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四幻獣の巫女様  作者: 楪 逢月
第二章 虎耳少年と女子高生、旅の始まり
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五十話「重なる影と一つの傷」

「成程……朝夜石の加工ってとっても難しいんですね……」

「ええ。でも朝から夕にかけては桃色に、夜から朝にかけては青色に。そのどっちもがとっても綺麗なのよ」


 とても高値になるのだけど、腕輪に加工する人も居るのよ。そう穏やかに微笑んだ老婦人、クスノさんに私は相槌を返した。改めて花のような形に加工されたそれに目をやる。確かに精巧にカットされた宝石に見えるが、まさかこの石がこれ一つで家を建てれるほどの値段だなんて。説明を受けたときは、誰がそんな事を思うのかと思ったものだ。道理でシロ様が下手に触るなよと言う筈である。


 ロビーで老婦人と鉢合わせた十数分後。何故か私達はこうして彼女に、館内を案内して貰うこととなっていた。何をしているのかと尋ねられ、小物に興味があったと告げたのが敗因だったのだろうか。次の瞬間には瞳を輝かせた可愛らしい彼女によって、あれやこれやという内に様々な小物を説明して貰うことになったのだ。その強引さはあの兄弟に通じるものがあると、そう思ったものである。

 彼女の名前、というか端名はクスノ。この旅館の女将らしく、魔物の素材屋の店主であるケヤさんとカッシーナさんのお母さんだ。そうして今ではこの旅館のインテリアの殆どを管理している、所謂コーディネーターみたいな役割を熟しているらしい。そういう意味では旅館の案内役として、彼女以上の適任は居ないだろう。


「あの瓶は昔硝子職人さんに作ってもらった特注品でね。飾っているお花は、千年樹から落ちた花びらから私が作ったのよ」

「小物作りもされるんですか?」

「ちょっとした趣味なの」


 ふふふと上品に笑うクスノさん。だがそのクオリティはちょっとした、というレベルでは無いと思う。何せ硝子瓶の中で咲き誇るお花は、最初からそうあったかのように不自然無く花弁を開いているのだ。これが花びらを集めて作った品だなんて、そう聞かなければわからないほどである。


「……あ、じゃああちらのくまさんが付けてるリボンのお花も?」

「ええ! あの子は知人からのプレゼントで、リボンを作ったのは私よ」

「すっごく可愛いです!」


 心からの言葉を告げると、クスノさんは心底嬉しそうに笑った。だが自慢に思いたくなる気持ちも、同じく小物作りが趣味の私にはわかる。可愛らしくほんのり桜色に染まるテディベア。その首元を飾る薔薇色のリボンと桜に似せた飾りは、テディベアのために誂えた一品と言っても過言ではなかった。たかだかリボンと侮るなかれ、どんな些細なものでも小物には作り手の命が込められるものである。

 ……とはいえ、私は彼女と違ってまだまだ未熟な身。心から満足できる作品を作ったことなんて、まだないのだけれど。シロ様の浴衣はそれに近いが、あれは私ではなく糸君が作ったものだからノーカウントだ。


「…………」

「シロ、くん。大丈夫?」

「……ああ」


 しかしそこではたと思い出して、先程から私の隣から動こうとしないシロ様を見下ろす。慣れない呼び名に突っかかりつつも彼の名前を呼べば、一応端的な返事は返ってきたが……。やはり退屈なのだろうか。クスノさんが来てからというものの、めっきりと口を閉ざしてしまっているわけだし。

 見下ろした少年の顔は、不満を示すようなそれではない。だがどこか心あらずと、そういう風に見えるのは私の気の所為だろうか。その薄らぼんやりとした瞳が時折クスノさんを掠めるような気がするのも、また。


「大丈夫? 弟さん、具合が悪いのかしら?」

「あ、いえ! ちょっと疲れただけみたいです!」

「あらそうなの……付き合わせるのも悪いし、これくらいにしておきましょうか」


 私達の会話に不安になったのか、心配そうな表情を浮かべて問いかけてきたクスノさん。それに慌てて首を振れば、少し残念そうにしながらもクスノさんは微笑んでくれる。それにどこか懐かしむような感情が芽生えて、けれど私はそれを振り切った。そうしてそのままクスノさんの言葉に頷く。確かにそろそろお風呂の時間も近づいてきたことだし、頃合いだろう。働いているであろう彼女ををこうして長時間拘束するのも良くないし。


「あの、ありがとうございました! 小物、どれも素敵で……あ、そういえば」

「ええ、どうしたの?」

「クスノさんはピンク、じゃなくて桃色が好きなんですか?」


 礼を告げて、けれどそこで浮かび上がった疑問を私は素直に口にした。桃花の宿、その名前に合わせてかこの旅館を飾るのは桃色の物が多い。恐らく千年樹に肖ってのものなのだろうが、しかしここまで桃色の小物が揃っているのなら、きっと集めた人の趣味も反映されているはずだ。そうでなければここまで愛情深く、全ての小物の説明をすることは出来ないだろう。

 それはそんな、いっそのこと尊敬を込めた問いかけだった。他者に委ねた物でも、自分で作った物でも、その全てに愛を掛けられる彼女に向けての。きっと可愛らしい笑顔の頷きが返ってくると考えて。けれどそこで私に返されたのは、どこか自嘲めいた笑みと呟きだった。


「……ええ。私みたいなおばあちゃんじゃ、もう似合わないけど」

「え……?」

「あら、ごめんなさい。なんでもないのよ」


 寂しげに聞こえたそれに、思わず困惑の声が零れる。だが私の呆然とした顔に何を思ったのか、慌てて首を振るとクスノさんは一礼と共に去って行ってしまって。すみれ色の着物に身を包んだ背中が、徐々に小さくなっていく。その姿はやっぱり寂しそうに、そうして悲しそうに見えた。


「……シロ様」

「……なんだ」

「私、何か悪いこと言っちゃったのかな」


 クスノさんの背中が見えなくなって、口から零れた一言。私は彼女を何か傷つけてしまったのかもしれないと、視線を俯かせる。そんなつもりじゃなかったのに、きっと今の言葉は彼女のことを傷つけたのだ。そうすれば先程までどこか迷子のように見えた白黒の瞳は、こちらを見上げる形で私をはっきりと映して。伸ばされた華奢な手が、そっと私の手を握る。元気を出せと、そう言わんばかりに。


「彼女の事情だろう。お前に否はなかった、と我は思う」

「……うん」


 その手は相変わらず私よりも温かくて、そして私よりも少しだけ小さかった。この手で剣を握っているんだよなと、一瞬そんなことを考えて。けれど今頭を埋めるのは、私の問いかけに寂しそうな自嘲めいた笑顔を浮かべたクスノさんのことだ。

 うんとは言ったが、傷つけてしまったという罪悪感は完全には拭えない。クスノさんはそれを問いかける少し前までは慎ましやかに、されど美しく咲く花の如く微笑んでいたのだ。なのに私のふとした問いかけが、それに罅を入れてしまった。余計なことを言わなければ良かっただろうか、後悔は胸を暗く満たしていく。余計なことを言わなければ、彼女と影のない笑みで笑い合って別れられたのだろうか。


「……彼女は少し、我の祖母に似ていた」

「……え?」

「お前も、何か思うところがあったのか?」


 しかしそこでふと聞こえてきたシロ様の言葉に、私は目を見開いた。慌てて視線を合わせれば、凪いだ二色の瞳がこちらを穏やかに見つめている。その瞳を見た瞬間に、私は気づいた。シロ様が時折薄らぼんやりとクスノさんを見ていたのは、それが理由だったのだ。きっと私と同じように、彼女に誰かの影を重ねていたのだろう。喪ってしまった、大切な存在を。


「……うん、おばあちゃんに雰囲気が。少しだけ」

「そうか」

「だから、痛いのかなぁ」


 そう思えば、言葉はするりと引き出されていった。クスノさんは私の祖母に、おばあちゃんに良く似ている。嫋やかに笑うところも、小物を作るのが好きなところも、いつだって背筋を伸ばすところも。だからこそ彼女を傷つけてしまったことに、私も傷ついているのかもしれない。笑顔が見たかっただけなのに、と。

 でも、彼女は私のおばあちゃんではない。話していれば重なる部分が見つかることもあった。けれどそれと同時、異なる部分だって見えてきたのである。同じ人だと思ってはいけない。おばあちゃんを傷つけたと思うのではなく、彼女自身を傷つけてしまったと考えなければ。そうして誠実に、クスノさん自身に謝らなければ。


「……お風呂行こうか、シロ様」

「ああ。流石に離れることになるが、気をつけろよ」

「うん、了解」


 至った思考に頷くと、私は繋いだ手を離してシロ様へと静かに告げる。何かあれば我の名前を呼べというシロ様に、それはなんか嫌だなぁと笑って。流石に年下と言えど、男の子に裸を見られるのは抵抗がある。そう告げればシロ様は渋い顔をしたが、こればかりは譲れないのだ。多分シロ様としても、私を守るという点は譲れないのだろうけど。

 とりあえず、お風呂に入ろう。そうして折をみてクスノさんに話しかけて、傷つけてしまったことを謝罪しよう。浴場の方へと歩いていくシロ様に付いていきながら、私はそんなことを考えた。いつか私を「尊ちゃん」とそう呼んでくれた、懐かしい影が過ぎったことに瞳を細めながらも。

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