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四幻獣の巫女様  作者: 楪 逢月
第十章 顔も知らぬ娘に捧ぐ
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三百七十八話「にべもない返事」

「……ん?」

「うん? どうしたのこっくん」

「いや、なんか物音が……」


 二人でどうあることが、或いはどう解決することがハッピーエンドなのだろうかと考え込むこと数分。しかしあるタイミングで、ずっと顔を俯かせていたこっくんは顔を上げた。細められた三白眼。表情が示すのは怪訝。それに私が首を傾げた瞬間、背後の家からは私にも聞こえるような物音……正確には人の声が聞こえてくる。この声は。


「先生、待ってください先生!」

「お前は黙っていろ。全く、余計なことをして……」


 焦ったようなラソーさんの声と、酷く不機嫌そうな彼よりも幾分か低い男性の声。それと、木目が重さに軋む音。聞こえてきた二つ目の声はラムさんのものだろうが、最後の音は一体? まさかこの家は人が歩くだけで建物がこんな悲鳴を上げてしまう程、脆いのだろうか。

 しかしその謎はすぐに解けることになる。私達が思わずと視線を向ける中、弱々しく開かれた扉の先。そこに居た人は車椅子らしきものに座ったまま私たちを見下ろした。……ああ、だからあんな音が鳴っていたのか。脚が悪いということはそういった補助道具を必要とする。その事をすっかりと失念していた。


 三十代半ばくらいの、レゴさんより少し歳上のような風貌。白髪混じりのボサボサな黒い髪と、淀みを宿した青い瞳。けれど顔立ち自体は整っている。想像より若かったが……この人こそがラムさん、なのか。


「……まさか、本当にこんな子供とは」

「……え、ええと…………?」


 と、似たような感想を抱いたのはあちらも同じだったらしい。思ったよりも若いな……と思わず呆気にとられた私を見てか、ラムさんも僅かに目を見開いて。そしてその後、考えられないと言わんばかりに溜息をつく。その振る舞いからはなんというか……気難しさ? 或いは偏屈さというものを感じた。画家と呼ぶにはいささか真面目そうな雰囲気とでもいうのか。そして、その第一印象は間違いではなかったらしい。


「……初めまして。私はラムという。職は一応画家だ」

「あ、は、初めまして! 私はミコで、しょ、職業は……た、旅人?です……」

「……同じく旅人。名前はコク」

「……ミコさんとコクさん、だな」


 お名前に職業と、生真面目な自己紹介をしてくれたラムさん。そんな彼に向けて私とこっくんも自己紹介を返す。旅人。職業とも呼べないその部分には特に触れることなく、私とこっくんの名前だけを確認して。そしてラムさんはゆっくりと首を横に振った。


「さて、時間は有限だ。早速本題に入ろう。話はこの馬鹿弟子から聞いた。悪いが帰ってくれ」

「えっ、ええっ!?」


 そんな彼が告げたのはまさかの、まさかの拒絶。ラソーさんのように当然ラムさんも私達の助けを必要としていると思っていた私は、ついつい驚愕の声を上げてしまった。こんな場所だから誰からも視線は飛んでこないが、これが往来だったら睨まれていた程度の大声である。いや、私の声の大きさなんてのはどうでもよくて。

 な、なぜラムさんは私達の調査を拒もうとしているのだろう。義実家と娘さんのことを調べること。そしてその調査結果を元に娘さんを助け出すこと。それは彼にとって今一番必要なことで、望んでいることではなかったのだろうか。私の狼狽えた表情に何を思ったのだろう。眉を寄せると、ラムさんは言葉を続けた。


「調査など必要ない。これは私の家族の問題で、私が金を払い続ければ済む話だ」

「そ、そんなの……!」


 顰め面の彼はただ頑なに、強く言い切る。確かに家族間の問題と言われてしまえばそうなのだけれど、娘を人質に家に暴力的な人を送り込まれているのは限度を超えているのではないか? それにお金を払い続けるといっても、それがままならなくなりそうだからラソーさんは助けを求めたというのに。


「……君達はまだ若い。いくらコクさんが幻獣人だろうと、このようなややこしい問題に首を突っ込んでは後々面倒事に巻き込まれることもある。子供が老骨になんぞ尽くす必要は無い。自らの将来を大事にするべきだ」

「…………」

「私に聞きたいことがあると言うならば今話してやる。それで君達の問題は解決するのだから」


 けれどラムさんが私達の介入を拒む理由の一つは、冷たそうな表情のまま告げられた言葉で理解出来た。表情はにべもなく、会話だってろくにさせてくれない。けれどそれはきっと、この人なりの私達のためだった。ラムさんは自分のことなんてとっくに諦めて、どうでもいいと思っていて。だからこそその沈みゆく船に、私達を乗せまいとしてくれているのだろう。

 まだ三十代くらいに見えるというのに、老骨なんて言葉は似合わないのに。けれど脚がないからだろうか。それともそこに更に苦労を塗り固めて今を歩いているからだろうか。彼の言葉には説得力と強い意志があった。こちらに子供を踏み込ませまいという、恐らくは子供を持つという経験をした者だけが持つことが出来る意思が。


「それにラソー、お前もだ。いい加減私の弟子なんてやめろ」

「…………えっ」

「っ、先生!」


 そしてその鋼とも呼べる強い決意は、自分の弟子の方にも向けられる。私達が唖然と黙り込んだのを見てか、振り返りラソーさんへと視線を向けたラムさん。その言葉に私は、そしてこっくんは息を飲むことになった。ラソーさんが上げた、悲痛とも呼べる声にも。


「お前は才能がある。他のもっと裕福な画家に師事した方が大成するだろう。いい加減私のような泥船にしがみつくのはやめろ」

「嫌です! 僕が教わりたいと思うのは先生の絵で……!」

「ならばもう十分に学んだだろう。私の絵など、所詮底が浅い猿真似に過ぎない」

「っ……!!」


 その言葉は、切り離すためと言うにはあまりに優しくて。けれど取り尽くしまなんてないくらいに厳しくて。弟子に叱咤と激励を送りながらも、船から下ろそうとするラムさんの背中に映るのは決意。きっとそれは彼の瞳にも映っていて、だからこそラソーさんは一度言葉を止めたのだろう。

 しかしどうしても、どうしても。尊敬する師匠の絵を馬鹿にすることは許せなかったらしい。たとえそれが、敬愛する師匠そのものの言葉でも。ラムさんの自嘲するような言葉にラソーさんは一度目を見開いて、そして強くラムさんの肩を掴んだ。その衝撃にラムさんが鈍い呻き声をあげても、決して手を引くことはなく。


「っ、ら、ラソーさん……!」

「いくら、いくら先生でも。先生の絵を貶めることは、許しません」

「…………」


 つい漏れ出た、私の制止の言葉も耳に入っていないように。前髪の奥の瞳孔をギラギラとさせたまま、そう告げるラソーさん。先程までの弱々しい声も穏やかな声も投げ捨てたその音には、まるで獲物に噛み付くような鋭さがあった。そしてその声のまま、彼は吠える。


「貴方は天才だ。貴方の絵には愛がある。貴方はこんなところで、たかだかムツドリ族の格落ちしたような存在に潰されていい存在じゃない……!」

「……離せ」

「なのになんで諦めるんですか先生! 貴方は何を恐れてるんですか!」

「離せ!!」


 ……二人の間にどんな絆があって、どんな思い出があって、どんな苦楽を共にしたのか。それは会って間もない私にはわからないことばかりだ。けれどラソーさんのその叫びも、吠え返したラムさんのその咆哮も、どちらもまるで魂を使って叫んでいるかのようなものに聞こえて。

 びりびりと、空気が揺れているような感覚。ラムさんの二度目の叫びを前にラソーさんは一度手を離し、辺りは静まり返ったけれど。けれど鳥肌が浮いてきた腕はまだそこに健在していた。気遣わしそうな表情のこっくんが私の背中をぽんぽんと撫でてくるレベルである。……大変情けないが、ちょっとびっくりした。なんというか、こういうタイプの修羅場?に遭遇したことがなかったので。


「っ、先生……!!」

「……頭を冷やせ。お前も、私もだ」

「…………」


 どうやら先に冷静になったのはラムさんであったらしい。私の若干竦んでしまった表情を見て何を思ったのか、彼は軽く息を吐くとラソーさんを家から追い出した。そして扉を閉めようとしたところで、私とこっくんの方へと視線を向ける。少しだけ、申し訳なさそうな色を表情に乗せて。


「……今一度言うが、あの家についての調査は必要ない。話が聞きたいなら後日聞きに来てくれ」

「あ、……」


 それだけ告げて、閉められた扉。呆然と立ち竦んだあと、ずるずると崩れ落ちてしまったラソーさん。そんな彼に慌てて駆け寄りながらも、私の頭の中では疑問がぐるぐると渦を巻いていた。どうしてラムさんは、ここまで調査を拒むのだろう。そういう、疑問が。

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