三百九十三話「落とされた処断」
「……うんうん、その通りよ〜」
「っ……!?」
その場に居る全員が崩れ落ちた従兄弟のお兄さんを無言のまま見つめる、静まり返った世界の中。しかしその空気に突如として割り込んできた声を前に、私はまたしても首を振り回すことになった。おっとりとした、柔らかい口調の女性の声。視線を動かせば、程なくしてその声の主は見つかる。
「私達の翼の色は、受けた愛とそれに呼応する愛で決まるもの。血なんてただの、古びた価値観を持つお年寄り達の固定観念に過ぎないわ〜」
「…………ええ、と」
まず目に飛び込んできたのは、ふわふわと揺れる腰まで伸びた赤い髪。ゆっくりと視線を上げると、そこには声の印象をそのまま形にしたようなおっとりとした美人の姿が。髪の一部を結い上げているのだろう。頭の上では豪奢な作りの白い花の簪が咲いている。その飾りの一部を緩慢に揺らすその体は、なんというか豊満かつ引き締まっていて。ぴったりと張り付くチャイナドレスのような服装は、彼女の見事な体型を更に強調していた。
そんな突如として現れた、同じ女として憧憬の眼差しを向けずには居られないナイスバディの持ち主。彼女は思わず戸惑いの声を上げた私にしっかりと視線を合わせて、そして微笑む。ヒナちゃんの夕焼けを煮詰めたような赤とはまた違う、火の色をそのまま閉じ込めたような瞳に思わず心臓が跳ねた。
「……貴様」
「あら? ふふ、貴方がクドラの若君様かしら? 随分と『変わった』瞳をしていらっしゃるのね〜」
「…………」
すると私のそれを恐れだと受け取ったのか。今度はそのお姉さんから庇うように私の前へ腕を伸ばしたシロ様は、警戒したように彼女を見据える。ぴりぴりと、空気が揺れる感覚。シロ様がそんな警戒を発する理由は私にも理解できた。今彼女は、なんと言った?
シロ様がクドラ族であることなんて、そう多くには知れ渡っていない。そもそも本来は領地に籠るはずのクドラ族が外に出ているなんて、普通の人が思うはずがないのだ。なのに彼女は今、シロ様をクドラの若君と呼んだ。勘で見抜いたとかいうとんでもない理由では無い限り、彼女は何かしらの組織に関与している人物ということになる。問題は、彼女がどこの関係者でどこでその情報を得たのか……だが。
「うふふ。でも今は貴方とお話しているお時間はないかも。残念」
「……あ、貴方は……!」
「そう。私は、貴方達とお話しに来たのよ〜」
もし、クドラ族の関係者だったら……なんて思わず手のひらを握りしめた私。しかしそんな私にちらりと視線を向けた彼女は、宥めるように微笑むと同時こちらへと向けていた視線を外してしまう。そしてその視線は、崩れ落ちていた従兄弟のお兄さんの方へと向けられた。……即座にシロ様に向かってこない、ということはクドラの関係者ではない? その疑問にはすぐに答えが与えられる。
「……そうでしょう、悪名高きカナミ家の次期当主様?」
「…………!」
「こそこそ〜ってしてたらバレないと思ったかしら? 生憎、ムツドリ族に与えられた自由は何をしてもいい、って意味じゃないのよ?」
……火事やらなんやらのゴタゴタですっかり頭から抜け落ちていたが、そういえばこっくんがアーシャさんと一緒にカナミ家のことを告発しに行ってくれていたのだった。真っ先に従兄弟のお兄さんへと向かっていったあたり、彼女は教皇様から遣わされた使者か何かなのだろうか。となると、シロ様について知っていたのはこっくんかアーシャさんが話したから?
それにしてはなんか、従兄弟のお兄さんが必要以上に怯えているような気もしなくはないが。と、私はシロ様とアオちゃん、そしていつの間にか傍に寄り添っていたヒナちゃんに挟まれる形で成り行きを見守る。何故かはわからないが、当然三人が私を護衛モードに入ってしまった。警戒している様子の三人の表情から察するに、あのお姉さんは相当な実力者なのかもしれない。あまり見た目や口調からはそう見えないのだけれど。
「うふ。ただ人に詐欺をはたらいているだけなら、まだ若い子達には芽があったかもしれないのに。まさかなーんにも悪くない被害者さんのお家に、放火までしちゃうなんて」
「ち、ちが……! それはこの者たちがただ言ってるだけで!」
「それなら正邪の天秤で測ってみる? 私は一向に構わないわよ〜」
「…………」
……なんてことを考えていた途端、彼女の雰囲気は豹変した。柔らかい口調はそのまま、けれど言葉に燃え盛る焔を灯すように。相手を取り囲み逃がさないような話運びは、まさしく実力者のそれで。剥がれた柔らかな衣の下を見せつけられて、私は思わず息を飲む。
正邪の天秤。それは嘘か誠かを、そしてその者が正か邪かを確かめることのできる天秤。それはとても便利なものだが、一般人がおいそれと使うことのできない法具であったはず。成程、彼女が誰かはわからないが、少なくともそれを使ってやろうかとそう脅せるくらいには地位のある人らしい。そしてそんな人が、恐らくはカナミ家が起こした罪の大半をもう把握している。途端青ざめた従兄弟のお兄さんは、がくりと項垂れた。逃げ場がないとそう思ったのだろう。
「……カナミ家。貴方たちのことは、私の先々代が一度は見逃したけど。やはりあの時見逃してはいけなかったのね」
「…………それ、は」
「誇り高きカグラの血よ。せめて一人、貴女の意思を引き継いだ雛が居ることに感謝を」
「……!?」
そんな彼の、言ってしまえば情けないとも呼べる姿に何を思ったのか。お姉さんは悲しげに呟くと、惜しむように微笑む。その言葉に、私は思わず息を飲んだ。カグラ、今カグラと言っただろうか。その名は確かに聞いたことがある。ヒナちゃんと同じ星火を操る、ムツナギの聖女。ウィラの街では祭りの名を冠していた、そんな英雄。
カグラの血。彼女は確かに、彼を見てそう言った。カナミ家はカグラの子孫……? それなら、ヒナちゃんにもその血が流れているということになる。思わず息を飲んでヒナちゃんを見下ろすも、本人にはよく意味がわからなかったらしい。驚いた顔の私を見上げ、心配そうに服の裾を握ってくる。その頭を宥めるように撫でながら、私は心の奥底で溜息を落とした。
……だから、だから彼らは血に執着したのだろうか。英雄の血族だからこそ、自分達には赤い翼が与えられるべきだと。本当に受け継ぐべきはその血ではなく志だと、今日まで……今日という日になっても、気づけないまま。
「さて、簡易ではあるけれど……教皇、カガリとして沙汰を下します」
「えっ……!?」
そんな感傷の最中、爆弾はもう一つ落とされた。今度はヒナちゃんも一緒に驚いて、私達はお姉さん……カガリと名乗った彼女を見つめる。シロ様、ついでアオちゃんはすでにそのことを薄々と察していたらしい。驚きこそしなかったが、より警戒を込めた視線を彼女へと向けた。そんな二人の視線をあっさりと受け流すと、カガリさんは笑みを消して従兄弟のお兄さんを見下ろす。
「……カナミ家次期当主、レン・カナミ。貴方は『終火の鳥籠』に収容されることになったわ。数十年をあの監獄の中で過ごしなさい」
「そ、そんな……!?」
「ふふ、これでも優しい方よ? 貴方のお父上、そしてお祖父様はこれまでの所業を考えて絶翼の刑に処す予定だもの。その上で、貴方と同じ場所でその命燃え尽きるまで過ごすことになるわ〜」
「ひっ……!」
あ、貴方のお母様とお祖母様は貴方と同じ刑罰よ。そうけろりと微笑む彼女の言った言葉の意味が、彼がそんなにも絶望した表情を浮かべる理由が、私には分からなくて。しゅうびの鳥籠? ゼツヨクの刑? それらは一体どんな刑罰なのだろう。ラムさんが、そしてヒナちゃんが受けてきた痛みに見合ったものなのだろうか。
恐らくは前者は刑務所のようなもの、だとは思う。そこに彼と彼の母親、祖母は何十年か閉じ込められることになる。とはいえムツドリ族の純血種なら寿命も人よりは長いはず。そこまで絶望する理由がわからない。何か特殊な刑務所なのだろうか。そしてゼツヨクとは、どういう。
「シロ様、ゼツヨクって……?」
「……ムツドリ族にとってもっとも恐れられる処罰の一つだ。この処罰となると、奴らには他にも余罪があるのだろうな」
「……?」
わからないままシロ様に問いかけた私に返ってきたのは、想像よりも重い声で。もっとも恐れられる処罰? 他に余罪? もしかして想像よりも深刻な罰なのだろうかと表情を強ばらせた私の手を握って、シロ様は静かに告げる。
「絶翼とは奴らの背に生えているその翼を、切除することを意味する」
「……!」
翼を、切除。それはつまり、彼らはムツドリ族としての誇りを奪われるということで。私はシロ様の言葉で、それを聞いた瞬間一気に顔色を青ざめさせたヒナちゃんの表情で、彼らに落とされた沙汰がムツドリ族にとって酷く重いものであることを悟ったのだった。




