五十七話「桃色おしどり夫婦作戦」
「っはぁ……はぁ……!」
「……大丈夫か?」
「う、ん……」
そうして猛ダッシュで駆け抜けていった先、カッシーナさんが足を止めたのは大きな鉄製の扉の前で。一切息切れする姿を見せないまま、「ちょっと待ってて頂戴」という言葉と共に麗人は扉の中へと入っていった。私と言えばその言葉に返事を返すことすらままならず、膝に手を付いて酸素を取り入れるのが精一杯で。
いつかシロ様にダッシュされた時よりも息切れがやばい。ついでに言えば心臓もえげつないほどに痛く苦しい。浅い呼吸を必死に繰り返す中、降ってきた労りの声がぼろぼろの体に染みた。あれでもシロ様は手加減をしてくれたのだなぁと、それを実感したのである。先程は同類として扱ってごめんねと、そう謝りたいくらいだ。
「……ふぅ、大分落ち着いたかも」
吸って吐いてを何度も繰り返して、脳内にも酸素が行き渡るように深く呼吸をして。それを繰り返す内、やがて早鐘のように鳴り響いていた心臓は正常へと落ち着いていった。最後に深呼吸をして、膝をくの字に曲げていた態勢から元に戻る。瞬間、こちらを案じるかのように見つめる瞳と目が合った。
「お前はもう少し体力を付けたほうがいいな。今後が不安だ」
「う、ご尤もなことを仰る……」
しかし案じるは案じるであっても、それは私の身に対してではなくこれからに対してであったらしい。きゅっと寄せられた眉を見下ろすと同時、私の顔に浮かんだのは申し訳無さが滲んだ苦笑いで。確かにこれから旅を続けるならば、危険な状況に陥ることは多々あるだろう。この世界には魔物という物騒な存在が居るわけであるし。
そんな時戦えない私が取れる選択といえば、逃げるという一択だけだ。そのためにも足の速さや、体力というのものを鍛えておかなければ。戦闘面に置いてシロ様の負担にならないためにも。……そうだ、負担を軽減すると言えば。
「はっ……! 糸でさ、びょいーんってできないかな」
「……慣れない内は転んで顔を擦るのが関の山だろうな」
「……うーん、要練習かも」
逃げ方を模索してみる中、ふと降ってきた思考。そういえば私には糸君が居るのだから、それを頼ればいいのではないか。そうして思いついた名案をそのまま言葉にすれば、しかしシロ様には言外にやめておけと言われてしまった。だがシロ様の言ったことが容易に想像できてしまう辺り、その言葉は的外れというわけではなく。某映画のヒーローのように糸を使ってぴょんぴょんとするのは、運動神経が平均以下の私には無理な話だろうか。大変悔しい。
「それじゃあ、」
「お待たせ! 話は付いたから、早速作戦会議第二弾と行くわよ!」
「あ、おかえりなさ……い?」
それならばシロ様には何かいい案があるのかと、そう聞いてみようとした矢先。けれどその瞬間勢い良く開いた扉によって、私の言葉は途中で切れてしまった。どうやらカッシーナさんの用事が済んだらしい。満足気な表情を浮かべて出てきた彼女?に、おかえりなさいとそんな言葉を掛けようとして。しかし私はカッシーナさんに続くようにして出てきた人影に、思わず首を傾げてしまう。
続くように出てきたその人は真っ白な調理服に身を包んだ、六十代くらいに見える男性。穏やかそうな風貌には、どことなく見覚えがあった。言葉で例えるなら、人が良さそうな老紳士というのが一番近いかもしれない。厨房から出てきたところを見るに、この旅館の板前さんなのだろうか。それを問いかけようとして。
「これ、ウチの父さん。母さんにこの着物を着せるんなら、欠かせない人材なのよね」
「えっ!?」
「ははは……初めまして、お若いお客様方。ヒイラと申します」
「は、初めまして……!」
だが続けられたカッシーナさんの言葉に、私は思わず驚きの声を上げてしまう。カッシーナさんのお父さん、つまりこの人はクスノさんの旦那さんということ。そう言われれば男性、ヒイラさんはあの人によく似ていた。魔物の素材屋の店主である、ケヤさんと。
私が声を上げたことに気を悪くした素振りを見せることもなく、鷹揚な微笑みと共に帽子を取ってお辞儀をしてくれたヒイラさん。どうやらクスノさんと同じく、穏やかな人柄の人物らしい。しかしいくら従業員と客の関係とは言え、年長者に頭を下げられて横柄に構えているわけにもいかないだろう。挨拶を返すと同時、慌てながらも私は頭を下げた。そうすれば私に習うように、隣のシロ様も頭を下げて。
「えっと、ミコ……です。こっちは、」
「……シロ、と呼ばれています」
「これはご丁寧にどうも。仲がいいご姉弟ですな」
取り敢えず自己紹介をと、どことなく落ち着かない心地のまま名乗る。私のおじいちゃんはどちらかと言えば元気で頑固という典型的な昭和気質だったので、ヒイラさんのようなおじいさんは何だか新鮮だ。今もシロ様が私の隣にぴったりとくっついてるのを見て、微笑ましそうに瞳を細めているし。ロマンスグレーと、そう呼んで憧れる人の気持ちが少しわかる。
「いい子たちでしょ? 着物を仕立ててくれたのはこっちのミコちゃんよ」
「ああ、そうだね。お前達が同じくらいの年頃の時は、こんなに礼儀正しかったかなぁ……」
「ちょっと父さん! ミコちゃんたちの前で昔の話はやめてよね!」
ぷんすこと、そんな擬音が浮かぶかのように怒ってみせるカッシーナさん。そんな娘?を見ては、ヒイラさんは穏やかに微笑んでいて。カッシーナさんはどちらかと言えばクスノさんのことばかりを話しているイメージがあるが、どうやら父であるヒイラさんとも仲が良いらしい。恐らく全体的に家族仲が良いのだろう。大変素晴らしいことである。
それにしても、カッシーナさんの昔の話はちょっと気になるような。というかカッシーナさんは一体今幾つなのだろうか。ぱっと見二十代中盤くらいに見えるのだが、それだとクスノさんやヒイラさんの年齢と採算が合わない気がする。……いや、女性?の年齢のことを考えるのは失礼だろう。何歳だろうと、カッシーナさんが美人なことに変わりはないわけであるし。
「……こほん。アタシのことはともかく、作戦会議を続けるわよ」
「あ、そう言えばさっきも言ってた作戦会議って……?」
話が主軸からぶれているのを感じたのか、咳払いと共に軌道修正をしたカッシーナさん。もしかしたらそれは、過去の話に触れてほしくなかっただけなのかもしれないけれど。しかし話が逸れていたのは確かであったので、ひとまず私も同じ流れに乗ることにした。そうすれば今度はカッシーナさんではなくヒイラさんが口を開き、眉を下げながらもこんなことを告げる。
「……実は私達も、以前からどうすればクスノが再び好きな服装を着られるのかと考えていまして」
「……そう、ですよね」
「流石にねぇ。自分で着なくなったならともかく、誰かに馬鹿にされてって切欠は違うじゃない?」
成程。どうやら私達が訪れるよりも以前から、二人はクスノさんがもう一度桃色を自由に着られるようにと試みていたらしい。考えてみれば当然だろう。これほど仲が良い家族なのだから、誰かが傷つき思い悩んでいるなら手を貸したいと思うのが普通だ。
例えば自分で選んで着なくなったのなら、それはそれでいいのだろう。誰かに強いられて我慢しているのではなく、自ら考えて選んだことならば周りが口を出す必要はない。けれど今回の件は周りが余計に口を出して、クスノさんの扉の中に閉じ込めたのだ。それならばその閉じた扉を、周りが手を貸して開こうとするのは間違ったことではないはず。知り合って日が浅い私ならばともかく、家族の二人ならばお節介というわけでもないだろうし。
「だから、アタシたちが考えてた作戦にミコちゃんがくれた着物を組み込もうと思って!」
「組み込む?」
二人が前々から何かを考えていたのなら、やっぱり着物を渡したのは余計なお世話だっただろうか。またそんなことを考えて、しかしそこで聞こえてきた言葉に私は目を丸くした。私の着物を作戦に組み込む、とは。隣を見下ろせば、シロ様もまたカッシーナさんの言葉に訝しげな表情を浮かべている。どうやら私一人が置いていかれているわけではなさそうだと、無意識の内に安堵して。
「ええ……名付けて!」
「な、名付けて?」
ちらりと視線をずらしてみれば、心做しかヒイラさんも苦笑を浮かべているような。けれどそんな周囲の困惑をものともせずに、カッシーナさんは声高く叫んだ。いや、名付けを聞くよりも先に作戦の概要を知りたいのだが。けれどノリに乗っている今の彼女?を見るに、そんなことを言ったところで無駄なのだろう。諦めた私は、恐る恐ると促してみた。そうすればカッシーナさんは、自信たっぷりの笑顔で親指を立てて。
「『一人が怖いなら二人で!? 桃色おしどり夫婦作戦!』よ!」
「…………」
そう、言い放ったのである。




