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52.アシェリーの憂鬱

 故郷が近づくにつれ、アシェリーの憂鬱はひどくなるばかりだった。


 そもそも帰りたくなどなかった。ラングドルフ領とは距離を置きたいから、出し抜く形で単身アーキンに嫁いだのに。


 確かに、アシェリーの悪事は露呈していない。

 時計塔へ呼び出された彼女が、問い詰められた結果衝動的に突き落としたマーガレットは、婚約争いに負けたショックあるいはルイーザに虐められたショックで自殺したことになっている。


 この馬鹿王子がアシェリーの言う噂を全部真に受けてくれた上に、周りに吹聴した。だから大勢が信じていることだろう。


 マーガレットを殺した後、騒然とする現場から急いで立ち去って、寮の彼女の部屋に忍び込んで、マーガレットが突き止めた事実を実家に手紙として送った痕跡がないことは確認している。

 ここまではよかった。第二王子の妻として、順風満帆な暮らしが待っているはずだった。


 なのに実家に戻ることになるなんて。


 大丈夫だ。家族に夫を紹介するなんて普通のこと。王家の権威の前に、ラングドルフ領の貴族たちも何も言わないはず。用事はすぐに終わるし、そのまま住み慣れた屋敷に滞在して、王都が落ち着くのを待てばいい。

 真実が露呈するなんてありえない。


 いずれは、パーティーの場での王子の不義理もみんな忘れる。第二王子妃の存在も定着するし、私を受け入れてくれる。アシェリーは自分にそう言い聞かせていた。


 なのに胸騒ぎは収まらなかった。



 周りを見れば、みんな呑気なものだった。


 夫となるアーキン王子は、その最たる例だ。王家所有の豪華な馬車で、アシェリーの隣に座る彼は。


「お父上安心してください、アシェリーは俺が必ず守ります。王家の威信に賭けて……いや、国家の威信に、か? 万民に代えても守り、幸せに……。ママも、いや母上にも、そう言いつけられました……」


 アシェリーの家族への挨拶の文面を考えているところだった。

 格好つけようとして、元が馬鹿だからできていない。


 守ってくれるのはありがたいけど、言葉に重みがない上に頼り甲斐もない。あと、国家とか民を引き合いに出すのも間違っている気がする。母について言及するのは最悪だ。


 彼の他に同行しているのは、王城から派遣された世話役の侍女たち。仕事は丁寧らしいけど、こちらに対する敬意が足りていないからアシェリーは好きになれなかった。


 アーキンが彼女たちに、色目を使ったり積極的に話しかけようとするのを何度も見たことがある。不愉快に思いながらも、彼に嫌われて婚約を解消されれば家に帰ることになる。それは嫌だ。



 その他、護衛が数人。


 この人選も、アシェリーには信じられないものだった。

 王家に仕える騎士や兵士など、一人も随伴してこなかった。代わりに来たのが、アーキンの友人だという男たち。


 学校に入学する前から知り合っていた、気のおけない仲間らしい。さすがに庶民ではなく、王家と関わりの深い貴族の子息たちだ。

 中には名のある騎士の息子なんかもいて、一応は護衛の仕事を任せられる人間ではあるらしい。


 ただし、彼はまだ騎士ではないし、ひとりだけだ。あとは宮廷貴族やそこに出入りしている商人の息子。全部で五人ほど。それに剣を持たせて護衛を名乗らせている。


 生まれて初めて高価な剣を手にして、無邪気にはしゃぐような連中だ。

 王子と婚約者一行を守るには不用心すぎる。


 誰がこんな方針にしたかは知らないけど、覚えてなさい。必ず突き止めて、王子妃の力で後悔させてあげるから。


 まあでも、王子の婚約者が地元に凱旋という、めでたい出来事の護衛なら、物々しくするのも間違いかも。アシェリーは自分に言い聞かせて、なんとか納得しようとした。


 そうだ。これは凱旋だ。私は街に歓迎される。娘を失って悲しんでいる伯爵様も、領地と王家の新しい繋がりに感謝してくれる。マーガレットのことなんてすぐに忘れるはずだ。

 街に入れば、伯爵様をはじめとした街の重鎮たちが媚びるような笑みを見せながら自分たちを出迎えてくれる。


 待ち構えているのは大勢の領民も同じ。馬車が通る沿道には人だかりが出来て、男たちはアシェリーの美しさに見惚れて、女たちは立場を羨ましがる。人々は街の英雄を褒め称える言葉を惜しみなく送るだろう。


 アシェリーは現実を見たくないあまり、そんな空想に逃げることにした。しかし事実は、容赦なく襲いかかってくる。



「なによ……これ……」


 街に入った馬車を出迎える者はひとりもいなかった。


 大通りなのに人通りは少なく、用事を済ませると足早に去ろうとする。何人かが、ちらりとこちらを見た。

 なぜか、哀れみの混ざった目を向けていた。


 どうして? なぜ哀れんでいるの? この私が、王子妃の私が来たというのに!


 アシェリーは目の前の事態の意味がわからなかった。考えようともしなかった。

 理解していたのは、自分が褒め称えられる機会がなぜか失われていることだけ。


 こんなのはおかしい。私は王子妃なのに。なんで。なんで。こいつらは全員おかしい。間違っている。庶民のくせに、私たちを称えないなんて。

 そんな怒りだけが彼女の中に蓄積していった。


 誰か、私に気づいて。そう願って周囲を見回したアシェリーは、一組の男女を見つけた。


 姉弟だろうか。若い女と男の子。手を繋いで仲良く歩いてるふたりは、弟がなにか楽しげに話していて、姉が静かに聞いているという様子だった。

 その、姉の顔が。


「マーガレット……?」

「え? どうかしたかい、アシェリー?」

「アーキン! あの女が!」

「女? どれだい?」


 なによ鈍い男! そう思いながら、マーガレットがいた場所を指差すけど、そこには誰もいなかった。


「え……どうして。そんなはずは……」

「どうしたんだ。顔が真っ青だよ? 美しい君には似合わない。もっと笑ってくれ」


 馴れ馴れしく身を寄せて肩を抱きながら口にする、こちらの気持ちを考えない無神経な言葉にも、アシェリーはなんの返答もできなかった。


 あの女は、間違いなくマーガレットに見えた。けど彼女は死者だ。あの年頃の弟もいない。見間違い? そんなはずは。


 アシェリーはキョロキョロと周囲を見回す。あの女がまた現れないかと。

 現れてほしくない。視界に入れたくないのだけど、どうしてもそうなってしまった。

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