九十四話「ヒーロー未満のお節介」
暫く何かに魅入られたかのようにぼうっとその女の子を見つめていた私。けれど彼女からまるで逃げるように視線を逸らされたところで、私ははっとした。私は何をしているのか。不躾に見つめ続けるなんて失礼だし、そもそも今はこんなことをやっている場合でもないのに。
「ミコちゃん、大丈夫……?」
「だ、大丈夫です……」
ほら、ミーアさんにも心配されてしまった。気遣うかのような色が浮かんだヘーゼルの瞳に慌てて首を振りつつ、私はそこで漸く少女から目を離す。何故完全な人ではないムツドリ族のハーフの少女がここに居るのか、そして何故彼女は私を見ていたのか。いくつかと気になることはあったが、今の私にはそれ以上にやらなければいけないことがあるのだ。
「……ふぅ」
思考を切り替えるために小さく息を吸う。現在の体勢は後ろ手に縛られた状態での体育座り。まるで今からウサギ跳びでも始めんばかりの姿勢である。瞳を伏せながらさっと視線を動かせば、縛られた人は大体同じような体勢で俯いていた。視界に入る限りでは、奴隷として縛られている人たちはその殆どが女性かつ人間。時折子供が混ざっているが、ここに居る人達の殆どが女性と言っていいだろう。その子供もぱっと見る限りは全員が人の子供で、あの子以外に人間ではない子供は居ないようだった。
レゴさんから聞いた事前情報に間違いはなかったらしいと内心で頷きつつ、私は今度は縛られていない人達……つまりは犯人側であろう人達の方に目を向けた。先程も言った通り、見張っているであろう人達は合計五人。ぱっと見る限りでは獣人らしき人が三人で、他の二人は外見的特徴だけで言ったら人間のようだった。そして人間の内の一人が、さっき私に声を掛けてきた人。短い黒い髪に淀んだ緑の瞳を持つ、恐らくこの場での纏め役のような人だ。
「…………」
次に場所や現在時刻について。僅かに差し込む太陽の光と気温から判断して午前中ではあるらしいと当たりをつけつつ、私は今度は地面に目を向けた。この地面には少しだけ見覚えがある。視線を上げて辺りを見渡せば、その予感は確信となった。場所自体に見覚えこそないが、この明るい緑たちには覚えがあったのだ。
僅かに明るい緑が茂るこの場所は、ウィラの街に行くまでに歩いたあの郊外と似ていた。果たしてあの砂浜の近くかはわからないが、少なくともウィラの街の付近であることに間違いはないだろう。飛ばされるなら町の付近の海岸か森。私がどうやってここまで運ばれてきたのかはわからないが、シロ様の言葉にやはり間違いはなかったらしい。結果的に誘拐事件の被害者と思わしき人物たちは、ここに集められているのだから。ここまで当たるといっそのこと末恐ろしい部分もあるのだが。
「……コル、仕入れはもう十分だと」
「……ああ。なら行くか」
現状作戦に大きな支障はなさそうだと、俯きながらもそんなことを考えて。けれど私が状況を判断している内に、どうやらあっちの方では何か動きがあったらしい。もう一人の人間であった銀髪の男が、黒髪の男に何かを囁いている。仕入れはもう十分。その言葉から察するに、これ以上ウィラの街で誘拐は起こさないということだろうか。それならばこのタイミングが機会かもしれない。ある程度は人が纏まっているしいけなくはないと、一瞬指を動かしかけて。
「ツヅリカの班と合流して森の奥に向かえとの連絡だ。足は用意してくれているらしい」
「ふん。相変わらず用意周到なことだ」
けれど続けられた言葉に、私の指は止まった。ツヅリカとは、一体なんだろう。別働隊の渾名みたいなものなのだろうか。もしくはその部隊の纏め役の人の名前? そうだとしたら、そっちにも拐われた人が居る可能性が高いような。
思考を忙しく巡らせた。再び辺りにさっと目を向ければ、子供と一緒に居る女性は三人……つまりは三組。はたして彼女たちが当たりである可能性はどれくらいなのだろう。私は必死に考える。この作戦の目的はミーアさんだけじゃない。レゴさんの相棒であるフェンさんの、その奥さんとお子さんを助ける目的だってあるのだ。彼女たちに直接話を聞きに行ければ早いのだが、それでは犯人たちに余計な疑いを持たせてしまいそうだし。
「おい! 全員乗れ!」
しかし考えている時間はあまり無かった。私が答えを出すよりも、やることが決まっている彼らの方が行動は早かったらしく。恐喝するかのような怒声が辺りに響くと同時、遠くの方で何かが開く音がした。そちらの方へと視線を向ければ、そこにあったのは大きな箱のような何か。一応馬車、なのだろうか。馬は居ないようだが、車輪みたいなのは付いているわけだし。
……アレはどうやって動くのだろう。というか、どうして今まで私は明らかに目立っているアレの存在に目がいかなかったのだろう。そんな小さな疑問を抱えつつも、私は注意深く周りの様子を伺っていた。誰もが耳を劈かんとばかりの怒声に、怯えたように肩を竦ませている。どこで行動するのが一番不自然ではないか。それを探りながらも、どうするかという迷いも抱えたまま。されどぐるぐると巡っていた思考は、ふと解けた。
「…………」
誰もが怯えたように縮こまる中で、一人の少女が真っ直ぐと馬車へと向かっていく。その足取りはふらふらと覚束ないのに、迷いだけはなくて。まるで亡霊かのような動きのまま、彼女は馬車へと向かっていった。男の言葉に操られるかのように、命令をすっかり聞き慣れたように。私と目が合った、一人だけ見るからに人間の子供で無かった少女が。
「……ちっ、薄気味悪ぃ」
「っ、」
その行動は明らかに異質だった。そして自分の意志なんて一切ないようにも感じさせるその行動は、黒髪の男にも異質に映ったらしく。自分の方へとふらふらと向かってきた少女を、男は殴りつけた。当然小さな体が成人男性に殴りつけられて耐えられるはずもなく、少女のいっそのこと可哀想なくらいに細い体は吹き飛んでいく。少女は声一つ、上げることなかった。ただ言葉一つ発さないまま、少女は地面へと倒れ込む。ぐしゃりと、そんな音が聞こえた気がした。
「っ……!」
……喉の奥が、詰まるかのような衝動。頭の奥が真っ赤に燃えて、無性に叫びたくなるような気持ち。その光景を瞬きも出来ずに見つめていた私を襲ったのは、そんな何かだった。
脳内で冷静な自分が告げる。怒りたくなる気持ちはわかるが、ここで行動に出るべきではないと。下手に目立って目を付けられては、絶好の機会を狙うチャンスは少なくなる。それはきっと殴りつけられた彼女のためにはならないし、シロ様と一緒に考えた作戦を裏切ることにだってなるのだ。だからここは怒りをぐっと堪えて、見ないふりをして。それが一番だ、それが一番……。
『どうしようもなく嫌なことがあったら、声を上げろ』
けれどそんな理性を打ち破ったのは、いつかの言葉だった。
「何してるんですか……!」
反射的に立ち上がる。手が縛られているせいでよろめきながらも、足を止めることはしなかった。情けない足取りで、倒れ込んだ少女の方へ。縛られた手ではその体を起こすことも出来なかったけれど、せめて駆け寄るだけのことはしたかった。何の意味もないことなんてわかってる。自己満足でしか無いことだって、痛いくらい。それでもただ、私が見ていられなかっただけなのだ。
「大丈夫……!?」
「…………」
倒れている少女の隣に座り込んで、痛々しいくらいに腫れた頬を見下ろす。彼女の空っぽの瞳には何も映り込んでいなかった。呆然ともまた違う、本当に何も感じ取っていないかのような瞳。痛みすらも忘れてしまったかのようなそれに、胸はますますと苦しくなった。顔に残る傷跡を見れば、彼女がもはや殴られ慣れてしまっていることは一目瞭然だったのだ。だから彼女は、何も感じていない。
……けれど。けれどそこでふと、彼女の瞳に空虚でない何かが映った。何も浮かばない赤の中に、私の顔が浮かぶ。その瞳はゆらゆらと揺れていた。戸惑い、混乱、疑問。ただ「わからない」と訴えかける瞳が私だけを映している。どうして、そう問いかけているようだった。或いはそれは、私の中の願望が生み出した陽炎だったのかもしれないけれど。
「……奴隷が勝手なことしてんじゃねぇよ!」
「……ぐ、」
しかしその瞳としっかりと視線を合わせることも出来ないまま、頭に感じたのは鈍い痛み。殴られた、とかではない。いつの間にか近づいてきていた黒髪の男に、私の髪が引っ張られたのだ。ぶちぶちと、嫌な音がいくつか重なって聞こえた。呻き声を上げながらも振り返れば、男は苛立たしげに私を睨みつけていて。
「…………」
「……なんだ、その目」
聞いたこともないような低い声に怖いと、そう思った。でもそれ以上に、守らなければと思った。他の子供達はそれでも、近くの大人に守られている。傷も見る限りは少ない。それなのにこの子だけ、この子だけは傷だらけなのだ。それはきっと彼女が誰にも守られてこなかったことを示している。傷だらけの体は、一人で戦ってきたことの証明だ。
それは仕方ないことだろう。誘拐に巻き込まれた無力な女性たち。いつ助けが来るかもわからない、一生このままかもしれない。そんな不安の中で、自分を守るのに精一杯の環境の中で、誰かを庇うことはとても難しい。それが見知らぬ他人ならば尚更だ。可哀想だとは思っても、行動に移すには大きな勇気が要る。でも、私は知っているから。私の大切な人が、私がこの世界で一番に信頼している彼が、絶対助けに来てくれることを知っているから。
だからこそヒーローが現れるまで、私がこの子を守らなければ。何故か自然と、そう思った。
「……コル、それは売れそうな商品だろ? 下手に傷つけるなって」
「……ちっ」
十発くらいなら覚悟の上だと、背後に少女を隠したままに目を瞑って。けれど想像していたような暴力は飛んでこないまま、横槍が入った。恐る恐ると目を開ければ、銀髪の男が黒髪の男を宥めている光景が目に入る。どうやら私は売れそう、らしい。あんまり嬉しくない褒め言葉?である。それ、と物扱いされたこともいまいち不愉快だし。
「……さっさと入れ。そしたら見逃してやる」
「……はい」
まぁ今は助かったことを素直に喜ぶべきか。黒髪の男の相変わらず苛立たしそうな声に眉を下げつつ、私は馬車もどきの中に入っていった。とは言っても内部に椅子があるわけではなく、例えるならば荷台トラックに壁と屋根がある感じというべきだろうか。多分本来は物を運んだりする用途のものなのだろう。相変わらず動力源は謎だが。
どうやら本当に商品扱いらしいと、一周回って笑えてくるような気がした。だがそんな気がしたのは一瞬で、次の瞬間に込み上げたのは怒り。何の罪もない人を誘拐しては誰かの笑顔を奪って、挙句の果てには暴力が当たり前の顔をする。最低だ、本当に。何があってもこの作戦を成功させ、犯人たちは牢屋に入ってもらわなければ。この世界の犯罪者の扱いがどうなるかについては、いまいちわからないけれど。
「……あ」
「…………」
そうして怒りと疑問を抱えたまま隅っこに座り込めば、間髪入れずに続いて入ってきたのはあの子で。あの子は私の姿と視線を視認してか、一度戸惑ったように瞳を揺らした。けれどそんな揺らぎは一瞬で、次の瞬間に少女はこちらへと近づいてくる。そうしてそのまま私の隣には、小さな少女がちょこんと座り込んだ。
「……待って、こっちのほうが良いかも」
「……?」
「ええと……貴方は小柄だから、揺れた時に左右から潰されたら痛いと思うよ。だから隅っこに座って?」
しかしそこは大分危ない気がすると、私は待ったを掛けた。彼女はただでさえ小さい。この辺りは山。当然道は舗装されていないはずなので、この馬車もどきは動き出したら大層揺れることだろう。そうなると左右からおしくらまんじゅうにされた彼女は怪我をしてしまう可能性が高い。こんなに小さいのだから、彼女自身の体もがっくがくになってしまうだろう。
故に私は首を傾げた少女を他所に立ち上がると、彼女を壁の方に追いやって彼女の右側に座り直した。少女は大人しくされるがままだったが、私の行動には相変わらず困惑するかのように瞳を揺らしていて。優しくされるのに慣れていないと、そう訴えるような瞳。私はそんな彼女の様子に少し悲しくなりつつも、なるべく優しく見えるように微笑みかけた。
「揺れて怖かったら、捕まっても大丈夫だからね」
「…………」
相変わらず返事はなかったけれど、馬車の外から聞こえてくる怒号が耳障りだったけれど、それでも彼女はおずおずと言った風に頷いてくれて。私はそんな彼女に再び微笑みかけると、それ以降は特に話しかけることもせずに目を瞑った。これからどうするか、それを考えるために。




