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四幻獣の巫女様  作者: 楪 逢月
第十二章 母なる存在への革命
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五百九話「美と狂気のロンド」

「っ、!」

「…………弱い」


 鍔迫り合う槍と対の剣。やがて狂気的な女の笑みが映る刃が、槍ごと小さな少女の叩き斬ろうとした頃。しかしそこに割り入った巨大な刃が一つ。白銀のそれは女と一纏めに双剣を吹き飛ばし、流れるような動作で再び刀を構える。研ぎ澄まされた殺意が、その白と黒の瞳に宿っていた。


「ぐっ、……! たかが獣風情っ、が……!」

「ならば魚は獣に食われるが定め。違うか? 海も知らぬ狭い湖に生きる愚魚が」

「っ、は! 狭い世界で生きてんのはどっち、って話よ!」


 ぱち、と瞳を瞬かせた空色の髪の少女を背後に置き去りに。追撃と飛んだ体は、迷いなく怯んだ女へと続く一太刀を浴びせる。真正面から受け止めるには重すぎる一撃に歪む女の顔。その表情に侮蔑の視線を向けると、シロガネはその腹目掛けて足を上げる。その足は鳩尾に、確かに命中した。

 だというのに。常人であれば肋骨が何本か折れているような、口から鮮血を吐き出しそうな。大槌で思い切り殴られたような衝撃に、しかし女は笑顔を浮かべていた。浮かんだ脂汗は、受けた衝撃が確かだったことを示している。さりとてその痛みすらも無かったように振る舞うと、女は双剣を振り上げた。攻撃は止まらない。その口も、また。


「裏切りの味はどうだった!? 小虎ちゃん! 信頼する叔父に一族を皆殺しにされる悪夢を見たのは!」

「…………」

「あっははは! 怖い顔! そう、アンタの叔父はあたしたち側の手駒ってわけ! あの方の手下! 世界にとっての裏切り者!」


 奇妙な声だった。時折裏返り、興奮して高く上擦り。まるで壊れてけたたましく鳴くだけになったおもちゃのよう。耳障りに抉られる古傷は、今のシロガネにとってさして痛みにはならない。ただなぜ知っているのかと、そんな不快感だけが肌をなぞっていった。それこそ今すぐその首を掻っ切ってやろうと、迷いのない殺意が刃へと伝わる程。

 けれど尊との約束が、と再び蹴りの追撃を食らわせようとして。その足がぴたりと止まる。叔父、手駒、「あの方」の手下。叔父であるビャクの変心の理由。探し求め、さりとて刃を振るうのに結局は必要の無いものだと結論づけたその真実を、目の前の女が知っている? シロガネの瞳が、静かに細められた。


「でもしょうがないよねぇ? だって、世界があたし達を裏切ったんだもの」

「…………世界が?」

「そうよ! あたしから全て奪った世界! あの方は絶望するあたしに力を、復讐の機会をくれた!」


 だが彼女がその理由を語ることはなかった。シロガネへの意趣返し、というよりはただ自分の感情を思いのままに叫んでいるだけという印象を受ける語り。だが「達」と言うからにはビャクも世界に何かを奪われたのかと、過ぎった考えに気を取られたシロガネの身に刃が迫る。


「死ね、死ね、死ね……! あの方が作る世界を邪魔するクズが……! 全て消え失せろ!」

「……………………」


 がきん、と。重い金属同士がぶつかる音の中に入り交じる呪詛じみた呟き。狂気と重苦しさを綯い交ぜて、ひたすらに煮詰めたような女の声。これまでの道中に居た影のそれに酷似している声に、元凶はこれかと冷めた瞳が深淵の狂気を見返して。だけどその瞳は、女の背後に迫った槍先によって僅かに見開かれた。


「……ここから消え失せるのは、貴方の方!」

「ぐっ…………!」


 女の声とは裏腹、よく響く凛とした鈴のような声。醜悪に歪む声を仮に醜いの体現者とするのであれば、その少女の声は美しいを体現しているもののようだった。強い意志を秘めたその声は、吐き出される呪詛ごと敵を突き刺そうと迫る。

 声なき瞬きだけの合図。だがそれは、日頃ヒナタを含め共に訓練している二人には十分すぎるものであった。アオイの攻撃を阻害せぬようにと刀を以て女を弾き飛ばすシロガネ。後方に僅かに飛んだ女の脇腹を、狙い済ましたアオイの槍が突き刺す。そうして躊躇いなく突きを繰り出したアオイは、ふんと鼻を鳴らして女を見遣った。その、血一滴すらも零れない槍が突き刺さる腹を。


「さっきから何? 急に叫んだと思ったら、今度は口汚く罵っちゃって。見た目こそ若いけど、ヒレを見るに貴方おばあ様より歳上でしょ? 見苦しい上、はしたない」

「……小娘が…………!」

「あはは! 若さが羨ましい、って言ってるようにしか聞こえない!」


 わずかに瞼を震わせたシロガネと違い、アオイに動揺はなかった。戸惑いも。まるでそうであることがわかっていたように槍を引き抜くと、不敵に愛らしく微笑んだ少女は言葉と共に槍を構える。美しい女の顔が修羅に染まっても尚、一切怯むことなく。


「……ねぇ、シロくん。多分この人、ここに『核』がないよね」

「……ああ」

「やっぱり。じゃあ、あたし達はこの人を殺すことは出来ないんだ」


 しゃんと、水面を筒先が叩く。アオイのその動きに、周りの水が震えたように感じたのは何かの錯覚か。鼓動し始めたような水に視線を落としたシロガネを、アオイは静かに見遣る。激昂する敵を前にしても青い瞳は凪いだまま。少女の眼差しは冷静に敵の本質を見抜いていた。

 二人の少年少女が得た答えは単純だった。ここに居る彼女は、自分達のように魂を伴った「本物」ではない。だから攻撃は相手に苦痛を与えることは出来ても損傷させることは出来ず、敵も想定より弱い。恐らくは配置した分体のようなものに一時的に精神を乗り移らせているだけ。彼女の役目は見張りなのだろう。恐らく族長をこんな状態に追いやった神主は、とうの昔にここから姿を消した。今はどこで何をしているのか。そればかりは二人にも見抜くことは出来なかったが。


「シロくんは万が一の時のため、おばあ様をお願い。守るのはあたしの方が得意だけど、今日は譲って」

「……アオ」

「お願い。多分いつか、『本体』と戦う日が来る」


 だがそれでも、アオイにはわかることがあった。今双剣を構え向かってくる女と自分の間に、何か因縁じみたものを感じること。いつか彼女の「本物」と、再び相見える予感。つまりそれは、ここで女の偽物を超えなければいけないことを示唆する。流れるように構えた槍。重なり合う双刃。そこに今度、大きな一太刀の野暮が入ることはない。


「その時、あたしはこの人と戦う運命な気がするんだ」


 最初よりも格段に滑らかな動きで刃を防いだ少女が、ふっと笑う。その顔に幾つと走る血の線すら、際立たせるような美しさで。


「戯言を! アンタも、今代の族長も! 残念ながらここで死ぬ運命なんだよ!」

「それこそタワゴト、ってやつじゃない? 悪いけどあたし、ここでは死ねないの!」


 それに苛立ったように一度、二度、三度。激しく振るわれる斬撃に、止まることなく続く斬りと払いの雨に、時折顔に傷を作りながらもアオイは引くことなく構え続ける。血の滲む笑みは凄惨。しかしだからこそ、ぞっとするほどに少女の顔は美しかった。シロガネはただ、動くことなく一方的なその戦いを見つめる。

 剣戟で圧倒しているのは、明らかに女の方。だというのにアオイの方が有利なように思えるのは、言葉の裏に滲む自信か。自分を信じてくれている人が、愛してくれている人が居るのだと。その人達を守りたいのだと、言葉尻に滲む人であれば誰もが望むだろう幸福。それにぎり、と彼女が唇を噛み締めた。或いはその憎しみが生んだ迷いが、今回の戦いに置いては致命傷だった。


「……っ、そこ!」

「っぐ、あ…………!?」

「やっぱりその体の核は、一応あるんだね」


 傷を重ねながら待ち続けた隙を、少女の瞳が見逃すことはなかった。両の手によって槍が振るわれる。流された法力が槍先を青く輝かせる。その突きは、寸分の狂いなく女の額を突き刺した。瞬間、額に大きく空いた空洞。そこから徐々に女の体は黒い塵となり崩れていく。不気味な光景を前に、けれどアオイは静かに告げた。


「今回はあたしの勝ち」

「お、のれ……!」

「でも、ほぼ負けだよね。今回の貴方って多分、半分も力を発揮してない」


 少女に恨み言を聞く気はなかった。傷だらけの、それでも美しさを絶やさぬ顔を拭って。女のもう塵となって消えた瞳の辺りを見つめながら、淡々と言葉を紡いでいく。いつもの天真爛漫とした明るさはそこにない。海を束ねる女王然とした雰囲気は、どこか彼女の祖母を思わせた。

 勝負においては勝てた。だが実力としては完全に負けているだろうと、敗北を認める声はいっそ清々しい。だからか、塵となりながら未だ双剣を振るおうとしていた女の手は下ろされて。それは、これ以上相手に自分の戦い方の情報を与えないためか。はたまた他の理由か。そこまではアオイにはわからなかったけれど。


「でもあたし、本物にも勝つから」

「…………は、」

「だから、またね」


 ただなんとなく、相手にされていない気配だけは感じたから。故に挑発をした。いつか完全勝利を貰い受けると、その予告を。その宣戦布告に女は何を思ったのだろう。告げられた「またね」に、塵となった女からの返事はない。ただ嘲笑うような声だけが、さざめく水の空間だけに取り残されてやがて消えていった。

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