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四幻獣の巫女様  作者: 楪 逢月
第十章 顔も知らぬ娘に捧ぐ
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三百七十九話「ゆらがない約束」

「……ええと、大丈夫ですか? ラソーさん?」

「…………」

「その、これ飲みます……?」

「…………」


 ラソーさんの依頼を受けるためラムさんのところへと向かったところ、何故かそのラムさんに門前払いされ暫く呆然と立ちすくんでいた私たち。しかしいつまでもお宅の前を陣取っているわけにも行かない。それにここは治安が悪いらしいのだ。ぼうっと立っていては変な人に絡まれる危険性もあるだろう。

 そんなわけで。閉まった扉を前に呆然と立ち尽くしていたラソーさんの手首を引く形で、私達は大通りの方へと戻ってきた。仮に他に暴漢が居るとして、少なくともここならばラソーさんにさっきのように絡むことは難しいだろう、という判断からである。未だ意識を遠くへとやっているラソーさんをベンチに座らせること数分。こっくんに彼の世話を任せ飲み物を買いに行っていたのだが、ラソーさんは未だ心をどこかにやってしまったままのようだった。私が彼の顔の前で手を振っても、何一つ反応しない。


「と、とりあえず……はい、こっくんのオレンジジュース。その、ラソーさんはずっとこんな感じ?」

「ありがと。……まぁ、見ての通りだよ。俺がレゴさん達と合流の連絡を取ってる間も何も反応しなかった」

「そっか……」


 気付けにいいかとグレープフルーツのジュースを買ってきたのだが無意味だっただろうか。こっくんに頼まれていたオレンジジュースを渡すと同時、二つの木のコップを持ったまま私はこっくんの隣に座った。とりあえず自分の分のリンゴジュースを飲みながら、ラソーさんの意識が戻るのを待つことにしよう。

 ……まあなんというか、相当なショックだったのだろうな。こっくんと話しながらも、私の視線は俯いたままの白髪の青年の方へと引き寄せられる。師匠のために良かれと思ってやったことを全否定され、挙句の果てに破門の危機。或いは尊敬する師匠に乱暴なことをしてしまったことも気にしているのかもしれない。そうなるとずっとぼんやりとしたままなのも致し方ない、というか。


「……そうだ、レゴさん達もこっちに来るの?」

「うん。調べはあらかた付いたってさ」

「おお……流石だ」


 あまり今のラソーさんをじっと見つめるのも良くないだろうと視線を逸らしつつ、こっくんとの会話を続ける。さっきはサラッと流してしまったが、どうやらこれからレゴさん達と合流することになったらしい。まぁそろそろ時間もおやつ時。ある程度調べが付いたのなら無理することもないだろう。


「じゃあここで待つことにして……これからどうしようか」

「…………そう、だね」


 レゴさん達の方はいいとして。問題は私達の方である。いや、この場合問題と言っていいのだろうか。ひどく躊躇ったようなこっくんの声に、私の眉も思わず下がってしまう。こういう時、どうすればいいのだろう。

 ラムさんから「明日話を聞きに来い」という言葉を貰った以上、私達の目的は既に達成したと言っていい。なんせ私達は当時の話を聞きたかっただけで、ラムさんの娘さんの問題はその目的を達成するための手段でしか無かったのだから。効率だけの見方をすれば、むしろ最高の結果を手に入れられたと言っていいだろう。明日まで待つだけ。それだけで私達は欲しいものを得て、そしてヒナちゃんを守りきることが出来る。


 けれど。


「……なんで、嫌がったんだろう」

「……うん。それがわかんないよね」

「ラムには義実家のことを調べて欲しくない理由があるってことなのか……?」


 どうしても胸にはモヤが残る。ラソーさんを放っておいて良いのだろうかという葛藤も、ラムさんとヒナちゃんは本当に無関係なのだろうかという疑問も。そして、どうしてラムさんはあそこまで義実家への調査をすることに反対していたのか……という点についてだって。


「私達を巻き込みたくない、とは言ってたけど。それだけにしてはなんというか、話をさせてもらう余地もなかったというか」

「うん。その言葉も嘘ではなかったと思うけど……」


 子供がいるから、そしてその娘を自分の全てを投げ捨てても守ろうとしているからだろうか。ムツドリ族を相手取ることになる私達が心配……というラムさんの素振りは嘘では無かったと思う。あれは子供を守ろうとする大人の姿だった。私の叔父とは真逆のタイプの人ではあったけれど、芯に似たようなものがあるのを感じたというか。

 けれどそれだけなら、ラソーさんを破門にまで追い込む必要は無いだろう。仮に巻き込まいとしての行動だったとしても、もっと言い方があったはず。人物画を描いているだけあってよく人を見ていそうな人だ。更に、悪戯に弟子を傷つける人で無いことも事前にラソーさんから聞いていた。となるとあの言い方をしたのはどれだけ厳しい形になろうともラソーさんを守ろうとしたか、或いは。


「……私には何がなんでもあの件に触れて欲しくなかった、みたいに見えたな」

「…………」


 個人的には、こちらの方が正しいと思っているのだが果たして。ぽつりと呟きを落とせば、その言葉に反応したのかラソーさんがゆっくりと顔を上げる。虚ろな視線を向けられたことに若干緊張こそ覚えたが、彼の意識が戻るならばそれに越したことはない。私は一瞬逸った心臓を落ち着かせながら、ゆっくりと言葉を選んだ。


「な、なんで触れられたくなかったのか、とかはわからないけど。でもそこに触れられたら終わり、みたいな空気を感じたというか」

「終わり?」

「うん。このままお金を払い続けて……それで亡くなっても。それがいいと、望んでいるように見えたかな」


 あまり刺激を与えては行けないだろうとこっくんと話すていのまま。あの時のラムさんのことを私は思い返してみる。ほんの僅かな邂逅ではあった。何も情報なんてないような、そんな。けれどよくよく考えてみれば、ラムさんの振る舞いには違和感があったのではないか?

 まだそこまでの歳ではないだろうに自分を老骨だなんて呼んで、あのまま朽ちることを望んでいたような口ぶり。ラソーさんを破門にして別の道を歩かせようとしていたような素振り。そして何より、最後ラソーさんとの言い争いの時に見せた小さな爆発。彼はラソーさんの「何を恐れているのか」という問いに過激な反応を見せていたように思える。それこそ拒否反応とも呼べるような、何か。それはラソーさんの言葉が的を得ていたが故のことではないだろうか?


「ラムさんは、私達に調査されることを恐れてる」

「……恐れ、ですか?」

「……はい。私達がラムさんの義実家に関わることで余程危険な目に遭うと確信しているのか、それとも別の何かか。それは分かりませんけど、ラソーさんが知らない何かがまだラムさんにはある気がするんです」

「…………」


 間違いない。ラムさんは調査されることで起こり得る何かを恐れている。だから私達を遠ざけた。ラソーさんも、同じように。それが何かは分からないけれど、それを暴くことが出来れば今私達の心にあるモヤは晴れるのかもしれない。


「……ラソーさん、はいこれ」

「え、あ、…………」

「約束した以上、ラムさんにああ言われても私達は引く気はないです。だから一緒に考えましょう!」

「っ、は、はい……! ありがとう、ございます。本当、に……」


 ……ラムさんにああ言われた以上、多分私達がこれ以上動く必要なんてものはなくて。けれど私達が約束したのはラムさんではない、ラソーさんなのだ。それを守らずにただ二人の画家を見捨てて後ろ髪引くものだけを残すなんてことは、したくない。

 グレープフルーツジュースを渡すと同時、しっかりと彼の目を見て頷く。ただ一度受けた話をやり抜くと告げただけ。ただ貨幣一枚で買えるジュースを渡しただけ。それだけの事に彼は緑色の瞳を潤ませて、何度も何度も頷いていた。こっくんが仕方なさそうな溜息をつくくらい、何度も。


 きっとそれだけ、師匠であるラムさんが大切だから。


「……っ、お姉さん! 下向いて!」

「えっ!?」

「あいつが居る……」


 なんて、感傷に浸っていたというのに。そこで聞こえてきたこっくんの鋭い声に、私は慌てて下を向くことになった。釣られてかラソーさんまで顔を伏せたのを視界の横に、私は疑問符を浮かべる。あいつ? こっくんがそう言うなんてシロ様くらいだろうが、仮にシロ様だとして顔を伏せる意味がわからない。

 けれどその疑問は、伏せた視界の端を横切ったオレンジでほどけていった。レゴさんの色では無い橙。両耳の代わりに生えた羽。耳元にそれを生やしているのは、ついでにあの人のそばに控えている人たちだって……!


 そう、こっくんの言った「あいつ」。それは昨日ヒナちゃんを攫おうとした、ヒナちゃんの従兄弟の兄様殿だったのである。

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