四百九十話「君を一人にしないため」
「族長の元にアオが向かう、それだけのことに何か問題があるのか?」
「え、……?」
手が凝っているであろう華やかな料理を前に、しかし沈痛な空気が落ちた一室。しかしそこに一石を投じた人物が一人。赤いソースがかかったお肉を口に放り込んだかと思えば、咀嚼し終えたタイミングで心底不思議そうに彼……シロ様は呟いた。彼らの葛藤が心底不可解でならないと、そんな声音で。
「な、な……! 心配に決まってるだろう!? いくら族長様を助けるためとはいえリンガ族の、それも神主なんて奴にアオが一人で立ち向かわなくちゃ行けないなんて……!」
「我も行くが。何故アオを一人で向かわせようとする。相変わらず話の分からない男だ」
「…………へ?」
当然今の部屋の空気に反するような、むしろ真逆を行くような。そんなシロ様の発言が、反感や顰蹙を買わないわけがなく。案の定憤ったナドさんに、しかし私も内心で同調した。
皆がアオちゃんを心配するのは当然のことだ。だってあの子はこれから一人で、神主と思しき存在に立ち向かわなくてはいけないのだから。なんでシロ様はそれがわからないのだろう。それだけのことなんて割り切れるのだろう。……なんて、考えていたのに。突如その思考はひっくり返される。ナドさんの勢いに怯むことなく首を傾げた、シロ様の言葉によって。ええと、なんて?
「我も行く。そいつはミコに危害を加えようとしたからな。今のうちに斬っておいた方がいいだろう」
「えっ、ええ!?」
「は!? おま、何言って……!」
自分を見る周りの目が点になったことに気づいたのだろう。我も行くともう一度そう言い切って、そしてシロ様はマイペースに食事を進めた。至極当然のことを言ったまでと、そんな空気を醸し出したまま。だけどそんなのは、こちらとしては寝耳に水な話なわけで。
「ええと、シロ様? 夢に入れるのって一人……じゃないの?」
「コクがどうにかすればいい」
「……あと、絆が深い人じゃなきゃいけないって」
「コクがどうにかする」
先程までの痛みに耐えるような色はどこへやら。困惑に染まる空気を前に、私は恐る恐ると尋ねた。一体どういうつもりで、というかどうするつもりで、シロ様は我も行くなんて告げたのかと。しかし返ってきた返答に、私は頭が痛くなった。こっくん任せがすぎる。なんという丸投げか。まさか何も考えてないとは、逆に恐れ入るというか。
……先の私の例を基準として考えると、多分夢の中と言うのはそう何人も入れるものじゃないのだと思う。仮に何人も受け入れられる構造だった場合、あの時私を助けに来てくれたのはシロ様だけじゃなかったはずだから。多分きっと、ヒナちゃんやこっくん、アオちゃんだって私を助けに来ようとしてくれたはず。だというのにシロ様だけが私を迎えに来た。それは、一人しか受け入れられないからでは無いのだろうか? というか絆が深い人の点はもっとどうにもならなくないか?
「……あのな、俺を便利屋扱いすんな。そう何でもどうにかなるわけないだろ!」
「なんだ、出来ないのか。ヒナがしょぼくれているぞ」
「…………う、」
それはこっくんも当然同じことを思ったらしく、目尻をキッと吊り上げた少年はそこでがうっと吠えてみせた。先程から何かを堪えるようにぷるぷると震えていたが、結局堪えきれなかったらしい。だがそれも致し方ないこと。突然こんな聞いていない無茶振りをされれば、腹立たしく思うのも無理はないだろう。
しかし、こっくんのその勢いはヒナちゃんの方を見た瞬間途端に削がれて。シロ様の言うよう、へにょりと下がったヒナちゃんの眉。つい一瞬前まで「コクお兄ちゃんすごい……!」と言わんばかりに輝く表情だったから、その悲しそうな表情は余計に落差が酷かった。まるで期待を裏切ったこっくんが悪いのではないか、とすら思ってしまう程である。いや絶対変に期待を抱かせたシロ様が悪いのだが。
「……複数人の方は、出来なくない」
「ええ!?」
「多分だけどね。さっき長老が言ってたよう、お姉さんと族長じゃ構造が違いすぎる。族長の器なら、……多分3人くらいなら、同時に夢に送り込めるんじゃないかな」
が、こっくんは心優しく有能であった。自分が招いたことでは無いとは言え、ヒナちゃんの期待を裏切ったことを申し訳なく思ったらしい。三白眼をあさっての方向に。気まずそうにしながらも、複数人を送り込む方は不可能ではないと告げる。まさか覆せないと思っていた前提がこんなにも簡単に覆るとは。シロ様の無茶振りも無意味なものでは無かったらしい。
「……だけど、絆の方は無理だ。それは術者の方が関われる問題じゃない」
「……と、いうと?」
「族長側の問題ってことだよ」
困惑していた空気が、にわかに明るくなる気配。或いはアオちゃんを一人で行かせなくても済むのではないかと、誰もが期待した。けれどこっくんは、そんな空気を前に首を振る。絆の方は術者が関わることが出来る問題じゃない? どういう意味だろうと首を傾げれば、セラさんも同じことを思ったらしく問いかける。そんな彼女に、或いはここに居る全員に、こっくんはわかりやすく説明をしてくれた。
「他人の夢に……意識の中に潜り込む。タァパさんが言ってたけど、それにはどうしても拒絶反応が出てしまう。術を強制的に失敗させるほどの、強い反応が。当たり前だ。自分の一番無防備なところに入られていい気持ちのする奴なんて……居ないとは言わないけど、少数派だろ」
「それは、そうですな……」
「だから、絆が必要になる。もっと言えば、許容とも言う。この人なら深く踏み入られても構わない。無防備な背中を預けることが出来る。その相手への信頼が拒絶反応を抑えて、或いは来訪者を奥底まで招く鍵にもなるんだ」
……成程。人の夢に潜り込むには、どうしても被術者側に拒絶反応が出てしまうのか。それが、かけた術を失敗とする程の妨害となると。だからこっくんは言ったのだ。「術者の方が関われる問題じゃない」と。そればかりは術者の法術の精度やらでどうにかなる問題ではなく、完全に被術者側の意識の問題なのだ。
そう、意識。自分の領域に無理に踏み込まれたくないという、知らない他者に踏み荒らされたくないという、多分誰もが持っているような自己防衛のための感情。だけれどそれは、親しい人間には牙を剥かない。それをアダマくんは絆とそう言ったのだ。その人になら知られても構わない、むしろ知って欲しい。それが他人をその夢へと連れていく道標になると。だからシロ様と族長様では、それが叶わない。
「絆という名の鍵はアオにある。それに付いていけば深層にも辿り着けると踏んだが」
「……その前に吹き飛ばされる可能性があるだろ。いくら道がわかっても、お前を族長の本能が拒絶するんだって」
ただ今回のケースだとどうなのだろう。族長様の心の奥まで向かうための鍵は、多分アオちゃんが持っている。それに便乗して向かえば、或いはシロ様も……と思ったのだが駄目らしい。成程、防衛本能がシロ様だけを吹き飛ばしてしまうわけか。……いや、待てよ? そうなると、リンガ族の彼はどうやってその防衛本能を突破している?
「……はい! コクお兄ちゃん!」
「? どうしたの、ヒナ」
「ええとね、それってかくれんぼしててもダメなの?」
「……かくれんぼ?」
リンガ族の彼が族長様の夢の中に居る。この推測が事実なのだとしたら、何かその防衛本能を突破する手立てもあるのではないか? ふと思いついたそれを口にしようとして、だけれどヒナちゃんの方が早かった。もぐもぐと、蒸した野菜を好き嫌いなくごっくんと。そこで元気よく手を上げたヒナちゃんは、こっくんを真っ直ぐに見つめると問いかける。かくれんぼ……?
「えっとね、アオお姉ちゃんに連れてってもらいながら、シロお兄ちゃんはかくれる、みたいな……? たとえば、ええと……あ、かくれるお札つかっても、ダメ……?」
「…………!」
この場には似つかわしくない、子供らしい無邪気な言葉に首を傾げて。けれどたどたどしく紡がれるヒナちゃんの言葉の意味を理解した瞬間、私は目を見開いた。恐らくはこっくんも。
そうか、今直ぐにと族長様に受け入れてもらうことは不可能だ。そこまで親しい仲ではなかったし、そもそも意識不明の今では交流を図ることすらできない。だけれど族長様の心の防衛線を真正面から突破するのではなく、密やかに超えることならば? それなら何かの細工で可能なのではないだろうか。そして、その方法であれば。
アオちゃんを一人で危険なところに向かわせなくて、済むのではないだろうか。
追記
大変申し訳ありませんが体調不良につき来週一週間は更新をお休みさせて頂きます。
次回更新は9/29の月曜日予定です。




