物陰に隠れて観察しなきゃいけなかったのが残念だ。ビビった顔とやらもよく見えなかった。
それにしてもと、私は馬車が通り過ぎた大通りに目をやる。
街の中心部近くにあるというのに、人通りはまばらだった。だからこそ、アシェリーもマーガレットの姿を見つけてしまえたのだろうけど。
噂はあっという間に広まって、マーガレットの遺体が街のどこかをさまよい歩いているって形に変化していった。
魔法の存在した時代を知らない人間たちは、伝説の中でしか起こり得ない現象に怯え、歩く死体と鉢合わせすることを恐れて家に引きこもった。
ゆえに通りの人通りは少なくなっている。噂を流した私たちのせいで、マーガレットの街の住民が怖がっている。悪いことをしてしまった。
「仕返しってのは、そういうことだよ。どうしたって誰かには迷惑がかかる。自分は何もしてないのに憎いやつが勝手に破滅するなんて都合のいいこと、起こるはずがない」
「けど、関係ない人に迷惑をかけるなんて」
「お嬢様は優しいな。そういうところ、美点だと思うぜ」
「あ、ありがとう……じゃなくて!」
「責任感じてるなら、全てが終わった後で打ち消す噂を流すことにしよう」
「ええ。それがいいわ」
「それに、魔道具が流出して領内で被害が出てるのは事実だ。端にある村から噂はいずれ流れてくるものだよ。運んでる奴が杜撰だから、他にも紛失したものがあるかもしれないし、伯爵も魔道具の紛失にいずれ気づく」
だから噂は、いずれは自発的に流れるもの。街の対処も早くなるから、結果的にはいい。
気にするなと言ってくれてるのか。
「俺たちがするべきは、さっさと目的を終わらせて、さっさと事態を収束させる。それだけだ」
「じゃあ、次は何をすればいいの?」
「再起不能なまでに叩きのめす。マーガレットの遺体の件は、もうそろそろあの女の耳にも入っているだろ。怯えさせてから、夜になるのを待つ」
いよいよ大詰めらしい。
「幸い、あいつらの護衛は大したことなかったしな。完全な素人だ」
本来の目的も、レオンは忘れてなかったらしい。
私にはよくわからなかったけど、アーキンの連れてきた護衛はレオンにとっては取るに足らないもの。
いやでも、剣で武装した複数人の男性って、明らかに私たちの脅威だと思うのだけど。
「俺とルイなら勝てる」
「いやいや! 私を戦わせようとしないで!」
「ははっ!」
「笑い事じゃないのよ!」
「戦わせたりしないさ。けど、早速今夜動くぞ」
――――
さっきのは見間違いじゃなかった。あの女の死体が墓から勝手に出てきて街を歩き回っていると、実家で噂を聞いた。
でもマーガレットはさっき、男の子と一緒にいなかったか? あれは誰? あれも死体なの?、勝手に動き出す死体は今後も増えるってこと?
外に出る時は気をつけてくださいねと忠告したドライセン家の使用人は、もちろん魔道具の流出に自家が関わっているとは知らない。だから噂も他人事として話していた。
大変な時に帰ってきたのだなと、使用人たちは憐れみに近い目を向けていた。
それがアシェリーには耐えられなかった。
なんでこんな時に。私が帰ってくることをマーガレットは察したの?
いいや違う。お父様が盗み出した魔道具が、持ち主であるラングドルフ家の縁者に作用しただけだ。
どんな理屈かは知らないけど、そうに決まっている。そんな魔道具があるに違いない。
私は関係ない。悪いのは全部お父様。私じゃない。ちょっと売りつける先を探すのを手伝っただけなのに、こんな風に怯えることになるなんて。私は被害者だ。
そう自分に言い聞かせながら、アシェリーは部屋に閉じこもった。窓に鍵をかけて、カーテンを閉めて外を見ないようにした。
少しでも外の風景が目に入れば、あの女が立っている気がして。
「なによ。怖くないわよ。あんな女。なんとかなる。なんとかなるわ……」
部屋の隅でガタガタ震えながら、マーガレットは必死に自分に言い聞かせていた。
すると不意に、ノックの音がした。
「きゃあっ!?」
「アシェリー!? どうしたんだ!? なにがあった!?」
アーキンの声だ。夫だから一緒に過ごすのは当然とか考えて、部屋に入ろうとしているのだろう。
王子である彼は、この屋敷の立派な客間に通され、数日間を何不自由することなく過ごすつもりだ。マーガレットの遺体や魔道具についての噂など、まったく気にしていない。自分に関わりがあることとは思っていない。
「入ってこないで! 今は誰にも会いたくない!」
「ああ。わかるよ」
同情するような、優しげで軽薄な声が返ってきた。
「噂に怯えてるんだね、かわいそうなアシェリー。当然だよ。知り合いの死体が動き回るなんて、怖いに決まってるよね」
こいつは何も知らない。噂を完全に信じているのに、自分は大丈夫と絶対の自信を持っている。
自分には関わりのないことだから。
そんなことより、婚約者と愛を育むことの方が重要らしい。
ふざけるな。
「来ないでって言ってるでしょ!」
向こうで、微かに息を呑む声がした。拒絶がそんなに意外だったか。
「優しくしていればいい気になって! 俺は王子だぞ! 伯爵領の家臣の娘の分際で! このことは母上に言いつけるからな!」
なんたる言い草。王子ならば、相手がなんでもわがままを聞いてくれると思っているのか。
思っているのだろうな。彼の人生はこれまで、望めば思い通りになることばかりだった。
なんて浅ましい。国を負って立つ王家が笑わせる。
私のような令嬢と違って責任ある立場だというのに!
アシェリーは身勝手な考えと共に言い返そうとしたけれど、アーキンはドスドスとわざと大きな音を立てて去っていくのがわかった。
いい気なものだ。何も知らないくせに!