四百四十六話「臨界点のその先」
さて、そうしてアダマくんと教皇様に付与の力についてのことを教えた結果。どうなったか、というと。
「すぐやれ、今やれ」
「前のめりが過ぎる……!」
私は好奇心に突き動かされたアダマくんに、こうしてぐいぐいと詰められる結果となったのだった。さっきまでの重い空気はどこへやら。シリアスは知的好奇心によって投げ飛ばされてしまったと、そういうことである。
いやまぁ、想像はしていたけれど。アダマくんは私の糸に大層興味がある様子。それこそ実験体にするため婚約者なんて提案をしてくるほど。しかしだからといって、族長様のことすらも忘れていそうなこの勢いはまずくないだろうか。仮に私が付与の力を使って代償を退ける何かを作ったとして、使わずに研究対象にしてしまいそうな雰囲気だ。
「ちょっと待ってくれない……!? 付与って、そんなの法具を作りたい放題できるのと変わらない力なんじゃ……」
「うん。それであたしの海の祝福の効果も封じてもらってるの」
「海の祝福まで……!?」
と、アダマくんはこのように知的好奇心に従順であらせられたが、教皇様は混乱している様子で。慄くように震えた唇は、アオちゃんの言葉で更に追撃をかけられたように開かれる。そうか、教皇様は族長様の親友。海の祝福のその効果の強さも当然ご存知なのだろう。だから私に、そんな得体の知れないものを見るような視線を向けてきていると。
「はいストップ。今は疑問が色々あるだろうけど、時間が無いから」
「…………」
「何故黙ってた、そういうのが愚問なのはわかるでしょ。おいそれと明かしていい力じゃないってことも」
珍獣扱いされているような、とその視線に複雑な心境を抱いたのは一瞬。それは話を邪魔しないためか、無言のまま私の両脇を固めてくれたシロ様とヒナちゃんによってかなり緩和された。そして続いた涼やかな声にも。
混沌とし始めた空気に刃を入れたのはまたしてもこっくん。アダマくんの物言いたげな視線をさらりと切り捨てると、こっくんはそこで教皇様の方へと顔を動かした。その時こっくんがどんな顔をしていたのかはわからないけれど、それを見た教皇様の表情が引き締まったのだけはわかって。そうしてその教皇様の視線が一度、申し訳なさそうな色を乗せて私に向けられたのもわかった。
……多分こっくんが私のため、咎めるようなそんな意図を込めて教皇様を牽制してくれたのだと。シロ様やヒナちゃんの行動だってそう。些細な気遣い一つで、だけど私のことを思って当たり前のように渡される優しさで、私は日々確かに救われている。
「長老。扉を開く法術の、その代償の性質はどっち? 法力が必要だから命が削られるのか、はたまた最初から法力以外の代価が必要なのか」
「……前者だ。後者であれば他者の犠牲でどうにかなる方法が研究されていただろうな」
「そう。なんにせよそっちのが助かる」
と、今はそんな感傷に浸っている場合ではなかったか。今はとにかく時間が無い。一刻も早く族長様の元へ、ミツダツ族の本領地まで行かなくてはならないのだ。そのためアダマくんが使うゲートの、その代償とやらを抑える方法を考えなくてはならない。
淡々と問いかけるこっくんのその声と、答えるアダマくんの声を拾い上げて考える。ふむ、必要となる代償はただひたすらにいっぱいの法力。恐らくはアダマくん、というよりは人がその法術を使うには法力が足らなすぎて、代わりに寿命を代償に発動できる技へと変わっていったのかもしれない。となると、考えることは非常にシンプルだ。法力を増やせればいいわけだから……。
「お姉さん、どう?」
「……外付けの法力タンクみたいな。大容量の法力を吸収して保存しておけて、アダマくんが必要な時に扱えるようなイメージでどうかな」
「……うん、いいと思う。ただ結構複雑だと思うけど大丈夫?」
ただ、それもちょっと増幅する程度じゃ足りない。必要な法力の総量が具体的には分からない以上、二倍、下手したら三倍に出来るくらいに。だけどそういう増幅効果を人に直接的に齎すのは、なんだか危険な気もするわけで。
ならば外付けとして。人の体を水鉄砲、そこに込められた水を法力としてたとえて……そこに貯水タンクを備え付けるように。普段は法力を蓄えておけて、必要な分だけいくらでも供給できるような。そういう付与をもたらすのはどうだろう。それを言葉として出力した私の拙い説明を、こっくんはちゃんと理解してくれたらしい。頷くと同時、心配そうな視線を向けてくる。確かに今までやってきた単純な付与と違って、ちょっと複雑なイメージではあるけれど、でも。
「……大丈夫。行けると思う」
やれる気がする、と左手小指に嵌められた指輪を撫でる。ふわりと舞った糸を見つめて、邪魔しないようにと両側から離れていったシロ様とヒナちゃんを見送って、私は小さく息を吸った。そして目を閉じて、深く深く思考する。
……教皇様は先程言っていた。付与とは、まるで法具を好きなように作れる能力ではないかと。今まで私が行ってきた付与は無意識的の内にできていたものや、こっくんに言われてやってみた簡単なもの、そうしてアオちゃんへ渡した髪飾りの封印くらい。それは法具と呼ぶには、多分効果が単純すぎる。
それなら複雑に。もっと色んな言葉を一つのものに込めることが出来るかと自分の中で、糸くんに問うて見た時。返ってきた返事は「出来る」という根拠の無い、さりとて確信だったから。だからきっと出来るのだ。今だから、この世界に私が馴染んだから。
瞬間あの裁縫箱に咲いている菖蒲の花がぱっと頭の中に浮かんで、そうして消えていった。私にこれをくれた『あの人』の笑顔が遠くに見えた気がした。その残像を追うように糸を紡ぐ、紡ぐ。紡いで、想像を形にする。何が欲しいのか、何が要らないのか。必要な材料だけを明瞭に思い浮かべて。
「っ、これは……!」
「……きれ、い」
外の声も聞こえないまま、私はただ織ることに夢中になった。イメージとして浮かぶ文字のその一つ一つを拾い上げる、縫い合わせる。『法力』、『保存』、それもいっぱいに……『大容量』に。そうしてそれをアダマくんが利用することが出来るように。『法力の変換』、『流用』、『同調』。そこにいつもよりも出力が上がるような仕掛けを……器が壊れない程度の『増幅』を。
あとはタンクに法力を貯める時に、アダマくんじゃない誰かが法力を注げればより便利だろうか。となるとここにも『変換』を縫って。……そこで、限界を悟る。ここが今の私の臨界点。ならばまずこれを、完成させなくては。無意識的に持ち上げた指が、最後に玉を結ぶ。結んで、そうして。
「っ、……!」
「……ミコ姉!」
「お姉ちゃん……!」
そこでぐらりと、頭が思い切り揺れる感覚が私を襲った。これには覚えがある。そう、最近は久しく味わっていなかった、法力がごっそりと削れる感覚。ふらついた足では全身を支えきれずにそのまま倒れそうになって、悲鳴のような声が二つ聞こえて、けれど崩れ落ちるその前に頼もしい腕が私を支える。
「……シロ、様」
「相当な無茶をしたな。お前は加減を知らない」
「あは、は……職人魂、ってやつ、かも……」
腰に腕を回されて、それでもふらついて、だからかそのまま抱き上げられた。多分私の調子をこれ以上崩さないための横抱き。乙女としては憧れのこの体勢がすっかりと板に着いてしまったな、なんてことをぼんやりと考えた。ヒロインとしてではなく、病人としてなのが悲しいとも。
視界がぼやけていて、苦言を呈してきたシロ様の顔がよく見えない。すごく眠い。本当にシロ様の言うよう、やり過ぎた。だって今自分が作ったものがどんなものなのかも見ることが出来ないのだ。そもそも今どこにあるのか、ちゃんと出来ているのか。浮かんだ疑問も、すぐ泥のように重い眠気が掻き乱していく。
「……お姉さん、あのさ」
「……え、あ……」
そんな最中、ぼんやりと黒い影が近づいてくるのがわかった。いつも頼りになって、ここ最近はもっと頼もしくなった声が、困惑に揺れているのも。どうしてこっくんは、そんな困ったような声を。もしかして私は上手く出来なかったのかと不安に思って、その不安も眠気がかき消して。そうして最後に聞こえたのは。
「何かを仕立てるのって、あの裁縫箱がなきゃ出来ないんじゃなかったっけ……?」
そういえばと、根本をひっくり返してしまったことを教えてくれる声。それを聞き取るのが、その時の私の限界だった。




