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四幻獣の巫女様  作者: 楪 逢月
第二章 虎耳少年と女子高生、旅の始まり
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五十八話「千年樹を纏う君」

 説明しよう、一人が……なんたらかんたら桃色おしどり夫婦大作戦とは! 桃色の着物を着ることに躊躇いを覚えてしまったクスノさんのために、ヒイラさんが自ら桃色の着物を着てクスノさんを説得する画期的な作戦である!


「……画期的か?」

「……うーん」


 首を傾げたシロ様に、なんとも言い難い複雑な笑みを返す。そうすれば呆れたような顔をした少年は、溜息と共に肩を竦めた。その動きに合わせるようにして揺れた銀の髪が、空に浮かんだ夕の日に焼かれる。現在時刻は十七時程。場所は千年樹が聳え立つ桃花の宿の裏庭の、隠れるに適した茂みだ。


 さて、何故私達がこの様な場所に居るのかと言えば、話は少し前へと巻き戻る。カッシーナさんが高らかに作戦名を言い放ったあの後、私は取り敢えず作戦の概要について尋ねた。それに対して返ってきたのが先程も述べた通り、ヒイラさんが桃色の着物を着てクスノさんを説得するというアレである。これに関しては二人が言っていた通り、何ヶ月も前から考えついていた作戦であったらしい。

 ならば何故それを彼らが実行に移さなかったのかと言えば、それは決定打に欠けるという理由からだった。どれだけ仲が良くても、いいや寧ろ仲が良いからこそなのかもしれない。人間、どうしても身内に対しては欲目が出てしまうしものだし、幼子でもない当人にはそれがわかってしまうだろう。どれだけ誠実に説得したとしても、それでクスノさんが再び桃色を着られるようになっても、それでもどこかには影が残ってしまう。それがカッシーナさんとヒイラさんの考えであった。


『そこで、ミコちゃんなのよ!』


 だが、今の状況は違う。身内でも長い付き合いの友人でもない、言ってしまえば出会ったばかりの他人という関係性の私達がここに居るのだ。あの時カッシーナさんが私にクスノさんの話をしたのは、これが狙いでもあったらしい。如何にも人の良さそうな女の子なら、こんな話をすれば説得に付き合ってくれるかもしれないと。流石に着物を渡されるのは想像していなかったらしいが。


「……画期的かはわからないけど、愛は伝わってくるよね」


 一度カッシーナさんに渡した着物、それは今私の手の中にある。それは説得を終えた後に、私自らの手と言葉でクスノさんにこれを渡してほしいと言われたからこそ。つまり何故私達が今茂みに隠れているのかと言えば、待機中だからと言うわけだ。最良のタイミングを図り、これをクスノさんへと渡すために。

 私は一度若草色の風呂敷に視線を落として、しかし呟きを零すと同時に再び顔を上げた。視線を上へと戻せば、私達の視界の中心には千年樹が聳え立つ。千年樹の太い幹、今その前には桃色の着物に身を包んだヒイラさんが立っていた。桃色といっても派手な色合いではなく、淡くも影を掛けたかのような落ち着いた色合いの着物。彼が堂々と背を伸ばしているからか、その着物は穏やかな老紳士といった風貌の彼によく似合っていて。


「……そうかもしれないな」

「ふふ」


 そんな姿を見ていると、格好いいなという感情が胸を突く。年配の男性には桃色を着ることに躊躇いを覚える人も多いだろう。どちらかと言えば女性らしく、可愛らしい色だからと。けれど私の視線の先に立っているヒイラさんに、その種の照れは一切ない。ただ泰然自若と、背を伸ばしてクスノさんを待つだけ。彼がそう出来るのは、奥さんであるクスノさんを心から愛しているからこそ。

 一瞬間を置きつつも、結局は私の言葉に同意してくれたシロ様。それに思わず笑みを零せば、シロ様はふいと視線を逸して。こういうところは子供らしいなぁなんて考えつつ、しかしそこで聞こえてきた足音に私は息を詰まらせた。視線を戻したシロ様のその瞳に、真剣な色が浮かぶ。ああ、来たのだ。私はなるべく静かに出来るようにと、片手で口を抑えた。もう片方の手ではしっかりと着物の入った風呂敷を抱えつつ。


「父さん、母さんを連れてきたわよ!」

「ああ、お疲れ様」

「……! あな、た」


 まず聞こえてきたのはもう大分聞き慣れた重低音。クスノさんを伴う形で現れたカッシーナさんは、胸を張ると得意げに言い放つ。そんな娘?をどこか困ったような笑顔でヒイラさんが労れば、そこで彼の姿を認識したらしいクスノさんが息を呑んで。ここからだと、壇上の外で私は生唾を飲み込む。緊張感からか、胸の鼓動は徐々に逸っていった。


「……どうかな、似合っているだろうか」

「…………」


 声もなくカッシーナさんが一歩、二歩と足を引いていく。やがて彼女?が少し距離を取り、千年樹の真下に立つのがヒイラさんとクスノさんの二人だけになったところで、ヒイラさんは口を開いた。柔らかな笑みと共に腕を広げ、幼い子供のように暗い桃色の袖を揺らす。けれどその問いかけにクスノさんは何も返さず、黙りこくったままで。

 返答がなかったことに、困ったように眉を下げたヒイラさん。そんな彼の表情を見てか、クスノさんの視線は徐々に徐々にと俯いていく。まるで、目の前の光景から逃げるかのように。見えない何かと言う存在に怯える、小さな子供のように。


 夕焼けに焼かれた千年樹のその花びらが、舞っている。ヒイラさんとクスノさんの間を埋める沈黙に、大丈夫?と問いかけるように。相対する桃色とすみれ色は決して遠くはないのに、何故か二人の一歩分の距離がどうしようもなく遠く見えて。


「……それともこんな年の男がこんな色を纏って、みっともないと思うかな」

「っ、そんなわけ……!」


 けれど一つの言葉が、二人の距離を一気に埋めた。寂しそうな声を零したヒイラさん。その声を聞いた瞬間、俯きつつあったクスノさんは勢い良くその顔を上げた。遠くで見ている私にだって、その表情は見える。酷く必死な表情を浮かべながらも、クスノさんは首を振った。そうして首を振った後に、何かに気づいたように目を開く。カッシーナさんと同じ桃色の瞳の中で、散った花びらが舞った。


「……少しは、私達の気持ちが君にも伝わっただろうか」

「……あ」

「世辞でも慰めでもなく、心のそこから桃色を纏う君を美しいと思っていたんだよ」


 千年樹の花びらが散っては舞って、地面へと降り積もる。積もっていくそれが、何故か私にはヒイラさんの言葉を可視化しているようにも思えた。何度も何度も考えては考え抜いた言葉を、少しずつクスノさんの心へと降り積もらせていく。酷い言葉で乾かされた地面を、誠実の色に染まった花びらが飾っていく。

 きっと今、クスノさんは気づいた。みっともないと思うか、そう問いかけたヒイラさんに心の奥底から違うと否定したからこそ。いつか自分に掛けられた労るような慰めるようなそんな言葉たちが、全て本心だったと気づいたのだ。確かにそこには身内の欲目だとか贔屓だとかがあったのかもしれない。けれどそれは全て、彼らにとって偽りようのない真実だったのだと。


「私は、千年樹を愛している。そして同じくこの木を愛してくれた君のことも、深く」

「……ヒイラさん、」

「こうして自分がこの色を纏うのは初めての体験だったけれど……悪くない。寧ろ心地良いと思うよ」


 君はこんな風に思っていたのかと、どこか感慨深く呟いたヒイラさん。その言葉にか、クスノさんの眉が泣きそうに寄った。しゃんと伸びていたすみれ色のその背が、けれど今は僅かに崩れている。唇を噛み締めて俯いたその姿は、いっそのこと迷子の子供のようにも見えて。

 きっと、どうしていいかわからないのだ。凛とした美しい老婦人は、けれど今葛藤の中にある。愛し愛された人の言葉に寄り添いたくとも、自分の存在が愛した存在の足を引っ張るのではないかと迷っているのだ。駆け寄りたいその足を、しかし呪いの様な言葉が押し止める。今その背を押すべきかと手の中の荷物と共に飛び出しそうになって、けれどその瞬間に私の腕は掴まれた。はっとして視線を向ければ、二色の瞳はこちらを刺すように見つめていて。


 まだだと、二つの色の瞳を持つ少年はそう告げていた。


「……だから、君がどうしたいのかを聞きたい」

「え……?」


 真摯な色を帯びた問いかけに、戸惑いに揺れた声が返る。慌てて視線を千年樹の方へと戻せば、そこには真剣な表情でクスノさんを見つめるヒイラさんが居た。舞った花びらが、その肩に一枚と降り立つ。それを二本の指で摘みながらも、ヒイラさんは微笑んだ。けれどその緑の瞳に宿った真剣な色は、変わらないまま。


「もし君が自分の意思でもうこの色を着ないと決めたのなら、それでいいと思う。桃色が好きでも、必ずしもそれを着なければいけないわけではないのだから」

「…………」

「……けれどそれが自分の意思じゃなく、誰かによって曲げられたもので。もし君がまた、あの色を纏いたいと思っているのなら」


 徐々に夕の日が沈んでいく。赤焼けていた花びらが徐々に元の色へと戻っていくのを見下ろしながらも、ヒイラさんは言葉を紡いだ。言っていることは先程聞いたことと何も変わらない。クスノさんの選択で決めてほしいと、ただそれだけの言葉。けれどそれは目の前に立つ人が変わったからか、それとも場所が変わったからか、心へと深く響き渡るような言葉へと変わっていって。


「私は、もう一度千年樹を纏う君を見たい」

「っ……!」


 そうして柔らかい微笑みと共にヒイラさんがそう告げた瞬間、桃色の瞳は揺れた。透明な膜が決壊して、皺の寄った頬を涙の筋が伝っていく。その涙をヒイラさんが優しく拭っては、困ったように笑う。そんな二人を慰めるかのように、千年樹は花びらを降らせて。

 花びらの中で気持ちを通わせる二人。私はそれを心底美しい光景だと思った。気持ちが通い、花びらが積り切る。幾つになっても少年と少女のようにお互いに恋をしては、その存在を愛する。出来得るならばすみれ色と桃色ではなく、桃色と桃色と言う形で寄り添って欲しい。そう思った瞬間に、握られていた腕は解かれて。


「……あの!」

「っ!?」


 それが行けの合図だと、そう理解するよりも早くに茂みから飛び出す。当然他に人が居るだなんて露とも思っていなかったクスノさんは、私の声に驚いたように振り返って。けれどそれこそが好都合だと、私は抱えた若草色の包を彼女へと差し出した。ぱちりと、またその瞳が見開かれる。


「っこれを、着てほしくて!!」

「え……?」


 きょとんしたその表情に怯みそうになったものの、だがここで引いては女が廃るというものである。伸ばした手を引っ込めること無く、頭を下げて差し出したままに。瞬間訪れたなんだか気まずい沈黙に、やってしまっただろうかなんて不安になりつつも。

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