17.死者の復活の刻
棺を完全に露出させ、その周りもある程度掘り広げる。
そこを足場にして棺の前に立ったレオンが、ナイフで棺の蓋を留めている釘を外していく。本体と蓋の隙間にもナイフを差し込んで、隙間を作ってこじ開ける。
これはレオンの専門の仕事。慣れているのだろう。作業がどんどん進んでいく。
別にいいのだけど、このクソガキは棺を開けるためのナイフで私の髪を切ったのか。まったく。
やがて蓋が完全に取れた。
庶民が納められるような、木製の簡素な棺だ。蓋も薄く、そんなに重くはない。これが貴人や殉職した軍人の場合は、重厚な鉄製の棺となるのだけど。
子供の力でも持てる蓋を、レオンは私の方に差し出してくる。ちょっと気持ち悪いけど、受け取って脇に置いた。
そして、老紳士の妻の死体との対面。
死後数日しか経っていない遺体は、確かに腐敗はそんなに進んではいない。腐臭はあまりしなかった。
老紳士と同じくらいの年齢と思しき女性の死体は、胸で手を組んでいて、眠っているように目を閉じていた。
その顔に表情はない。安らかな死に顔なんて印象は受けなかった。
「人は死ぬと、みんな無表情になるものですよ。力が抜けるのですから当然のことです。笑って死ぬことはあっても、死後も笑っていられることは稀です」
私の疑問に気づいたのか、エドガーがそっと耳元で囁いた。
「彼女の葬儀も私がしました。生前の友人に囲まれて、幸せなものでしたよ」
「では、夫と最後に触れ合うことができなかったことだけが未練ですか?」
「ええ。それだけで、彼女は冥界に行く機会を逃してしまった。レオンがいなければ誰にも気づかれることなく、現世を彷徨い続けていました。苦しみながらです」
そうだったのか。
老紳士も穴の下に降りて、妻の遺体を上まで持ち上げる手伝いをする。
「あっちの開けた場所まで運んでください」
明かりを持って口だけ出すエドガーは、ある一点を指差した。
墓地の中の一角、墓石が立っておらず広場のようになってる場所があった。
墓地はそこかしこに雑草が生えているけれど、そこだけは綺麗に除草されていた。
そこまで、レオンと老紳士がお婆さんの遺体を運ぶ。手伝えとさっき約束したばかりだから、私も彼女の腕を掴んで助力した。
うん、してる。大した力じゃないけど、ちゃんと手伝ってる。少しはふたりの助けになってるはず。
「もっとちゃんと引き上げろ。それだと、垂れ下がってる腕を持ってるだけだぞ」
「うるさいわねクソガキ。やってやるわよ!」
そんな感じで、指示された場所まで死体を運んで地面に降ろす。
即座にレオンが、彼女の周りの地面にナイフで円や文字を刻みつける。
「魔法陣ですよ。おとぎ話の中で見たことは?」
また、エドガーが解説してくれた。それはいいんだけど、本当に手伝わないなこいつ。
「え、ええ。あります。……どういうものかは私も詳しくないのですが」
「主に、魔法使いが大掛かりな魔法を使う時に描くものです」
「ええっと、つまりレオンは今から、魔法を使うということ?」
「いいえ。レオン自身は魔法を使えません。霊が見えるという特殊な体質なだけ。しかし彼は、霊に関するいくつかの神秘的な術の知識を持っている。たとえば、通常は見えないはずの霊を誰もが見られるようにする方法とか」
「ピンク色の粉のこと?」
「ええ。レオンはあれを、霊視粉と呼んでいます。魔法関係なしに作ることができるものです。開発したのは大昔の魔法使いなのでしょうけれど。魔族のネクロマンサー対策のために研究を重ねた人間の誰かだと、レオンは推測しています」
「その方の成果を参考に、レオンは粉を作ったということですの?」
「ええ。あの魔法陣も同じ。霊を再び体に入れるのに必要なものだそうですよ」
レオンは複雑なそれを、なんの迷いもなく地面に刻みつけていた。
図形や文字の意味を理解していないと、ちゃんと覚えられないものだと思われる。
霊に関する、魔法のようななにか。けれどそれを実現させるための常識外の力は霊の存在だけでいい。
他に必要なのは、魔法を介さない知識だけ。レオンはそうやって、ネクロマンサーをやっている。
ひとつ疑問なのは。
「レオンはなぜ、そんな知識を持っているのです?」
「家の倉庫に記録が眠っていたと言ってました。詳しいことは話したくない様子です」
家とはもちろん、ニナたちの酒場ではない。レオンの生まれた実家のことだ。
王都の生まれではないらしいのは知っている。けど、十二歳の子供が故郷や親元を離れて、死体と向き合う仕事をしている理由はわからなかった。
本人が話そうとしないのだから、訊くべきではないのだろう。
レオンが私の事情を、強引に訊こうとしないのと同じで。
やがてレオンは魔法陣を描き終えて、私の方を見た。正確には私に取り憑いている霊を。
「お婆さん。入ってきてください」
あの粉が撒かれていない現状では、私には霊の姿は見えない。エドガーにも、老紳士にも。けどレオンには見えているのだろう。彼の視線が遺体へと戻っていく。
次の瞬間、胸で組まれていた遺体の手の指がピクリと動き始めた。
遺体自体、自分の体が動くことに戸惑いを覚えている様子。動きはぎこちないものだった。
死者と生者じゃ勝手は違うか。
それでも自分の体だ。やがて彼女はゆっくりと立ち上がった。
「パメラ!」
それが奥さんの名なのだろう。老紳士は彼女に駆け寄り、抱きついた。彼女の方も愛しい夫の背中に手を回す。
「病気で満足に体をうごかせなかったんじゃないの?」
「生者と死者の体の動きの仕組みは別ってことだよ。手足が繋がっていれば、生前どんな障害があっても動かすことはできる。代わりに、話すことはできない」
「ふうん」
そいうものとして割り切るしかないか。