六十七話「愛の種族」
漸く聞けたムツドリ族の信条は愛。私は最初、レゴさんの突然の言葉に目を丸くして。しかしよくよく考えてみれば、その信条は別に不自然なことではないということに気づいた。ムツドリ族は空を飛べる種族。つまるところ鳥に近い生態なのだ。私の居た世界でも鳩や鶴といった鳥が愛の象徴として扱われていたわけであるし、どこか似通ったこの世界でもそれが同じだっただけのことである。いや、鳩は平和の象徴という側面のほうが有名だったっけ。朧げな知識が頭を掠めた。
ともかく、私はこれで四種類の幻獣族の信条……重きを置くものを知ったということになる。クドラが武、レイブが知、ミツダツが美で、そしてムツドリが愛。こうして見るとバラバラでまとまりがない。幻獣族たちが土地を分けて共に暮らそうとしないのはパワーバランスからの配慮からだけではなく、性格面や信条面での問題もあるのかもしれない。誰だって気が合わない相手よりも、自分と同じものを大事にしている同族の方が付き合いやすいはずだろう。
「……赤い翼は深く愛し合ったムツドリ族同士の番からしか生まれないと聞いた。それは事実か?」
「お、よく知ってんな! まぁ、その側面もある。いくら翼が濃い同士のムツドリ族が番ったって、愛がなきゃ赤い翼の持ち主が生まれることはない。あの風習が息絶えてんのには、そんな理由もあんのさ」
しかし私がそんな邪推をしている中でも、私の隣の少年は勤勉であった。赤い翼関連の情報を少しでも得ようと、レゴさんへと問いかけるシロ様。そんなシロ様にレゴさんは感心したような声を上げながらも、補足するかのように説明を付け加えてくれる。
「しっかし昔赤い翼の持ち主の手で栄えた家は、昔の栄光を忘れられない。子供に無理な結婚を強制する親も居るってんだから、信じられない話だぜ」
「……無理、とは?」
「例えばお互い他に想い合ってる相手が居んのに、そいつらを無理やり結婚させたりしてな」
「そんな……」
そうしてそのまま更に続けられた言葉に、私は思わず顔を顰めた。愛がないよな、なんてぼやくレゴさんの言葉には全面的に同意である。自分たちが育てた子供に対する愛もなければ、その子供たちが結ぶ契にも愛はない。そんなことをしたムツドリ族は、それでもまだ自分たちを愛を信条にする種族と名乗ることが出来るのだろうか。
花嫁と新郎。そのどちらもに他に想い合う相手が居たのなら、その結婚は不幸かつ不毛なものを生むだけの行為にしか過ぎない。結婚とは、お互いの残りの人生を共有していくことだ。昔おばあちゃんが話していたことが頭に過る。だからこそ、自分を許してくれて自分が許すことの出来る相手と一緒になりなさい。愛のない結婚に、許しは生まれるのか。生憎と結婚どころか初恋もまだの私では、その感情を理解することは難しいけれど。
「……その人達は、どんな気持ちで暮らしているんでしょうね」
それでも多感な女子高生として、恋や結婚に一度は憧れを抱いたことがある身だ。生憎と恋よりは新作の釦や珍しい色合いの刺繍糸、宝石のようなビーズに心躍る方ではあったのだけれど。けれどそんな私でも友達と少女漫画に読み耽ることはあって。その物語の幸せな結末を知っているからこそ、「無理な結婚」というものが余計に切なく感じてしまうのだろうか。
「あー……暗い話をしちまったな。他に聞きたいことはあるか?」
「あ、いえ……! ええと、じゃあレゴさんのようなハーフの方って少ないんですか?」
胸中に暗く灯った、悲しみのような憤りのような何か。しかしその感情はどうやら表にまで出てしまっていたらしい。眉を下げて私を見下ろすレゴさんは、どこか心配そうな表情を浮かべていた。途端申し訳なさが胸を過る。シロ様にも気遣わしげに見上げられてしまうし、気遣ったレゴさんに話題の変換までをさせてしまうし。
けれどその申し出は素直にありがたかった。シロ様だけが情報源では、どうしても知る情報が限られてしまうだろう。更に言えばクドラ族のシロ様よりも、ハーフとは言えムツドリ族のレゴさんの方がムツドリ族のことや赤い翼のことには詳しいはずだ。頭を切り替えた私は、素直にその言葉に甘えさせてもらうことにした。しかしその質問が予想外だったのか、見上げた蜂蜜のような瞳はぱちりと瞬かれて。
「いや、そんなことはないが……?」
「え? でも無理やり結婚させられるって……」
「……あー、成程な。安心しな嬢ちゃん、さっきも言っただろ? そういう理由でくっつくのは、昔でかい家だったところくらいだって」
「あ……」
寧ろそっちが少数派だぞ。苦笑じみた笑顔を浮かべたまま、私を宥めるように見下ろしてくるレゴさん。私と言えば先程聞いたことがすっぽりと抜けてしまっていたことに、羞恥心がじわじわと滲んできて。そういえばそうだった。ちゃんとレゴさんは前置きをしておいてくれたのに。
無理矢理の結婚。そのことばかりに頭を取られ、内心で主語が拡大していたのだろう。私はてっきりそういう人達ばかりだからこそ、人と結婚するムツドリ族は少数派なのだと思い込んでいた。だがそれは逆なのだ。無理矢理に同族と結婚させられるムツドリ族のほうが、少数派。こころなしか私を見上げるシロ様の視線に、呆れたようなものが滲んでいるような。そりゃあそうである。愛に重きを置く種族なんだから、愛がない行為を押し進める方が少数派であるべきだ。目先のネガティブに目線を囚われ過ぎである。
「ま、俺みたいなハーフは少ないと思うがな」
「レゴさんみたいな……?」
盛大な勘違いに気恥ずかしくなって目線を落とした私。そんな私を見てか、レゴさんは極自然に話を変えてくれた。カッシーナさんの友達というだけあって、本当に優しい人である。その気遣いに感謝しながらも、私はのろのろと視線を上げた。俺みたいな、その言葉の意味が気になったのだ。
「おう。俺みたいに自由に法術を使えたり、飛べたりするハーフは実は少ないんだぜ」
「え……!? ハーフでも、皆が使えるわけじゃないんですか?」
「そうそう。俺、これでも希少種なんだよ」
けれどそこで聞いた話は予想外のそれで。思わず目を見開いて驚ければ、レゴさんは得意げに鼻を擦ってみせた。先程からよく見かけるが、もしかしたら癖なのかもしれない。そんなことを思った私を他所に、レゴさんはまたしても話をしてくれて。
レゴさんのようなムツドリ族のハーフの人達は、両親のどちらかに寄って生まれるらしい。恐らくこの「寄って」とは、遺伝子とかDNAとかそういう話のことである。例えば人間とムツドリ族のハーフだとして、人間寄りに生まれたのならば耳に翼を模した耳があっても飛べない。それは大体十歳までに決まるらしく、ムツドリ族のハーフの人は十歳までに飛べなければ、その片耳も人間のものに変わってしまうんだとか。片親が獣人の場合でもその流れに反することはない。
「そうなるとそっからは人間、または獣人として生きていく。俺みたいにムツドリ族に寄る方が珍しいらしいぜ」
「成程……じゃあレゴさんは、飛べたんですね」
「確か八の時にだったかな。ムツドリ族だった母さんが喜んで、親父が俺だけ仲間はずれだって拗ねてたよ。懐かしい」
懐かしそうに瞳を細めたレゴさんのその口調は柔らかかった。その口調に沿って話される昔話も、穏やかで優しい家族の話で。それを聞いた私は、本来のムツドリ族の在り方というのを少しだけ知れた気がした。無理矢理の結婚を押し付けるのが少数派。本来のムツドリ族たちは、こうやって愛と思い出を大切に生きていく種族なのだと。
「友達のハーフは人間になったけど、そいつも母さんに喜ばれたって聞いたな。私の愛が勝った! って」
「え?」
「より愛した方の親と同じ種族になる、ムツドリ族のハーフにはそんな冗談じみた伝説があるんだよ。ま、お決まりのジョークってやつだ」
「へぇ……!」
成程、そういうハーフだけに伝わる風習もあるのか。どちらの親がより深く子供を愛した。それを比べるのはあまり良いことでは無い気がするが、おかしそうなレゴさんの声を聞くに、完全にハーフの子供を持つ世帯のジョークみたいなものらしい。それならば微笑ましいと言ってもいいだろう。大体より愛した方の種族に寄るのなら、人間や獣人よりも愛の種族であるムツドリ族の方が可能性が高いわけである。それでもムツドリ族になったレゴさんのような人の方が少数派なら、単に知れ渡ってるだけの眉唾の伝説と言うわけだ。
「……なんだ」
「……ううん、ちょっと眠いなって思っただけ」
その法則ならばレゴさんはお母さんにより深く愛されて育ったのかな、なんてそんなことを考えつつ。私はそこでシロ様の方を見下ろした。意図せず家族の話になってしまったが、それがシロ様の傷を抉っては居ないだろうかと。だってシロ様はまだ、家族を亡くしたばかりなのだから。
けれど見下ろした先のシロ様は懐かしそうに瞳を細めるだけで、その瞳の奥にだって傷ついたような色は見えない。どうやらレゴさんの語った思い出は、シロ様に安らぎを与えるだけに留まったらしい。それに安堵して息を吐けば、目敏いこの少年には何かを察知されてしまったみたいだけど。誤魔化すようにへらりと笑う。もはやお馴染みになった溜息が返ってきてしまった。
「ん? なら休んどけ。ムツナギまで行くんなら、長旅になるからな」
「えっ……でも、レゴさんは……」
「幻獣族は人間と違って睡眠があんまり必要ないからな。一週間くらいなら寝なくても余裕だ」
「えっ!?」
だがその言葉に反応してしまった人がもう一人。声を掛けてきたレゴさんはどこからか取り出した毛布を差し出すと同時、私に休むように促してきた。しかしその間レゴさんは気球を操縦し続けなければならないのだ。そう考えると、休むのはどうも躊躇われて。
しかし続いた言葉に私はぎょっと目を見開く。一週間、それは人間ならば死ぬであろう連続起床時間である。まさか冗談だと思ってシロ様に目線を向けるも、シロ様は寧ろ驚いた私に不思議そうな視線を向けていて。……そういえばシロ様もショートスリーパーである。いやこれはもうショートスリーパーとかいう次元ではないのだが。
「……すみません、ちょっと休ませてもらいます」
「客が変なこと気にすんなって。ゆっくり休めよ」
レゴさんに合わせてなるべく起きていようと思ったが、流石に一週間は無理だ。余裕で死んでしまうだろう。冷静に考えてそれくらい連続で起きていられなければ、気球便の操縦者なんてのは務まらないのだろうが。だってずっと気球を操縦をし続けなければならないのだ。土地を超える長旅にも慣れている雰囲気だし、一週間起き続けるなんてのは彼とこの仕事にとって日常茶飯事なのだろう。私の申し訳無さそうな声にも、からりとした笑顔で言葉を返してくれたことだし。
「じゃあ……おやすみなさい、シロ様」
「……おやすみ」
気球に座り込んで、借りた毛布を広げる。それと同時にシロ様の服の裾を引けば、存外素直に少年は私の隣に座ってくれた。シロ様にもかかるようにと毛布を広げて、二人寄り添うように体をくっつけて、それから瞼を瞑る。やっぱり幻獣族という存在は人間とはまるで作りが違うのだ。改めてそれを実感しながらも。
目を瞑れば、眠気はすぐさまやってきた。隣に座ってくれたシロ様が、今日も湯たんぽのように温かかったのも要因の一つだろう。今日は色々と疲れていた。正直空腹でもあるのだが、自覚してしまった眠気の方がより強く私を襲う。ヒイラさんから貰ったお弁当は明日、シロ様とレゴさんと……あと、フルフにも食べさせてあげないと。
そうしてうつらうつらと明日のことを考えている内に、私はそのまま眠りに落ちていった。




