四百八十九話「ただ一人の適任者」
「……アオお姉ちゃんは?」
「……うーん、ご飯食べたくないって」
アダマくんへの報告と相談は、それから間もなく終了した。そうしてそれから数時間。時刻は夕食を食べる時間帯まで進んだが、これといって解決策は……アダマくんの導き出した、「アオちゃんが族長様を魅了の力で助ける」という最適解に対する回答は導き出せないまま。
余程アダマくんの言葉が刺さったのだろう。通話後部屋のベッドのカーテンを閉め切り、その中に籠りきりになってしまったアオちゃん。私達が話しかけても、返ってくるのは「ごめん、今はほっといて欲しい」という暗い声ばかり。ヒゴンさんやアオちゃんのご両親から受けた簡易的な夕食会の誘いも、先程断られてしまった。いつかの船での一時を思い出す展開である。
「……わたしも、ご飯食べないで……」
「それはやめときな、ヒナ。今回アオは、慰めが欲しいわけじゃないと思う」
「コクお兄ちゃん……」
恐らくはヒナちゃんもその時のことを思い出したのだろう。ご飯を食べることすら放棄して、寄り添おうとする姿勢を見せる。けれどそんな健気な女の子にストップをかけたのはこっくん。ぽんとヒナちゃんの頭に手を置くと、こっくんは宥めるように首を振った。……そんなこっくんの言いたいことは、私でも何となくわかる気がして。
「船の時のアオは、ショックでどうしたらいいか分からないって感じだった。これでいいのか、って。だけど今回は違う」
「……どうしたらいいか、と悩んでいるようだったな」
「…………」
そう、アダマくんとの通話が切れたあとのアオちゃんの表情。それは恐怖や怯えに染まりきっていたあの頃の顔とは少し違った。恐怖はあった、怯えも勿論。だけれどそれ以上に、何かを思案するような色があったのだ。まるでそう、ここで立ち止まっていていいのだろうかと憂うような色だって。
魅了の力を使うこと。それは家族を、そうしてこの領地で暮らす多くのミツダツ族の人生を狂わせてしまったアオちゃんにとって、酷く恐ろしいことだろう。また同じことの繰り返しになるかもしれない。或いはもっと酷いことにだって。だけれど力を一生封印したまま、力に向き合わないまま……過去から逃げたままでは、傷を飲み込み切ることは出来ない。
「……うん。今きっとアオちゃんは、一歩踏み出すかどうかを必死に考えて、その勇気を出そうと頑張っているんだと思うよ」
「……ゆう、き」
或いはその力で人を、いつか自分にとって唯一の味方で居てくれた族長様を救うことになるのなら。それはアオちゃんにとって、かつての挫折と絶望を乗り越えるためのいい機会とも呼べるのではないだろうか。そしてそのことに、アオちゃんもきっと気づいている。
「今はそっとしておいてあげよう? だっていつかヒナちゃんがアオちゃんに教えてあげたんだよね?」
「え……?」
「仲間で家族なら、辛い時頼っていいんだって」
「……!」
それに、船の時とは違うところがもう一つ。それは今のアオちゃんが、一人で抱え込んでは身動きが取れなくなっていたような囚われのお姫様ではないということ。ヒナちゃんによって、頼ることを教えてもらっているということ。その上で今一人になりたいと言うのなら、きっと今彼女は頼る方法を探してもいるのだろう。ならば尚更、私達は信じて待たなくては。
私の言葉に、ぱちぱちと瞳を瞬かせたヒナちゃん。けれどそこで漸く昔とは違うことを思い出したらしい。はっとしたように瞳を見開いたのは数秒。その後こくこくと何度か頷いたかと思えば、次第に赤い瞳には強い意志が宿る。……アオちゃんが頼ってきたのなら全力で応えようと、それを語るように。
「……じゃ、食事会に行こっか。マナーは気にしなくていいって言われたけど、ちょっと緊張するね」
「案ずるな。仮に文句を付けられるようなことがあれば、我がそいつを料理してやる」
「上手いこと言ったつもりか……?」
さて、ヒナちゃんが納得したのならお呼ばれされることにするか。アダマくんと話したことも、三人には伝えなければいけないし。と気合いを入れるも一瞬、シロ様とこっくんのコントのようなやり取りに肩の力が抜けてしまった訳だが。……いや、よくよく考えればすごい物騒なことを言ってるな? 慣れって怖い。
「……そうですか、長老殿はそのようなことを」
「はい、アオちゃんが恐らくは一番適任だと」
とまぁ、出発前ひやりとさせられる場面もあったわけだが。幸いなことにマナーを気にしなくていいとの言葉は事実であったらしく、私やヒナちゃんのどこか拙い動きを前にしても食事中三人から指摘が飛ぶことはなかった。尚、シロ様とこっくんに関しては指摘するところすらなく。片や美食好きの種族、片やクドラの若様。家の男の子たちはその辺りはばっちりなのである。
いや、食事作法の方はともかく。本題はアダマくんがアオちゃんに伝えた、「族長を迎えに行くのはお前が適任」という件の方なわけで。食事の最中そのことについて伝えれば、ヒゴンさんは眉を下げた。心配で仕方ない、だから反対したい。が、反対する理由が見当たらない……そんな顔である。
「そそ、そんな……! アオたんに、族長様を拘束するような奴に立ち向かえって……!? そんなことはさせられないよ!」
「……ナド、食事中だよ。静かに」
けれど感情を律しているであろうヒゴンさんとは裏腹、相変わらず自分の気持ちに素直な人が一人。がたりと立ち上がったかと思えば、ぶんぶんと首を振ったのはナドさん。断固反対の姿勢を、彼は全身で表現する。食事中ゆえにあまり行儀のいい行為とは言えないが、それを咎める気にはなれなかった。お父さんとしては当然心配だろう。だって私だって、心配なのは同じなのだから。
族長様を救うためにアオちゃんが頑張る。アダマくんの告げた案に異論は無い。ただ一つ大きな懸念点があった。私達のこれまでの推測が全て正しかった場合。その場合ナドさんの言うよう、アオちゃんは単独で敵に一人で立ち向かうことになる。夢の状態がどうなっているかはわからないが、推測通り族長様が無理に祝福を使わせられているとすれば誰かと視線を合わせていることになるわけで。
彼か、或いは彼の味方か。どちらにせよ選択の先、アオちゃんは強大なる敵に一人で相対しなくてはいけなくなるのだ。
「……あの、一応お伺いします。セラさんの祝福は、どんな内容ですか? 答えたくなかったら構いません」
「……目が合った相手の記憶を、三日まで遡って見ることが出来る。私は才能、或いは訓練不足でね。過去では何年と遡れた祝福持ちも居たらしい」
「そう、ですか……」
だから私は一応、セラさんの祝福の内容も確認してみることにした。昏倒状態の人との絆、そして海の祝福による精神操作、その条件なら祝福持ちで族長様の娘であるという彼女も当てはまっていたから。もしかしたら彼女でも、族長様を救うことは可能なのではないかと。
しかし話を聞くに、彼女では族長様を救うことは難しそうだ。過去の記憶を遡る。それは探偵や警察なんかではかなり役に立ちそうな能力だけれど、人そのものを操れる力では無い。やはりアオちゃんでしか、族長様を救えないのだろうか。だから『彼女』は、アオちゃんに予言を落としたのだろうか。
「確かに海の祝福には精神を操作するものが多いが、相手そのものを動かすという祝福は正直かなり希少なんだ。一の姉上……アイの母親も祝福持ちだが、そういった内容では無い」
「私が知る限りでも、今代ではアオ様以外にその類の祝福を受けた者は居ないかと」
「う、アオたん……!」
私が考えていたことを読んだかのように、言葉を続けたセラさん。そして難しい表情のまま、苦渋を飲み込むように呟いたヒゴンさん。そんな彼らの言葉で、アオちゃん以外に適任が居ないことを悟ったらしいナドさんは苦しげに呻いて。
彼らの嘆き。それらはアオちゃんが大事にされていることの証明。アオちゃんが彼らに大切に思われていることの証左。だけれど今回ばかりは、それが心苦しかった。族長様を救いたい、けれど愛する娘や孫娘当然の彼女を危険な目には遭わせたくない。そのジレンマは、気持ちがわかる分見ているこちらとて辛いものであったから。




