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四幻獣の巫女様  作者: 楪 逢月
第三章 愛の大地と飛べない少女
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九十話「一人と一つ」

「……お前のそれに関して、我は肯定も否定もしない」

「……!」


 それから、どれくらい間が空いたのだろう。十数秒か、はたまた一分か。或いはそれ以上の時間が経過していたのかもしれない。私をじっと見つめながらも、口を噤んでいたシロ様。それはきっと、思考を纏めるための逡巡だった。そうして暫く経ったところで漸く、少年の薄い唇は開かれる。思案していた二色の瞳に、意思が宿った。


「だがまずは、展望を教えろ。お前が囮になって犯人をおびき寄せるとして、そこからどうするのか」

「……うん、そうだね」


 シロ様は私の願いを肯定することも、否定することもしなかった。けれどそれは許しと同義ではない。私が願ったことを肯定するにも否定するにも、何かしらの情報が必要になる。例えば考えなしに囮になって後はシロ様に任せる、という作戦だったら彼は決して頷いてはくれないだろう。確定要素も根拠も何もないそれに付き合ったところで、私の身が悪戯に危険に晒されるだけ。やるだけ損なことには、シロ様は乗ってくれない。

 ならばこそ、確かな答えを告げなくては。すっと息を吸って、吐いて。私は自分の考えをゆっくりと纏めていった。大掛かりな法術を使って人を攫う奴隷騒ぎの犯人。その後の目撃証言はゼロ、被害者の発見数もゼロ。その後の被害者の運び方は? 彼らはどこから来てどこに行くのか? 奴隷を使って犯人たちは何をしているのか? 何ひとつだって答えが無いことを、私はじっくりと思考した。些細なことでもヒントになる可能性があるなら、何一つだって取り零すことはしない。


「……まず最終目標は、ミーアさんやフェンさんの奥さんの救出」

「ああ」


 そうして考えて、考えて。そうすれば思考を纏めずとも、言葉は勝手に口から滑り出していった。まず一つ目に話せるのはこの作戦を行う上での最終目標。奴隷騒ぎの根本的解決、だなんて欲張ってはいけない。私は警察ではない門外漢で、手の届かないところまで救おうとするヒーローではないのだ。確かな一つを手に取るために、目標は最低限にまで絞る。そして目標を絞ったところで、次は。


「これには、明確な期限があると思う」

「……祭りか」

「うん。朱の神楽祭は確か……二日後。お祭りの時は警備が厳しくなるってのは、この世界も一緒だよね?」

「……そうだな。その認識に間違いはない」


 問いかければ、小さな頷きが返ってきた。成程、ならば私の推測は正しい可能性が高いだろう。大きな祭りが開かれる日は、当然警備が厳しくなる。逆にお祭りに浮かれた人を攫いやすくなるメリットもあるが、相手が慎重派であるという情報を前提にすれば撤退の可能性の方が高いはずだ。つまり朱の神楽祭までがリミット。行動を起こすのなら今すぐが最適であるということである。

 期限がない場合、ミーアさんを助けるために必ずしも私が囮になる必要はない。捜索能力が高いシロ様に頼れば、法術の痕跡から犯人を特定できる可能性があるからだ。けれどそう出来るだけの猶予は、ない可能性が高い。それならば自ずと私が囮になるメリットは生まれてくるだろう。それが伝わったのか、シロ様は眉を寄せながらも納得したように頷いていた。まずは、作戦の必要性を示すこと。それが伝わったのなら、次は作戦の概要だ。


「次に私が囮になったところでどうやって、って話なんだけど……シロ様、小指を出してくれる?」

「……わかった」


 これもまた、不安要素が大いにあれど考えなしというわけではない。約束を結ぶかのように私が左手の小指を差し出せば、シロ様も同じように左手を持ち上げてくれる。私はその小指と自分の小指を、ゆっくりと交わらせた。指切りのポーズ、私の小指の根元には未だ翳った乳白色の指輪が嵌っている。それに一度視線を向けながらも、私はゆっくりと瞳を伏せた。そのまま、心の中で希う。


 私とシロ様を結ぶ不可視の、決して千切れずに無限に続く糸を、と。


「……!」

「……感覚は、ある?」

「ある……が」


 今まで使った中で一番、熱い何かが自分の中で滑らかに脈打つ衝動。瞳を開ければ、視界に変化はなかった。私とシロ様が指切りをしているだけ、私の指の根元に指輪が嵌っているだけ。けれどそこには確かな感覚がある。自分の小指に何かが巻き付いているような感覚。ゆっくりと指を離せば、その動きに引っ張られてかシロ様が僅かに身じろぎをした。この調子であれば、シロ様の小指にもばっちりと糸は結ばれたらしい。困惑するかのように二色の瞳が揺れている。


「ちょっと離れてみるけど……うん、問題ないね」

「……だが引っ張られる感覚はある、と」

「そういうこと」


 それを見下ろしては小さく苦笑を零しつつも、私はそっと扉の方へと近づいた。当然、正面で向かい合っていたときよりもシロ様とは距離が開くことになる。だがそれでも糸は千切れていない。シロ様の左手が僅かに引っ張られるような挙動をしているのが答えだ。恐らく私の方から糸が伸びているからこんな挙動になるのだろう。供給が間に合わず、シロ様が僅かに引っ張られる。それはひとえに私の未熟さ故だが、今はそんなのはどうだっていいのだ。大事なのは、方法を確かに示したこと。

 ……もう言いたいことはわかっただろうと、私はシロ様を見つめる。シロ様は相変わらず眉を寄せながらも、しかしその瞳には納得の色を浮かべていた。作戦の概要はこうだ。最良のプランで相手さんが私を拐ってくれた場合、シロ様と糸を繋いだ私が拐われた被害者の位置を教える。合図は不可視の糸をシロ様にだけ見えるようにする、とかだろうか。そうしたらその糸を追ってシロ様が拐われた場所へとやってきて、犯人たちをふんじばって。それで事件は解決だ。


「……だがこの作戦には大きな穴がある」

「…………」

「お前はこの糸を保つことが出来るのか?」


 けれど、それは完璧な作戦ではなかった。自分でも考えていた穴を指摘され、息が詰まる。そう、それこそがこの作戦の問題点。果たして今の私は、この糸をずっと保つことが出来るのかという話だ。

 端的に言えば、不可能ではない。あの写経じみた行動に意味があったのか、今では少し感覚でわかるようになった。浴衣や着物を仕立てた時と違って、この糸を紡ぎ続けるだけだったら消耗は殆どないのだ。恐らく力を使うのは、最初に願うときだけ。そこからは無限に伸ばすことが出来るし、不可視を維持することもできるだろう。あとは不可視を可視にする瞬間にだって力を使うだろうが、その消耗も大したことにはならないはずだ。けれど、シロ様の言いたいことはそこではなかった。そうして、私が不安に思っていることだって。


 不安なのは、果たして「今の」私がこれを保てるかということだけ。


「……ねぇ」


 落ちた問いかけは、シロ様に向けてのものではなかった。相手は、少しずつ薄れながらも未だに影を白の中に残す指輪。見下ろしたそれからは当然答えが返ってくることもなく、黙ってそこにあるだけ。いっそ喋れたら楽なのにな。いつか思ったことが、再びと頭を過る。まぁそれは結局、叶わない願いなのだけれど。


「貴方が私を不満に思うのはわかるし、私だったらこんな持ち主は嫌だと思うんだ」

「…………」

「ずっとうじうじしてるし、自分が受け入れられないのを貴方のせいにしようとするし、そのくせ利用はするしね」


 それでも。例え相手が喋れなくても、何かの意思があることは知っている。ならば私がすることと言えば、言葉を尽くすことだけだ。見下ろした指輪の石を、右手の指先でなぞる。滑らかなそれはひんやりと冷たく、こうして触れるだけならばただの石と何ら変わりがないのに。

 けれどそれは、確かな力を持っているものだった。糸を紡げて、自由に服を仕立てることができる。この世界の誰とも同じじゃない、恐らくは存在しなかった力。それはきっと、とても怖いものだ。この世界で生まれていない私に付属するかのように、この力は生まれた。神様の祝福とでも呼ぶのだろうか。私の持ち物が変容したように、私自身も変容していったのだ。恐らくは、あの深い深い落下の中で。


「……正直、貴方のことはまだ怖いんだ」


 ……私が一切と努力していないのに生まれたこの力が、どうしても怖かった。どうして容易く受け入れられるだろう。記憶のどこにも根拠のない力が自分の中にあるのを、そんなにもあっさりと飲み込めるわけがないはずだ。しかし日本とはまた別の残酷さを持つこの世界で生きるには、どうしたってこの力を、糸くんを頼るしか無くて。怯えながらも、縋るしかなくって。


「でもどうか、今だけは協力して欲しい」


 でも、それはもうやめよう。怖い気持ちも、怯える気持ちも、心の奥底にはまだある。けれど私はこの力を知りたいと思い、受け入れたいと思った。よくわからないまま、それでも歩み寄ろうと特訓だってしてみた。それならば例え空元気でも、嘘や偽りでも、もう怯えることだけはしない。もう、誰かのせいになんかしない。私はこの力を、正しく使うのだ。


「私、全部は変われないと思う。きっといつまでたっても誰かに素直に頼れないだろうし、甘えるのに後ろめたさを覚えたまま。私のせいでって思う癖も、簡単には治らない」

「……ミコ、」

「……でもね、もう貴方のせいにしない」


 そうきっと、全ては変われないけれど。正しい言葉だけで救えるような、小さな救いの言葉でまるっと救えるような、そんな世界ならば誰だって沈んだりはしない。私は全て変わることが出来ない。シロ様に「お前のせいではない」なんて言葉を掛けてもらっても、未だ過去の記憶が断ち切れないように。

 けれどそこに何の意味もないなんて、そんなことだって思わない。あの言葉に確かに意味はあったのだ。全て断ち切れずとも、糸は僅かに解けた。その分だけ、今前に進めている。未知の恐怖を受け入れて誰かを助けようと手を伸ばすことが、今出来ている。結局は積み重ねなのだ。万能な言葉なんてない、全てを救える手なんてどこにもない。けれど僅かと積もった一歩は、決して無価値なものなんかじゃない。


「ううん、貴方だけのせいにしない。貴方という力を持った、私のせいにする。責任を貴方一人に押し付けることは、もう絶対にしない」


 だから、言葉を捧げた。例えこれで解決できなくても良い。目に見える成果がなくても、今の私はそれを無価値とは思わないから。左手を顔の前まで持ち上げて、苦く微笑む。この翳りも、私のものだ。弱いけれど、無様だけど、足掻こうとしている人間のものだ。だから、だからどうか。


「……だからどうか、もう一度私を受け入れて欲しい」


 貴方も、それを受け入れてくれないだろうか。泥臭くも、貴方に手を伸ばそうとする私を。


「……っ!?」

「っ、おい!?」


 瞬間、まばゆく光ったのは何か。焦ったような声と、こちらへと伸ばされた手のひら。それを最後に、視界は飛び込んできた光を閉じ込めるかのように瞑られて。瞼の裏で光が点滅とした。全ての色を混ぜ合わせながらも輝きを失わないそれが、瞳と瞼の薄い世界で翻る。

 いっそのこと痛いくらいに眩かった。片目だけで良かったと心から思えるほどに、極彩色を織り交ぜた色の層が瞳の中で踊っては消えない。ぐるりと眼球をかき混ぜられるかのように、光は瞳の中で入り混じっては溶けていく。その感覚は何かに似ていた。例えばあの人に初めてあそこに連れて行って貰った時、宝箱の中へと招待されたかのように世界が煌めいて見えた感覚。目に入る一つ一つが宝石のような価値があって、高揚が胸を駆けて。


「ミコ!」

「あ……」


 そうして光は解けた。ぱちりと瞬きを繰り返せば、いつのまにか目の前に来ていた少年が焦った様子で私の名前を呼ぶ。それに呆けたような声を返して、言葉が何も出てこなくて……けれど予感は確かに胸の中にあって。


「……見て、シロ様」

「……!」


 持ち上げていた左手は、いつのまにか下ろされていた。驚いて反射的に下ろしてしまったのだろうなと、ぼんやりとそんなことを考える。しかし思考よりもはやく、体は自然と動いていた。

 宝物を持ち上げるかのように、ゆっくりと左腕を眼前へ。緩慢な動きにか、指先は焦れたかのように跳ねた。けれどそれでも緩慢な動きは乱れること無く、そのままのペースで左腕は持ち上がっていく。彼にも見えるようにと、位置を少し調整。促されるままに私の左腕を、左手を見た少年の瞳が瞬いた。二色の瞳に映ったのは果たして何だったのか。私はもう、答えを知っていた。だって私にだって見えていたのだから。へらりと、顔は自然と綻んでいく。間抜けな顔が乳白色の鏡に映った。


「……私の不安要素は、もうないみたい」


 翳りの一切ないそれが、私の間抜けな顔を映している。きっとそれこそが、先程の私の問いかけに対する指輪の答えだったのだろう。とろりとした乳白色の石は、銀のフレームは、今確かに輝きを取り戻していたのだった。

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