四百七十話「再訪の白亜」
元より、指輪の石の中に菖蒲の花が咲くことはあった。というよりは裁縫箱を使って仕立てようとした時には、必ずその乳白色の中に菖蒲の花が咲いて。だけどそれは一過性のもの。裁縫箱を閉じれば花は消えて、そうして仕立てと付与が出来なくなって……そういうつくりだと、思っていたのに。
「……完全に同調した、って感じかな」
「同調?」
左の小指。そこに嵌められた指輪の中の花は、何をしたってもう消えることは無かった。裁縫箱を閉じても、また開けても、なんなら元は花の咲いていた場所にこつんと石をぶつけてみても。これはどういうことなのかと、どういう新手のマジックなのかと。戸惑う私を他所に、こっくんが告げた言葉。それに私は顔を上げる。
「うん。その裁縫箱とお姉さんは、元々指輪を通して繋がっていたんだと思う。だけどさっき、長老のためのチョーカーを作ったところでその線がより強固になった。お姉さんの力がまた一つ成長した、と言えばいいかな」
「……な、るほど?」
「箱から花が移ったのも、見て取れる印のようなものだよ。多分今のお姉さんなら裁縫箱がなくても、服を仕立てたり付与が出来るんだと思う」
……ええと、つまり。これは悪い変化ではないと、そういう事なのだろうか。こっくんの説明を、私の中で私なりに整理してみる。元より私と裁縫箱には繋がりがあった。それは間違いないと思う。そしてその繋がりの糸を指輪が結んでくれていたのも。何故ならば裁縫箱を使う時、指輪はそれを示すかのようにその石の中に花を咲かせていたのだから。
そしてその繋がりは、より強固なものになった。アダマくんのチョーカーを作ったことをきっかけに。私の力が強くなったのか、或いは糸くんがいつの間にか成長していたのか。どっちにしたって結論は同じだが。……ともかくその結果、私は付与を自由に扱えるようになった。その証明に菖蒲の花が移動した。
「……でも、裁縫箱」
しかしいくら力が強くなったとは言え、引っかかるものは残る。これは叔父さんのくれた裁縫箱で、私にとっての宝箱であり宝物。それがこんな風に変化してしまうのは私にとってあまり望ましいものではなかった。元より異世界の力というものは神の穴を通った時点で与えられていて、その時点で裁縫箱そのものは変化していたのかもしれないが……見た目が変わってしまったのが、少し寂しいというか。
「……常に共にあれるようになったと思え」
「……? シロ様、」
「その花は余程お前が愛おしいのだろう。或いはその送り主が、かもしれないが。故にお前の傍にいつでも在りたいと、そう考えたから指輪に移ったのだと、そういう風に考えればいい」
「…………」
と、しょげていたところ。困ったように眉を下げたこっくんと、その後ろから喧嘩を一度止めて視線をこちらへと向けてきたアオちゃんにアダマくん。そんな彼らを前に困らせているなと、これはいいことなんだから笑わなきゃと、そう思いながらも喉を詰まらせていた最中。後ろから聞こえたシロ様の声に、私は背後を振り返った。
シロ様の表情は穏やかだった。まるで何かに納得出来たかのように。だからか、その言葉を私はすんなりと受け入れることが出来て。……裁縫箱が変わってしまったんじゃなくて、私の傍に居たいと思ってくれたと。そう思えば心のしこりは少しだけマシになる気がした。いいや、むしろ嬉しいとまで思えた。叔父さんがそう思ってくれてるような、そんな気がして。
「……うん、そうする」
「ああ」
ふっと口元を緩めた私を見てか、部屋の空気も穏やかなものになる。そんな中私は裁縫箱を抱きしめた。これからもよろしくと、そんな意味を込めて。たとえ付与が自由に使えるようになっても、貴方は私の宝箱で宝物なのだと。僅かに温かく感じたのはただの錯覚だろうけれど、それでも心の慰めにはなった。
「……さて、解決したな? それなら本題に移るぞ」
「ああうん、お騒がせしました……」
「別に。それくらい構わん」
と、そのように。私の問題が解決すれば、全ての準備が整っている以上早速行動に移さなければいけないわけで。妙に優しく聞こえるアダマくんの声に、みっともない姿を見せたと少し恥ずかしくなりつつ。……いや、散々と見せてきたから今更かと開き直り。そして私は、黒い扉を見やった。
一度は通った、どこにだって行ける扉。準備は出来たとシロ様は言っていた。つまりこの先にはミツダツ族の領地と、そして倒れたという族長様が待っているのだろう。やはり彼は関わっているのだろうかと、一度見ただけだというのに妙に焼き付いてやまない冷ややかな金色の瞳を思い出して。だとして、怯む訳にはいかない。
「今日はもう遅いから、出発は明日の朝。それまでにあちらには俺から連絡をしておく。今回お前たちに頼むのは族長の様子の確認、それと出来ればその昏睡の解決だ。連絡は風運で行えるが……ミコ、お前にこれを」
「……? これは?」
「風運に似た術が使われた法具だ。お前は厄介事に巻き込まれやすい。保険として持っておくといい」
彼が世界の敵なら、それすなわち皆とこの世界を生きていたい私の敵で……立ち向かうべき相手なのだから。と、明日出発という言葉にぎゅっと手のひらを握ったところ。ふいにアダマくんから渡されたものに、私は目を瞬かせた。
何かしらの法陣が掘られた縦長の板が、紐に吊り下げられているもの。板のサイズは広げた手のひらのサイズくらいだろうか。近づいてきたアダマくんはそれを私の首に吊り下げ、満足そうに頷く。成程、風の法術が使えないゆえ風運も使えない私のために連絡手段を用意してくれたらしい。他に風運が使える人が多いので不必要かとも思ったが……まぁ、連絡手段なんてあるに越したことはないだろう、うん。
「……おい、それ」
「お前としても保険が増える。悪い話じゃない」
「…………まぁ、そうだけども」
何やらこっくんが微妙そうな表情を浮かべていたことに、引っかからないでもなかったが。でも結局こっくんが受けいれたあたり、恐らく悪いものではないはず。ならばアダマくんの折角の気遣いであるし有難く頂くのが吉だ。というよりは無理に返そうとすると面倒なことになる、の方が正しいかもしれないけれど。
「アオちゃん」
「……ミコ姉」
いつかの実験体押し問答を思い返しては遠い目になりつつも、私はそこで俯いていた少女の方へと視線を移す。出発前になって怯んでしまったのか、元気を無くしたアオちゃんの方へ。
先程までの元気はどこへやら、私の名前を縋るように呼んだアオちゃんの声に覇気はなかった。いいや、先程から空元気ではあったのかもしれない。倒れた後の私に飛びついてきたのも、アダマくんに食ってかかったのも、不安の表れというか。いつも以上に素直な面が出ていたのはきっと、それを隠す余裕がなかったから。
「……大丈夫だよ。私も、皆も居る」
「……うん」
族長様が倒れたのもそうだけど、旅に出る前のことも尾を引いているのだろう。あの時アオちゃんは、かつて自分に心酔していた結果色々なものを失ってしまったミツダツ族の女性に糾弾された。アオちゃんの海の祝福で人生を狂わされ、大切な何かを失った人。多分そういう人は、今のミツダツ族の里にはたくさんいる。どうしようもない事だったとは言え、アオちゃんのせいだと恨んでいる人だって。そんな故郷に帰るのが不安なのは、当然の心理だ。
こういう時、アオちゃんを励ましてくれるヒナちゃんは未だ倒れている教皇様の介護で忙しい。ならば私がたまには頑張らなくては。そっとアオちゃんの手を取って握れば、おずおずと視線を上げた少女は僅かに微笑む。青い瞳は不安に揺れていた。それでも私の言葉を信じたいと、それを語っていた。
「ミコ姉、手を繋いでてくれる?」
「……うん、勿論」
「……あたしがいいって言うまで、ずっとだよ?」
「ふふ、喜んで」
ならば出来ることは何だってしてあげたい。縋るような問いの後に、不安そうな念押し。そのどちらもに迷うことなく頷けば、ぱあっと美しい少女の顔が輝いた後に手が絡み合った。低い体温。それに私のものを分け与えるように握り締めれば、アオちゃんもまた手を握り返して。
「……あそこでも、あたしの王子様で居てね」
「……どこに居たって変わらないよ。私も、皆も」
「……! うん」
震える声で「悪役として扱われる場所でも変わらずにいてほしい」と、そう願う少女の声に応えた。切実でささやかな願い事に。それだけでこの世の幸福全てを受け取ったような表情を浮かべるのだから、なんだか胸が苦しくなって。
どうか今回の訪問が、アオちゃんの世界をいい方向に変えてくれますように。故郷にとってもアオちゃんは悪い魔女ではなくて、悪い魔法をかけられたお姫様だったのだと。そんな意識が浸透してくれますように。教皇様がヒナちゃんに支えられる形でなんとか立てるようになって、皆で休む部屋に戻ろうとする時までずっとそんなことを考えていた。変わらず小さなその手を握って、離さないまま。
そして翌日、私達は、またミツダツ族の領地へと戻ることになる。




