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四幻獣の巫女様  作者: 楪 逢月
第十章 顔も知らぬ娘に捧ぐ
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三百八十九話「絶望の焔も」

 ただ走っていた、誰も声一つ上げることなく。途中でシロ様が勢い良く加速して、ヒナちゃんが翼をはためかせて。その事で姿消しの札の効果が薄れたのか、周りのざわめく声を耳が拾い上げて。けれどそのどれもに反応しているだけの余裕がなかった。徐々に近づいていく煙と、きな臭い匂い。それにどうかと、そう願うことが精一杯だった。


 けれど、こういう時の私の願いは叶わないものらしい。


「そん、な…………」

「せん、せい…………」


 走って走って、辿り着いた先。その先で待っていたのは昨日訪れた寂れた家が燃える姿。そしてそれを呆然と、先に辿り着いていた赤い髪の少女が見つめる姿だった。もう一人先に辿り着いていたシロ様の方はなんとか家の壁を壊そうとしているようだったが、どうも上手いこと炎が消えないらしく難航している様子で。

 ひゅっと、掠れた音が喉から漏れていく。ラムさんは足が悪い。画材の調達すらもラソーさんに任せていたようだったし、彼が外に出ることは滅多にないのだろう。それが意味することは、高い確率で今ラムさんは家に居るということで。私のその考えを補強するよう、絶望に濡れた声でラソーさんがラムさんのことを呼ぶ。それはばちばちと火の粉が散る音に掻き消されるくらい、小さかった。


「……シロくん、ヒナちゃん! どいてて!」

「え、」

「こっくん程じゃないけど、あたし達一族だって水にはイッカゴン? あるんだから!」


 けれどその絶望を吹き飛ばすよう、明朗な声が後ろから響いた。私とラソーさんの視線で、この家こそがラムさんの家だと察したのだろう。声に僅かに焦りを滲ませながらも、それでもたった一人この場で有効打を持っていた少女。アオちゃんは家に小走りで近づくと、そう宣言した。その声に周りの視線が集まってきても、一切と怯むことなく。

 その声にシロ様が呆然と立ち尽くしていたヒナちゃんの手を引いた。そうやって二人が距離を取れば、アオちゃんの口元は引き攣りながらも弧を描いて。そしていつの間に取り出していたのか、槍を手に取った少女は結った空色の髪をひらりと揺らす。そして声高に、強く、叫んだ。


「『暴雨』!」


 あばれざめ。その命に応えるよう、空に突如現れたのは水で出来た鮫の幻影。その大きな鮫は空を軽く泳いだかと思えば、真っ直ぐに家の方へと向かっていく。そしてアオちゃんが指を弾いたタイミングで、その幻影は派手に弾けた。けれど鮫を形作っていた水は幻影ではなかったらしく。まるで巨大なバケツから水を零したよう。家の火は、一気に被せられた水で消えていった。


「……消火完了! ほらシロくん! 救助救助!」

「……ああ。よくやった」


 瞬く間に姿を消した、家を包んでいた炎。周囲から歓声が聞こえたことで、私はその現実をようやっと認識できた。意識を取り戻した時にはもう、アオちゃんの言葉に動かされたシロ様が家の壁を派手にぶち壊していて。どうやらああやって中に取り残されたであろうラムさんを助け出すつもりらしい。アオちゃんも槍を片手に手伝っている。

 それなら、それなら私のやることは。ラムさんの無事はまだわからずとも、火が消えたことでひとまず安心したらしく地面に座り込んだラソーさん。そんな彼を横目に、私はもう一人この場にいる関係者へと近づいていった。火が消えても尚、凍りついたようにその場に立ち竦んで動けないでいる少女へと。


「……ヒナちゃん」

「っ、あ、おねえ、ちゃん…………」

「……大丈夫、大丈夫だよ。ラムさんのことなら、シロ様とアオちゃんが助けてくれるから」


 そっと隣に立って、肩を抱き寄せた。名前を呼んだ。すると返ってきたのは震えきった、喪失を心底恐れている怯えた声で。ゆっくりと持ち上げられた少女の瞳が、私を見つめる。大きな瞳は涙で潤んでいて、今にも雫が零れ落ちていってしまいそうだった。

 そんなヒナちゃんを正面から抱きしめて、優しく背中を撫でる。ひゅ、ひゅ、と落ち着かないまま跳ねる呼吸。それをまずは収めるよう、ゆっくりと。そうやって撫でていれば、徐々に痙攣は収まっていった。そのタイミングで私は、ヒナちゃんに囁きかける。少し遠くから聞こえたアオちゃんの、「居た!」という声。それにどうか無事であって欲しいと、祈りを捧げながらも。


「……でももし、ラムさんが怪我してたら」

「…………あ、」

「その時はヒナちゃんにしか出来ないことがある。そうだよね?」


 ……いいや、少し違うか。どうか、生きていて欲しい。それでも負った痛みへの恐怖や、家が燃えたという理不尽への怒りは消えないだろうけれど。それでも生きているならば、ここには奇跡の星を降らせることができる女の子が居るから。どんな傷でも、治してしまえる貴方の娘が居るのだから。


「ヒナ! まだ息がある!」

「っ……! うん!」


 今度の願いは、どうやら神様に届いたらしい。私の言葉にヒナちゃんの震えが収まった。かと思えば背後からは、珍しく荒らげられたシロ様の声が聞こえてくる。その言葉に私は、そしてヒナちゃんは、酷く安堵した。ぱっと私がヒナちゃんから手を離せば、頷いた少女は真っ直ぐに駆けていった。シロ様に抱えられる形で出てきた、真っ黒な姿の男性の方へ。


「……呼吸はある。が、右半身全体が酷い火傷状態だ。恐らくは逃げ出そうとして転倒し、そのまま焼け爛れたのだろう」

「…………」

「そん、な…………」


 そんなヒナちゃんの、そして慌てて近づいて行ったラソーさんの背を追って。そうやって近づいた先で、私は思わず息を呑んだ。シロ様に抱き抱えられている男性の、ラムさんの有様があまりにも悲惨だったからだ。

 浅い呼吸を繰り返す口元は、辛うじてラムさんが生きていることをこちらへと理解させてくれる。けれど真っ黒に煤け中途半端に残った服の下、シロ様の言うよう右半身全体へと広がった火傷の痕は尋常ではなかった。焼け爛れたその傷の、その痛みはどれほどのものなのか。私には想像もつかない。どうして脚を失った彼が、更にこんな思いをしなければいけないのか。同じことを思ってか、ラソーさんがまた絶望の声を上げる。けれど私は彼と違い、まだここに希望の灯火が残っていることを知っていた。


「ヒナ、出来るな?」

「……うん。出来る、やる」

「え……?」


 端的に問いかけたシロ様の声に、凛と追従した声が一つ。声の奥に覚悟の炎を揺らめかせた少女の手は、ゆっくりとシロ様の腕の中に居る父へと向けられる。そこから発せられた強い光に、ラソーさんが呆然とした声を上げるのをどこか遠くのように感じていた。こんなに近くにいるのにどうしてか、なんて。そんなのは問いかける意味もない。


「『……お願い、わたしの太陽』」


 そう希ったヒナちゃんのその手から生み出された星の火が、遍く星を集め恒星となった太陽が。今までに見たことないくらい、輝いていたからだ。


「……これ、は」

「…………」


 きらきら、きらきら。今空に浮かぶ太陽よりも遥かに眩く。集まって収束した光は、広がりを見せると同時に七色の色彩を紡ぎ始める。やがてその光の一つが、ラムさんの体へと沈んで行った。それを皮切りに、全ての光がラムさんの傷を癒し始める。

 ラムさんの表情はその光が沈む度、苦悶の色が薄れていった。どうやらその身に落とされる太陽に一切の苦痛を感じていないらしい。けれど光が一つ沈む度、ヒナちゃんの表情は苦しげになっていって。そこから読み取れたのは、もしかして法力が足りていないのではという疑念。だから私は驚いているラソーさんの脇をすり抜け、ヒナちゃんの手を握った。そして私達の間に糸を結ぶ。ほんとは籠繭の為だったけれど、人命救助には変えられないだろう。あとはいつも通り、ここから法力を流すだけ。


「……ありがとう、お姉ちゃん」

「……ううん。私だって、ヒナちゃんの家族だから」


 急速に体から法力が抜けていく気配。それに若干苦い笑みを浮かべながらも、ヒナちゃんの手は離さない。強い光の中に自分までもが巻き込まれたように錯覚する世界の中。ふと隣のヒナちゃんから声が聞こえた。

 困ったように、けれど安心したように向けられた微笑み。向けられる完全無欠の信頼。それに手を更に強く繋ぐ形で応えて、そして。それからどれくらいの時間が経ったのだろう。完全に自分の体から法力が抜けた、それを自覚したタイミングで光は収まった。最初視界に映ったのは傷が完全に消えたラムさんと、それを涙を湛えた瞳で見下ろすヒナちゃん。


「……あか、ね……?」


 次いで耳が捉えたのは、ヒナちゃんを見上げ呆然と呟くラムさんの声だった。

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