四十話「小さな機織り職人と仕立て屋さん」
「ピュイ!」
嘶くような可愛らしい鳴き声と共に、フルフが頭の上に小さな光の玉を作り出す。最初は小さかったそれは、徐々に徐々にとその大きさを増して行って。そうしてやがてサッカーボール大くらいになったそれから、今度は細い糸のような線が伸びていく。不定形で定まらないままだった糸たちは、ゆっくりと反物のように長方形に織られていった。
「私の髪みたいな色で、お願いします」
「ピュ!」
とはいえその反物に、まだ色はない。光が収縮して白く染まったように見えているだけで、その反物は透明なままなのだ。だから私はフルフの認識が変わる前に、フルフの前で自分の髪を指差す。そうすれば機織り職人と化した毛玉は、任せろと言うように短く叫んだ。どうやら布の使用目的を理解しているからか、本日の職人はやる気に満ち溢れているらしい。
……とまぁ、フルフの機織り風景とはこんな感じである。料理を食べることでその小さな身にそぐわぬ法力を身にまとい、それを発散させようと何かを作り出そうとする。この風景を見たシロ様の見解は、そんなところだった。とはいえ何故布を作るのか、そこまではわからなかったのだけれど。
あとわかっていることと言えば、フルフは染色のことまでを考えていないということ。糸を織り重ね布にすることは理解しているが、染色までは手が回らない。故に放っておくと、布はその時フルフが目に付いた色になる。例えば私の浅葱色の浴衣は、その時近くに生えていた花の色だった。けれど今みたいに誘導すれば、こちらの要望通りの布を作ることも可能なのである。フルフの目に映る物限定、という制限はあるけれど。
「ピュピュ!」
光が発散するかのように散っていく姿、暗い森では眩しく映るそれに目を伏せて。しかし再び瞼を開けば、そこには自慢気に鳴くフルフの姿があった。どうやら本日の機織りも無事成功したらしい。フルフの頭の上には、艶のある黒布が乗っかっている。なんというか、いかにも高級そうな。
「……いつもより法力を持っていかれたのは、そのせいか」
「あはは……綺麗な布だね」
それを見てか、ぐったりと呟くシロ様。現在彼は、フルフに法力を注いだせいか少しぐったりとしていた。恐らく、あの綺麗な布を作るために多めに法力を持っていかれたのだろう。フルフの作る布の質は、注いだ法力の量によって変わるらしい。これは新発見だ。
しかしそれよりも、心配なのはシロ様の体であった。恐らくこれが、彼が先程話していた喪失反応というものなのだろう。私のように倒れ込んでいないだけ軽症なのだとは思うが、そうあからさまに顔を顰められると少し心配になる。結界も張ってあるし出来れば小屋の中で休んでいてほしいのだが、私の力を見ると言って聞かなかったのだ。私が倒れた時に運ぶ人間が必要だというその言葉には、ぐうの音も出なかったわけであるし。
「ピュ!」
「……ありがとう。素敵なのを作ってくれたね」
「ピュイ!」
やはり小屋に戻らせたほうが良いだろうか。というか食事も済んだわけであるし、ここで仕立てずとも小屋に戻って仕立てれば良いのでは。いやそれで万が一法力の影響で小屋が倒壊してしまったら。ぐるぐると考えて、けれど私はそこで足元から聞こえてきた声に視線を下げた。いつの間に近づいてきたのか、そこには頭に巻物のように巻いた反物を乗せるフルフが居る。どうやら私が取りに来ないのを見て、痺れを切らしたらしかった。
礼を言って布を受け取れば、フルフはまた機嫌が良さそうに短く鳴く。どうやらこの布は、この子の目から見ても自慢の品らしい。その小さな体躯にはアンバランスなほど大きいそれを、わざわざ近づいて届けに来るくらいには。そう思うと、少し微笑ましい。
「わぁ、さらさらだ……」
受け取った黒い布は、艷やかな見た目通りの滑らかな触り心地だった。服飾店に行くと、妙に触りたくなる魅惑の質感の布で作った服が置いてあることがある。それに限りなく近い質感ををこんなに小さなフルフが作り出したこと、何だかそれが少し不思議で。けれどいつまでもその触り心地に浸っているわけにはいかない。
「えっとそれじゃあ……シロ様、仕立ててみるね」
「……ああ」
布を優しく抱きしめて、隣に座る少年へと視線をちらり。伺いを立てるように尋ねれば、彼は変わらずどこか疲れたような表情を浮かべながらも頷いて。許可も出たことだし、これでようやくシロ様の服を仕立てることが出来る。布が上等なせいか、それとも魔法のような力を使うことにわくわくしているのか、私のテンションは徐々に上がっていった。
小屋から持ってきていた裁縫箱。脇へと置いていたそれを、反物を抱いていない方の右手で開ける。そこからあの日のような光が飛び出すことはなかったが、それでも左の小指には僅かな熱が走った。視線を向ければ、何もなかったはずの乳白色にはあの日と同じ菖蒲が咲いている。それにごくりと生唾を飲み込んで、しかし覚悟を決めると私は裁縫箱を開けた右手でその菖蒲に触れた。
「っ、!」
「……大丈夫か」
「……うん、ありがとう」
瞬間、一閃とも呼ぶべき光が辺りに走る。それと同時にごっそりと、体から何かが抜け落ちていったような感覚。それに座っていたのにわずかにふらついて、しかし倒れ込みそうになった体はシロ様が抱きとめてくれた。支えるかのように肩に回った彼の手に、少し申し訳ないような気持ちになる。シロ様だって、今は疲れているはずなのに。
でも、以前よりは体力が持っていかれていないような気がする。シロ様の浴衣を作るぞと、そんな意気込みで指輪に触れたからだろうか。どうやら私の力は、明確なイメージを持つことで上手く扱うことが出来るらしい。一歩前進、というやつである。
「ピュー!」
指輪から伸びた糸は以前のように宙に留まることもないまま、すぐさまその形を変えていく。それもまた、私の中でイメージが出来上がっているからなのだろう。自由自在に動く糸に、興奮したかのように跳ねながらも声を上げるフルフ。それに思わず苦笑を浮かべつつも、私はシロ様に支えられながら意識を集中した。そうすれば、自然と瞼が落ちていく。
「ミコ?」
「……大丈夫、集中させてね」
「……ああ、わかった」
突如として目を瞑った私を見てか、シロ様が心配そうに私の名前を呼んだ。どこか遠く聞こえたそれに返事を返しつつ、私は自分の思考へと徐々に潜っていく。それに対して複雑そうな色を含んだ声が、了承を意味する言葉を告げた。ただそれもまた、意識の不覚へと潜り込んだ私には遠い残響のように聞こえて。
前回暫く立てないほど倒れ込んでしまった敗因は、恐らくイメージ不足。それならば糸に任せきりにするのではなく、私の中でも明確なイメージを描けば良いのではないか。そう考えて頭の中に自分が想像した浴衣のデザインを描けば、指輪の熱が徐々に下がっていくような感覚を得ることができて。
しゅるり、糸が重なる。そうして大まかな形を作った後に、左手で抱き込んでいた布が消えていく気配。それを確かに味わった私は、ここからが本番だと更に集中した。
裁断する感覚、アイロンで布を張らせる感覚、そうして重ねた襟や袖をミシンで縫っていく感覚。思い出したのは、部活の皆でああでもないこうでもないと浴衣を作っていたときのこと。無いよりはましだろうと思い描いたそれには、しかし思いの外効果があったらしい。あからさまに減った熱量、抜けていく力が減ったような感覚。それが完全に無くなるまでを待って、そこで私は目を開けた。
「えっと……出来た、かな?」
「ああ、見事だった」
閉じていた目を開く。そうすれば最初に視界に飛び込んできたのは、それまでずっと私を支えてくれたシロ様の姿で。そんな彼に問いかければ、シロ様は真顔のままとある方向を指差した。それを追えば、そこには土につかないためか風で浮かされた黒い浴衣がある。恐らくシロ様が法術を使って、地に落ちないようにしてくれているのだろう。その下では、フルフがはしゃぐかようの飛び跳ねていた。どうやら、ちゃんと完成させることが出来たらしい。
「お疲れ、ミコ」
「……うん、シロ様もありがとね」
それにほっと息を吐いて、しかし私はそこで掛けられた声に再び視線をシロ様の方へと戻した。そこには、色の違う瞳を柔らかに和ませて私を見つめる少年が居る。労るような色を浮かべた、白黒の瞳。シロ様が浮かべるには珍しい気がするそれに一瞬、私は目を丸めて。けれども口は、柔らかく落とされたその言葉に勝手に返答する。
上手く出来た、きっと前回よりもずっと。何だかそれを、目の前の彼が認めてくれたような気がした。シロ様は前回の私がどうなってたかなんて知らないのだから、きっとこれは私のただの錯覚で。でも認められたように感じたのはきっと、間違いではない。ぐっと拳を強く握る。そうして堪らえようとしなければ、嬉しさが少しだけ溢れ出してしまいそうになったので。




