八十六話「ホットサンドと波乱の予感」
その後、サボりが見つかりレーネさんによってミーアさんが引きずられていくのを見送って。私は叫びながら去っていくミーアさんを苦笑いで見送りつつ、休憩も挟んだことだしと再び書き写しの作業に戻った。美味しい紅茶と美味しいクッキーのおかげか、先程よりも集中して作業ができることに自分でも現金だなと苦笑いしながらも。
「……戻ったぞ」
「! おかえりなさい」
そうして時折のびを挟みながらもひたすらと紙とにらめっこを繰り返す内に、時刻はいつのまにか過ぎ去っていたらしく。ノック音も無しに開いた扉。振り返ればそこには、紙袋を抱えたシロ様が立っている。二つの紙袋を抱えた少年は今日も目が潰れるほどに麗しかった。紙袋を持ってるだけなのに絵になるとは、これ如何に。華があるとはこういうことを言うのだろうか。
そんな馬鹿なことを考えつつも、私は椅子から立ち上がる。これが本人に聞かれていれば眉を顰められるだけではすまないかもしれないなんて、苦笑を一つ。もっとも突然自分を見て苦笑をした私が不気味だったのか、結局と帰ったばかりのシロ様は仏頂面を浮かべてしまったのだが。大変申し訳無い限りである。
「……いい匂い。パンかな?」
「ほっとさんど、らしい。あの男が名物だからお前に食わせたいと」
「ああ、ホットサンド! 一回あっちの世界で食べたことあるけど、美味しかったよ」
「ピュ!!」
されどシロ様は一々と細かいことを気にするような性格ではない。私の表情に大きな問題はないと感じたのか、瞬時に仏頂面からいつも通りの無表情へと戻ったシロ様。紙袋を抱えた彼はそのまますとんと自分のベッドの下へと座り込む。私もそれに合わせるようにと、同じく自分が昨日寝ていたベッドの足元で膝を抱えて。先程はベッドの上でお菓子を食べてしまったが、あまり褒められたことではないだろう。この部屋には小さな机とベッド以外何もないので、これが最適解である。
恐らく寝台の上で食事を摂るという概念がないシロ様の育ちの良さに感心しつつ、私は渡された紙袋の一つを受け取った。鼻をくすぐるのは小麦を焼いた香ばしい、パン特有の匂い。名物のホットサンドという心惹かれるキーワードに胸を高鳴らせつつも、私は元気よく鳴いたフルフを見下ろした。相変わらず食いしん坊さんである。
「具は三種類ある。好きなのを食べろ」
「あ、紙が入ってる……えっと、鋼殻エビとアボカド、尾切サーモンとチーズ、つつき鳥のオムレツとほうれん草……」
具は三種。シロ様の言葉に紙袋を漁れば、恐らく買った具の種類と説明が書かれた紙が出てきて。ええと……『鈍器になる鋼殻エビを鈍器でかち割った一品』? こっちには『尾で首を切れるサーモンの首を切ったワイルドな商品』と書かれている。なんというか、食欲が失せる商品紹介だ。
「……オムレツのやつ、食べるね」
「ああ。お前は?」
「ピュピュ!」
「わかった。我はエビだな」
この世界の魚介類は怖い生き物らしいと、認識を改めつつ。私は最後となったオムレツとほうれん草のホットサンドの紹介を見ないことを選択し、そっとオムレツのホットサンドを手に取った。見たところでどうせつつき鳥とやらの碌でもない紹介が載っているだけだと、そう確信したからである。世の中には知らない方が良いことだってあるはずだ。
眉を下げつつも紙の包みを解いていく。正面では何とも微笑ましいやり取りが繰り広げられているが、今の私はそれを微笑ましく見ることが出来なかった。シロ様は頭をかち割られたやつを、フルフは首を切れるやつを選択したらしい。そんな物騒なことが頭に浮かぶだけである。この商品紹介、苦情が来るのではないだろうか?
「……でも、美味しい」
「ああ」
「ピュー!」
だが商品紹介に些か問題はあれど、ホットサンドは文句なしに美味しかった。とろりとしたオムレツと、バターで炒められたらしいほうれん草のしょっぱさと風味が絶妙にマッチしている。卵の味が濃いとでも言うのだろうか、コクがあるその味は日本で食べたあの味よりも美味しく。なんだか敗北感をを覚えつつも、私はそのホットサンドを味わった。少しだけつつき鳥という生き物の生態が気になりながらも。
「……それで、何か情報はあった?」
「いや、赤い翼の目撃情報はない」
……そうして食事を終えて。私は大きくて美味しいホットサンドに幸せに胃を満たされながらも、シロ様と情報共有をしていた。ちなみにフルフは満腹になって満足したのか、幸せに夢の中である。少し羨ましい。
しかしそんなことを言ってる場合ではないのだ。尋ねれば、難しげな表情を浮かべて首を横に振ったシロ様。どうやら赤い翼の持ち主が確認されたという情報はなく、調査は空振りの結果に終わったらしい。やはり結局は朱の神楽祭の参加者に掛けるしかないのだろうか。昨日から風で情報を集めていたシロ様が空振りだというのだから、一切とその噂話をしている人がいなかったのだろう。
「……だが、気にかかることはある」
「え?」
「あの男のことだ」
これはお祭りまで進展無しかと、眉を下げて。けれどそこで瞳をすっと細めて告げたシロ様の言葉に、私は目を丸くした。あの男という不特定多数を示す呼び名。だがシロ様がその呼び方で呼ぶ該当者は、私の知る限り一人しかいない。頭の中に浮かんだのは、太陽のような橙色と金色を持つあの人の姿。
「……レゴさんに、何かあった?」
「ああ」
そう、シロ様がそんな風に呼ぶのはレゴさんだけだ。表情を引き締めて問いかければ、シロ様は小さく頷く。異色が混同する瞳に浮かぶのは、不信感というよりは訝しげな色で。そうしてそのまま顎に手を当てて何かを考えるようなポーズを取った少年は、ゆっくりと話し始めた。まるで情報を整理するかのように、頭の中で整合性を確かめるかのように。
「……あいつは、奴隷騒ぎの情報に興味があるようだった。それとなくではあったが、通行人にその手の情報を尋ねることが多かった」
「……奴隷騒ぎって、あの?」
「そうだ。思えばそれを我らに最初に話したのも、あいつだった」
そうしてシロ様の口から語られた、レゴさんに見られた不審な動き。それは奴隷騒ぎに関することで。相変わらず物騒な響きに眉を寄せながらも、私はシロ様の言葉を脳内でゆっくりと咀嚼した。奴隷騒ぎ。確か商人さんが大きな力を持つ人をバックに、違法とされる奴隷を売っているという話だったはずだ。数年間ムツドリの警察的組織が取り締まれていない、根深い犯罪。
だが問題はそこではない。今回問題になるのは、なぜレゴさんがその奴隷騒ぎに興味を持っているのかだ。気球でのことを思い出してみる。確かにシロ様の言う通り、最初にウィラに行くように持ちかけたのはレゴさんだ。そして彼はこの街が初めてな私達のために、案内までも買って出てくれた。いっそのこと怖いくらい親切に。
思えばあれは、私達をウィラに連れて行くように誘導していた? 機会を伺って希少価値の高いクドラ族のシロ様を売り捌くために?
「……いや、無いか」
「……あいつが商人側という話か?」
「うん。一瞬怖くなっちゃったけど、それなら色々おかしいもんね」
しかし一瞬浮かんだ疑念は、すぐさまと晴れて。そう、それはおかしいのだ。まずレゴさんは、あのカッシーナさんが私達を任せてくれた人。カッシーナさんは察しがいい人だ。関係の薄い知り合いならばともかく、カッシーナさんとレゴさんは深い付き合いのようだった。レゴさんが悪人だとしたら、あのカッシーナさんが気づいていないわけがない。
次に、カッシーナさんごとグルだという可能性について。けれどそれにもまた疑問は残る。ぶっちゃけてしまえば気球の上での私達は無力だった。私達は飛べないのだから、それを利用して言うことを聞かせることだって出来たはず。更に言えばレゴさんの前で無防備に眠る姿だって見せていたのだ。しかも途中から携帯食料を貰っていたわけだし、そこに何かしらの薬を仕込むくらいレゴさんには容易かっただろう。つまりレゴさんには私達を適当に眠らせて攫うなんてことは容易かったはずで、しかしそれは現実になっていない。今も親切にこちらに接してくれている。
「……予想できるのはレゴさんが実は裏で警察組織の人でしたー、とか?」
「単に事件に興味があるだけの一般人の可能性もまだある。それに……」
「うん」
あっさりと砕けたレゴさん悪人説。けれどそれならば、レゴさんはなぜ奴隷騒ぎについて調べていたのか。よくよくと思い返せば気球で奴隷騒ぎのことを話していた時、レゴさんはそこまで奴隷騒ぎに関心がないように見えた。例えるなら、そんな事件もあるよねとニュースを見た人が世間話にする程度。なのに今は、シロ様の目から見ても不審に思えるほどに情報を集めている。
それに、そこで切られたシロ様の言葉。だが私はなんとなく、シロ様が言いたいことがわかるような気がした。奴隷騒ぎについて情報が欲しい人は、大まかにわけて四つに分かれるだろう。一つ、どこまで知られているのかと危惧する犯人側。一つ、凶悪な犯罪者を捕まえたい警察側。一つ、ただ単純に事件に興味がある野次馬。そうして、最後は。
「……大切な人間が奴隷商人に攫われた、という可能性もあるだろう」
大事な人が事件に巻き込まれた、被害者の関係者。
「すみません! ここにミーアは……!?」
「えっ……?」
しかしそこで突然と開いた扉に、私の意識は一気に現実へと戻される。声が聞こえてきた扉の先、そこには綺麗に結われた栗色の髪を揺らしながらも半狂乱という様子で声を上げるレーネさんが居て。彼女は泣きそうな表情で部屋を一通りと見渡すと、瞳を真っ暗に染めて崩れ落ちた。ミーアさんが着ていたのと同じ、青色のエプロンがぐちゃぐちゃのシワだらけに歪む。まるで彼女の心をそのままに表すように。
「れ、レーネさん!? どうしたんですか?」
私は慌てて扉の前で崩れ落ちた彼女の方へと駆け寄った。紅茶を持ってきてくれた時の落ち着いて淑女然とした彼女とは打って変わって、今の彼女はひどく混乱しているように見えたのだ。髪を振り回しながらも、部屋の入口で泣き出してしまったレーネさん。私はそんな彼女の背中を擦りながらも、シロ様の方へと視線を向けた。
すると察しが良いシロ様は、こちらに近づくと同時に扉を閉めてくれて。とりあえずこれで海嘯亭が大騒ぎになって後から彼女が後悔することはないだろう。ほっと息を吐きつつも、私は事情を伺おうと俯いた彼女を見下ろした。しかし私が問いかけるよりも早く、こちらを見上げたレーネさんは口を開く。涙で潤んだヘーゼル、縋るような色を含んだそれに一瞬動揺して。けれど次の瞬間の彼女の言葉によって、私はそれ以上の衝撃に襲われることとなった。
「……ミーアが、ミーアが帰ってこないんです! ミーアはここに、居ませんか……!?」




