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四幻獣の巫女様  作者: 楪 逢月
第三章 愛の大地と飛べない少女
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八十五話「バタークッキーの一休み」

「それにしてもわざわざお祭り時期のこの街に来てやることが勉強って、ミコちゃんも物好きね?」

「あはは……」


 さくりと、軽い食感のクッキーが口の中で砕けては溶けていく。バターの味が濃厚なこのクッキーには側面に砂糖がまぶしてあり、その分甘さとバターの薫り高さをよりダイレクトに受け取ることが出来た。まぁとどのつまり、シンプルで美味しいクッキーだということである。これももしかしてガッドさんのお手製なのだろうか。お菓子作りが得意なお父さん、素敵な響きだ。

 二人並んで座ったベッド。私達の間にはラタンのように見える素材で編まれた、可愛らしい籠が置かれる。それに手を突っ込んではクッキーを取り出しもぐもぐと咀嚼するミーアさんの言葉に、苦笑いを一つ。確かに傍目から見れば奇妙に思えるかもしれない。連れ合いが出ていく中、一人宿の中に残って勉強をしている女の子なんて。


「まぁ私としてはサボる場所が出来て嬉しいけど。ウチの宿おじさんばっかりで、同じ年頃の女の子と話す機会なんてほぼ無いのよね~」

「……そういえば、お仕事は大丈夫なんですか?」


 けれど私はその言葉を聞いた瞬間ふと思い出して目を瞬かせた。姉であるレーネさんは紅茶を届けた後に足早と出ていってしまったが、ミーアさんは忙しくないのだろうかと。受付さんと食堂の店員さんでは仕事に違いは出るだろうが、この宿はまぁまぁと繁盛しているはずだ。現に朝食の時間には、私達以外のお客さんもちらほらと見受けられたし。


「大丈夫! 私が忙しくなるのはお昼と夕食の時間だもの」

「ああ、確かに」

「……まぁそれ以外の時間は宿の方の掃除をしてなさい、って言われてるけど」


 しかし私の心配を他所に、えっへんとミーアさんは胸を張る。成程確かに飲食店が混む時間帯と言えば、昼と夜の時間が一般的だろう。それならば今のミーアさんは忙しい時間帯に向けて英気を養っているのかもしれない……という考えは、どうやら私の考えすぎだったらしく。私はてへ、と言わんばかりに舌を出している彼女のことが少し心配になった。自業自得とは言え、昨日みたいにガッドさんから鉄槌を喰らう羽目になるのではないかと。


「ま、まぁいいの! お客さんの相手もお仕事、でしょ?」

「は、はい……」


 昨日フルフに絡みまくったせいで額を弾かれ、そのまま沈没したミーアさん。果たして懲りないガッツは良いものなのか、悪いものなのか。キリッと表情を引き締めて問いかけた彼女に、私は一応頷いた。確かに業務に入るか入らないかと言われれば、入るような? もっともそれは客、つまり私側が求めているか否かが重要になってくるとは思うのだけど。


「それで、さ。何の勉強してたの? 出ていく時にレゴさんにも聞いたんだけど、さぁって首傾げられちゃって」


 まぁ誰かと話すのは息抜きになるわけだし、求めていないことはないかもしれない。と、誰に聞こえるわけでもない言い訳を脳内で一つ。実際問題クッキーを食べて癒やされたところはあるのだし、ミーアさんには感謝だ。それと、恐らくこれを作ってくれたのであろうガッドさんにも。

 そうやって無理矢理自分を納得させたところで、けれどミーアさんからは次の疑問が飛んでくる。切り替えの早い会話は女子あるあるなのかもしれないと、どこか遠くなってしまった学生時代を思い返しつつ。私はそこでベッドから立ち上がると、机の方へと向かった。そしてそこから数枚の紙を引き抜くと、ミーアさんへと渡す。


「ええと、これです」

「……なにこれ?」

「えっ」


 見せるのが手っ取り早いだろうとなるべく良く書けたものを持ってきたのだが、果たしてどんな反応をされるだろうか。などとどこか作品を顧問の先生に提出する気分になっていた私。しかし返ってきたのは訝しげな声で。思ってもみなかった反応に思わず声を漏らしつつ、慌てて私はミーアさんの隣へと座り込んだ。そうして紙を一枚手に取ると、書かれた円をなぞるように説明を始める。


「えっと、これは法符に描く法陣って呼ばれるもので……今はこれを使って法術の練習をしてるんです」

「へぇ……私も昔練習はしたけど、こんな書き取りみたいなことはしなかったわね」

「……それが、上手く法術を使えなくて」


 私の指先の動きを見つめては、関心したように呟いたミーアさん。ヘーゼルの瞳は興味深そうに私の書いた不格好な法符を観察しはじめる。……あんまりじろじろと見つめられるのは、恥ずかしいような。だって私の書いたこれらはシロ様がくれたお手本と違って、お世辞にも整っているとは言えないのだし。

 それにしてもミーアさんの言葉から考えるに、やはり法符を書く練習方法は一般的ではないのだろうか。確かにこんな風に書き取りめいたことをするよりも、体に覚えさせるようにいくらでも実践を重ねるべきだろう。それこそ私のように、法術と仲違いをしているわけでもあるまいし。そう考えると、一瞬だけ胸に痛みが走った。法術を受け入れずに仲違いするなんて、何とも奇妙で愚かな話だ。自分で自分に呆れ果ててしまいたくなるほどに。


「だからこの方法でちょっとでも、法術と分かり合えたらって」


 しかし今の私はもう、その痛みにいちいち動揺していられないのだ。やると決めたならとことんやる。いくら拒絶されてもどれほど時間がかかっても、私は私の中に突然芽生えたこの力と分かり合うと決めたから。例えちょっとだけ、人と比べて遠回りな方法でも。この先どれだけ、時間がかかったとしても。


「……分かり合う? ふふ、友達みたいに言うのね」

「あ、す、すみません」

「なんで謝るの? 可愛い言い方だと思うけど」


 苦笑を零すと同時に告げた私の言葉に、ミーアさんはぱちりと目を瞬かせて。けれど次の瞬間彼女はまるで花が綻ぶかのように微笑んだ。少し子供っぽかっただろうかなんて眉を下げた私に、栗色の三編みを揺らしながらも彼女はくすくすと優しい笑い声を零す。私が気恥ずかしくなるほどに優しい、そんな声音のまま。


「ミコちゃん、がんばり屋さんなのね」

「……え?」

「出ていく時レゴさんから聞いたんだけど、クレイシュの方から来たんでしょ? それなのに観光もせず、勉強なんて」


 そうしてその声音のまま、言葉は続いた。労るように降ってきたそれに、気恥ずかしさから下げていた視線を元の場所に戻す。すると、穏やかな色を湛えたヘーゼルの瞳と視線がかち合った。フルフを見て暴走していた時の表情とは比べ物にならない、年上めいた大人の女性の表情。どこか姉であるレーネさんと、重なって見える顔。

 また一つクッキーを口へと運びながらも、瞳を伏せた彼女が告げる。どうやらレゴさんからある程度の事情は聞いているらしい。最もレゴさんは秘密をそうあっさりと話してしまう人ではないので、恐らくクレイシュから来たという経歴だけなのだろうが。それでも彼女から見れば、遠くの地にまで来て部屋に引き篭もる私は奇妙に映ったのだろう。私だってそんな子が居れば、少し気になってしまうかもしれない。


「でも頑張り過ぎは禁物。ほどほどにするのよ」

「ほどほど……」

「そ。ほどほど」


 だからこそこうしてクッキーを部屋まで持ってきてくれたのだろうか。そういえばミーアさんはレゴさんに頼まれてなんて言ってなかったと、手に持ったクッキーを見下ろしてはぼんやりと。その状態のままほどほどと彼女の言葉を繰り返せば、隣の彼女が大袈裟に頷いた気配がした。大きな動きは、僅かにベッドを揺らす。まるでゆりかごのように揺れたベッドに合わせるように、クッキーの入ったラタンの籠も微かに揺れた。


「私も昔宿での仕事ができるようになった時、ちょっと張り切りすぎちゃって。それで一回、倒れたときがあるの」

「えっ!?」

「あはは。そんな心配そうな顔しなくても、今は大丈夫よ。でもその時、姉さんにすっごい怒られちゃって」


 その穏やかな揺れに一瞬だけ眠くなって、けれど私は聞こえてきた言葉に思わず視線を上向けた。私の二度見のような素振りが面白かったのか、ミーアさんは楽しそうに笑う。そうは言うが、働きすぎて倒れたなんて結構な大事件だと思うのだが。

 しかも倒れたのはミーアさんだ。昨日フルフにしつこく絡んだせいでガッドさんから鉄槌を下され、今は私と一緒に仕事をサボっている。そんな彼女が働きすぎて倒れたなんて、心配と同時に少し想像が出来ないような。それにすっごい怒るレーネさんの姿も、あまり想像できないし。私の頭に栗色の髪をハーフアップとして纏めた美しい人の姿が浮かぶ。嫋やかな彼女が怒るというのが、出会って日が浅い私ではやっぱり想像ができなくて。


「『貴方が倒れるほど頑張って嬉しい人はあんまり居ないけど、倒れたら悲しい人はたくさん居るわ』って、言われてね」


 しかしその声音を真似た声を聞いた瞬間に、感じていた違和感はすとんと納得に落ちていく。頭に描かれたのはベッドで寝込むミーアさんと、そんな彼女を淡々と諭すレーネさん。困ったように目尻を下げながら、或いは少し怒ったように眉を寄せながら、妹に言葉を掛ける姉の姿。それを聞いた妹の瞳は見開かれ、そうして次の瞬間に二人で笑い合うのだ。無理は禁物だと、そんな風に。

 確かに大切な人に倒れるほど頑張られても、周りは心配になるだけだ。そうしてその人が倒れた時、周りの人たちは自分を責める。どうしてもっと早く止めなかったのかと、そんなことは望んでいなかったと、傷を抱えるのだ。ミーアさんを通して聞いたレーネさんの言葉は、今の私にも刺さっているようにも聞こえて。


「……確かに、そうですね」

「ね。だからほどほどがいいのよ、結局」


 ほどほどにしなければ、シロ様やフルフを悲しませることになるかもしれない。そんなことを考えながらも、必死に綴った紙たちが重なる机の方へと視線を向ける。シロ様は決して、急かさなかった。ゆっくりでいいと、そう言っていた。ならばやっぱり、ミーアさんの言うようにほどほどに頑張るべきなのだろう。苦笑を浮かべて頷けば、強い肯定が返ってくる。倒れた先輩からの言葉だ、ありがたく享受しなければ。


「……まぁ最近は、サボりすぎって怒られてるんだけど」

「あ、はははは……」


 だがミーアさんが偉大なる先輩であると同時に、反面教師であることもまた事実で。溜息混じりに告げた彼女に、乾いた笑いを零す。あくまでほどほどに、そうほどほどに頑張ろう。サボり過ぎは断じて禁物である。

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