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四幻獣の巫女様  作者: 楪 逢月
第二章 虎耳少年と女子高生、旅の始まり
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閑話「風去った後で」

「……行っちゃったわね」


 小さな呟きが、夜の中に木霊した。呟くと同時、金の髪を持つ麗人は千切れんばかりに振っていた手をぴたりと止める。夜の星の中に混ざり合うようにして消えていった気球を、未だその桃色の瞳で探し続けながらも。しかしどれだけ探したとて、もうその瞳に夜空に浮かんでいた一つの炎が映ることはなかった。

 瞬間、胸に過ぎったのは一種の寂寥だろうか。閉じた瞼の裏に愛らしい少女の、まだ幼かった笑顔が浮かぶ。宿を経営する立場もあって、麗人……カシは別れには慣れている方であった。されど一種の思い入れのせいなのか。たかだか数日という短い時間を過ごした少女たちとの別れが、異様に寂しくて仕方ない。抱きしめた時の温度は、まだ手の中にある。けれどそれも、いつかは薄れていくものなのだろう。


「……で? さっきからアンタは何してんのよ、ケヤ」

「ちょ、ちょっと待って……」


 だがカシがそんな感傷に浸りきるには、隣の存在が少々邪魔であった。開いた瞳を半目にしながらも、隣の弟へと視線を向けたカシ。だが弟はそんなカシへと視線を返すこともなく、ただひたすらと足元の金属の検分を続けていて。

 カシの弟、ケヤが必死になって調べている物。それは薄い金属のような何かである。先程あの少女の連れであった少年が「詫び」と言って置いていった、謎の物体だ。どうやら見た目の薄さに反して重量があるらしく、先程のケヤは持ち上げるのも必死になっていた。あの少年は片手で軽々と持ち上げていたというのに、我が弟ながら情けない話である。……まぁあの少年の正体を考えれば、その評価は少々酷なものなのかもしれないが。


「やっぱり……間違いない」

「……そうだね。まさか老い先短いこの余生で、これを目にする機会が訪れようとは」


 見たことがなかった珍しい白銀の髪を思い返しては、恐らく間違っていないであろうあの少年の正体を考察して目を細めていたカシ。しかしそんなカシの耳に入ってきたのは、息を呑むような弟の呟きだった。吸い寄せられるように再び視線を地面の方へと落とせば、いつのまにか金属の検分には父親であるヒイラまで加わっていて。


「ねぇ、結局それはなんなわけ? アタシが倒してきた魔物ちゃんに、そんな部位を持ってる奴は居なかったと思うけど」


 昔はケヤのように魔物の素材を見極める仕事をしていたヒイラ。そんな父親までが加わって鑑定をしているのなら、地面に落ちているそれは余程貴重な素材なのかもしれない。そう考えたカシは、腕を組んで足元の二人へと問いかけた。自分だけが置いていかれるのが気に食わない、そんな感情を抱えながらも。

 軽く記憶を遡ってみたが、それでもカシが仲間たちとやんちゃをしていた時代にそれに類似する素材を見た覚えはない。近くの森に良く出没する魔物は血熊や青角ウサギといった毛皮を持つ魔物ばかりで、金属で出来た魔物は殆ど居なかったはずだ。魔物は己の生態にあった場所を好み生息する。故に森で暮らす魔物は、動物から進化を遂げたような者ばかりだ。だからこそあの森に、金属製の魔物は居なかったはずなのである。大概金属製の魔物が好むのは、鉱物が点在する洞窟の中や地下深くなのだから。


「……これは恐らく、災厄級の素材だよ」

「……!」


 けれどそこでヒイラが発したその言葉は、全てを覆すような言葉で。災厄級、予想だにしていなかったそれにカシは息を呑む。いいや、息を呑んだのは何もカシだけではなかった。寂しそうに瞳を伏せていたカシの母親であるクスノもまた、災厄級という言葉に大きく目を瞠らせて。


「鋼鉄の羽を持つ殺戮の魔物。今でこそ鋼鉄蝉なんて呼ばれているが、昔は悪夢の銀羽と呼ばれていたあの魔物の素材に違いない」

「……ということは、これが」

「ああ。今、クドラの領地の各地で出没している災厄級たち……きっとこの魔物が、ブローサの街の付近に現れた魔物だったんだろうね」


 災厄級という言葉は、魔物から離れた仕事をしている一般人でも知っている恐ろしい名前だ。それこそ、幼い子供であったとしても。地形を変え、生態系を著しく破壊し、無秩序に殺戮を繰り返す。彼らの厄介なところは何も、その強さだけではない。災厄級と名が付けられる魔物はそれぞれ生態も種族もバラバラであるが、一つだけ共通している点がある。その一つの特徴が、彼らをそう名付けたのだ。

 それは、おぞましいほどの凶暴性を秘めているということ。早い話が、強い魔物などはいくらでもいる。それこそ竜種のような魔物たちこそが、魔物に置いては頂点に立つような存在だろう。しかし彼らは災厄級とは名付けられない。彼らは一定以上の知能を持つ個体が多く、人族……特にミツダツ族と呼ばれる幻獣族と友好な仲を築いているからだ。


「……だからウチは平和だったのね」


 先程まではただの金属の薄板であったそれ。しかし真実を知った今となっては、背に霜が落ちるような気分だとカシは内心でぼやく。認識が変われば、全ての物が違って見えてくる。今となっては地面に完全に無力化されて落ちている金属の羽。けれどそれはもしかすれば、己や己の大切な人を切り裂く凶羽となっていたのかもしれないのだ。

 そうしてそれと同時、確信に至ったもう一つの真実。災厄級の素材が何故ここにあるのか。それを考えられる理由としては一つだ。頭を過ぎったのは、これを落としていった儚げに見える少年の姿。いつだって近くにいる少女を守ろうと、その風貌に似合わぬ鋭い刃のような視線を辺りへと向けていた少年。考えられる線としては、これが一番正しいはずだ。例えその線が、考えたくもない考えられない可能性であったとしても。だってただの子供が、災厄級たる魔物を斃すことなど出来やしない。


 シロと呼ばれていたあの少年はクドラ族の少年で、彼が各地で起きているはずのこの街の災厄級を斃していってくれた。きっとその考えに、間違いはない。


「……クドラ族の人達に、今何が起きているんだろう」


 それに思い至ったのは、ケヤもまた同じだったらしい。不穏な雰囲気を感じ取ったかのように眉を寄せながらも、ケヤは不安そうに呟いた。得体のしれない指名手配、クドラの領地のあちこちに出没している災厄級。そして追われていると言いながらここを去っていった二人の少年少女。全てが繋がっているようで、けれどどこか繋がっていない。わかるのは今、この地が脅かされているというだけ。


「……何が起きていたとしても、きっと大丈夫よ」

「母さん……」


 しかしそこで不安に染まる声を優しく宥めたのは、クスノであった。カシとケヤの視線が桃色の着物を上品に纏った彼女へと集中する。そんな我が子たちを宥めるようにクスノは微笑むと、ゆっくりと空を見上げた。彼方へと消えていった気球を、探すように。

 

「私が生まれてこの七十年、クドラ族の方々が私達を見捨てたことはなかった。きっと、全てのことに理由はあるはずよ」


 あの少女が自分へとくれたものは決して、今身に纏う着物だけではない。得難い言葉を、忘れていた感情を、いつかあの木へと抱いた情熱そのものを、彼女は自分へと取り戻してくれたのだ。出会ったばかりの他人にそこまで尽力できる彼女が、そうしてそんな彼女を必死に守ろうとしていたあの少年が、悪い存在なものか。クスノはそう確信していた。

 そしてそれと同時に、クドラ族のことも。西の地方を治める、王のような存在。彼らは霞のようでめったに姿を見せることはないが、民が困っているときには必ずその手を差し伸べてくれた。幻獣族の中でも飛び抜けていると言われる武力を暴力として使い支配するのではなく、この地に自由と安寧を齎してくれていたのだ。そんな彼らが急に、全てを捨てて変わるだろうか。きっと指名手配にも災厄級のことにも、何か理由はあるはずなのだ。


「……そうだね。私達に出来るのは、自分の成すべきことを成すだけだ」


 クスノの穏やかな微笑みに何を思ったのだろう。一度目を見開いたヒイラは、けれど次の瞬間には同じような笑顔を浮かべていて。自分の成すべきことを成すだけ。不安はあれど、父の言葉にやることは決まったのだろう。不安に染まっていたカシやケヤの表情もまた、次第に引き締まったものへと変わっていった。


「さて、そろそろ冷える時間だ。お客様も居ないし、皆で夕飯にしようか」

「ふふ、そうね」


 そんな息子たちの表情に、もう大丈夫だと思ったのだろう。最後に一度だけ空を見上げたヒイラは、そこでくるりと千年樹の方に背を向けた。そのままクスノの背に手を添えると、エスコートをするかのように宿へと戻ることを促す。クスノはそんな夫の姿に楽しそうな微笑みを零しながらも、一度ゆっくりと頷いた。積もる話はあれど、それは何も外でしなければならないことではないはずだ。


「……やぁね、惚気けちゃって」

「……これ、重……!」

「全く、情けない弟だこと」


 先に去っていった両親の背中を呆れたように、けれども嬉しそうに見送って。そうしてカシはぼやきながらも、金属製の羽を抱えたは良いが動けなくなっている弟の方に駆け寄った。お人好しで妄想癖があり、されども人を許すことが出来る優しい弟。背が伸びて姿がいくら変われど、カシがそんな弟を放っておけない姉であることに変わりはない。……昔は兄、であったのだが。

 二人で金属製の羽を持ち上げる。しかしその重量はカシが想像していたよりも重く、全くとんだ置き土産だとぼやいて。けれど自然とその美しい顔には柔らかな笑みが浮かんでいた。再び桃色の瞳が、夜空の方へ向く。穏やかな灯火を、その瞳に宿しながらも。


「いってらっしゃい、ミコちゃんシロちゃん」


 低く小さな呟きが、今一度夜空に溶けて消えていく。風のように去っていった、二人の少年少女の旅路の無事を祈るかのように。いつかまた、相まみえることを願うように。されど予感は、胸の中にあった。


 きっと自分たちは、また出会うことが出来るだろう。











「……ええ、気配が薄れました」


 ブローサの街の外れ。宵闇の帳が降りきった人気のないその路地に、男が一人。目元まで深く帽子を被った体格の良い男は、独り言を呟いていた。いいや、それは正確には独り言ではない。男の周囲を巡るのは、意思を持ったように動き回る風。それを使って男は、自分の主たるとある人物に声を届けていたのだ。


「どんな仕掛けでしょうか。街の入口は見張っていたのですが」


 淡々と言葉を紡ぐその声に、抑揚はない。ただ帽子によって半分が隠れているその目は、月のような輝きを覗かせていた。瞳から滲むのは闘争心にも似たような衝動。声に感情は乗らないのに、瞳だけは声よりも雄弁に物を語る。申し訳なさ、悔しさ……そして、高揚。見ているものがいれば、悲鳴を上げただろう。それほどまでにその瞳は、凶悪の光で輝いている。


「怪しいのはあの宿ですが……いえ、わかっています。住民に危害を加えることはしません。武の名折れ、でしょう?」

 

 けれどふと、その声に困ったような色が滲んだ。風の先からどんな声が聞こえたのか、男は苦く微笑んでいる。それは止められたことを厭わしく感じているというよりは、仕方ない人だと告げているような音にも聞こえて。

 楽な方法は怪しいと思われるあの宿の人間を捕まえ、暴力によって情報を吐かせること。しかしその行動のどこに誇りがあるだろう。我らが信じる武があるだろう。それにそんな行動は、矛盾の塊でしか無いのだ。守るためとは言え武のない殺戮を起こしてしまった自分たち。されどだからこそ、もうそんな行為を繰り返すわけにはいかない。例え今この身がもう外道に落ちていたとしても、これ以上道を踏み外すわけには行かないのだ。そんなことはもう、痛いくらいに承知している。


「……全ては、この大地を守るため。そんな貴方を支えるために」


 男は小さく呟いた。途端返ってきた返事に、僅かに唇の端を噛み締めながらも。ああ、仕留め甲斐のある獲物を狩るのは嫌いじゃない。この身に流れる血は、まさしく高揚しているだろう。けれどその血が、逆に訴えるのだ。苦しくして苦しくて仕方ないと。きっとそれは男以上に、今話している声の主が一番に感じている。ただそれでも、我々はもう止まるわけには行かないのだ。積み上げた屍の意味を、無にしないため。けれど理性ではそうわかっていても、葛藤は未だ胸にある。


 どこの世界にいつか我らが王となるのだと慈しんできた子供を殺めたい者がいるだろうか、と。

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