四百七十二話「革命の予言」
「……ようこそ、お待ちしておりました」
それから。不自然なくらい人気の無い白亜の港を抜けるように進み、もうじき街に差し掛かるといったところで。しかし、恐らくは港と街の境界であろうアーチの下に佇んでいた人影が一つ。その人物は私達の姿を見ると足早にこちらに近づき、深く頭を下げた。
……その人物の外見は、一言で言えば美形のおじ様。白いローブを纏ったその姿からは、威厳と神聖な雰囲気を感じ取れた。耳元にはミツダツ族の特徴であるヒレが付いていて、色はアオちゃんの物と比べると少し緑っぽい。歳の頃合は族長様より二回り歳上に見えるくらい、と言ったら伝わるだろうか。四十代中盤、と言ったところだ。とはいえ族長様はアレで七十代を上回っているらしいので、ミツダツ族の年齢は見た目で判断できるものではないのだけれど。
「……ムツドリが教皇、そして貴方がたの族長であるソウスイの友人のカガリよ。長老の手を借りて今回の件を調査しに来ました。……恐らく、伝令の手紙はまだ届いていないのでしょう。風運での連絡だけという、簡易な手続きだけの訪問になってしまいごめんなさい」
「いえ、とんでもない。緊急事態ですので。……私は族長様が補佐、ヒゴンと申します。今回の件について手紙を皆様に送らせていただいたのも、この私です」
ところでどこかで見たことがあるような、と思っていたものの。補佐という言葉で思い出した。そうか、この人はあれだ。族長様に初めてお目にかかった時、騎士の方々と一緒に並んでいた内の一人。その族長様に追い出された人達の中の一人。ということは彼……このヒゴンさんも、恐らくは当時のアオちゃんの魅了の被害者であった可能性が高いということで。
触れ合った手が僅かに震える感触。明らかな動揺を横から感じ取った私は、挨拶する二人を横目に隣のアオちゃんへと目を向ける。アオちゃんを挟んで隣にいるこっくんもまた、同じようにアオちゃんへと目を向けていた。ということは先程の震えは気のせいではなかったのだろう。そのことは何より、真っ青に染まったアオちゃんの顔色が証明している。はくりと、開いた形のいい唇がが何か言葉を作ろうとした。だけれどそれは、音にならないまま消えていって。
「……ところで、聞きたいことが一つ。どうやら皆様の中に、この領地に立ち入ることを禁じられた者がおるようで」
「……!」
「どのような理由で戻っていらっしゃったのでしょうか、アオ様」
そしてアオちゃんが何を言うよりも早く、ヒゴンさんはアオちゃんの方へと視線を向ける。その水灰色の瞳の眼差しは厳しかった。口調こそ取り繕うものではあったものの、言い訳を許さないスパルタな教師のようなそんな雰囲気がそこにはあって。……だけれど予想外なのは、そこに嫌悪がなかったこと。
「あた、しは……」
「……貴方様の事情については、族長様から聞いております。ですがあの件について全て丸く受け入れている者はごく少数。この緊急事態に貴方様の姿を見れば、余計な混乱を招きかねません。貴方の身に危険が迫る可能性も……」
「ストップ。まず私の話を聞いてくれる?」
動揺しているアオちゃんは気づいていないようだったが、つらつらと並び立てられる言葉には厳しさの他にアオちゃんへの心配が内包されていて。いいや、内包どころじゃない。間違いなく彼は、アオちゃんのことを心配している。
口ぶり的に彼は、あの時のアオちゃんの事情についてしっかり理解しているようだった。だけれど誰もがその事情を受け入れているわけではなく、そのせいで今アオちゃんの身に危険が迫るかもしれないことを憂いている……と。しかし厳しい声色のせいでアオちゃんは彼の言っていることを飲み込めず、すっかりと萎縮している様子だ。ここにどう口を挟めばと、頭を悩ませていたところ。そこで毅然と口を挟んだ教皇様に、ヒゴンさんの視線は移った。
「……アオちゃんを連れてきた件だけれど。ヒゴンさん、貴方は教皇が信ずる神の存在についてはご存知?」
「……ええ、多少は」
「それなら話は早いわね。単刀直入に言うわ。神が予言をなされた、それをこちらのミコちゃんが聞き届けた。……神の穴を通って参られた、異世界からの稀人が」
「……!」
突然神だなんだと言い出したからだろうか。何を、と瞳に訝しげな色を込めたヒゴンさん。そんな彼に怯むことなく、教皇様は淡々と話を進めていく。というよりは、一瞬でこちらの事情を詳らかにした。彼女の予言についてのことだけではなく、その裏付けとなる……私が稀人であることも、一気に。
「神が予見したのは世界の危機。そしてその危機を打開するためにとある四人の幻獣人達の力が必要になること、彼らの成長から覚醒に至るまでをミコちゃんが見守ること……。さて、ここにミコちゃんと運命的な出会いを果たした幻獣人が四種族居るわ」
「……アオ様も、ですか」
「私も詳しくは知らないけれど……貴方ならわかるんじゃない? ミコちゃんとアオちゃんの出会いがどんなもので、その出会いがどんな結末を連れてきたのか」
「……!」
予言の内容。それも彼にとっては驚きだったのだろうけれど。それよりも彼が反応を示したのは出会い、結末、という二つのワード。その言葉にヒゴンさんの瞳は、ゆっくりと私へと向けられた。私を何も言うことなく見つめたその水灰色の瞳に込められた感情がどんなものだったか。それは複雑すぎて言葉に出来そうになくて。だけれど納得がそこに映っていたことだけは、何となく読み取れた。
「……話を戻すわ。ソウスイの件も、恐らくはその予言の内容の一端。世界の危機に至る一ピース。それに予言では、アオちゃんは革命を果たさなければならない」
「革命……」
「ええ。果たしてそれが誰への反逆なのか……それはわからないけれど。ソウスイを救うのも、アオちゃんの力を覚醒させるのも、何か神が定めた糸で繋がっている気がする。それがアオちゃんがここに来た理由。私が連れてきた、理由」
それを恐らくは教皇様も読み取ったのだろう。ここにアオちゃんを連れてきたのはそういう理由だと、そう話を纏めた教皇様にヒゴンさんが噛み付くことは無かった。無いけれど、私を見つめていたその瞳はまたゆっくりとアオちゃんへと戻っていく。革命と、その言葉を不安そうに反復しながら。
……革命。翼を広げる雛に、咲く花、瞳を定める狩人。やっぱりそれらに比べると、アオちゃんへと残された予言は不穏な気がする。革命は自分よりも上位者を倒し、その席に自分が居座るという意味合いが強い言葉だ。それならアオちゃんの上位者に位置するのは誰だ? シロ様も強さという意味では当てはまるけど、アオちゃんを姫として謳っている以上そこからぱっと連想できるのはやはり。
……族長様、なのだろうか。
「……事情はわかりました。しかしミツダツ族の者の下らぬ悪意のせいで、アオ様の身が危険に晒されていることは変わりません」
「……ヒゴ爺」
「異世界からの稀人様。貴方様はアオ様の海の祝福を封じられたと聞きました。結果我らが救われたとも。その際にどのような手段を使ったのかまでは聞かされませんでしたが……似たような手段でアオ様をお守りすることは可能でしょうか?」
「えっ!? え、ええと……」
そんなわけがないと頭を振りたくて、でもそれ以上の結論が見えてこなくて。しかしそんな些細な不安を打ち砕く無茶振りが一つ、突如私へと投げかけられる。敵意を向けてくるミツダツ族の人達からアオちゃんを守る手段? そんなのを急に投げかけられても、それこそぱっと思い浮かぶようなものでも無いのだが。けれど言葉こそ下手ながら、鋭くこちらを捉えてくる水灰色の瞳は私に逃げの一手を選ばせてくれなくて。
ええ、ええと……? ミツダツ族の人達を暴力的にぶっ飛ばすのはアオちゃんが気にするので無し。無しなので、今ぶんぶんと準備運動のように腕を振るっているシロ様は後で止めるとして。ううん、それならアオちゃんが周りから見えないようにするのがいいか? 姿隠しの札を貼る? けれどアレは使用者の法力を消費するから長時間付けていいものでもないし……などと頭を悩ませた結果。
「あ……」
私はそこで「最近はレイブ族の領地に居たから必要が無くなったもの」がリュックの中に眠っていることを思い出したのだった。




