五百四話「いざ夢の世界へ」
紆余曲折を経たものの、これにて夢に旅立つメンバーは選別完了。あとはこっくんの準備が出来れば族長様の夢に入ることが出来るはず、と諸々の準備にどれくらいかかりそうか尋ねようとしたところで。
「それならもう行こうか」
「えっ!?」
さらっととんでもないことを言い出したこっくんに、部屋に居る人達の視線が一気に集中した。もう行こうか、って。まさかたった一日の徹夜で夢の中で私達の身を隠す方法とか、そもそも夢の中に入る法術とか、その辺りを全てカバー出来ているとでも言うのだろうか。
いやこっくんなら出来ないことは出来ると言ったりしないはずだが……と、いつも通り冷静な横顔を見つめていたところ。自分に集中する視線は我関せず、こっくんは教皇様の方へと顔を向けた。上を向いた手のひらが、ぽかんとした表情の彼女へと差し出される。
「触媒、長老に頼まれてたんでしょ。頂戴」
「…………もう、聡い子ってイヤね〜」
「この土壇場での長老の頼み事ってそれしかないと思ったから。っていうかあいつも昨日の夜、それっぽいこと言ってたし」
「もう、長老くんは相変わらず面白みがないんだから」
……ああ、アダマくんからの頼まれ事ってそういう。先程何やら意味深に濁された、アダマくんからの教皇様への頼み事。それは今回の法術に必要な触媒、すなわち材料を集めてくることだったらしい。あっさりと隠し事がばれたからか教皇様は若干不服そうで。だけどアダマくんがばらしていたと告げれば、不満は別の方向に行ったらしい。
むっと唇を寄せながらも、教皇様はそこで椅子から立ち上がった。そうして数分後。戻ってきた彼女の手に握られていたのは、見覚えのある赤い宝石で。あの石は確か、夢覗きの儀式で使った私が拾った石のような。まさかお使いって、レイブ族の杜まで行ってそれを取ってくることだったり? いくら飛べるとはいえ、かなりの重労働な気がする。
「はい、どうぞ〜。タァパくんが術を込めてくれたみたいで、こっくんの法力を正しい形に誘導してくれるって言ってたわよ〜」
「……そこまでお膳立てされる必要はなかったけど、まぁいいや。どうも」
アダマくんの人使いの荒さを改めて認識している内、その宝石はこっくんの手へと渡る。どうやら初めて夢に関する法術を使うこっくんのため、諸々手を加えてくれたらしい。甘く見られたと感じたのか若干こっくんは不満そうだったが、それでも善意として受け取ったのだろう。宝石を一度覗き込むと、心を落ち着けるかのように少年は小さく息を吐いた。
「……よし。じゃあ族長の部屋に行こうか」
「……本当にもう可能だと?」
「正直まだ不安なところはあったけど、この石があるならそれも問題ない。それでも不安で見学したいって言うなら離れたとこに居て」
その動作に、先程のシロ様が憤った時とはまた違う緊張感が部屋に満ちていく気配。セラさんの恐る恐るとした問いかけに、こっくんは揺らぎない声で答える。その声に答えるよう、宝石は不思議な輝きをその手の中で放っていた。
初めての術を、このような重要な場面で使うこと。それには流石のこっくんとて緊張やら不安を覚えていたらしい。しかしそれも、タァパさんのおかげで消え去ったと。見学者すらも受け入れる余裕を見せると、こっくんは部屋を出ていった。そうして向かったのは多分、すぐ近くにある族長様の部屋。
「……行こう、アオちゃん、シロ様」
「ああ」
「……うん」
こっくんが準備が出来たと言うならば、私達に否もない。寝不足なのが若干気にかかるも、この状態では到底眠れそうにないし。こっくんと同じように深呼吸を一つ。一緒に向かうことになった二人に声をかければ、シロ様がまず我先にと部屋を出た。その背中に、私とアオちゃんも続く。
短い道が、まるで遠い道のりのように思えた。任された責任が重い荷物のように背中に伸し掛かるから。プレッシャーと呼ばれるそれ。だけどそんなものに負ける訳にはいかないと、一歩一歩足を進めて。そして辿り着いた族長様の部屋。先に着いていたこっくんが、私達の訪れにこちらを振り返る。
「じゃあシロ、お姉さん、これ」
「……お薬?」
「札では無いのか」
「まぁね。ちなみに薬ってよりは、法術を固めた塊って方が近いかな。飲む形式にしたのはいつも使ってる札と違って、身体ってよりは魂を隠す形にするため」
そして渡されたのは、一つの丸薬。真っ白なそれは一見ただの薬のように思えたが、どうやら正確には薬の見た目をしているだけの法術らしい。実際確かに、手のひらに乗せられたそれは僅かに動いている。シロ様の白爪牙に近いといえば伝わるだろうか。若干飲むのは躊躇われたが、贅沢は言えず。私とシロ様は顔を見合わせると、一斉にそれを口に放り込んだ。
「……? なんか二人、薄くなった?」
「え? そうなの……? あ、でもシロ様の気配がなんか、ぼんやりしたような……?」
「……ミコの気配が希薄になった。我もそうなのだろう」
「……うん、効果は大丈夫そう」
空気を飲み込むような感覚だったが、どうやら効果は問題なく現れたらしい。隣にいたシロ様の存在が掴めなくなるような感覚。その感覚はシロ様やアオちゃんにも共通しているらしく、各々戸惑ったような表情を浮かべている。これが薬の効果らしく、こっくんは何やら満足そうだったが。
「じゃあ……ごめん、ヒナ。椅子を三脚持ってきてくれる? お姉さん達に座ってもらうから」
「! うん」
「私も手伝うわ〜」
「じゃ、じゃあ俺も……セラちゃんとヒゴン様はそちらで待っててください!」
これで族長様に気づかれることなく、夢の中に侵入できるのだろうか。確かにシロ様の気配は薄いが、全く感じ取れない程ではないのだけれど。……いやまぁ、こっくんが言っている以上問題は無いのか。
一度湧いた疑念を、テキパキと物事を進めていく少年の姿で飲み込む。ぱたぱたとこちらを追いかけてきたらしいヒナちゃんは、こっくんのお願いに表情を輝かせてカムバック。その小さい背中に教皇様とナドさんが続く。そしてセラさんとヒゴンさんが部屋の端に移動し終わった後、三人が持ってきてくれた椅子は族長様が眠るベッドのすぐ横に配置された。
「これで本当に準備万端。三人とも、心の準備はいい?」
「うん、いつでも」
「だ、だいじょぶ!」
「問題ない」
準備はいよいよ最終段階。許可を得た後、教皇様と私の間に糸も結び終えた。肉体間と精神世界という乖離がある以上どこまで効力を発揮するかはわからないが、ないよりはマシだろう。何より帰る場所という役割が、教皇様に無力感を齎さないなら。それだけでこの糸に価値はあるのだ。
それならあとはアオちゃんを間に挟む形で、三脚と並んだ椅子に座って。そうすれば、これで本当に準備万端。急展開と言えばそうだが、あまり族長様のこの状態を長引かせるわけにもいかない以上迅速に動くべきだろう。幸い教皇様との問答のおかげで、覚悟は十分に出来ている。あの金色と相対するための心の準備も。
「…………ふふ」
「…………!」
「大丈夫そう、かな?」
「…………うん!」
また一つ息を吐けば、感じたのは隣からの視線。僅かに強ばった表情を見せたアオちゃんの視線に、私はつい笑みを零すと同時その手を取った。途端、安堵したように綻んだ青色。ゆっくりと伏せられていった瞳の影に、もう怯えはなかった。
うん、大丈夫。私達なら絶対、大丈夫。
「……『これより開くは夢現、その境。胡蝶を導にその魂魄、夢境に足を踏み入れろ』」
アオちゃんと手を繋いだまま、同じように瞳を伏せる。そうして瞼を閉じたままでも、僅かに辺りが明るくなったのはわかった。祝詞のように流れていく呪文。こっくんの法術はもう始まっている。それを自覚するのと同時に、意識が微睡みへと引きずられていく。
普段眠りに入る時はまた違う。誰かに手を引かれているような感覚は、多分相手がこっくんだからか心地よくて。ゆっくり意識が落ちていく。繋いだ手の感覚が曖昧になっていく。そうして一つ吐息を落とせば、目の前が完全に真っ暗になった。
「『夢渡り』」
最後聞こえたのは、凛とした言の葉。私はその言葉に導かれるよう、族長様の夢の世界へと誘われていった。




