2.クソガキに絡まれました
最初、私にかけられた声だとは思わなかった。当たり前だ。いきなり人殺しかとか尋ねられる理由はない。
いや、あったな。マーガレットの死の原因は私だと言われた。なぜ見ず知らずの相手が、あの男と同じようなことを言うのか。
声がした方を見る。暗がりの中で、民家の明かりを受けた人影がおぼろげに見えた。
はっきり見えなかったのは、彼が体をすっぽり覆う黒いローブを身に纏い、フードを深くかぶって顔も隠して夜闇に同化していたから。
怪しい。
ただし背は小さい。私の胸元くらいまでしかなかった。
だから暗闇で知らない男性に声をかけられる恐怖より、失礼な物言いへの苛立ちの方が勝った。
つかつかと彼の方に歩み寄って、フードを払いのける。
民家の窓から漏れ出る光に照らされて、美少年の顔が私の前に現れた。
歳は十二くらいだろうか。
目は私と同じく吊り気味で、綺麗なシトリンの瞳がこちらを向いている。驚いているのか少し開いた口からは尖った八重歯が覗いていた。
茶色がかった髪は手入れをするのが面倒なのか、少しボサボサだった。
男の子にこういう感想を抱くべきかはわからないけど、かっこよかった。
呆気にとられた表情の彼は、しばらく私と見つめ合ってから。
「うわっ!? おい何するんだよ!?」
後ずさりながら慌ててフードをかぶり直した。
口調から怒りが漏れている。けど怒りたいのはこっちの方だ。
「そっちこそなによ! 顔を隠して人に話しかけた上に、私のこと人殺しですって!? 礼儀がなってませんわね!」
「人殺しかもしれない奴に顔を見せたくないだろ馬鹿!」
「馬鹿とはなんですか!? 大体、人殺し人殺しって失礼でしょ! 私は人なんか殺したことないから!」
「うるさい馬鹿! そう見えたんだから仕方ないだろ!」
「馬鹿って言ったほうが馬鹿なのよバーカバーカ!」
ふたりして、随分と低レベルな言い争いをしてしまう。
近くの民家から、夜だぞうるさいぞと怒った声がして、私は我に返った。
よし、落ち着きましょう。私は気品ある公爵令嬢。小さな子供相手にムキになるなど、ふさわしい振る舞いではありません。
子供のすることと許してあげる度量も持つべきだ。
目の前の少年の言動について、問いたいこともあるから。
姿勢を正して、後退っていた少年の方へ歩み寄って。
「ふぎゃっ!?」
また転んでしまった。
「もう! なんでよ!」
「こんなどんくさい人殺しなんかいないよな」
「まったくよ! ていうか、私は最初から人殺しなどではありません! それよりあなた、聞きたいことがあります」
「なんだよ」
こちらへの警戒心が解けたのか、彼はフードを取った。不機嫌そうな顔を見せてはいたけど、それでも彼は可愛かった。
では質問だけど。
「さっき私と見つめ合った時、少し間がありましたね。人殺しと疑っていた相手から、すぐに逃げなかった。なぜですの?」
「え? そこ? なんで人殺しって疑ったのか訊きたいんじゃなくて?」
「それも訊きたいですが、まずはこっちです」
「マジか。それは……」
彼は気まずそうに少しだけ目を逸してから、口を開いた。
「お前が美人だから、気を取られた……」
「よしっ!」
あまりに小さい声での答えだけど、聞き逃さなかった。
ええ。わかってたとも。あの瞬間、彼は私に見とれていた。
生意気なガキの割には可愛いところがある。
「よろしい。公爵令嬢の名において、褒めて差し上げますわ」
「うるせえナルシスト」
やっぱりこいつ生意気なクソガキだ。
「それより、俺もお前に訊きたいことがある。人殺しって呼んだことについてだ」
私が次に尋ねたかったことを、彼は自分から切り出した。
「お前に、尋常じゃない数の霊が憑いている。何十って数だ。これだけの数の死に、お前は関わってるのか?」
「……はい?」
「だから、お前の周りに何十……もしかしたら百いくかもしれない数の霊が」
「いやいやいや! 待って! 霊ってなに?」
もっとわからなくなった。てか、さりげなく数を増やさないで。
「霊を知らない? 亡霊とか霊魂とか言い方は色々あるけど。死後にあの世に行けなかったり、未練があって行くのを拒んだ人間の精神体。あとは地獄と煉獄の責め苦に耐えかねて逃げだした例もあるけど」
「霊自体は知っていますわ。詳しくはないけれど」
後半の説明はよくわからなかった。とにかく死者だと理解してればいいはず。
「それが、私に大量に憑いている?」
「そう。実際に見てもらった方が早いかな」
彼はローブの内側から小瓶を取り出した。中に入っているのはピンク色の粉末で、彼は自分の目の高さまで瓶を掲げて蓋を開けて僅かに傾ける。
サラサラと落ちていく粉末に彼が息を吹きかけると、あたりに舞い散っていき。
次の瞬間、視界が闇に覆われた。
「え? ちょっと、なによ!?」
「よく目をこらせ。完全な闇じゃない。突然光を遮られて、目が慣れてないだけだ」
既に夜だったとはいえ、民家の窓からの光に目が慣れて、夜道を歩くのにそんなに苦労はしなかった。
それを失った。いえ、弱まったために完全に光がないと勘違いしてしまった。