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四幻獣の巫女様  作者: 楪 逢月
第十二章 母なる存在への革命
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閑話「憎悪と醜悪」

※残酷な描写、性的暴力の描写が若干含まれます。苦手な方はお避けください。

 それは、数百年にも上る遠い昔のこと。リンガが次々と降らせて来る災厄に、ミツダツ族が己の美への誇りを支えに抗い続けていた時代の物語。周り全てを狂わせるほどの祝福を受けた少女と、祝福を受けられぬが故に疎まれた男子が紡いだ、残酷な物語。


 それは、黒蟲病の災いが去った後に起こった悲劇であった。その始まりは復興も半ばといったミツダツ族の領地にて、とある双子が生まれたことから始まる。空色の髪に美しい青い瞳、祝福を受け継いだことが一目でわかる女の子。それと青い髪に薄灰色の瞳、祝福を受けていないことが一目でわかる男の子。彼らの行く末は、生まれた時から決まっていたも同然であった。

 今の時代にこそ数が少ないからと尊ばれる男児は、しかし古の……リンガが気まぐれに落とす災厄が苛烈であった時代において、無価値そのものであった。なんせ女児と違って祝福を受けることはありえない。仮に体を鍛え技を磨いたとしても、並大抵の才能では祝福持ちの女児には敵わない。そして純粋な身体能力という意味では、ミツダツ族がクドラ族に敵うことは決してない。そんな役に立たない存在は切り捨てられるだけ。


 人間や獣人。それら幻獣人よりも弱い民を守るため、気まぐれな天の存在が落とす地獄に打ち勝つため。そんな彼らを仕方ないと切り捨てる。あの時代は、非情な決断が必要な時代であった。だけれど必要な非情だからと、それを向けられた者の心痛は如何程のものだっただろう。そうしてその存在を愛していた者の、その苦痛は。


『──!』

『……あ、お姉ちゃん…………』

『見てこれ! ご飯かっぱらってきたの!』


 だからこそこの物語は悲劇へと向かっていく。片や時代の寵児、期待されるべき新しい未来のための蕾。この先世界を守ってくれるだろうと周囲に期待され深く慈しまれた双子の姉。そして片や、無能の烙印を押されて顧みられることもなかった双子の弟。しかし双子だからだろうか、二人の間には生まれつき強い絆があった。周りが弟へと向ける冷遇。それに姉は強い反発を覚えたのだ。

 幻獣人は人や獣人と違い栄養をあまり必要としない。当時貴重であった食料品は、その多くが民に回された。残りは優秀な狩人、或いはその種へと……祝福を受けている可能性のある女児へと配られる。いつまた災厄が落ちるかわからないからと、その判断は合理的であった。そしてその合理に弟の方は切り捨てられただけ。けれど自分と血を分けた愛しい存在が、自分と同じ扱いを受けられない。そのことを彼女は許せなかった。


 許せなかった、けれど。


『──、あの子に関わるのはやめなさい』

『…………』

『わかるでしょう。中途半端な優しさは、却って残酷なのだと』


 その優しさを周りは許さない。幼い子供がしたことなど周りには当然に知れ渡るもの。何度も同じことを繰り返した少女は、次第に弟に関わることを止められるようになった。ぬるま湯の優しさは却って地獄なのだと、自分に良く似た母に止められる形で。

 母親は少女に「美しくありなさい」と告げる。彼女の言う美しさとは、すなわち高潔さ。この世界を導くものとしての役割を与えられている幻獣人は、たとえどれだけの苦痛に苛まれたとしても民である人と獣人を守らなくてはならない。そのために同族すら切り捨てる。愛おしい存在も、美を守る心情に背くのであれば忘れ去らなくてはならない。多くのミツダツはそうやって生きる。だから二人も、そう生きろと。研ぎ澄まされた美しさを、抱えて生きるのが我らなのだと。世界を守るため幼い息子を切り捨てる苦痛を飲み込む母親は、見ようによっては美しかったのかもしれない。


 けれど幼い少女には、それが美しくなんて到底思えなかった。何故顔も知らない民のため、何より愛おしい弟を切り捨てなければならないのか。自分の守りたいものを守って、それの何が醜と思われるのか。一つ、また一つ。歳を重ねる度に浮き彫りになる自分と弟の扱いの差。それは強い不条理として彼女の瞳に映った。慈しまれた少女は、幼いまま変わらなかった。或いはそれが、一つ目の分岐点だったのだろうか。


 ある日、少女は自分に授けられた祝福のその意味を知った。魅了。他者の心を自分の思うがままに操ることが出来る。その力の強さを、そして使い方を間違えた時の悲劇を。それを自分に教える母の声は、しかし少女には届かない。天啓のように落ちてきた考えが、少女の脳を支配していたから。

 「この力を使えば、弟の待遇を変えることができるのではないか」 浮かんだ考えを、少女は迷いなく実行した。長年溜まり続けた鬱憤と、愛しい存在に降りかかる理不尽への怒り。それはとっくに少女から躊躇いを失わせてしまっていたのだ。そしてそこから転がり落ちるよう、少女の人生は変わっていく。望んだ方ではなく、悪い方へと。


 最初は、きっと少女が望むように事が進んでいた。力を振るえば自分の望むように人は応えてくれる。最初は少女を戒めていた母親さえも、いつかは少女の手の中に落ちた。虚ろに向けられる瞳。世界は弟にとって優しくなっていく。少女にとって願うままの世界に変わっていく。

 だけれどその中で、少女の魅了が効かなかった人物が一人。全く同じ血が流れてるからか、それとも双子相手には力が効かないのか。弟は自分の待遇が変わったことに、少女の周りの様子がおかしくなったことに戸惑いを覚えていた。けれどそんな弟に少女は笑う。これが正しい世界なのだと、貴方は私と同じ特別な存在だからと。それは歪み始めていた二人の歯車を分かつ、決定的な歪であった。


 世界が変わる、変わっていく。厳しい時代に民を最優先としていたミツダツの、誰かにとっては美しかった志が。少女とその片割れを中心とした、誰かにとっては美しく都合のいいものに。向けられるぬるま湯のような視線。貴方はあの方の片割れ、それだけで尊いのだと。やがて弟はそうやって扱われることに、耐えられなくなってしまった。

 冷遇を受けていた時代が、苦しくなかったとは言わない。さりとてそこには、個としての矜恃があった。周りも自分と姉を、全く別の存在として扱っていた。たとえこのまま切り捨てられるとしても、自分の美のための誇りはきっと姉が大切に抱えて世界を守ってくれるだろうと。しかし今はどうだろう。自分は姉の付属品扱い。そこに美はあるのだろうか。自分にも、姉にも、周りにも。


 何より、この状態が引き起こった原因は自分であること。それが彼には、何より耐え難くて。だから、彼は。


 結果として弟は、物言わぬ骸となった。自らの首を水のナイフで掻っ切っての自殺。少女にとって愛おしい半身は、最後に「正気に戻って、姉さん」とその書き置きだけを残してこの世を去った。とびきりの苦痛をその表情に浮かべながら。

 少女は全て、全て受け入れられなかった。弟が死んだこと、その原因が恐らくは自分であることも。皮肉なのは正しい教育を受けた少女より、ミツダツの高潔さという点において弟の方が勝っていたという点か。慈しまれ、魅了によってそれはいつしか甘やかしに変わり。そうやって育てられた少女の心は、優しくはあれど高潔ではなかった。失った片割れ、深く開いた穴。それはやがて、制御出来ていたはずの祝福を暴走させる。


 かつての美しい都。民を守るという高潔が掲げられていた白亜。それらはやがて、一人の少女の祝福による暴走で変わり果てる。かつては魅了によって神聖視されていた少女は成長が原因か、それとも自らのせいで虚ろに抱えることになった空白が原因か。やがて欲望に満ちた視線を周りに向けられるようになった。

 日々強くなる魅了の暴走。それはやがて、かつては高潔に心を掲げていたミツダツ族達を堕落させる。最初に少女をそういう意味で襲ったのが誰だったか。それをもう、彼女は覚えていない。ただ苦痛と嫌悪に塗れた記憶が今でも残り続ける。重ねられた屈辱の日々は、今でも彼女の心を握り潰し続ける。


 そうやって優しかった日々が、愛しい片割れが居た日々が、憎悪と屈辱と地獄に塗り変わって。いつかは自分の願いを叶えてくれるための宝石のような力だった祝福が、重く憎らしい自分の首に嵌められた枷という呪いになって。それから、どれくらいが経っただろう。

 ある日のこと。同じ一族の娘が、少女の呪いには惑わされなかった娘が、周りを正気に戻した。その者の祝福の名を、彼女は覚えていない。だけれどその者が自分を魔女と、そう呼んで断頭台に送り込んだことは覚えている。それまで自分にいやらしい視線を向けていた全てが、途端に自分に憎悪と蔑みの視線を向けていたことも。


 断頭台にかけられた、かつて寵児と呼ばれた女。向けられるのは嫌悪の視線と石。誰もが自分を憎み、恨んでいる。だけれど女もまた、心は同じであった。片割れの死によって壊れた心を、更に砕かれて。そうして生まれた歪みは、女が世界を恨むようになるには充分だった。

 確かに全ての引き金は自分だった。だがどうだろう。全て自分が悪いのか? 弟と自分を平等に扱わなかった者たちも、魅了の暴走に負けた者たちも、自分の心を誰一人としてわかってくれなかった周りにも、同じだけの罪咎があってしかるべきではないか? 何故強い苦しみと悲しみ、そうして屈辱を受けた自分だけが魔女として裁かれる? あたたかみのない終わりを迎えなくてはいけない? 疑問は止まらない。


 だから女は呪った。自分をこんなところまで貶めた、愚かだった世界を。今際の時、自分の首に刃が落とされる時。ありったけの恨みを、妬みを、苦しみを、己の地獄を、それが周りにも齎さられるようにと、もう僅かにしか残っていなかった美を全て捨てて。


 その醜悪さが、黄金の瞳に留まった。


 男が言う。冷酷な金の瞳をこちらへと向けた男が、首を落とされた女を見て告げる。今しがたその口で振りまいた呪いを、世界に向けて自分が成就させてはみないかと。嗤いながら、それでも手を差し伸べる。女に誰も差し伸べなかった、手を。

 心が震えた。伸ばされた手も、告げられた提案も、女には魅力他ならなかった。だからその手を取った。そして女には二つ目の生が与えられる。自らが振りまいた呪いを成就させるための、かつて望まれた生き方とは真逆の、ただ利己に塗れた生が。


「…………全部、水底に沈めばいい」


 それが、魔女の真実。誰にも手を差し伸べられなかった弟思いの少女の、成れの果て。女の心は自分に手を差し伸べた金の瞳の王子に捧げられる。たとえ彼が自分をただの手駒としか思っていないことに気づいて尚。彼女にはそれ以外の選択肢しかなかったのだから。

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