四百三十八話「夢と現の」
「…………」
ぱちり。瞼を開いた時視界に最初に入ったのは、眠った時に見上げた黒い布ではなく木目のしっかりした天井。その景色を見て最初に思ったのが、「いつものやつか」だった辺りが慣れを感じさせて少々侘しくなる。この世界に来て何度目だろうか。意識を失っている間に自分の居場所が変わっていたこと、それに寝起き一番で気づく瞬間は。
まぁ前回のように、部屋が大破している衝撃に比べればマシなのだが。ゆっくりと身を起こしつつ、私は寝ぼけ眼を擦って辺りを見回した。とりあえず近くに人は居ない。部屋は……ああ、この数日アダマくんに貸していただいていた、五人で使っていた客室だ。荷物もそのまま。
「…………ええ、と……?」
これは一体、どういう状況だろう。私は首を傾げた。私の体があのテントから移動している、ついで部屋が傷ついている様子は無い。ということは恐らく、今回は法力同士の衝突による爆発事故の類は怒らなかった……ということでいいはず。つまり夢覗きの儀式は成功した可能性が高い。
それは何よりなのだが、ならば私は何故ここに一人で寝ているのだろう。意識を失って目覚めた時。そういう時は大概シロ様か、仮にシロ様が居ないとしても他の誰かが付いてくれていることが多い。それで状況の説明を受けて、そこから私も話の流れに合流する……という感じになるのだが、一人で目覚め周りに人の気配が無いケースは初めてである。どうすればいいんだこれ。
「……あっ起きましたー?」
「っひぇっ!?」
「あはは、すごい声」
もしかして法力事故以外で何かしら予想外のことが起こったのでは。或いは賢者達の誰かの妨害が成功したとか……? などと、猜疑心に囚われていた私。しかしその猜疑心にヒビを入れるよう、突如として背後から聞こえてきた声に私は素っ頓狂な声を上げてしまった。振り返ればそこには黒髪をオールバックにした青年、タァパさんの姿が。彼は驚きに身を竦ませる私を見て笑うと、そっと手をこちらへと差し出す。
「異世界からの稀人の巫女様、皆様がお待ちですよ」
「……え、あの……?」
「まぁまぁ。説明は我らが長老様がしてくれるのでー」
何やら仰々しい呼び方をされてしまったが。なんだ、ミコと巫女を掛けてでもいるのだろうか。怪訝に思うも、現状タァパさんを疑う理由はそんなにない。アダマくんが説明をしてくれるというのなら、そちらを断る理由も。故に私は、差し伸べられたその手に自分の手を重ねた。そうする事が当たり前のように。視界に映った彼の手よりも、握った彼の手が小さく感じることすらも気づかないで。
服は儀式の時に着ていた白い巫女服のまま。タァパさんに手を引かれる形で少し見慣れてきたお屋敷の廊下を歩いていく。鼻歌を紡いで先導してくれる彼に何か問おうかと考えて、やはりやめた。なんとなく問いかけるべきでは無い気がしたのだ。なんだろう、まだ夢の中を曖昧に歩いている感じがする。思考が、ふわふわする。
「眠いですかー?」
「……え、あ、はい……?」
「うーん、まだあちら側かな。まぁアレの干渉があったんじゃしょうがない」
不思議な感覚だった。普通体を動かせば動かすだけ目が冴えるはずなのに、一番に瞳に映る景色が鮮明だったのは起き抜け。足を動かせば動かすほど、夢の中に逆戻りするような感覚がふわふわと私を襲う。それを引き止めるよう、少し前から声がした。すぐそこにいるのに、何故かその声は水を通して聞こえているかのようにくぐもっていて。
「ミコさん、夢は覚えてますか? どんな内容でした?」
「……どんな、って。神様と会って……?」
「ほんとに? それだけでした?」
だけどその違和感は、一度彼が私の手を強く握ったのと同時に泡が弾けるように消えていく。彼の足が止まった。私はぼんやりとその背を見遣る。徐々に輪郭も、声色も、それら全てが曖昧になっていく……誰だったか分からない、だけどそれを疑問に思わない、その背中を。
どんな夢だった、って。それは夢覗きの儀式をしていたのだから、元は神様から世界の破滅に関する情報を得るためにこの話は始まったのだから、その神様とは彼女のことなのだから、つまり彼女の夢のはずで。なのにそれだけ、と言われると思考にノイズが走ったような気がした。それだけ、それだけ……?
「……あれ、なんで」
「うん」
「…………おもい、だせる?」
「ああ」
ふとこちらを振り向いたその人影の声が、低い男性のものから少しだけ高いものに。口調は明るく馴染みやすいものから、慣れ親しんだぶっきらぼうなものへと変わった。だけどそれよりも強烈だった変化は、脳を巡る細胞が一気に活性化したような感覚。
彼女との夢は本来、思い出せないものだった。そういうもののはずだった。なのに私は覚えている。あそこであったことを、あそこに本来居るはずのない他の誰かが居たことを。そうだ、私はあそこで……あの得体の知れない、彼と出会った。
『ああ、オマエが神の。散々とボクたちの未来図を掻きまわしてくれやがった、厄介者』
ぞっとするような冷たさを秘めた、髪とお揃いの、金の瞳でこちらを見下ろす。
『もう、神はここに来ないよ。ボクが道を壊したから』
子供のような無邪気さと、世界を全て掌握しているような傲慢さを兼ね揃えた声を持つ。
『ボクと、姉さまのため。その他はイケニエになる』
その声でとんでもないことを宣誓した、間違いなく敵としか思えない彼に。
「…………シロ様」
「ああ」
全てを思い出すと同時に、一度瞬きをした。すると目の前で私の手を引いていた姿が見えない誰かの姿は、シロ様へと切り替わる。いいや、恐らくは最初からそうだった。だから私は手を躊躇なく取ったし、その手のサイズと温度に安心を覚えた。何故かタァパさんに見えていただけで、最初からシロ様はシロ様だったのだ。そしてシロ様は、きっと。
「シロ様、ここは夢?」
「正確には夢と現の境だ。お前が今回夢で出会った存在のせいで、お前は今ここを彷徨っている」
「……それを、迎えに来てくれた?」
「ああ」
私を迎えに来てくれたような気がする。その気がする、は彼の言葉によってすぐ確信へと変わった。私を見上げる、ついさっき夢で相対した存在とは全く違う温度を持つ二色の瞳。それに涙が出そうな程に安堵する。そうだ、怖かったのだ、私は。
怖かった、殺される気がした。というよりはあの時彼女が来ていなければ、私は殺されていたのだろう。あの人にとって私は邪魔者で、恐らくは排除しなければならない存在だった。それを本能でわかっていながら、だけど夢の中に誰も来れないことを知っていたから、私は最後の根性で逆らってみせて。でもなんだ、シロ様、夢にまで来れるのか。夢にまで、私を守りに来てくれるのか。
「……シロ様、早く帰りたい。あの人めっちゃ怖かったから、皆に会って癒されたい」
「わかっている。もう怯えなくていい」
「うん…………」
ぐず、と。目から零れた涙を擦った私の右手の反対。左の手をもう一度強く握って、そしてシロ様はもう言葉もなく前へ前へと進んで行った。何の呪いをかけられてしまったのか。進めば進むほど私の足は重くなる。二度とこの夢の中から出さないと、そう言われるかのように。
だけどシロ様が手を引いてくれているなら、そんなのは道に転がる石ころ程度の障害にしかならなかった。なんせ家のシロ様は馬鹿力で、目の前にある敵全てを片付けていく程度には殺意が高くて、そうして私を置いていくことなんて絶対にしないのだから。進んで、進んで、やがてアダマくんの部屋の前に辿り着く。そこがゴールだと直感した瞬間、シロ様がその障子に手をかけた瞬間、私は告げた。
「……迎えに来てくれて、ありがとう」
「……ああ」
障子が引かれる。世界が白んでいく。意識がまた落ちていく寸前に告げたありがとうは、だけどシロ様に届いたらしい。手を握り返されて、その温度に安心して、そして暗転。次に目を覚ました時、私の視界に映ったのは泣きそうな表情をしたヒナちゃんとアオちゃんだった。




