運命の人に出会いたいので試しにドラゴンにさらわれてみた
□■□■□■□■
昔むかし、あるところに、栗色の長い髪をもつ美しいお姫様がおりました。
お姫様はいつも、他のおとぎばなしのなかに住むお姫様のように、王子様が自分を迎えにきてくれるのを今か今かと待ち望んでおりました―――……
□■□■□■□■
「私もおとぎ話みたいな恋がしたーいっ」
ある晴れた日のこと。
部屋の窓から入り込む風がやさしくカーテンを揺らす穏やかな空間に、私の大きな声が響き渡った。
「おはようございます。また言ってらっしゃるんですか、サーシャ姫」
苦笑しながら呆れたように言うのは、私の専属侍女のルナである。
私は非難のまなざしをルナに向けた。
「だって、私もう18よ?それなのに一度も恋をしたことがないなんて……」
「サーシャ姫は美しいんですから、今にきっと素敵な王子様があらわれますよ」
私の文句を、ルナは笑って受けとめる。
私はそんなルナの余裕が悔しくなって、少し意地悪を言うことにした。
「とか言って。ルナったら、自分は彼氏いるくせに」
私の言葉に、ルナの顔が一瞬で染めあがる。
ルナは驚いた表情でこっちを見て言った。
「知ってらしたんですか!?」
「この間二人が手をつないでるのを見ちゃったの。あの人料理人よね。かっこいいわよね」
私の言葉にさらに顔を赤く染めるルナ。
その顔に私は満足して笑った。
「もーっ、覗き見なんて趣味悪いですよ!とにかく、サーシャ姫が焦ることはありませんから!」
ルナはそれだけ言って、恥ずかしそうに私の部屋を出て行く。
ルナに逃げられた私は、ため息をつきながら部屋にある真っ白なソファーにとさっと身を預けた。
ここは、メルカ王国。
海に面した港町が首都の美しい国。
私はそんな国の第一王女として生まれた。
優しい両親、しっかり者の兄、かわいい妹、頼りになる使用人たち。
こんなすごく恵まれた環境のなかで、私が唯一もっていないものが、恋人。
お父様達は好きに恋愛していいぞ、なんて言うけれど、これでも私一応れっきとした王女なわけだから、誰とでもほいほい付き合うわけにはいかない。
そんなわけで、どこぞの王子様が結婚を申し込んでくれるのを待ってるんだけど、一向にその知らせはこない毎日。
隣の国に素敵な王子様がいるって聞いたけど、所詮は噂だしね。
でも、そろそろ待ってるだけなんて限界。
何も行動できない自分が嫌でたまらないのに、姫という立場上無責任な行動をとることもできない。
悶々としつつも、今日も同じように何も行動できないまま終わる、
…………そう思っていた。
******
「サーシャ姫、王がお呼びです」
ルナではないメイドの声に、私は首を傾げつつ本から顔を上げた。
昼間にお父様が私を呼び出すなんて、めずらしい。
たしか今日は、月に一度の占いの日だったはず。……何かあったのかしら。
私は落ち着かない気分で立ち上がり、メイドの後についていった。
「失礼します……お呼びですか、お父様」
私が占いの間に入ると、お父様は相好を崩して迎えてくれた。
「おおサーシャ、待っていたぞ。こちらへ来なさい」
私は言われるままに、お父様の座るソファの傍らに寄った。
お父様は私が近くに来るのを待って、困ったような複雑な表情で話し始める。
「実はな……もう察しているかとは思うが、今日の占いの結果がお前に関することだったのだ」
まあこの場に呼ぶなら、そうだろう。
私はうなずいた。
「占いは、なんて?」
しかしお父様はなかなか口を開かない。
私はしびれをきらしてお父様をうながした。
「お父様?」
「いや……非常に言いづらいんだ」
お父様がこんなに言いよどむなんて、一体どんな予言なんだろう。
私は息をつめてお父様の言葉を待つ。
やがて、お父様はため息をひとつついて口を開いた。
「それがだな……」
「ええ」
「占いの結果は、今日お前が、ドラゴンにさらわれる、というものだった」
お父様の言葉に私はしばらく放心した。
それからやっと口を開く。
「ドラゴン!?」
「そうだ」
「そんなの…………絶好のチャンスじゃない!!」
私の言葉を聞いて、お父様はため息をついた。
「ほらな、サーシャはきっと喜ぶから言いたくなかったんだ」
困り果てた顔をするお父様とは裏腹に、私の顔は期待で輝く。
だって、ドラゴンといえば王子様だもの!
ドラゴンにさらわれたお姫様を王子様が助けに来るのは定石。
この機会を利用しない手はない。
「それで、ドラゴンはいつ来てくださるのです?」
それを聞いてお父様は呆れた顔をした。
「そこまで喜ぶことか?何があるかわからないんだぞ?」
「何を言ってらっしゃるの、お父様!こんなチャンス二度とこないわ!」
私の喜びように、お父様はあきらめたように再度ため息をつく。
「一応警戒はさせてもらう。お前は部屋から出るんじゃないぞ」
「はーいっ」
抜け出しますね、お父様!
私は喜びいさんで部屋に舞い戻った。
******
こうしちゃいられない。
私は部屋にあるドレスを引っ張り出し、あれでもない、これでもないと片っ端から試着した。
せっかく王子様に出会えるチャンスなのだから、着飾って行くべきだと思ったからだ。
20着ほど投げ捨てたころだろうか。
目の端にひとつのドレスがうつった。
それは、去年の誕生日にお母様からプレゼントされたもの。
パフスリーブのふわっとしたクリーム色のドレス。
ベルラインで腰の切り替えから下は少しずつ赤みがかるようにグラデ―ションになっている。
いつか特別なときに着ようと思ってとっておいたのだ。
私はそのドレスを手に取ると、ぎゅっと抱きしめた。
浮かれた気分で着替えが終わり、頭にピンクパールの髪留めを付けているところに、ルナが血相を変えて部屋に転がり込んでくる。
「サーシャ姫っ!」
「どうしたの、ルナ」
「どうしたのじゃありませんっ」
私はルナの剣幕に思わず後ずさりした。
「聞きましたよ、占いの話。なんでそんな平気でいられるんですか」
「だって大丈夫だもの」
私の自信満々な言葉に、ルナは一瞬口ごもる。
しかし再びきつい口調で言った。
「大丈夫、じゃありませんっ!ドラゴンですよ!?死んでしまったらどうするんですか!?」
ルナの心配が伝わってきて嬉しくなり、私は彼女をなだめるように笑顔を浮かべた。
「私は大丈夫」
「だから、どうして……」
「だって、ドラゴンにさらわれたお姫様の物語はハッピーエンドって決まってるから」
私の言葉にルナは一瞬目を見開き、肩を落とす。
「何を根拠に……」
相変わらずしかめ面だったが、その声はずいぶん優しいものになっていて私はにっこり笑った。
「根拠もなにも、決まったことなのよ。ね、ルナも応援していて?」
しばらく肩を落としていたルナだったが、やがてゆっくり顔をあげる。
「姫様、お気をつけて」
「うん!」
困った顔で笑うルナに見送られて、私は意気揚々と部屋を出た。
******
さて、とりあえず城から外に出てみたはいいものの、そこはひしめく兵士達でうめつくされていた。
私の様子から言って当然といえば当然だけど、お父様は私が部屋を抜け出すことを見越していたらしい。
こんなに大勢の兵士のなかから私をドラゴンに見つけてもらうには、どうしたらいいのだろう。
困り果てた私がふと空を見上げたそのとき―――
「ドラゴンが現れたぞ!」
一人の兵士の声が響き渡るのと、私の目がドラゴンを見つけるのは同時だった。
私の真上では、真っ黒なドラゴンが大空を舞うように飛んでいた。
その美しさに思わず息をのむ。
私だけでなく、ここにいる全員がその優雅な姿に毒気を抜かれ、呆然と見つめるだけだった。
私が身じろぎしたことで、髪につけたピンクパールがきらりと煌めく。
その瞬間、ドラゴンはまっすぐに私の方へ降りてきて、何が起こったかわからぬままに気が付けば私はドラゴンにつかまれて大空を飛んでいた。
「はっ………サーシャ姫が!」
「撃て、撃てーっ!」
ドラゴンに見とれていた兵士達が我に返って攻撃をしだすころには、弾もとどかないほど高くまでドラゴンは舞い上がっていた。
抜け出せた嬉しさとあっけなさでぽかんとしてしまうが、頬を切る風の冷たさに少し目が覚める。
私が冷静にはるか遠くなった城を見ていると、どこからか声が聞こえた。
「ごめんな。すぐ着くからもう少し我慢してくれ」
「……うん……」
普通に返事をしてしまってからふと我に返る。
いや、この声どこから?まわりには雲以外なにもない。
だとしたら、答えはひとつだ。
私は勢いをつけてドラゴンを見上げた。
声の主を確認するため口を開こうとして、またしても私は固まる。
きれいな、紅い瞳…………。
黒い体と対照的に、ドラゴンの目はルビーのような赤だった。
なにをしようとしていたか一瞬忘れて思わずその瞳に見とれたのち、私ははっとなって声を出した。
「あなた、しゃべれるの!?」
「ちょ、おい、暴れるな!落とすだろ」
やっぱり、さっきのはドラゴンの声だった!
私は感激して足をじたばたさせる。
「すごい、すごい!」
「だから暴れるなって!」
喜ぶ私を、必死で掴みなおすドラゴン。
気づけばいつの間にか城は見えなくなっていた。
******
「ほら、着いたぞ」
やっと目的地にたどり着いたドラゴンは、疲れたようにそっと私を地面に降ろした。
飛びながら、山の奥に入ったのはわかっていた。
降りてみて目に入ったのは、小ぢんまりとした一件の山小屋。
小さいけど丁寧に作られたその小屋を私は興味津々に覗き込む。
「そこ、俺の家だから。先入ってて」
私のうしろで翼をたたみながらドラゴンが言う。
まさか、こんな小さい家にドラゴンが入るのだろうか?
驚きつつも好奇心は抑えきれず、私はおそるおそる小屋に入った。
「うわぁ、すごい……」
入って思わず感嘆のため息をつく。
私の体験したことのない“庶民の暮らし”がそこにはあった。
私が小屋の入り口で惚けていると、私の肩を誰かが押した。
「いいから、はやく入って。好きなとこ座れよ」
その声に返事をしようとして、違和感から私はばっとうしろを振り向いた。
だって、今私の肩を押したのはたしかに人間の手だったのだ。
私が振り向いた先には、漆黒の柔らかそうな髪をもつ、端正な顔立ちの青年が立っていた。
こんな整った顔の人、城中では見たことがない。
思わず頬を染めてから、私ははっとなる。
ここはドラゴンの家のはず。そこで、自分の家のように私を促す青年。
ということは……つまり。
「あ、あなた、ドラゴンなのに人間なの?!」
急にパニックになった私は訳のわからないことをさけんだ。
混乱して頭を抱える私の肩を、彼はがしっとつかむ。
その突然の動きにびっくりして私は動きを止めた。
「落ち着け。俺の目をみろ」
混乱しつつも私は言われるままに彼と視線を交える。
この目。あのドラゴンと同じ、綺麗な赤。
この時私は不思議とすんなり理解することができた。
彼はドラゴンで、ドラゴンは彼だということを。
「な?」
私が落ち着いたのを確認し、彼は私から手を離した。
「でも、どうして姿が変わるの?」
無意識にこぼれ出た私の問いに、彼は自嘲するような笑みを浮かべて答えた。
「さあ?生まれたときから一人だったからわからない」
「あ………、ごめんなさい」
聞くんじゃなかった、とうつむくと、小さな彼の笑い声が聞こえた。
思わず顔をあげて目に入る優しい笑顔に、とくんと胸が鳴る。
彼は笑顔のまま言った。
「いいよ。俺が欲しかったのは、これ」
言いつつ彼が手をのばした先には私が髪につけたピンクパールがあった。
「こ……これ?」
「そ。もしよかったらもらえないかな」
にっこり笑う彼に促されるように髪からピンクパールをはずして渡すと、彼は心底嬉しそうな顔をした。
「ありがとう。ほんと助かった。これを溶かして塗るといい傷薬になるんだけど、なかなか見つからないんだよな」
そう言って彼が振り向いた先には、怪我を負った小鳥がいた。
「ひょっとして……この子のため?」
私の問いを彼は笑顔で返す。
「ああ。こういうときに限って薬草が見つからなくてさ。目に入ったのがあんたのピンクパールだった。まさかあんなに兵士がたくさんいるなかピンクパールくれって言ったって、もらえなかっただろうし」
「えっと……じゃあ、私、城に帰るの?」
「……?そうだよ。無理やり連れてきて悪かった」
「そ、そんなあああ!!!」
私の叫び声に驚いた少年と小鳥が飛び上がる。
しかしそんなことにかまってなんかいられない。
このままでは、私の計画が崩れ去ってしまう。
「お願い、迷惑なのはわかってる。だけど、ほんの少しの期間でもいいからここに置いてください!」
私の切実な願いに、彼は目を丸くした。
******
「……なるほどな。話はわかった」
私のすごい剣幕に若干引き気味で話を聞いていた彼は、しばらくたってからゆっくりうなずいた。
「ここにいていいよ」
「本当!?」
彼の言葉に私は思わず身を乗り出す。
自分でも、かなり不躾で無茶なお願いだとわかっていたからだ。
前のめりな私をなだめるように、彼は慎重な顔つきで言った。
「ああ。……ただし、お前の言う王子様のお迎えとやらが来たら俺はすぐ逃げるからな。殺されたくはない」
「もちろん、それはそうよ!あの、ほんとにありがとう」
彼の優しさに私が感激して手を握り合わせると、彼はそっと笑ってみせる。
「俺はカイル。よろしく」
「サーシャです。お世話になります」
こうしてカイルと私の、短い共同生活が始まった。
******
次の日の朝、私は木を切る音に目を覚ました。
「カイル………?」
与えられていた簡素なベッドを抜け出し、外へと続くドアを開ける。
澄んだ冷たい空気が私を包んだ。
朝日のまぶしさに目を細めると、視界の片隅に薪を切るカイルがうつった。
「おはよう、カイル。早起きなのね」
カイルは私の声に顔を上げ、口元をほころばせる。
「おはよう。起こしちゃったか?悪いな」
私はかぶりを振って彼のもとへ駆け寄った。
「ううん、ね、それより私にもそれやらせて?」
私の言葉に彼は目を見開く。
「それって……これ?」
彼の言葉に私は首をかしげた。
「そこに積んである木を切ればいいんでしょう?おもしろそう」
「……お姫様だし、てっきり…………」
「え、なんて?」
何かをつぶやくカイルに尋ねるも、彼は笑ってこっちを見た。
「いや、驚いただけ。うん、そうだな、なら町へ行こう」
「町へ?」
きょとんとする私のドレスを指差し、カイルは言った。
「ドレスが汚れるだろ。だからサーシャの服を買いに行こう」
彼の言葉に、私は喜びで飛び上がる。
「服!?私の?いいの?」
「ああ。ただそのドレスで町に出たら目立つな……ちょっと待ってて」
言って彼は家のなかに入って行く。
しばらくして戻ってきたカイルの手には服が抱えられていた。
「はい、これ。俺のだからちょっと大きいし地味だけど」
「ありがとう!」
「あ、おま」
私は何かを言いかけているカイルから服を受け取ると、家のなかに駆け込んでさっそく着替える。
着てみると、カイルの服はとても大きかった。ズボンは何回も折らないとだし、首元も大きくて肩が出てしまう。
私は家のドアから顔だけ出してカイルに言った。
「カイルー。これ肩がでちゃう」
私の言葉にカイルは顔を真っ赤にさせる。
「ばか。これも持ってきたんだよ。着とけ」
目を逸らしながらカイルが渡してくれたのは、襟ぐりの狭い上着だった。
「あれ、カイルの着てく上着じゃなかったんだ?」
「お前の服を取りにいったんだからお前のために持ってきたに決まってるだろ。ったく……」
ぶつぶつ言うカイルを横目に、私は渡された上着を羽織る。
「ありがとう。さあ、行きましょう」
にこにこ笑って言うと、彼はひとつため息をついて「ああ」と言った。
******
「わあ、初めて来る町だわ!」
山を降り、町の入り口に立つ。
約一時間の距離をかけてたどり着いたその場所で、私は歓声をあげた。
お城の周りにある町はいくつか訪問したことがあるけど、こんな遠くの町へ来たのは初めてだ。
カイルが連れてきてくれた町は、小さいけれどなんだかあたたかい雰囲気のする町だった。
「それにしても、歩いてくるなんて思わなかったわ。てっきりまたカイルが飛んでくれるものかと……」
山道を一時間歩きとおした足をさすり、私はカイルに文句を言う。
カイルがどこかから拾ってきてくれた靴がなかったら、足が死んでいたところだった。
カイルはあきれた表情でこちらを見る。
「あのなあ。こんな町中にドラゴンが降り立ってみろよ。大騒ぎになるだろ」
「そうだけど。町の人はカイルのもうひとつの姿を知らないの?」
私の言葉に、彼はひとつ目をまたたかせた。
「隠すことしか考えてなかったからな……。今までも姿がばれる度に引っ越してきたから」
知られて、恐がられたくないし。
そうつぶやいたカイルの表情がなんだか悲しくて、私はカイルの手を取った。
カイルは驚いた顔で私を見る。
「恐いなんて、カイルと少しでも話したら思うはずないわ。それにカイルは恐くない。綺麗よ」
カイルの紅い瞳は本当にきれいだ。
視線がぶつかるたび、心臓の鼓動がうるさくなるくらい。
私の言葉を噛み締めるようにカイルは一度目をつぶる。
そして再度その目が開かれたときには、彼は優しい笑顔を浮かべていた。
「ありがとう。そうだな、いつかは町の人に俺の姿を受け入れてもらえたら……」
紅い瞳がきらりときらめく。
私はその美しさにこりずに息をのんだ。
「たしか服を売ってる店は……あ、あった」
彼に手を引かれて辿り着いた店は、他のお店にくらべたら少し大きく、色とりどりの服が所狭しと並べられていた。
「すごい!どれ選んでもいいの?」
目をきらきらさせて言う私に、苦笑するカイル。
「いいけど、あんまり高いのはやめてくれ」
彼の言葉にこくこく頷きながら、私は喜びいさんで女ものの服が並べられているコーナーに駆け寄った。
お城で着ていたドレスも豪華で素敵だったけど、ここに並んでる服も質素ながらポイントにつけられたアクセントがかわいい。
私がひとつに選べずにうんうんうなっていると、突然頭上から声が聞こえた。
「ははは、ぼうず、誰かへのプレゼントかい?」
ぼ………ぼうず!?
その言葉の衝撃に、ばっと振り返る。
そこにはあごが髭で覆われた恰幅のいい男の人が笑って立っていた。
彼は私が振り向くと、お、と細い目を開く。
「ぼうず、かわいいなあ!女の子みたいだ」
だからぼうずぼうずって……女の子なのに!
憤慨しようとして、はっと気付く。
すっかり忘れていたけれど、そういえば私カイルの服着てたんだった。
頭には帽子をかぶって髪の毛も隠しているし。
この格好だと、男の子に見えるのも無理はないかもしれない。
私が納得した瞬間、私の頭に手が乗った。
「こんにちは、店長」
顔をあげると、手をのせたまま相手の男の人に笑いかけるカイルがいた。
「おう、カイル!久しぶりだなあ。なんだ、この子お前の知り合いか」
男の人……もとい店長の言葉にカイルはうなずく。
「そうなんです。好きな子に服をプレゼントするって言うからついてきました」
「そうか、そうか!よしぼうず、二着選べ!一着はおまけしてやる」
気前のいい店長に、私は嬉しくなってにこにこしながらさっき悩んでたうちの二着を手に取った。
「ありがとう、店長さん!これとこれください」
「おう、ちょっと待ってな」
店長は豪快に笑い、レジへと向かう。
「はいよ、ぼうず」
「ありがとうございます」
私は店長から渡された袋を受け取った。その横でカイルがお金を払う。
店長はカイルがお金を払うことに少し疑問を持ったようだったが、深くは突っ込んでこなかった。
「じゃあ、店長、ありがとうございました」
「おう、また来いよ」
笑顔で見送ってくれる店長に手を振り、カイルと並んで歩き出した。
「さて、目的は果たしたけど。サーシャ、他に何かほしいものはあるか?」
カイルの言葉に私はうーんと首をかしげるが、特に何も思いつかない。
考えてながら歩いていると、突然カイルに声がかかった。
「カイルじゃない。久しぶりね。野菜どう?旬のものが入ったわよ」
声のした方向に顔を向ける。カイルに声をかけたのは、八百屋で働く女の人だった。
若くてきれいな人だ。
カイルは笑い、彼女に返事をした。
「久しぶり。野菜は自分で育ててる分がまだあるから平気」
「ならよかった。あ、そうそう、ね、カイル聞いた?」
彼女は私の存在には触れないままカイルに話す。
「実はね、この国のお姫さまがドラゴンにさらわれたらしいわよ」
その言葉に、私は思わず手に持っていた服を落とした。
幸い彼女はそのことに気付かず、話を続けていく。
「二人いるうちのお姉さんの方だって。王様じきじきの探索命令が出てるからただの噂じゃないみたいよ」
女の人の言葉に、はぁ、と苦笑全開でカイルは返事をした。
それを彼女はカイルが信じてないと取ったのか、さらに強い口調で話し始めた。
「ほんとよ、この町の門にもおふれがでてるわ。私も見てきたもの。……しかもね、これは噂だけど。王が『娘を見つけ出した者を娘の夫とする』なんてお触れをだしたものだから、どうやら隣国の王子がさらわれたお姫様を捜そうと名乗りをあげたらしいわよ。ロマンティックね」
私は彼女の言葉に、今度こそ飛び上がった。
「あら、どうしたの?」
「な、なんでもないです」
いぶかしげに覗きこんでくる女の人に対し、笑顔で取り繕う。
彼女は私を上から下までじっくり眺めてから言った。
「カイルの知り合い……?ずいぶんかわいい男の子ね。きみもドラゴンにさらわれないように気をつけてね。ドラゴンがこの近くの森に逃げ込むのを見た、なんて言う人もいたし」
彼女のこの言葉には、私もカイルも乾いた笑いを浮かべるしかない。
彼女は少し頬を染めて、カイルに言った。
「私も少し怖いわ。何かあったらカイルが守ってくれる?」
あれ、もしかして、この人カイルのこと……。
私がそっと彼女を見上げたところで、カイルが私の手を引く。
「何もないと思う。じゃあ俺ら急ぐから、また」
カイルは彼女の返事を待たずにすたすたと歩きだしてしまった。
私は黙って手を引かれるままに付いて行く。
しばらくして広場に出たところで彼は立ち止まった。
「カイル……さっきの人、もしかしたらカイルのこと好きなんじゃない?」
私がおそるおそる問いかけると、カイルはため息をつきながら首を振った。
「だとしても、困る。あの人は俺がドラゴンだなんて知らないから」
彼の言葉に、得も言われぬ優越感が私の胸に沸き起こる。
私だけが知っていて、あのきれいな女の人が知らないことがある。
その優越感がどこから来るものなのか私が気づかないうちに、カイルは笑って話を変えた。
「そんなことより、王子様がお前を捜してるってさ。よかったな」
その言葉に私は一気に現実に戻された。
無理に笑顔を作ってうなずき、つぶやく。
「どんな方なのかしら…」
カイルは道ぞいの姿絵を売るお店をのぞきこみ、言った。
「噂をすればなんとやら。こいつじゃないか?」
カイルの言葉に私はその姿絵を見る。そこには隣国の王子の名が表記されていた。
「この人が…」
少し長めの明るい髪に、青くて大きな目。
薄い唇は、自信に満ちた笑みを浮かべている。
そこに描かれていた人物は、長年私が思い描いていた“王子様”そのものだった。
もし、この人が私を見つけたなら、この人が私の恋人となる。
そしてゆくゆくは、私の旦那様となる。
見目麗しく自信に満ちた王子様。すべて私の理想通り。
それなのに。
「嬉しくないわ……」
私の口は、勝手にこんな言葉をはきだした。
私の言葉に、カイルは驚いたように私を見る。でも、カイル以上に私が自分で自分の言葉に驚いていた。
「ずっとこういうのを夢みてたんだろ。この王子様なら申し分ないじゃないか」
「そう、ね……」
カイルの言葉に私は自分への驚きが掻き消えるのを感じる。
なんで、私今、自分で言ってしまった言葉よりカイルに言われた言葉にショックを受けてるんだろう。
私は、一体カイルになんて言ってもらえることを期待していたの……?
私は無理やり笑顔を浮かべて言った。
「たしかに、こんなに素敵な人いないわね。迎えに来てくれるのが楽しみだわ」
「そうだよな。びっくりした。……もう遅いし、そろそろ帰るか」
そう言い、カイルは私に背を向け町の出口の方へと歩きだす。
私は黙ってカイルのあとを追った。
******
気まずい沈黙のまま山道を歩くこと30分。
私の足はそろそろ限界に近づいていた。
行きは下りだったからなんとか自分の足で町まで行けたけれど、帰りは登りなのだ。
私にとってこんなに長い時間道なき道を歩くのは初めてのこと。
だけどカイルにこれ以上迷惑をかけたくないから、何も言わずに必死であとをついていった。
それでもだんだんカイルとの距離が離れていく。
見失ってしまう……
そう思ったその瞬間、私の心の声を聞き取ったかのようにカイルがこちらを振り向き、驚いたように引き返してきた。
「おい、大丈夫か?つらいならもっと早く言えよ」
「ごめんなさい」
私があやまると、カイルはがしがしと自分の頭をかいた。
「いや、あやまるのはこっちだな。サーシャがお姫様なこと忘れてた。……乗れ」
「えっ」
「いいから。はやく」
言いながら差し出される背中。
最初私はびっくりして動けなかったが、はやく乗れと言わんばかりのカイルの目線におそるおそるその背中につかまった。
「よっ、と。…お前軽すぎ。ちゃんと飯食ってる?」
少し強い振動とともに、私をおぶってカイルが立ち上がった。
カイルの言葉に私はただうなずくしかできない。
心臓がどきどきして、話すどころじゃないんだもの。
カイルもそれ以上な何も言わず、黙って山道を歩き続けた。
カイルの歩くペースにあわせて、心地よい振動が私を揺らす。
カイルの背中につかまっている間、私の心臓はずっとうるさい音を立て続けていた。
******
翌朝、鳥のさえずる声に、私は目を覚ました。
朝日がカーテンの隙間からこぼれおちている。
そのさわやかな空気に目が覚めた私は、勢いよくベッドから降りると昨日カイルに買ってもらった服に袖を通した。
お世話になりっぱなしのカイルに、何か恩返しをしたい。
そう思った私は、朝食を作ることを考えついた。
まだカイルは起きてないみたいだし、起きて朝食が用意されていたらきっとカイルも喜んでくれるはず。
……料理なんてしたことないけれど。
「きっと、なんとかなるでしょう!」
私はそう自分を納得させ、台所に立った。
******
朝食づくりを開始してから十分後、けして広くない小屋の中にとんでもない爆発音が鳴り響いた。
「どうした!?」
私は駆けつけてきたカイルを情けない顔で出迎える。
寝起きの様子のカイルは、私とコンロをかわるがわる見比べて目を白黒させていた。
私はおずおずと手に持っていたものをカイルに差し出す。
「塩ってどれだかわからなかったから……これ使ったの……」
「……それ、ふくらし粉」
私の手にある粉をみて呆然と言うカイルに、私はさらに情けなくなってうつむく。
すると、突然カイルは笑い出した。
「はは、どうやったらここまで大きな爆発音を出せるのか知りたい」
その笑い声に私は驚いて思わず顔を上げる。
見上げると、カイルは優しい表情でこちらを見ていた。
「それで?サーシャは何をしようとしてたんだ?」
「朝ごはんを作ろうと思って。お世話になってばかりだから」
「気にしなくていいのに」
カイルの顔はまったく怒っていない。
むしろさっきの笑い声は本気でこの状況を楽しんでいるようだった。
「……怒らないの?」
私の言葉に、カイルは首をかしげて微笑む。
「怒らないよ。お前ほんと面白いのな。ちょっと待ってろ」
言って、自室に戻るカイル。
程なくして戻ってきた彼は、寝巻きから普段着姿に着替えていた。
「朝ごはん、作るんだろ?一緒に作ろう」
そう優しく言ってくれる彼に、私の胸は強く締め付けられた。
******
「いただきます」
出来上がった朝食を前に、私とカイルは同時にフォークとスプーンを手に取った。
作ったものは、目玉焼き、スープ、サラダ、トースト。
トーストは私が一人で焼いたし、スープも私が味付けした。
私はスープに口をつけるカイルを、どきどきしながら見守る。
カイルは、顔をあげ、にっこり笑った。
「うまく味付けできてんじゃん。上出来」
「やったあ!」
カイルがほめてくれたことで機嫌を良くした私は、自分でもさっそくスープをひとすくいして口に運ぶ。
「ほんとだ、ちゃんとスープになってる」
感激して言うと、カイルは笑って答えた。
「ばか、当たり前だろ。スープにならない方がすごい」
その笑顔が嬉しくて、私はもう一口スープを口に含む。
お城で料理人がつくってくれるご飯ももちろんとってもおいしいけれど、自分で作ったご飯は格別においしい。
こんな素敵なこと、カイルと暮らさなかったら知ることができなかった。
「ありがとね、カイル」
思わず言葉にしてもらすと、カイルは少し驚いてこちらをみたあと、静かにほほえんだ。
「お礼を言いたいのは俺のほうだよ」
「え……?」
首をかしげる私に、彼は少し視線を落として話す。
「俺、ずっと姿知られるたびに引っ越してたって言ったろ。だから、俺の姿を全部知った人とずっと一緒にすごすっていうのがはじめてなんだ」
あまり深く考えたことがなかったけれど、言われてみれば彼がずっと自分の本当の姿を隠してきたなら、必然的にそうなる。
彼はずっと、一人だったのだ。
その事実に切なくなる私を見て、彼は笑った。
「サーシャが気にすることないから。誰かと一緒に暮らすのがこんなに楽しいんだって教えてくれたのはサーシャだよ。……サーシャでよかった」
「それって……」
「この話終わり。今日は畑仕事手伝ってもらうぞ」
その言葉の意味を私は聞いてみようとしたけれど、それを察したかのようにカイルは話題をそらし、私は何もたずねることができなかった。
こうして私とカイルが過ごす日々は楽しく穏やかに流れていき、気づけば一週間が経とうとしていた。
******
この生活に私はもうずいぶん馴染んでいた。
料理も、カイルに教わって作れるようになったし、野菜のお世話も少しは覚えたし。
薪だって切れるし、少しくらいの山道なら歩くことが出来る。
ただ、カイルの紅い瞳に優しく見つめられることだけには、まだ慣れないけれど。
そんなことを考えながら私は手際よく今日の朝ごはんを作り終え、ちょうど起きだしてきたカイルと共に朝ごはんの時間を迎えた。
「今日は、怪我していた小鳥を元の場所に帰しにいこうか」
カイルのそんな言葉に、私はトーストをほおばる顔をあげる。
カイルに答えるように、小鳥はチチチとさえずりながらもうすっかりよくなった羽を広げてカイルの肩に舞い降りた。
カイルは私から視線をそらして肩にとまった小鳥に話しかける。
「あそこにサーシャがいてよかったな。お前、サーシャに感謝するんだぞ」
カイルの言葉をわかっているのだかいないのだか、小鳥はうれしそうにさえずった。
「ふふ、わかったわ。どこまで行くの?」
「こいつはふもとの小川で拾ったから、そこに帰そうと思うんだ」
私はカイルの言葉にうなずき、手に持ったトーストの最後のひとかけらを口に入れた。
朝食を食べ終え、準備をしたカイルと私は、小鳥を連れて山道を下った。
ほどなくしてふもとに流れる澄んだ小川にたどり着く。
「ここだよ。……さあお別れだ」
言って、肩にとまる小鳥に目をやるカイル。
小鳥は首をかしげ、カイルの肩にその首をこすりつけた。
「お別れって、わかってないのかしら……。それともお別れしたくないのかも」
私の言葉にカイルは眉をひそめる。そのまま私の言葉には答えずに小鳥に話しかけた。
「俺だって一緒に暮らしていたい。だけど、俺たちは住む世界が違う。お前の住む場所は俺のもとじゃないだろ」
カイルの言葉に小鳥はしばらくカイルをじっと見つめていたが、やがてあきらめたように一度目をふせ、カイルの耳を甘噛みしたあと羽音を響かせながら飛び立った。
頭上で何度か旋回し、お別れのあいさつであるかのようにさえずり、遠くの空へ消えていく。
私もカイルも、小鳥がいなくなってもしばらく小鳥の消えた空を眺めていた。
カイルが小鳥に言った言葉が、頭に何度もこだました。
俺たちは住む世界が違う。
お前の住む場所は俺のもとじゃない。
――私とのお別れのときにも、同じ言葉を言うのだろうか。……なぜ、この間からカイルとのお別れを思うとこんなに胸が痛いのだろうか。
うつむき、唇を強くかみ締める私の頭に、いつものように優しい手がそっとのる。
その瞬間、私の心の中になにかがどっとあふれだした。
「カイル、私―――」
しかし、その言葉は伝えられることはなかった。
ここは、ふもと。町への入り口。
だから。
「ごらんよ、隣国の王子のご一行だよ!とうとう、姫の噂を聞いてここまでいらしたんだ!」
町の人のこんな声まで、耳に届いてしまうのだ。
******
「お別れだな」
カイルの言葉に、私は静かにうなずいた。
あの喧騒を聞いた私たちは、とりあえずカイルの家へと戻った。
私はのろのろと最初の日に着てきたクリーム色のドレスに袖を通す。
準備を終えた私を、カイルは目を細めて見つめた。
何かを言おうと思うんだけど、何を伝えていいのかわからなくて何も言葉にならなかった。
黙りこむ私をみて、カイルは困ったように笑う。
そして、静かに顔をあげた。
「最初はどうなることかと思った。おまえ、世間知らずだし。台所壊すし。でも、一生懸命努力するし、なんにでも興味もつし。……本当に、楽しかった」
いつの間にか私の目の前に来たカイルは、身をかがめ、静かに私の唇にくちづけた―――
突然のことに、目をつぶることもできなかった私の頬をそっとひとなでして、カイルは優しく笑った。
「…王子様と、幸せになれよ。じゃあな」
頭が働かず、動けない私を置いてカイルは家を出て行く。
「―――待って!!」
しばらくして、やっと声が出て必死で家の外へカイルを追いかけたけれど、黒いドラゴンはすでに空のはるかかなただった。
******
茫然とする私を、突如「ドラゴンが逃げたぞ!」という喧騒が取り囲んだ。
「サーシャ姫……ですか?」
後ろからかけられた繊細な声に、驚いて振り向く。
そこには、いつか姿絵で見た隣国の王子様が、たくさんの兵士を引きつれて立っていた。
彼は私の顔を見ると、目を細めて笑った。
「ああ、サーシャ姫。お姿は前々から拝見しておりました。なんて美しい……。失礼、私はケイト。メルカ王国の隣国、タリヤ王国の第一王子です」
そう言いながら優雅に私の手をとり、口付ける。
あまりに洗練されたその動作に、私は微動だにできなかった。
「ご安心を、姫君。あなたはこれから先、私が命をかけてお守りいたします」
ああ、この人が、とうとうめぐりあえた、私の運命の人。
なのになぜ涙がでるんだろう。
「ああ、怖かったのですね、姫。もう大丈夫です、もう何も怖いことなどありませんから」
本当に?だったらなぜ、心がこんなに冷え切っているの――?
私はケイト王子に抱きしめられる自分を、まるで他人事のように感じていた。
******
「おお、サーシャ!!無事だったか」
「……お父様……」
ケイト王子に連れられ、私は自分の住んでいたお城に戻ってきた。
たった一週間離れていただけなのに、こんなにも懐かしく感じる。
お父様は私を抱きしめると、ケイト王子に向き直った。
「本当に、なんとお礼を言っていいやら。娘を無事連れ帰ってくださったこと、感謝する」
ケイト王子は、頭を下げようとするお父様を笑って押しとどめ、言った。
「いえ、サーシャ姫を私の妃にできるのでしたら、こんなこと何でもありませんよ」
ケイト王子の言葉に、感慨深げにお父様はうなずく。
「本当に、めでたきことだ。しかしそれにしては……どうしたのだ、サーシャ。元気がない。あんなにお前が望んでいた結果ではないか」
心配そうに私をのぞきこむお父様に、私はなんと答えていいのやらわからなかった。
私だってわからないのだ。
こうなることを、あんなにも望んでいたのに。
ケイト王子は私とお父様を見遣り、諭すように言った。
「きっと、今まで怖い思いをしていたためでしょう。今日はゆっくり休んでいただきましょう」
「おお、そうだな。サーシャ、さがっていいぞ」
お父様の言葉は正直ありがたかった。
ケイト王子のいるこの場にこれ以上いたくないのが本音だったのだ。
そんな私を、ケイト王子は優しい目で見つめて言った。
「どうぞ、ご自愛を。また明日まいります」
なんて優しい人なのだろう。
私の冷え切っていた心が、この瞬間少しあたたかくなった。
******
私は一週間ぶりとなる自分の部屋に戻り、ベッドに倒れこんだ。
しばらくそのままぼーっとしていると、ばたばたという足音に続き、部屋のドアが乱暴に開かれる。
「サーシャ様っ!!」
現れたのはルナだった。
ルナは私の顔をみると心底ほっとしたようにかけよってきた。
「おかえりなさいませ、サーシャ様!!よくぞご無事で」
涙ぐむルナに、またひとつ心があたたかくなる。
「ルナ……ただいま」
私がほほえむと、ルナは少し黙り込み、言った。
「サーシャ様……無事に王子と出会われたんですよね?」
「ええ」
「それにしては、元気が……」
「ねえ、ルナ」
私はルナの言葉をさえぎって身をおこした。
「ルナは……どういうとき、こう、胸が……苦しくなる?」
私の言葉にルナは目を見開く。
しかし、何かを悟ったかのように、それほど迷うことなく私の問いに答えた。
「そうですね……私がそういう気持ちになるのは、恋人に会いたいな、とか恋人のことを大好きだな、と感じたときです」
彼女の言葉に、私は視線を落とす。
本当は、もうずっと前からこの気持ちの意味を知っていたのかもしれない。
私の表情をみて、ルナはそっと私の手を取った。
「ねえ、サーシャ様。恋愛に肩書きなんて、関係ないんですよ。お姫様の相手が王子様でなければならない、なんて、誰が決めたんですか」
ルナの言葉に涙が一筋頬をすべり、零れ落ちていく。
わかっている。
だけど、カイルは去ってしまったのだ。自分から。
その意味を考えてみないほど、私はばかではない。
キスの意味は、きっと、私を喜ばせるもの。
去った意味は、私を喜ばせるためのもの。
カイルの気持ちを無駄にしないためにも、私を妃にするために助けてくれたケイト王子に報いるためにも、私は私の初恋を封印しなければいけないのだ。
******
次の日、私に会いにきたケイト王子はこう言った。
「おはようございます、サーシャ姫。ご気分がよろしければ、私とデートしませんか?」
彼の言葉に私はためらうことなくうなずく。
「ケイト様には本当に感謝しています。昨日はきちんとお礼も言えなくてごめんなさい。ぜひ、連れていってください」
私の言葉にケイト王子は嬉しそうにほほえんだ。
「いえ。ずっとサーシャ姫にお会いしたいと思っていたので、お会いできて本当に嬉しく思っています。さあ参りましょう」
ケイト王子は私の手をひいて城をでたあと、私をケイト王子の乗ってきた白馬に乗せた。
そしてすぐに彼自身もその白馬にまたがる。
「少し揺れます。舌を噛まないようお気をつけください」
その前置きののち、白馬は軽快に走りだした。
タリヤ王国とメルカ王国の首都は近い。
少なくとも、カイルに連れていかれた森までの時間はかからない。
そういうわけで気付けばタリヤ王国の領域に入っており、白馬はあるレストランの前で足をとめた。
「ここはわが王家ご用達のレストランなのです。さあ姫、中へ」
ケイト王子のエスコートでレストランの中に入った私は、感嘆の息をついた。
華美な装飾の施されたテーブル、豪華な細工の椅子。
壁には絵画が並び、天井には大きなシャンデリアがついている。
こんな一介のレストランがここまで贅沢なのは、メルカ王国では考えられない。
せいぜい城のなかの部屋のいくつかがこれに相当する程度だ。
タリヤ王国が資産の豊潤な国だって話は聞いてたけど、ここまでとは思わなかった。
レストランの従業員は、この店の一番奥の席へと私たちを案内した。
「どうぞお掛けください」
従業員のひいてくれた椅子に腰をおろす。
私の身がふかふかのクッションにしずんだ。
「すごく……豪華ですね」
王子に見つめられてこんな言葉を漏らすと、王子は品のいい笑顔を浮かべて答えた。
「この店でよく会食やパーティーを行うのです。私たちが結婚したら、そのパーティーをここで行ってもいいですね」
ケイト王子のストレートな結婚という言葉に、私ははにかんだ。
大丈夫、きっと私は王子を好きになれる。
そう思うのと同時にコース料理の前菜が運ばれてきた。
高級食材がふんだんに使われたスープだ。
「さあ姫、食べましょう」
「ええ」
ケイト王子の言葉に、私はスプーンを手に取った。
ひとすくいし、口に運ぶ。
とてもおいしい。………けれど。
「どうですか?サーシャ姫」
王子の言葉にはっとなり、私は笑みを浮かべた。
「おいしいです」
「それはよかった」
嬉しそうに笑うケイト王子に、私は胸が罪悪感で軋むのを感じた。
******
食事の終わった私とケイト王子は、料理店を出た。
「では、行きましょうか」
ケイト王子は言い、再び私を白馬に乗せる。
「次はどこへ?」
「着いてのお楽しみです。さあ」
白馬は再び走り出した。
しばらくしてたどり着いた場所はポピーが一面に咲き乱れる丘だった。
「すごい………」
思わずもれた言葉に、ケイト王子はにっこり笑う。
「わが国の観光名所のひとつなのです」
真っ赤な花びらを懸命に開いて、丘をおおいつくすポピー。
その姿は泣きたくなるくらい美しかった。
「サーシャ姫」
ケイト王子の呼び掛けに、私は振り向く。
気付けば彼は私のすぐそばまで来ていた。
私の視界のなかにうつる、ケイト王子の青い瞳。
海のような碧。
空のような蒼。
燃えるような紅い瞳のあの人とは反対の、深い深い青―――
丘に咲く真っ赤なポピーたちが見守るなか、その青い瞳が近づいてきて、私は―――――
******
ケイト王子とのデートから帰ってきたその日の夜、私は一人覚悟を決め、荷物をカバンに詰めていた。
もう、城へは戻ってこないつもりだから、必要だと思うものを、次から次へとカバンに放り込む。
それでも荷物はそれほど大きいものにはならず、荷造りを終えた私は立ち上がった。
昼間、ケイト王子にキスされそうになって、受け入れようと目を閉じたのだけれど。
「っ、ごめんなさい…」
自分でも無意識に彼からのキスを拒んでいた。
自分で自分の発言に驚き、おそるおそる顔をあげる。
ケイト王子は、悲しそうな顔で笑っていた。
「サーシャ姫には…もう、心に決めた人がいるのですね」
ケイト王子の言葉にくちびるをかむ。
他でもないこの人にこの言葉を言わせるなんて、私はなんて残酷だったんだろう。
それでも私の心は、どんな高級な料理よりカイルと作る料理を、ケイト王子の包み込むような優しさよりカイルのぶっきらぼうな優しさを、青い瞳より紅い瞳を、切に切に求めていて。
うなずかないわけにはいかなかった。
「ごめん、なさい…」
震える声であやまると、ケイト王子は優しくほほえんだ。
「いいんです、なんとなくですが気付いていました。……ここは寒い。さあ帰りましょう、サーシャ姫」
どこまでも優しいケイト王子に、せめて泣くことは許されない、と私はこぼれそうになる涙を必死でこらえた。
――――――――――
―――――――
―――
「さぁ、行こう」
準備を終えた私は立ち上がる。
どこにいるとも知れない、カイルに会いに行くために。
ずっとそばにいるために。
部屋を出ようと私がドアに手をのばした瞬間。
「家出はよくないな、お姫様」
ずっとずっと求めていた声が、私の耳を打った。
働かない頭でゆっくりと振り返る。
そこには窓枠に腰をおろし、目を細めて笑う愛しい人の姿があった。
あんまり求めすぎたから私の頭が作り出した幻想じゃないか、なんて思ったけれど、転げこむように抱きついた私の体はしっかりと彼の腕に抱き留められた。
「カイル……っ、カイル」
とにかくまた会えたことがうれしくて、意味もなく彼の名前を連呼する。
彼は私の呼び掛けに応えるように優しく私の頭をなでた。
信じられないけれど、カイルがここにいる。
「サーシャ……顔をあげて」
カイルの声に、私は涙で濡れた顔を彼に向けた。
「どうしてここに?」
期待半分、不安半分で尋ねると、彼はいたずらっぽく笑う。
「お姫様をさらいに。俺はドラゴンだから」
彼の言葉に、さらに涙があふれだしたのは言うまでもない。
しばらくして、少し落ち着いた私を抱いたまま、カイルは語ってくれた。
「本当は、あのままさよならしようと思っていたんだ。もし連れて行っても、今までと違う暮らしをさせることになるから。……だけど」
私をぎゅっと抱きしめて、彼は続ける。
「サーシャと過ごした日々があんまりあたたかかったから。もし、サーシャがついてきてくれるなら、新しく始めてみたいと思ったんだ」
「新しく……?」
カイルは優しく目を細めた。
「そう。人間の姿もドラゴンの姿も認めてくれる人に囲まれた、もう二度と引っ越さなくてもいい暮らし。そんな暮らしを、サーシャとならできるって思った。だから、新しい住まいを探しに行っていた」
彼の言葉に、おさまっていた涙がまたあふれだす。
カイルはなだめるように私の頬を手のひらでこすった。
「……連れていって。カイルのことが好き。ずっと一緒にいたいの」
やがて私がそう言ってカイルの首に手をまわすと、優しく煌めく紅い瞳が近づいてきて、私は今度こそそっと目を閉じた。
******
月が静かに照らす夜。
ルナは胸騒ぎに、姫ぎみの部屋へと向かう。
部屋のなかはもぬけの殻で、開いた窓から吹き込む風にカーテンが揺らめいていた。
窓にかけよると、その窓枠に手紙が一通置かれていることに気付く。
ゆっくりと、その手紙を読み終わったルナは顔をあげた。
窓の外、月の隠れる雲間に黒いドラゴンに乗ったお姫様が手を振る姿が見えた気がした―――――
□■□■□■□■
お姫様がまたドラゴンにさらわれたことで国は騒然となりました
あるものは、ドラゴンは神のつかいで、姫をいけにえとしてさらったのだと話し、
あるものは、山奥に連れていって食べてしまったのだと話しました
数年後、そんな彼らの話をきいた旅人は話します
おらは遠い遠い国からきたが
おらの村には人間になれるドラゴンが住んでる
黒いきれいなドラゴンで
よく働くいい男だ
彼の話によると、ドラゴンは娘を連れてきていて
二人は慎ましやかな生活を幸せそうに営んでいるそうです
なにはともあれ、めでたしめでたし
□■□■□■□■