35.楽しそう、なのかも
やがて都市部を抜けて、豊かな田園地帯に入る。見晴らしがよくて、こちらに敵意を持って近づいてくる輩がいれば即座に気づける状態。
こういうルートを、レオンは選んでくれたのだろう。
田園地帯にも建物がちらほらと点在しているけれど、やがて都市部とは言えないけれど家々がある程度集まっている村が見えてきた。
宿屋には私の手配書きが配られているそうだから、教会に泊まるとレオンは言っていた。そういうの、普通は教会にも配るものだと思うんだけど。
「いいのです。ここの教会の神父は知り合いですから。深く詮索しませんよ」
エドガーが言うなら、信じてあげよう。
喪服姿の貴人が、宿屋ではなく教会に泊まることは不審なことではないらしい。街の神父も同行しているから、これが普通だと村人には思われる。
宿屋と違って無料だし、村にお金が落ちるわけではない。神父の知り合いだから泊めてもらうのを許されるわけだけど、やはり村人からは良くは思われてないようで。
「ほら、食事は村の食堂から買ってきた。食え」
買い出しに出てきたレオンとリリアが、両手に肉やらパンやら抱えて戻ってきた。これで村人の態度も良くなる。
「そんな気遣い、しないといけないのね」
「あいつらを怒らせて余計な詮索をされるより、ずっといい。村人たちにとっては、探されてる公爵令嬢なんて本当はどうでもいいんだ。普通に金を払ってれば、気にしない」
「なるほどね」
余計な軋轢を生むと、嫌がらせを試みてくるものなのだろう。それこそ、私の正体を探るとか。探るまでもなく、王子の手の者に変な奴がいると伝えに走るとか。
事実がどうであれ、疑いを向けられればこっちは足止めを食う。そんな嫌がらせを受けるよりは、金払いは良くするべきか。
「宿屋の主人に金を渡して、正体は他言無用って命令してもいいんだけどな。そういう内緒話はどこからか漏れやすい。金も余計にかかるし」
肉を齧りながらのレオンの説明。
理にかなってると思うけど、ひとつ気になるのが。
「ねえ。実際、そんな嫌がらせをする村人なんているの?」
「あまりいない。けど、どうしようもなく性格の悪い奴はいるんだよ。ルイの嫌いな王子様みたいな奴は、どの身分にもいる」
「そう……」
のどかな村に住んでいる人は心穏やかな善人ばかり。そんな想像をしていたけど、違ったようだ。
「大抵は、普通に日々を生きてる良い人だけどな。金持ちを見ると、なんとかして金儲けに繋げられないかと企む奴はいる。用心にこしたことはないさ」
公爵領の村人も同じなのかな。
民の暮らしについて、何も知らなかったことを思い知らされた。
屋敷から出ることもあまりなく、将来のための勉強の毎日。領土を統治するためのではなく、将来の誰とも知らない夫を支えるための花嫁修業。
それも大して身につかなかったし。
結局私の世界は、屋敷の中と時々出席する社交パーティーで完結していた。あと学校か。あそこが楽しかったのは、それまでの人生が無味乾燥だったからなのだろう。
「もっと世間のこと、知るべきだったわね。こんなことになるなら」
「今から知ればいいだろ。取るに足らない庶民の生活も、お嬢様にはおもしろいかもしれないし」
「そうね。あなたと一緒にいれば、いろんな人に出会えるし」
「ルイーザ様は、公爵家に戻る気はございませんか?」
「んー。今は戻れないし、戻れるようになる見込みもないからねー。家が許してくれるとも思わないし。しばらくは、クソガキの手伝いよ」
「なるほど! そうですか!」
「霊を祓う仕事は楽しいですか?」
「楽しくはないわよ。不意打ちで転ばされる時は、特にね。だけどやり甲斐はあるわ」
「なるほど。ルイさんも、なかなか良い笑顔を見せてくれますね」
「え?」
「確かに! 私は数日前のルイーザ様を知りませんが、今のルイーザ様は楽しそうですよ!」
「うるさいわね」
「レオンさんと一緒だからですか!?」
「なんでそうさせたがるのよ! いいから、早く寝るわよ! 明日も朝早いんでしょ!」
「あと、見張りを突破しないといけないからな。明日は堂々と顔を伏せてろよ」
「わかってるわよ! 努力するわ」
うん、下向いてればいいだけ。それだけ。簡単なことだ。
そして翌日。
「ねえレオン。まだなの? そろそろラングドルフ領との境界? もう見張りはいなくなった? 顔上げていい?」
「うるせえ黙ってろ! そんなペラペラ喋る未亡人がいるか!」
「だってー」
「ああ。見えてきました。あれが見張りでしょう」
「ひええ。ど、どんなの」
「顔を上げてはいけませんルイーザ様!」
「でも! 気になるじゃない! どんな見張りなのよ!? 兵士なの!? 武装してるの!? ちょっとだけ! ちょっとだけだから!」
「武装はしていませんよ。使用人でしょう。あくまで、通り過ぎる者にお願いをして顔を確認してもらう。その程度です」
「じゃ、じゃあそんなに警戒することはないのかな!? ないのよね!? ないって言ってよ!」
「まったくこいつは……。リリア、口を塞げ」
「むぐー!」
リリアが寄り添って、失意の主人を宥めるように背中に手を回す。それからもう片方の手で私の口を塞いだ。
その直後、馬車が減速していくのを感じた。見張りに止められたんだな。
うん、大丈夫。何も心配はない。私は完璧に未亡人を演じられている。