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四幻獣の巫女様  作者: 楪 逢月
第一章 マンホールの底からこんにちは
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九話「最初の歩み寄り」

「……ところでシロ様」

「なんだ」

「そろそろ血、落としたら?」


 エコバッグの中身を確認し、その摩訶不思議なメカニズムを明かしてもらい、ようやく一息ついていた私。しかしそこでとあることを思い出し、私は恐る恐ると目の前に居る少年に声を掛けた。諸々の問題が片付き落ち着いたからこそ、近くで血の匂いを放つ少年が気になって仕方なくなってしまったのだ。というか、ここまで気にしなかったのがおかしかったのかもしれない。平和な社会でぬくぬくと育ってきた温室育ちに、血の匂いは非日常そのものであろうに。

 エコバッグを探っていた勢いをそのまま、次はリュックを探ろうとした少年に釘を刺すように、ちらりと視線を向ける。しかし異色が混同する瞳は、不思議そうにこちらを見返していた。その瞳にはまるで何を言っているのかと、そう言わんばかりの純粋無垢な感情が浮かんでいる。


「い、いやだからさ、気持ち悪くない?」

「不快ではあるが」

「じゃあなんで落とさないの!?」

「水場が近くに一箇所しかないからな」

「……?」


 さらり、なんでもない事を告げるようにシロ様は言葉を返す。しかし淡々とした言葉のその意味が、私にはよく分からなかった。血に汚れているのは不快で、水場があるのに汚れを落とさない。一箇所とわざわざ強調して告げる辺り、その行動には意味があるのか。そう首を傾げた私に、シロ様は真っ直ぐに告げる。


「飲水となりうる水場を血で潰す訳にはいかない」

「あ……」

「力のないお前を放って遠くに行くのも、あまり褒められた判断ではないだろう」


 首を傾げていた私は、そうして返ってきた言葉に返答を失った。血で汚れるのは当然不快だろう。よっぽどの血好きでもない限り、それを喜びになんてできない。けれどそれでも彼がその現状を甘んじているのは、私という存在があるから。

 この森の出口を私は知らない。シロ様が知ってるかどうかはわからないが、知っていたとしても目印もない生い茂る木々の中をそうスムーズには抜けられないはず。故にここで何日か過ごさなければならないのは、想像に難しくない。だからこそ彼は近場の水場を潰すのを避けた。血塗れのまま水場で体を清めれば、その血がその水を汚してしまうから。


「……なんか、ごめんね」

「別に。血を厭うのは人間の本能だ」

「……それでも、ごめん」


 そうして彼が遠くに水場を探しに行かないのは、私という足手まといが居るからなのだろう。この森には彼が戦ったという熊のような危険生物も居ることだし、こんなボロ小屋では身を守るのは心もとない。だからこそシロ様は、いつでも駆けつけられる程度の位置を彷徨うことしか出来ないのだ。彼が不快に思いながらも血塗れの姿を放置してるのは、これから先のことと私のことを心配しているからこそ。

 そこに気づいて申し訳なくなって、私は思わず謝罪を告げる。自分が嫌だからという理由で、よく考えもせずにこの少年に何かを強要してしまった。その愚かさが恥ずかしい。こんな私では素っ気ない返事を返されるのも、当然だ。


「……我が血を被ったのは、我の未熟さ故のこと」

「……え?」


 不甲斐なさに落ち込んで、床に座った状態から俯く。しかしそうして謝罪を最後に黙り込んだ私に何を思ったのだろう。一拍の沈黙の後、シロ様は静かにそう告げた。その困ったような声に思わず視線を上げれば、そこには眉を寄せながらこちらを見つめる美しい少年の姿があって。


「お前が悪い訳では無い。だから、そう落ち込むな」

「……!」


 そうして少年は不機嫌そうに、どこか困ったように、そう告げた。気にしなくていいと、その瞳が言葉と同じように雄弁に語る。謝罪は求めていないと、落ち込まなくていいと、そう宥めるかのように。それに私は思わず目を見開いて、そうして。


「……うん、ごめん」

「……わかっていないな、お前」

「ううん、わかってるよ」


 へらり、緩く笑って三度目の謝罪を告げた私にシロ様はすっと瞳を細めた。けれど理解してないなと言わんばかりのその視線からするりと逃げるように、私は立ち上がる。そうして未だ若干冷たい視線を向けてくるシロ様の近くに立つと、先程とは反対側の頬をまたハンカチで拭った。それに驚いたのか、ぱちりと彼の瞳が数回瞬きを繰り返す。

 しかしそれを気にしないまま、私はそっとその頬を優しく拭っていった。生憎と栗鼠はもうとっくに血染めだけれど、それでも彼が少しでも快適になれるようにと。血を広げないように注意しながら、私はその顔に付着した何かの血液を拭いとっていった。


「……リュックの中、何か役に立つ感じに変わってる物があるといいね」

「……そう期待すると、後に響くぞ」

「楽しみにしてるだけ! そうだな、シロ様を綺麗にできるものとかが入ってるといいけど」


 ぽつり、隙間の時間になんでもない雑談を振ってみれば、返ってきたのは冷静な言葉で。それにまた笑って言葉を返せば、我は犬ではないとシロ様は眉を顰める。それでもこの手を振り払わないのだから、本当に彼は優しい。


「そういえば、なんでこんなに血を被ったの?」

「……我が先程狩ったのは、血熊と呼ばれる魔物だ。その名の通り、血の量が普段の熊よりも多い」

「ふむ?」

「普通の熊と見た目は変わらぬ故、油断した」


 不器用な優しさにほっこりとしながらもそこでふと気になって尋ねれば、少し気まずそうにしながらもそんな返答が返ってくる。成程、先程未熟だと自分を責めていたのはそれを見抜けなかったからなのか。つまるところ、普通の熊だと思っていたら大量出血をする熊さんで、見事に汚れてしまったという事情らしい。

 それにしてもマモノ、という存在がこの世界には居るのか。ケモノと何が違うのだろう、ケモノよりも字面は強そうではあるが。そんなことを考えながらも、私は淡々とシロ様の顔を拭っていく。真っ赤になったハンカチがもう限界と訴えている気がしたが、そんなのは無視だ。ここまできたら、せめて顔だけは綺麗にしてあげたい。


「……できた!」


 そうして黙り込んで作業に集中すること、幾星霜。いや、少しどころか大分盛った。おおよそ数分にしか過ぎなかったであろう時間を超えて、私はシロ様の顔を綺麗にすることに成功した。下手なペイントをされてた赤い顔を、なんとか元通りに綺麗にすることに成功したのだ。

 達成感と共に、私は満足気にシロ様を見下ろす。生憎と髪や服はまだ血濡れだが、顔が綺麗なら気分はいくらかマシだろう。ハンカチはもう限界を超えて血を滴らせてしまっているが、仕方の無い犠牲であった。お気に入りの子ではあったが、目の前の少年には変えられないのである。


「……ありがとう、シロ様」

「……!」


 そうして綺麗になったことにか瞬きを繰り返している彼に、私はようやく謝罪ではなく感謝を告げた。その言葉を告げたと同時に、彼の黒と白の瞳は見開かれて。しかしそんな瞳に、私はしっかりと視線を合わせた。


「私この世界の常識ないし馬鹿だからさ、たまにシロ様の意図がよくわかんなくて変な事言うと思う」

「…………」

「その、それでも良かったらさ、しばらくは一緒に居てくれる?」


 ばくばくと、心臓の音が激しくなっていく。けれどそれを気取られぬようにと包み隠して、私は見開かれた彼の瞳を見つめていた。図々しい願いだとは思う。私は彼の命を救ったのかもしれないが、それでもこの世界で私というお荷物を背負って生きることは容易ではないはずだ。神様がくれたという力にも、皆目検討がつかないわけであるし。

 それでも守って欲しいとか、助けてほしいとかじゃなくて。そんな打算的な思いももしかしたら少しは奥底にあるのかもしれないけれど、それよりも。ただ一人で居るより、彼と居たいと思った。不器用にこちらを思いやってくれる、少し物騒だけど優しいこの人と。


「……馬鹿者」

「って!?」


 間が開く度、不器用に浮かべた笑顔は段々と引きつっていく。やっぱり駄目かな、お荷物かな。そんな風に浮かんだ思考は、しかし彼に額を弾かれたことで飛んでいった。その衝撃に思わず目を瞬いて、けれど再びシロ様の方に視線を向ければ。


「……変な心配はせずとも、共にいる」

「!」


 それは小さな声だった。きっと正直に言うには、少し気恥ずかしかったのだろう。元の白皙に戻ったはずの頬は、僅かに赤く染まっていて。それでも突っぱねることなく、シロ様は私の不安を吹き飛ばしてくれた。その姿に不器用に歪んでいった笑顔から、力が抜けていく。


「……うん」


 ほっとして零した呟きは、小さく響いて溶けていった。それきり小屋の中には静寂が広がっていったけれど、それは決して不快なものなんかではなくて。私はただ、少し俯いてしまった少年の顔を見ていた。心の中がじんわりと温かい何かで満たされていく。

 きっとシロ様と私とでは、生きてきた世界が文字通り違う。当然価値観は違うし、考え方で衝突することもあるだろう。先程のような小さくも確かなすれ違いが、何度だって起こるかもしれない。けれど数奇な運命でこうして出会えたのなら、今は傍に。二人ぼっちになってしまったお互いの傷に、お互いで寄り添えたらと思うのだ。

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