36.無口な少女
「ラングドルフ領で亡くなった商人の奥方を、本人確認と遺体の引き取りのために連れて行くところです。彼は懇意にしている、アルディス地区の神父です。奥方はとてもショックを受けてらっしゃる。引き止めないでください」
「これは神父様、お手数をおかけしました。奥様にもお悔やみを申し上げます。どうぞお通りください」
見張りのものだろう。落ち着いた男性の声が聞こえた。性根の優しそうな声だった。
「感謝します。あなたの探し人が見つかるよう、神の御加護がありますように」
エドガーの、神父らしい慈悲に満ちた言葉と共に、馬車は再び動き出した。
「え? これで終わり?」
「そうだよ。言っただろ? 心配することないって」
「え、ええ。そうね。あっさりしたものね」
「見張りが信心深い奴でよかったな。まあ、それを予想していたんだけどな。めちゃくちゃな王子と令嬢の指示に従ってくれる人間は、よっぽどのお人好しに限る。それか金を貰えればなんだってする悪人か」
そして前者が出てきたわけか。
え、待って。
「悪人が出てきたらどうするつもりだったのよ!?」
「ぶん殴って突破する」
「いやいや……」
そうならなくて良かった。
ここは既にラングドルフ領。一番の危機は去ったとはいえ、私はまだ未亡人を演じないといけなかった。
当然だ。ここは、あのアシェリーとかいう女の住む領。あいつもこっちに戻ってきてるというし。あとアーキンも。
何かの拍子に出くわして顔を見られでもしたら大事だ。だから未亡人のふりをして俯き続けなければ。
時折、ちらりと周りを見る。王都ともラングドルフの中心都市とも離れた場所で、建物は見当たらない。見晴らしは良かったけれど、前を見れば森があり、道はそこに続いていた。
「狼……賊……」
「落ち着け。心配ないから」
「でも……」
空を見れば、日が傾き始めていた。じきに夜が来る。
「森の前に村があります。そこに教会も。今夜はそこで泊まりましょう」
「え? 村があるの?」
「もう少し近づけば家が見えるよ。広大な森を資源にした、林業と狩猟がメインの村だ。もちろん農業と畜産も少しはやってるけど」
「へえー。そこにも教会はあるの?」
「ええ。知り合いが神父をやってます。領地の端にある、小さな教会ですが」
「そっかー」
泊めてくれるならなんでもいい。
レオンの言うとおり、本当に村はあった。森の木々と比べても背の低い平屋ばかりだから、ぱっと見わからなかった。
「なあ、お前。ここからラングドルフの街までの道で、なにか変わったことはないか?」
村の入口付近で、自分と同い年くらいの少女を見つけて、レオンは速度を緩めつつ御者席に座ったまま尋ねた。
他の見張りの存在なんかを警戒しての質問なのだろう。相手が子供だからと、馴れ馴れしい口調だ。
庶民が着るような安っぽい服装をした彼女は、背中に小さな弓を背負っていた。小さい子だけど、狩人だろうか。
「………」
白く短い髪をした少女は、黒目がちの目をレオンに向けて、何も言わなかった。
「わからない?」
「…………」
無口なのだろうか。小さな口を結んだままだった。
「あなたが生意気だから返事したくないそうよ」
「うるさい。……なあ。最近、親しい人が亡くなったりしたか? それもふたり」
私を一瞬だけ睨んだレオンは、少女に再び話しかけた。
しかも、なんか嫌な予感がする話題だ。
「ちょっと。まさか」
「霊がふたり増えた」
「なんでよ!」
座ってなかったら転んでたのだろうな。
この女の子にどんな死者が関わっているのか。
「その霊が、今もこの世界にいてお前を見守っている。けど、それは正しい状態じゃない。なあ、教えてほしい。亡くなった人は、どんな未練がある?」
少女は、微かに目を見開いた。
彼女の周りに死者がいたことは本当なのだろう。それを、よそから来た子供に言い当てられたことへの驚き。
ふたりの死者って、誰なのだろう。なんとなく想像はつくけど。
「こっち」
少女が初めて言葉を発し、馬の前を歩く。目指すのは、村のなかにある一軒の家。
その途中、数人の村人が馬車に気づいて口々に囁き合ったり、馬車の向かう先と同じ家に駆け出したりした。村人たちのざわめきが大きくなっていき、人が集まってくる。
どうやら少女の問題は、少女だけの問題ではないらしい。
「これはこれは。お待ちしておりました神父様。クレソン神父の代わりの方ですね?」
家の前に馬車を止めるのとほぼ同じタイミングで、老いた男性が出てきた。彼がこの村の代表者なのだろう。
どうやらこちらの素性を誤解しているらしいけど。
「いいえ。私は王都で神父をしている、エドガーと申します。このご婦人の夫がラングドルフの街で客死したとのことで、遺体の引き取りに付き添っているだけです。それより……クレソンになにかありましたか?」
初めて聞くその名前を、エドガーは特に疑問に思うことはない様子。
この村の神父なのだろう。そしてエドガーと知り合い。私の素性を隠して移動する際の、協力者のひとりとして使う予定だった人。
そんな彼は。
「亡くなりました。一昨日、他の五人の村人と一緒に。……その中にはこの子、ユーファの両親も」
老人は無口な少女、ユーファの肩に手を置きながら悲しげに語る。