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四幻獣の巫女様  作者: 楪 逢月
第十三章 白き炎を黒き瞳に
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五百十五話「喪失の動揺」

 突然だが、大切な人から……本当に本当に大切な、自分の半身とも呼べる存在から忘れられた時。そういう時、忘れられた側は相手にどう出るべきなのだろう。悲しむべき? 怒るべき? それとも相手を慮って、溢れ出そうになった感情全てを飲み込むべき?

 記憶の喪失。それはある種死と似たようなものなのかもしれない。今まで積み重ねてきたものと繋がった絆が絶たれて、その先に立っていたその人は無かったことになってしまうのだから。出会う前まで記憶が遡ってしまったなら尚更。出会ってからの全てを忘れてしまったその人は、私が知っているその人とは呼べないのかもしれなくて。


「お前は、誰だ」


 誰もが息を飲んで、凍りついた。冷たくてぞっとするような空気感の中で、少年が問いかける。研ぎ澄まされた警戒と、煮詰められた不信をこちらに向けて。初めて見る顔だった。出会った時にだって見なかったような、敵意がこちらを突き刺すような。

 だけどそこに戸惑いが、絞り出したような声に一抹の震えが。硬い表情の奥底に途方に暮れたような色を見つけてしまっては、過ぎった悲しみも苦しみも絶望も全て掻き消えてしまって。ただなんとなく、こんな時にも強がってみせる彼のことをシロ様だと思った。私のことを忘れても、彼は彼でしかないのだと納得した。


 それつまり、私が向ける信頼に変わりはないということ。


「……初めまして」

「っ、お姉さ、」

「しー……大丈夫だよ、こっくん」


 動揺を静かに飲み干した。今一番怖いのは誰かって、そんなの起きたら知らない人に囲まれていた彼……今目の前でこちらを睨みつけているシロ様に決まっている。それなら私のすることはなんだ? ずっと目の前のこの子に助けられて、守られてきた私がするべきことはなんだ? そんなの一つしかない。

 私の一言に戸惑ったような視線を向けてきたこっくんに、口の前で人差し指を立てる。相変わらずこちらを見つめる黒い瞳には困惑が浮かんでいたが、それでも私に任せてくれることにしたらしい。言葉を飲み込んだ様子のこっくんに「任せて」と微笑みを一つ、シロ様の方へと顔を戻した私はゆっくりと瞳を伏せた。……私のことを覚えてないシロ様。それはつまり、今の彼はあの日里に起きた惨劇のことも知らない可能性がある?


「私は、君にミコって呼ばれてた……君の友達?かな」

「……ミコ」

「そう、覚えがあると嬉しいんだけど……無いみたいだね」


 いずれにせよ、慎重に出なければ。そう思った私は名前を交換したことか、瞳のこととか。そういうちょっと枠外に外れた関係に関しては何も言及せず、当たり障りの無い程度に関係を口にした。瞬間浮かんだ怪訝そうな表情を見るに、私のことはやっぱりさっぱり覚えていないようである。しかし、そうだとして。


「……多分君は、私を助けるために記憶を失ったんだ。そして今、本来は抱える必要のない不安を抱えることになってる」

「…………」

「でも心配しないで。私が傍に居る。嫌って言われても、君が私の傍に居てくれた分だけ傍に居る」


 シロ様が私のことを、私達のことを思い出さないはずがないのだから。そう思えば揺れる心はしっかりと定まってくれた。記憶の喪失は死と似ている。けれど決して同じでは無い。たとえシロ様の方で私と積み上げてきたものが消えて、私への信頼を失っても。私の方がそれを失う道理はない。だから私が今のシロ様を支える。だって恐らく、こんな事態を招いたのは私が原因でもあるのだから。

 突然すぎる記憶の喪失。それには多分、私を助けるために行ったという魂の修復が関わっているに違いない。私の魂を修復したということは、恐らく魂の中で私と親和性の高い部分がシロ様から私に余計な分まで流れ出たのではないだろうか。それならきっと、私が傍に居ることが解決の近道になるはず。


 ……いやまぁ、たとえそうでなかったとしても。今のシロ様の傍から離れる気はないけれど。


「だからよろしくね、シロ……」

「…………?」

「……シロくん」


 ひとまず「友達」という設定に則って、暫くの間はすっかり口に馴染んでしまった様付けは封印ということにしよう。なんでその呼び方なのかと尋ねられて、「昔飼ってた犬がシロって名前で混同したくなかったから」と今の彼に説明するのは気まずいし。そんなわけで慣れないくん付けで呼んだところ、不可解そうに眉を上げられてしまったわけだが。それがやっぱりシロ様の表情だったから、私は特に動揺しなかったのであった。











『もう少し動揺するべきだったと思うが』

「……え? どういうこと?」


 それから二日後。族長様の体調の回復と、シロ様の記憶喪失の件でそれなりに慌ただしく過ごしていた私は、そのタイミングで漸くアダマくんと落ち着いて話をする時間を設けられた。一応諸々の報告は渡されたあの板をこっくんに貸すことで代理してもらっていたのだが、そのこっくんから伝言を貰ったのである。「落ち着いたらミコとも話したい」と。

 なんとも可愛らしいおねだりのように聞こえるが、その本音は「神主が作った空間に実際行った者の意見が聞きたい」というものだったようで。散々とそのことについてアダマくんに詳細を述べること三十分ほど。根掘り葉掘り聞き尽くされようやく土の中に何も埋まってないというタイミングで、私はここ数日のシロ様についての報告を始められたというわけだ。最もまだ話し始めたばかり。まだ初日のさわりしか話せていないのだが……もっと動揺しろとはこれ如何に。


『アレが居ないなら絶好の機会。かつ、俺が付け入る隙が出来るだろう』

「……またその冗談か〜」

『冗談では、』

「はいそこ! ミコ姉に必要以上に距離詰めるの禁止! 違反!」


 と、思ったがいつものその手の冗談を言うための布石であったらしい。いつまで私との婚約ネタを引っ張る気なのだアダマくんは。そのネタには過剰反応する子が居るからやめてほしいのだが。ほら、一緒に話していたアオちゃんが案の定怒り始めてしまった。何が違反なのかはわからないけれど。


「全く油断も隙もないってのはこのことだよね! シロくんがぽやってしてたところであたしが居るから付け入る隙はありませーん! 残念でしたー!」

『……無駄に見た目が煌びやかになってからよりけたたましくなったな。最悪だ』

「はー!? あたしのことはミコ姉もヒナちゃんも最高のお姫様かつ王子様って言ってくれてるんだけど!?」


 もはや鉄板となってしまった二人の喧嘩に苦笑いで耳を傾けつつ。ふと思うのは、ここ二日間でのシロ様の様子。私、それからこっくんを中心に様子を見ているが特に記憶に関する変化は見られないまま。かといって悪化するでもない小康状態が続いている。

 私の「私が傍に居ればシロ様の記憶は回復しやすくなる」という推論を後にこっくんにも話したところ、間違いではなかったらしく現状それが一番の対処療法だと頷かれた。なおかつ、そう激しい損傷でもなかった以上数日のうちに戻るだろうとも。しかし現状回復の傾向は見られないまま、時間だけがいたずらに過ぎていく。そこで私とこっくんは思ったのだ。シロ様の記憶喪失には、魂の損傷以外に何か理由があるのではないかと。


『淑やかさの欠片もないくせ姫を自称できるとは恐れ入る。美しさより面の皮の厚さを誇った方がいいな』

「……えー? 何回も冗談って思われて遠回しにお断りされてるくせ、未だミコ姉に迫ろうとする人には言われたくなーい。分厚いってレベルじゃないよね?」

『真意に気付かぬなら断るも何も無いと思わないか? それにすら気づけぬほど愚かだったとはな』

「気づかれてない時点で意識全くされてないことくらいわかるでしょー? これだから知識詰め込むだけ詰め込んでカチカチ頭の人はダメだよね!」


 今回シロ様の傍に居ることを一時中断し、アダマくんと話をしに来たのもそれが理由の一つである。あるのだが……こう喧嘩をされると、相談もできないというか。とはいえ、シロ様が記憶喪失になってから沈んでいたアオちゃんを思うともう少し元気に喧嘩させてあげたいような気も。

 その葛藤が邪魔し、結局二人の喧嘩は柘榴くんを散歩させに行っていたヒナちゃんが戻ってくるまで続くことになったのだった。ひとまずアオちゃんがすっきりした顔をしていたのでよかった……と思いたい。今シロ様をお任せしているこっくんには申し訳ないが。

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