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四幻獣の巫女様  作者: 楪 逢月
第二章 虎耳少年と女子高生、旅の始まり
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六十三話「話せない事情」

 その後、私達はケヤさんの自宅で休ませて貰った。家主が正面で仕事をしている中奥でゆっくりとするのはなんだか申し訳なかったのだが、こればかりは致し方ない。まさか隠れているというのに、店番をするわけにもいかないだろう。幸いにして荷物は全部持ってきてあったので、私は財布用の巾着を作る作業に没頭していた。当然、糸くんの力は使わない自力の作業である。

 そんな私の隣でシロ様が何をしていたかと言えば、いつも通りの法符作りだ。話したことはあっただろうか? 法符とはシロ様がちょくちょく小屋で書いていたアレである。なんでも、法術の発動を助けたりするものなんだとか。ノートの切れ端とペンをリュックから取るように強請った後、ひたすら無言で紙に向かっていたシロ様。巾着作りの作業の合間にちらりと覗いて見たところ、紙に描かれていたのはあの小屋で書いていた物よりも精密に見える魔法陣の様な何かで。私は相変わらず、何を書いてるのかわかんないなぁと思ったりしたのだった。


 そうして二人並んで黙々と作業をしていれば、時刻は川のように流れていき。


「ああもう! ほんっと無事で良かったわぁ……!」

「ぐえっ……」


 徐々に空が朱色へと染まり始めた時刻。私は現在、桃色の浴衣の上からでは想像できない程に硬い胸に抱きしめられていた。私を抱きしめているその人、カッシーナさんは私を腕の中に抱き込んでは、心底安堵したかのように溜息を漏らしている。……心配してくれたのはありがたいのだが、現在進行系で圧死しそうであった。

 さて、何故カッシーナさんがここに居るのかと言えば。それは単に、私達を迎えに来てくれたからである。どうやら男の姿を発見し、宿の付近を離れたところまで確認したらしい。もう宿に戻っても問題ないが、万が一鉢合わせたらまずいということでわざわざ迎えに来てくれたのであった。その気遣いは大変ありがたいが、できれば可及的速やかに私を腕の中から解放して欲しい。このままではペラペラ尊ちゃんになってしまう。


「……姉さん、それ以上抱きしめるとミコさんが苦しいから」

「あらやだ、アタシったら」


 そんな中で助け舟を出してくれたのは、苦笑を浮かべながらも私達を見守っていたケヤさんで。ケヤさんの言葉に自分の力加減を自覚してくれたのか、カッシーナさんはごめんなさいという一言と共に私を腕の中から解放してくれた。自由の身、万歳である。ケヤさんが神様に見えてきたところだ。


「っ、はー……」

「本当にごめんなさいね……苦しかったでしょ?」

「い、いえ……もう大丈夫、です」


 カッシーナさんの腕の中から逃れると同時、私はすぐさま胸いっぱいに酸素を取り込む。圧迫されていると碌な呼吸が出来ないということを、私は新しく学んだのであった。自由な呼吸って素晴らしい。

 気遣いのつもりなのか私の背中を擦ってくれているシロ様の手を享受しつつ、私は眉を下げてはこちらを見つめるカッシーナさんに苦く微笑んでおいた。少々苦しかったが、あんなに強く抱きしめるほど心配してくれたのは素直に嬉しい。まさか別世界に来ておきながら、こんな風に自分を心配してくれる存在がシロ様以外に現れるとは思っていなかった。まるで本当の、お姉ちゃんのように。


「そう……ところで、ケヤから話は聞いてるわよね? 変な奴がウチの周りをうろついてたって」

「……はい」

「心当たりは、あるの?」


 しかし一瞬胸に湧き上がった感傷は、真剣な表情と共に落とされた問いかけで呆気なく消えていって。背中を擦るシロ様の手が止まり、その二色の瞳は私を静かに見つめる。どこか信頼が滲んでくれているようなそれを受け止めつつも、私は二回目のカッシーナさんの問いかけに頷きを返した。瞬間、桃色の瞳が細められる。


「……追われる心当たりは、あります。でも、話せません」


 降り注ぐのは先程までの心配をするようなそれではなく、見定めるような圧が込められた視線。けれどそれに気圧されていては駄目なのだと、私は静かに声を張った。逸らすこと無く、ただ桃色を見上げる。突き刺すような緊張感が心を刺して来たとしても、揺らぐこと無く。

 身勝手なことを言っているのはわかっていた。気を遣って貰って、助けてもらって、されどそれでも何も話せないなどと。けれど話せる事情なんてどこにもない。シロ様がクドラ族であることだとか、謀反が起こったとか、この指名手配はその謀反者の仕業だとか、そんな裏の事情を話したところで意味がないのだ。理由がどうであれ、シロ様が現在のクドラの一番の権力者に指名手配をされていることに変わりはないから。


 決して、話をすることでカッシーナさんたちがシロ様をビャクの方へと突き出すと疑っているわけではない。きっと事情を全て話せば、優しいこの人達は一緒に背負って私達を逃してくれるだろう。シロ様の身に起きた最悪の悲劇に胸を痛め、ビャクのしたことに怒りを覚え、そうして私達の味方をしてくれるはずだ。

 でも、それは世間的に見ればどうなるのだろう。きっと世の中には事情を話したところで、指名手配犯であるシロ様を信じてくれない人はいくらでも居る。そういう人達から見れば、カッシーナさんたちは犯罪者になるのだ。シロ様を指名手配犯と知りながらも、逃した。そんな、共犯者に見えてしまう。


「どうしても、話せないんです。ごめんなさい」

「……そう」


 だから、二人は何も知らない方が良い。知らないなら、騙された被害者として居られるから。苦く笑って見上げれば、桃色の瞳は複雑そうな色を秘めて揺らいだ。一瞬だけカッシーナさんの薄い唇が物言いたげに開かれて、けれど何も言えないままに閉じていく。巻き込みたくない。私のそんな意図を察してくれているのは、その動きで伝わってきた。後ろに佇むケヤさんも、どこか似たような表情を浮かべていて。


「これ以上皆さんを巻き込みたくないので、明日街を出ます。……ね、シロ様」

「……ああ」


 けれどそんな彼らの表情に言及することなく、私はそのまま言葉を続けた。これはケヤさんの家で過ごしている間に決めていたことだ。今夜だけは宿でお世話になって、翌日に出ていく。元々この街にいる時間も三日程度と決めていたわけだし、妥当なところだろう。本当ならば今夜出ていくべきなのかもしれないが、夜は魔物やら視界関係やらで不安要素が多い。明日の早朝に出るのが妥当というのが、私とシロ様の出した結論であった。

 姉弟でないことはもう薄々と察せられているだろう。故に二人の前でも躊躇なくシロ様と呼び、隣の少年へと笑いかける。そうすれば特に意見はないのか、シロ様は無表情のままに頷いた。今回はケヤさんの時のように暴れ出さなかった辺り、少しは私を頼ろうと思い始めてくれているのかもしれない。そう考えれば、嬉しいような。


「……いいえ、駄目よ!」

「えっ」


 だがそこでほんわかとした気持ちは吹き飛んでいく。轟くような重低音のその声に、私の口からは間の抜けた呟きが落ちていって。僅かに見開かれたシロ様の瞳が、その視線が、正面へと動いていく。それに釣られるように私も視線を動かせば、そこには眉を釣り上げてこちらを見つめるカッシーナさんの姿があった。


「ミコちゃんシロちゃんの事情はわかったわ! 何も話せないんでしょう?」

「は、はい……」

「でもそれがアタシが放っておく理由にはならないの!!」


 腕を組んでこちらを見下ろす美女?は、その表情のせいかいつもよりも威圧感に満ち溢れていて。それにごくりと生唾を飲み込みつつ、私は気圧されるがままに頷いた。言っていることに間違いはない。何も話せない、とどのつまりそれが私達の事情なのだから。けれどカッシーナさんは、でもと続けた。その背後ではまるで援護するかのようにケヤさんが頷いている。今から一体何が始まるのだろう。私達は目を点にしたまま、突如として始まったカッシーナ・オン・ステージを見守っていた。


「いい? アタシたちは何も知らないわ。二人の事情なんてこれっぽっちもね! でも二人がいい子なのも、アタシたちを気にして街から出ていこうとするのも、なんとなく察してたのよ!」

「は、はぁ……」

「だから、足を用意したわ!」


 何かは察しているであろうに、それでも知らないと嘯く。その声の勢いと表情を見るに、嘯くというよりは全力で誤魔化しに行っているという方が近い気がしたが。

 先程までの切ない雰囲気などなかったかのように、カッシーナさんは声を張りながらもポーズを作った。片手を大きく広げ右目を覆うようにして、両足を大きく広げる。どこか見覚えがあると思えば、あれだ。中学生の頃に男子がよく教室でやっていたポーズに似ている。まさか別世界に来てまでそれを拝むことになるとは、思っていなかったのだが。


「二人の華々しい出立は今夜、桃花の宿からよ!!」


 そうしてそのポーズのまま、カッシーナさんは声高らかに叫ぶ。後ろのケヤさんはサウンド担当なのか、盛り上げるかのように拍手をしていて。いや、別に華々しくなくていいというか、華々しいと困るのだが。恐らく、そうツッコミたかったのは私だけではない。なんせ隣にいるシロ様の表情も、何やってんだこいつと言わんばかりの半目になっていたので。

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