四百二十話「とうに消えた雪」
俺の子供の駄々のような問いかけに、理不尽で残酷な問いかけに、けれどこの人は投げ出すことなく一生懸命に考えてくれた。「皆大切だよ」と、俺が聞きたいようで一番聞きたくなかった言葉に逃げることなく。
優しいこの人のことだ。きっと誰かを切り捨てることを想像することすら、その心には辛かったはずで。それでも俺が求める、自分だけの答えを懸命に探してくれた。思案の表情の中に痛みを抱えながら。
『一番』じゃない相手を、ミコは大切にしないと?
……ああそうだ、知っていた。とうの昔に知っていたのだ。シロの言葉が正しく確信であると、俺はずっと前から知っていた。
一番大切なもの以外も、その手の中にあるもの全てを大切にする人だった。いや或いは、誰が何が一番なんて考えたこともない人だったかもしれない。仮にその考えがあったとて、そのために何かを犠牲にすることなんて考えもしない人だった。いいや自分だけはあっさり投げ出して、全てを守ろうと必死に手を伸ばす人だった。なんせ自分を理不尽に閉じ込めた者すら、自分を理不尽に傷つけようとした者すら、簡単に許せてしまう人なのだ。
客観的に物を見ることはしても、理ではなく心で手のひらに掬い上げるものを選んで。
人を利用することも、なんならお願いすることも得意ではなくて。けれど頼られるととびきり嬉しそうで。
切り捨てるのは自分だけ。それ以外の人の手は、腕がちぎれそうになったって掴んで離さない。
『こっくん』
だから俺は、この人を守りたいと思った。
『コク』
『コクお兄ちゃん……!』
『こっくん!』
そのうちこの人を取り巻く全てが大切になって、全部守りたいと思ってしまった。『一番』なんて積もっていた心残りは、とうの昔に溶けていた。俺はそのことをやっと、思い出したのだ
「ええとつまり、ここにそのユェアン家の人達が揃ってると?」
「うん。セキウが居るんだから、家長とケイが居るのは確実だと思う」
こっくんの中のわだかまりが溶けた瞬間を目撃した、その後。私は暫く、こっくんが語る昔話に耳を傾けていた。「お姉さんには知っていて欲しいから」と、そう言われればこちらに断る理由もない。ただ一応影の人が付いているらしいと告げると、こっくんはそっと結界を張っていた。私に聞かれるのは良くても、第三者はお断りらしい。その信頼は少しだけ、いや結構嬉しかった。
そしてこっくんは語る。いわゆる妾の子として生まれたこと、本妻さんやら血縁上の父親に色々振り回されたこと、次兄に当たるお兄さんに助けられたと思ったら本当は利用されていたこと。そして、妹さんの手を借りてこの屋敷から逃げ出したこと。私と出会う前の顛末全てを、恐らくは私がショックを受けないように少し濁す形で。その上でこう告げたのだ。「もうきっぱりあいつらとは絶縁したい」と。
「実はさっき、俺を散々利用したセキウに会ったんだ。あいつ、なんて言ったと思う?」
「え、ええ……? 『ごめん』とか?」
「それも一応は聞いたかな。ただそれ以上にあいつ、俺を家に戻してまた利用したいって」
「えええ……?」
ほんと烏滸がましい上に救えない奴。こっくんはそう低く呟いた後、物騒な光を瞳に湛える。一方私はドン引きだった。当然こっくんにではなく、そのセキウさんとやらにである。こっくん曰く、彼はこっくんを利用するためこっくんの身の回りの人達を排除したりもしていたらしい。助けてくれた兄という存在だったならともかく、そんなことを仕出かしておいてどうしてまた助けてもらえると思うのか。人間性、いや幻獣人性を疑う。
「まぁ家に戻る気はさらさらないんだけど、一個気になることがある」
「……妹さん、かな」
「……うん」
もしかして頭の中がお花畑なのだろうかと、話からヒナちゃんの従兄弟だった人よりも救えない何かを感じつつ。私は「気になること」と言って瞳を伏せたこっくんに静かに問いかけてみる。お兄さん二人も、そのご両親のお二人も、きっとこっくんにはもうどうでもいい存在。けれどこっくんに真実を伝え、救ってくれた妹さんは? 彼女はこっくんにとって、きっと無視できない存在だ。
「確か長老は今、レイブ族の奴らに俺達との接触禁止命令を出してるんだよね?」
「うん。あと不要不急の外出も禁止してたかな」
「……なのにセキウはその禁を破って俺に接触してきた。ということは相当家がやばいのかもしれない」
「…………」
今回こっくんに接触を図ったセキウさんの行動は、明らかにおかしい。話を聞く限りセキウさんという人は、典型的な「長いものに巻かれるタイプ」のように感じた。だとしたら長老であるアダマくんに逆らうなんて以ての外だろう。それすなわち、アダマくん直々の禁を破ってでもこっくんに接触したい理由があったのではないだろうか。たとえばこっくんの言うよう、ユェアン家がピンチだとか。
或いは、彼が大事にしている兄のため? セキウさんはこっくんが研究していた薬やらの成果を、全て長兄たるケイさんに横流しにしていたらしい。けれどこっくんが消えれば、当然横流しの大元が無くなってしまうわけで。様々な功績を残していたというのにも関わらず突如音沙汰が無くなれば、当然ケイさんは怪しまれるだろう。そっちの線で接触してきたと考えることも出来る。
「正直セキウもケイも、ついでにその両親二人もどうでもいいけど。でもルウには、恩がある」
「……うん」
「あいつが居なかったら俺は、今も利用されたままだったかもしれないから」
まぁ仮に今回セキウさんが接触してきた理由が後者であれば、絶縁を宣言し振り切るだけでいい。しかしユェアン家そのものがピンチだった場合、その事情に末妹でありご両親から期待されているというルウさんは確実に巻き込まれることになるはず。
こっくんよりも歳下なのに、当時こっくんを騙していた全てを暴いてくれた聡明な妹さん。こっくんが家から出られるよう色々手を回してくれたという妹さん。そんな自分にとっては恩人に等しい彼女だけは放っておくことが出来ない、というこっくんの話はとてもよく理解出来た。今度は自分が妹に手を差し伸べられたら、と思っているのだろう。それに協力しない理由は無い。何故ならばルウさんは、私にとっても恩人だ。
だって彼女がいなければ、私達はこっくんに会えなかったかもしれないのだから。
「……アダマくんに色々聞いてみようか」
「……長老に?」
「うん。あっちもこっくんにお話したいことがある、ってのはさっき言ったよね? その件と一緒に話し合ってみてもいいと思う」
「……成程」
ひとまず今出来ることは、ユェアン家の事情を確認すること。そしてそれに丁度いい人材を私達はよく知っている。アダマくんだ。レイブ族を取り纏めるアダマくんであれば色んな家の事情に詳しいだろうし、何より彼は今こっくんの助けを必要としている。それを交渉材料に、情報収集から始めてみてはどうだろう?
他己紹介会の時は何やらユェアン家の事に触れてきていたし。と思い出しながら告げると、こっくんは少しの間の後頷いてくれた。よし、こっくんの意思が固まったなら話は早い。影の人を待たせ続けるのもいい加減悪いし、ひとまずアダマくんの屋敷へと戻ろう!




