四百二話「遊路での接触」
「……あらあら、急に出てきてどうしたの〜? こっちの話が気になっちゃったのかしら〜。存外、歳相応に子供っぽいところもあるのね〜」
「……『貴様と舌戦を交える間はない。この娘の体に負担がかかるからな』」
「うふ、了解。今度覚えてろ、ってことね〜」
何故か突然アーシャさん越しに自我を出てきた長老様。それに驚いたのは私だけではなかったらしく。今のアーシャさんが長老様であると知っている面々も、そうとは知らない面々も、ぎょっとしたようにアーシャさんへと視線を釘付けにする。
警戒や困惑が広がる、そんな空気の中。唯一通常運転の教皇様が長老様へと声をかける。その様子は存外親しげだった。別種族の幻獣人同士は不干渉を貫いているとシロ様からいつか聞いたような気がするが、トップ同士だと多少話す機会もあるのだろうか。……いや、若干空気が冷たいような気もするが。
「それで? 貴方が気になったのはどこかしら〜? 正直、ミコちゃんの推論は穴が多いと思うのだけれど〜」
「うっ…………」
その勘はあながち間違いでもなかったらしく、先程までの朗らかさが抜け落ちた笑顔で告げる教皇様。しかしその言葉は長老様というよりは、私に刺さってしまい。そうですよね、穴が多すぎますよね。私のさっきの話は相手が未来か何かが見える前提の上、証拠も穴だらけのぼろぼろの推理だ。むしろなんで長老様が興味を持ったのが謎である。いや、レイブ族の長とのことだし彼、あるいは彼女には更に先が見えていたり?
「『そう思うのは、貴様の情報と思考がまだ俺に追いつけていないからだ。ミコと言ったな。お前の推論は、存外的を得ている可能性がある』」
「え、ええ……??」
なんてことを考えていた最中、突如名前を呼ばれたことに私はびくりと肩を跳ねさせる。というか口調的に、もしかして長老様は男性だったりするのだろうか? アーシャさんの声なのに全然違って聞こえるような。いやいや、そうじゃなくて。
「『……が、その話をする前に』」
「っ、……ミコ!」
「お姉さん!!」
「えっ、ちょ……!?」
なんで長老様はこんなに私の肩を持ってくれるのだろうと、得体の知れない信頼を不審に思ったところ。私の視界は突如歪んだ。まるで特殊なレンズが突如目を覆ったかのよう。ぐにゃりと歪んだ視界の奥から伸びてきた手に、私は為す術もなく腕を捕まれる。シロ様とこっくんの、焦ったような声が後ろから聞こえた。けれどどうやら突然のことに、あの二人でも対処できなかったらしく。
「……ええと、その、ここ……? というか、この空間は一体?」
肌に触れる、冷ややかな温度。先程までとは明らかに違う空気を前に、咄嗟に瞑ってしまっていた瞼を開く。するとそこはさっきまで居た上品な雰囲気の部屋ではなく、真っ暗な空間で。
下を向けば、揺蕩う水面が空間全体に広がってるのがわかった。足を動かせば当然のようにその水面には波紋ができる。けれど、濡れている感覚がない。そんな中に私と、教皇様と……そして見知らぬ少年が一人。黒い長髪を低い位置で一つと束ね、目元に白い布を巻いたどこか浮世離れした雰囲気の少年。しかし実際は目が見えているのかなんなのか、目隠し越しでも彼の視線はこちらへと向いている気がした。……こんな子供が、長老様?
「……ここは長老くんの『幻夜遊路』って空間よ〜。ひとまず今は、内緒話にぴったりな場所って思えばいいわ。どうやら呼ばれたのは、私とミコちゃんだけみたいね〜」
「お前の連れの子供達はともかく、あの場では他にこの話を聞かせるに適していない者が多かったのでな。連れには後からお前が話せ。教皇が居るのはただのついでだ」
どうやら彼が長老様であっているらしい。自分を見て呆れたように溜息を吐いた教皇様に関心なんてないらしく、彼の視線は私の方へと向けられるばかり。その不遜さはシロ様とは似て非なるものだった。そしてこっくんともまた違う冷ややかな雰囲気を放っている。これは、なんだろう。
うーん。シロ様は基本的に人に興味が無いが故の不遜なのだが、彼は人に関心がありながら不遜、というか。私を見る視線にも、どこか研究対象?みたいなそういう雰囲気を感じる。そしてこっくんの纏う冷ややかさは警戒心の表れなのだが、長老様のそれは芯から滲むものというか。こっくんにある優しさや甘さが、彼にはないように思える。それが私の長老様への、第一印象だった。
「さて、話を続けよう。お前は以前、全ての黒幕はリンガなのではと言ったな。つまりお前の考えで言えば、今回話に出たムツドリ族の者、そして我らレイブ族の者はそいつの下に居る……ということになる」
「……! そんな、」
「黙って話を聞け、教皇。俺はその推測、間違ってはいないと思った。物事を単純に考えれば、一連のこれらの騒動を望むような者も。これらで利を得るものも、奴らというのが一番頷けるからだ」
「…………」
そしてその印象に拍車をかけるよう、余計な前置きもろくな説明も無しに長老様は話を続ける。黒幕はリンガ族。その言葉に教皇様は呆気にとられていたが、確かにそれは以前私が話したことだ。そういえばアーシャさんが居る時に話していたのだっけ。そしてその話を彼女越しに聞いていたらしい長老様は、私の与太話を真剣に検討してくれていたと。
「そしてお前の言った、あの雛鳥が強力な力を持つことになることを予め知っていて、だったか。仮に背後にリンガが居るならば、そのからくりにも説明が行く」
「えっ!?」
「……まさか」
あの時の私とは違い、言葉の一つ一つに重みがある長老様。話す人によってなんか説得力が違って見えるな……なんて阿呆なことを考えていた時のこと。私は長老様から飛び出た予想外の言葉に、思わず間の抜けた声を上げてしまった。長老様はまさか、こう言っているのだろうか。ヒナちゃんが天輪を持つ未来になること。その未来を、リンガ族なら知ることができると。つまりそれはあのミツダツの族長様のように、リンガ族には未来視のような力が……?
「……それはつまりリンガ族には、未来を見る力があるということですか?」
「今はそう捉えておけ。さて、これで自分の推論に自信は持てたか? ミコ」
「…………」
真剣な表情で黙り込んでしまった教皇様を他所に、私は恐る恐ると長老様へと問いかける。どこか親しげにも私の名前を呼ぶ彼は、今何を思っているのか。弧を描く口元は少年の見た目とはちぐはぐで、どこか老獪で。そんな様子の彼に「自信は持てたか」と聞かれても、素直に頷けないのが現状だ。それに、仮にリンガ族が未来を見れるとして。それならおかしい事がひとつある。
「……でも今ヒナちゃんは、結果的に力を持っています。それは私のさっきの推論が外れた、揺るがない証拠なんじゃないですか?」
「……成程? 確かに、お前がそう考えるのは無理は無い」
そう、私の推論が外れた証拠。それは今のヒナちゃんが力を持って存在しているという揺らがないものだ。リンガ族が未来を見て、そしてヒナちゃんの存在に不都合を感じたなら。それでヒナちゃんの力のトリガーになるラムさんを消そうとしたのなら。それらは全て失敗している。何故ならばヒナちゃんが力を得た引き金は彼ではなく、私だったから。このことにはどう説明が付くのか。
早い話がリンガ族が未来を見ることが出来るとして、それならなぜ真っ先に私を排除しに来なかったのか。そんな私の問いかけに、長老様は微笑んだ。ぞっとするように美しい、私の言葉を待っていたと言わんばかりの笑みをその少年の顔立ちに浮かべて。そしてゆっくりと私の方へと近づいてきた彼は、華奢な指で私のおとがいを持ち上げる。
「だが、残念。外れだ」
「……外れ?」
「ああ。リンガには未来を知る術があり、それはこの大陸の人、獣人、幻獣人全てに及ぶ強大な力だ。しかしお前は何故か、その力の範疇外。……ここから先は説明せずとも、お前の方がよく分かっているだろう?」
「……!」
冷ややかな手だった。温度なんて感じられない、状況が状況だったら今すぐ手を包み込んで温めてしまいたくなるような、そんな。けれどそれを目の前の彼が許してはくれない。つい、と顎から降りていった少年の指先が喉をなぞる。感触を確かめるような動きと同時、落とされた言葉。それにまさか、そんな馬鹿な、なんて思う私を置いて、長老様はこてりと首を傾げた。
「……ああ、自己紹介が遅れたな。初めまして、『真の神の穴』を通ってこちらの世界に訪れた異邦人殿? 俺はレイブ族を束ねる長、長老。またの名をアダマと言う」
「なっ……!」
私が外つ世界から訪れた、シロ様曰く稀人という存在であること。それをあっさりと見抜いた長老様は、悠長にも自己紹介を始める。そして私が稀人であることにか驚きの声を上げた教皇様をスルーして、「お前はアダマと呼べ」とまた口角を釣り上げるのだった。




