四百三十七話「引導を告げるのは」
「……お前に、お前に何がわかる! ただの人間の子供風情が! 幻獣人の力に遠く及ばない、ただちょっと力が強いだけのガキが!」
「……セキウ、」
「研鑽? 足を引っ張るだけ? ああそうだよ! それが俺の戦い方だ! 無能な父上と母上の間に生まれた、無能な俺が唯一できるやり方だ!」
男が喚き散らす、そのタイミングでシロガネはそっと結界を張った。儀式には決して影響しないよう最小限の力で。コクヨウがいつも使う、辺りからこちらの音を遮断するものを。ついで目立たないよう気配も遮断させておく。シロガネも元々使うことが出来た風の法術は、しかしコクヨウの使うものを見てからより洗練されていったと思う。こうやって即時に、法力にも気を遣って展開できる程には。
けれどきっとそういう形で努力しなかった、或いは出来なかった男は、その中で子供のように駄々を捏ねる。隣の男に案じるように名前を呼ばれても彼が振り返ることはなかった。目を血走らせて、ぐしゃりと乱暴に自分の前髪を掴んで、そして自分の身の不幸を嘆く。こうすることしか出来なかった、だから仕方ないのだと。
「上手く行ってたんだ……! コクを利用すれば全部、全部、全部!!」
「…………」
「あいつだってそれが幸せだっただろ!? 俺はあいつのいい兄だった! 誰にも顧みられない、哀れな子供に目をかけてやっていた! その代わりに才能を借りただけ! それの何が悪い!?」
恐らくはもう為す術がないと気づき、叫ぶことしか出来なくなったのだろう。慟哭する男の、その身勝手な言い分。それらにシロガネが言い返すことはしなかった。ただ冷ややかな視線を彼へと向けるのみ。本当にそれで正しく回っていたと思えるなら、随分とめでたい脳だと侮蔑を向けるのみ。この男は薄氷の上を渡り歩いていただけだ。いつか割れる、いつか溶ける、そして全て台無しになる。コクヨウありきでの栄光の道を。そしてもうそれが戻らないことに、彼は未だ気づかない。気づけない。
「俺はあいつに愛を与えたし、知識だって与えた! それを元にコクが何かを作り出したなら、それは俺に還元されるべきだ! そうやって回っていくべきだった! これまでも、この先も!」
「…………」
「俺達は兄弟なんだから! 弟は見出してくれた兄に、全てを捧げるものだから!」
「…………!」
酷く醜悪で、自分勝手で、身の程知らずで。そんな叫びに、隣の男の表情が曇ったことにも気づけないのだから。シロガネはそこで顔色悪く俯いたもう一人の男を見遣る。まだこちらは改心の余地があるかもしれない。だが、この男は恐らくは駄目だろう。その視線はまた、叫び疲れてか肩で息をする方へと向けられた。
ヒナタの叔父や祖父と同じ、救い切れない生き物。全てを他人のせいにしなくては生きられない生き物。自分の卑劣さを自覚することを放棄し、自身の正当化に固執してしまってはもうそこで終わりだ。そう、終わりだから。だからこそ、引導をくれてやるべきだろう。そしてその役目はコクヨウであってはならない。
「脚は一本では前に進まない。偽りで真実を覆い、兄一人の世界だけで生きていく。貴様という左脚が良かったとて、コクという右脚はそれを望まなかった」
「…………っ、」
「その結果がこれだ。貴様は別の脚を見つけるか、或いはコクのように自前で脚をもう一つ揃えなければいけなかった。それをせず歩みを止めた結果が今だ」
ヒナタでもアオイでも、尊であってもならない。恐らくはこの男に欠片でも憐れみを見出してしまう、優しく共感に長けた者であってはならない。この男に一切の同情も抱かない、ただ嫌悪と侮蔑を抱くシロガネでなくてはならない。
もう好き放題喋っただろうと、シロガネはそこで漸く口を開いた。その子供の、自分がただのガキだと吐き捨てた少年の威圧感に男はたじろぐ。色の違う二色の瞳。それは暗闇の中で輝き、相手を逃がすことなく捉えていた。まるで熟練の狩人のように、今相手を噛みちぎらんとばかりに。
「それを他人のせいにするなど、正しく愚の骨頂。……などとは、貴様のような屑には言っても無駄だろうが。故に真実だけを伝えてやる。貴様の抱いているそれが、泡沫の夢だと理解出来るよう」
「……しん、じつ……?」
大方わかった。この男はまだ、くだらぬ幻想を描いているのだ。他の賢者達とは少し違う目論見。今回の件が失敗すればコクヨウが周りに見放され、自分の元に戻ってくると思っている。とうの昔に自分から離れたコクヨウが、まだかつてと同じ境遇に立たされていると思っている。ならばその望みを、彼にとっての唯一の希望を、断ち切るのみ。一度視線をコクヨウの方へと向けたシロガネは、そこで凶悪に微笑んだ。相手に自分の方が上位者だと、そう伝わるように。
「コクを今取り巻く者は、お前のような無能な屑ではない。力を持ち、それをコクのために使いたいと考える心優しい者ばかりだ。コクの力よりもコク本人のことを慕っている」
「…………!」
「今回コクが失敗したとて、誰もコクを見放すことは無いだろう。コクと共に進むことを望み、コクの手を引くことを望む。そしてコクもまた、同じことを我らに望む」
恐らくは男が大切に抱いていた真水のように純粋で、真綿のように柔らかい希望に容赦なく爪を立てた。もうコクヨウに偽りの愛を与え、利用するための知識を与えるだけの脚はいらないのだと。コクヨウにはもう自分の脚が二本と生え揃っていて、自分のための知識も誰かに与える愛も自分で掴みに行けるのだと。
そしてコクヨウの周りにも、そうやって変わったコクヨウと同じ性質の者達が居るのだと。だからこそ無能で裏切り者のお前はもう必要ないのだと。徹底的に、容赦の一つもなく。シロガネはそうやって、男の最後の願いを全て引き裂いた。そうして最後、わからせてやるために。シロガネは自分の本来の耳を顕にする。
「…………っ、クドラ……!?」
「ただのガキだと勘違いされて、力でかかられても鬱陶しい。わかったな? 今コクの周りに居るのはこういう者だ」
「…………」
それは一瞬。周りには気づかれぬよう、ただこの二人には現実をわからせるよう。人も獣人も幻獣人も、ただの種族に過ぎない。持つ力の強さも、人を構成する一つに過ぎない。一番大切なのは心なのだと、尊と旅をするうちにシロガネもそういう風に考えるようになった。だがこの手の手合いには、特別に憧れ妬みを抱く者には、こういった称号が効くこと。そのことだってシロガネは理解していた。かつて黒い髪に執着した、愚かな領主代理の男のように。
「赤い翼のムツドリ族、海の祝福を持つミツダツ族。そして異世界からの稀人、コクに手を差し伸べた特別な力を持つ人間」
「…………あ、」
「ついで、あの長老も友としたか。コクはもう、お前に興味の一欠片もない。コクにお前は、必要ない」
だからこそ、こうやってこの男が魅力的に思うものを引っ立てて。そうやって「故に何も持たないお前は要らなくなったのだ」と言外に突き放して。そうしてシロガネはまた、コクヨウの方へと視線を送った。それにはっとしたように、二人の男もまたコクヨウの方を見つめる。
シロガネ達の視線の先、中心の少年は誰にも邪魔されることなく神の法力を受け止めきったらしい。開いていた手のひらをゆっくりと握りしめ、そうして少年はほっとしたように微笑んだ。そんな少年に浴びせられるのは破竹のような勢いの拍手と、歓声。それに一度肩を跳ねさせるとコクヨウは俯く。無愛想なそれが照れからくるものだと、シロガネは知っている。恐らく今コクヨウに飛びついた二人の少女も、それを知っていることだろう。
「……終わりだ」
「…………あ、ああ、あああ…………」
これにて舞台は幕引き。夢の記憶を無事複写して取り出せたのならば、後はそれを映すのみだ。映すだけならばアダマ一人で事足りる故、コクヨウの協力はもう必要ない。コクヨウは長老の儀式を成功に導いた功労者として、ここに居る全員の記憶に刻まれたのだ。
言いたいことは言った。儀式も成功した。ならばもう、シロガネから彼らに用はない。ここで下らないお喋りに興じるよりも、あの不器用な弟分によくやったと伝えに行くことの方が余程大切だから。絶望から崩れ落ちた男をもう一人の男が支える。諦めのような表情を宿して。それを一瞥すると、シロガネはもう振り返ることなく進んで行った。
これから先、彼らとコクヨウの道が交わることは無いのだと。言葉の刃で斬り捨てたものに未練ひとつ見せる事無く。




