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四幻獣の巫女様  作者: 楪 逢月
第三章 愛の大地と飛べない少女
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八十二話「遊園地、車、一人」

*事故の描写があります。

「……お前は何故、自分のせいだと必要以上に気に病む?」

「え?」


 それは、突然の問いかけだった。海嘯亭の二階、私とシロ様に与えられた二人部屋。食事を終え特にやることもなかった私達は、その部屋でのんびりと過ごしていて。部屋に備え付けられた二つのベッドにそれぞれが座り込む。お互いに干渉せずとも気配だけは伝わるその空間は、確かな安らぎがあったと言えよう。窓から見える月だけが、そんな私達を優しく見下ろしていた。

 シロ様は情報収集、私は荷物整理。しかし荷物整理を終えた私が備え付けられていた毛布でフルフ用の簡易的なベッドを作り上げたところで、シロ様はそんなことを問いかけてきたのだ。振り返れば風の法術を使っての情報収集はもう止めにしたのか、真摯な色を湛えた二色の瞳がこちらを見つめていて。


「出会ったばかりの時も、そうして先程も。お前は何故か、我が自身で決めたことにさえも気を負う。一種の強迫観念のように」

「……!」

「我はそれが、お前の指輪を曇らせた原因の一種であると考えた」


 いや或いは、それは突然の問いかけではなかったのかもしれない。例えばずっと抱えてきた疑問を、最後のひと押しで漸く零したような。こちらを見据える二色の瞳に怒りはなかった。ただただ疑問を浮かべた瞳が、透明に私を見透かしている。私という人間のルーツを探ろうとするかのように。そうして今私と指輪が抱えている何かの不和を、解決へと導くために。


「……そう、かもね」


 必要以上に自分のせいだと気に病んでしまう、一種の強迫観念。指輪と関係があるとはわからずとも、その表現は確かに的確であった。いくらだって、覚えがあるのだから。その瞬間、浮かんだのはどんな笑みだったのだろう。恐らく自嘲めいた笑みを浮かべてしまった私を見てか、シロ様が僅かに眉を寄せる。ああ違う、そんな顔をさせたかったのではなくて。心配をさせたかったわけでも、なくて。

 いっそのこと悲劇のヒロイン気取りで鬱陶しいだなんて、そんな風に冷たく断じてくれればよかったのに。けれどシロ様がそんな人の心に土足で踏み込むような真似をするわけもなく。溜息が零れた。自分に対するものだった。ただただ情けなくて、苦しい。こんなにも気分が落ち込んでしまうのは、今日という日がそういう日だからなのだろうか。いつかの深い森の下、要らない子とそう吐露してしまった記憶が蘇る。いつもいつも、私はこの少年よりも歳上だと言うのに情けない。


「……要らない子」

「っ、!」

「お前にそう言ったのは、誰だ」


 しかしそこで私の心臓は強く跳ねた。そうして心臓が跳ねると同時、座り込んでいたベッドも跳ねる。いつのまにか私の隣には、シロ様が座っていた。腕と足を組んだ白皙の美貌の少年が、静かにこちらを見つめている。浮かんだ色は変わらないのに、近づいたせいか鮮明になったそれに息が詰まった。もっとも息が詰まった理由は、それだけではなかったのだけれど。

 要らない子、いつか私から溢れたキーワード。その確信を瞬時に突いてきたシロ様の察しの良さが、いっそのこと恐ろしくて。まさか私の考えていることがわかるのだろうかと、そんなありえないことを想像した。けれどその瞳には変わらず私への心配が滲んだまま。僅かに語気が強く聞こえるのは、私にそれを言った人への怒りからなのだろう。シロ様はただ純粋に、私という人間を大切にしてくれている。まるで、あの人のように。


 その瞬間私は、彼にならば話しても良いのだと思えた。


「……多分、言ったことなかったけど」

「……ああ」

「私のお母さんとお父さんは、実はもう居ないの。元の世界に帰れたとしても、もう二人には会えない。……ずっと昔に、死んじゃったから」


 そっと手を伸ばした。すると自分よりも温かな体温を持った彼の手が、優しく私の手を包む。求めれば与えてくれる、手を伸ばせば取ってくれる。当たり前のようで、けれど決して当たり前ではないこと。変わらない体温に涙が滲みそうになりながらも、私は拙い言葉で話し始めた。例え死というワードに彼の眉がますますと寄せられても、握ってくれている手の力が強められても。


「……私の、我儘のせいで」


 例えその言葉に、二色の瞳が大きく見開かれても。


「昔私が住んでた場所の近くに、大きな遊園地……遊べる大きな玩具がたくさんある、そんな施設ができてね」

「……ああ」

「当然、私は行きたくなった。周りの友達が皆、行ったよ、楽しかったよって自慢するから。それでお母さんとお父さんにおねだりしたの」


 言葉を紡ぐ度、息切れのような症状が体を襲う。それを宥めるかのようなシロ様の手がなければ、とっくに私は倒れていたかもしれない。けれどその温度があるから、私はまだ言葉を紡ぐことができた。もう十年も前になるのに、未だ忘れられない。そんな自分が、やっぱり情けない。

 なるべくシロ様に伝わるようにと言葉を選びながらも、話を続けていく。これを誰かに話すのは、何年ぶりになるのだろう。事を知らない中学や高校の友人たちには話せないままでいた、そんな話だ。物語の中ではありふれた悲劇は、しかし当人からしては今でも認めたくない惨劇で。今でも頭にこびりついて離れない、最悪の顛末で。


「……お父さんとお母さんは、いいよって言ってくれて」

「…………」

「私は嬉しくて、すごく嬉しくて。とっても楽しい思い出になるって、そう思ってて」


 なんで嫌な記憶ばかり、鮮明に残るのだろう。たった五年、されど五年。二人と過ごした時間は、思い出したい大切な思い出は、もっといっぱいあったはずなのに。なのにあの日のことだけが忘れられない。他のことは朧げに霧がかかったまま、鮮明に思い出せないのに。


「……でも、でも」

 

 さりとてあの日だけは鮮明なまま。お母さんのカーディガンの色は薄緑色。お父さんが被ってたキャップの色は青。私が着ていたのはお気に入りの裾がひらひらとした白のTシャツと、青いデニムのスカート。スパッツと赤のスニーカー。お父さんとお揃いの青いキャップを自慢気に、太陽の元へと三人踏み出した。

 お母さんお気に入りの白くて可愛い籠には、お父さんが好きな玉子サンドと私が好きだった梅干しのおにぎり。籠は貰い物の山登り用の黒い水筒と一緒に助手席に並ぶ。私はおやつにと持たされたクッキーを片手に、お母さんと並んで後部座席に座っていた。楽しみだねなんてと言い合いながら見つめるいつもと変わらない窓越しの風景が、なんとも特別なものに見えて。シートベルトを付けてくれたお母さんの手は優しくて。


「……二人共、死んじゃった」


 なのにその思い出は、一瞬で真っ赤なものに変わっていく。けたたましいブレーキ音と、悲鳴と、怒号と、そうして痛みがある記憶に。


「知らない車が、突っ込んできたんだ。すごい揺れた。うるさい音がして、ガラスが割れて、でもそれ以上は見えなくて」

「……おい」

「気づいたら病院だった。おじいちゃんとおばあちゃんが居た。色んな人が来てた。でもお父さんとお母さんは、二人だけは、どこにも居なくて」

「っ、おい!」


 覚えてる、覚えている。次に目覚めた時には車の中でも遊園地でもなく、わけのわからない器具ばかりが並ぶ白い部屋で。「貴方だけでも」と崩れ落ちたおばあちゃんの姿。「よかった」と零したおじいちゃんの声。知らない人がいっぱい居た。皆泣いていた。けれどその中に、二人の姿はなくて。

 夢だと思った。そう思いたかった。でも痛い体も、皆が泣く姿も、それら全てが起こった事を現実だと強制的に叩きつけて。理解したくもないのに、わからせられて。消毒液の匂いが、自分の鼓動が正常なことを示す音が、全てが恐ろしかった。


 ああ、私だけが助かったのだと。幼心に、それを理解した。


「……私が、私が行きたいなんて言わなかったら! そうしたら……!」


 息が荒くなる、涙は自然と頬を伝う。今でも鮮明なまま忘れられない、重く心の伸し掛かる記憶。決して消えない負い目は今でも、私の心に傷跡を残したまま。ぐるぐると涙が逆流するかのように全身が熱くなって、ただ苦しくて。

 

「ミコ!」

「っ……!?」


 しかしそこで頬を叩かれて、私は現実へと舞い戻ってきた。無意識の内に閉じていた瞼を開ければ、二色の瞳がこちらを見返す。焦ったように、私よりも余程苦しげに。じわりと痛み出した頬は、落ちそうになっていたあの日の悪夢がここにはないことを示している。ここに居るのはシロ様だけ。他には誰も居ない。

 

「……大丈夫だ。クルマ、とやらはここにはない」

「あ……」

「だから一度、落ち着け」


 ほっとした表情になったシロ様が、優しく私を宥める。もはや手を握るだけにはとどまらず、まだ幼い体躯で私を抱きしめてくれたシロ様。生きていると叫ぶその温度に、涙はますますと止まらなくなった。逆流しかけた熱が、正常に外へと流れ落ちていく感覚。とめどなく溢れるそれが服に染みを作っても、シーツに水たまりを作っても、誰も咎めはしない。

 車はここにない。ここに居るのはシロ様と、私が作ったベッドで眠る小さな生き物だけ。ぽんぽんと頭を撫でられる内に、徐々にそれを実感していく。さりとて一度浮かび上がった記憶は、完全に沈むことはないまま。


「……っ、ごめ、ごめんなさい」

「……ああ」

「私の、私のせいで……」


 もう何に対して謝っているのかもわからなかった。この場に居ない父と母に謝っているのか、私の引き取り先で揉めさせてしまった親戚の人に謝っているのか、それとも迷惑を掛けているシロ様に謝っているのか。でも言葉も涙も止まらない。止めることが解決策になると理性ではわかっていて、それでも止められなかった。


「……お前のせいではない」

「っ、……!」

「お前のせいでは、ない」


 なのに、それなのに。優しく穏やかな声音でシロ様が、尚更強く私を抱きしめるから。私のせいではないと、昔誰かが告げた言葉をなぞってくれるから。だからますますと涙は止まらないまま、瞼は自然と落ちていく。いつかの夜のようだ。あの日元の世界に戻れないことに絶望を感じて、泣いた私。そんな私に寄り添ってくれた影は、今では私を抱きしめてくれている。生憎と耳はなかったけれど、それでもシロ様がシロ様であることに変わりはない。

 ぎゅっと縋り付く度に背中を撫でてくれるその手が、ひどく懐かしいものに感じた。けれどシロ様は、あの人ではない。それがわかっても落胆しない自分が、少し不思議だった。でもそれと同時、嬉しかったのだ。私が誰かの代替品としてではなく、シロ様を大切にできていると感じたから。

 

「もういい、もう大丈夫だ」

「……う、」

「話してくれてありがとう。よく頑張った」


 優しい声が降ってくる。ぱたりと、柔らかなベッドへと沈んだ感覚。けれど抱きしめてくれる腕が解かれることはないまま。宥めるように背中を擦る手が止まることはないまま。そうして一層と私を強く抱きしめたシロ様は、ただただ穏やかに告げた。


「……だから今は、眠れ」

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