三十八話「やらかしに咲く菖蒲」
さて、時刻は少し、というか大分巻き戻る。この浴衣のあらましを最初から話すとなると、それこそ三日前からだろうか。これを作ることになった切欠は、何を隠そう私の力が原因なのだから。
『……では、糸を自由に操ることが出来ると?』
『うん、そうみたい』
三日前、シロ様が言ったことを思い出す。その言葉の通り、私は左手の小指に嵌められた指輪のおかげで糸を自由に操れる様になっていた。とはいえその操作は結構神経を使うもので、まだまだ使いこなせてはいないのだけど。
使い方は簡単、なんとその指輪に意識を集中させるだけ。そうすれば指輪は淡く光り、そこから色を持たない透明な糸が伸びてくる。そこからは私の意識と集中の勝負で、精密なコントロールを要求されるわけだ。小学校の頃に裁縫の授業でやった糸通しを思い出すような、繊細な操作である。……あれ、今思えば最初からスレダーを使わせたほうが早いような気がするのだが、それもまた授業の一環だったのだろうか。
まぁそれはともかく、とにかくこれが私の力だというのがシロ様の見解だった。糸を出し操るだけの能力とは、隣の比較対象であるシロ様に較べるとなんとも言えない能力である。……と、私はそんなことを思っていた。眉間に皺を寄せたシロ様の、ぼそりとした呟きを聞くまでは。
『……硬度を上げた糸ならば、人の首も刎ねられるか』
その言葉に、私は硬直した。だって物騒である。この少年は全てを戦闘に行き着かせてしまう戦闘脳なのかと、心底震えた。あとそんな使い道はしたくないとも思った。そんな暗殺者みたいな真似は、平和な現代社会でぬくぬくと育ってきた女子高生には些か荷が重い。
そんなわけで三日前はシロ様が時々零してくる物騒な言葉に怯えつつ、能力のコントロールを勉強したのである。私が糸の硬度をコントロールできず、適当に糸を使ってシロ様の首を刎ねるようなことにでもなったら。必死に訓練を願ったのは、その理由が大半だったと思う。そんなの、トラウマどころの騒ぎではない。
結果として、まぁまぁコントロール出来るようになったとは思う。検証の結果硬度を変えられることがないとわかったのも、安心面においては大きな進歩だ。首刎ね系女子高生にならなくて済んだのだから。
重ねた検証の結果、操ることが出来るのは動きと長さ、あと耐久性。早い話が速く動かせば動かすほど、糸を長くすれば長くするほど、糸を丈夫にすればするほど、私は疲労する。様々な検証を済ませぐったりと座り込む私。そんな私にシロ様が掛けたのは、こんな一言で。
『まだ未知の力だ。余程の緊急事態でもない限り、我の不在時に使うな』
『そうだね、わかった』
……察しの良い人ならば私が何をやらかしたのか、それにここで気づいているかもしれない。だがどうか、まだ私の回想に付き合ってほしい。回想という名の、これからのお叱りに対する現実逃避に。
さてと、三日前の二日後。つまりは現在時刻から巻き戻れば昨日。その日のシロ様は先程話した通り、フルフを連れて群れの捜索に赴いていた。見つけたら直ぐに帰せるようにと、フルフを連れての外出。当然、私は家の中で一人だった。そして、ぶっちゃけ暇だった。
旅の準備と言っても、食料などの用意は前日に済ませてしまっていた。エコバッグには直ぐに食べれるようにと用意した果物が詰まってて、その中にはシロ様が狩ってきた獣or魔物のお肉も入っている(生肉をそのまま突っ込むのは気が引けたので、洗った大きな葉っぱに包む形である) お弁当箱にも、上はジャム下はスープといった料理が入っていて。そう、私は家の中でだらだらとするくらいしかやることがなかったのだ。今考えればその時間を、変異した教科書達を使っての勉強に充てていればと心から思うのだが。
『……あ、そういえば』
そんな私がそこで思い出したのは、裁縫箱の存在である。そういえば眼帯を作ろうとしていたのだと、そんなことを思い出したのだ。幸いにしてその時には昨日の晩にフルフが作ってくれた布が何種類かあって、わざわざ端切れを縫い合わせずとも綺麗な物を作れる予感があった。そうなるとすることは一つで、私は眼帯を作ろうと裁縫箱を開いたのである。
……そう、結局開けていなかった裁縫箱を。力に何かしらの関係がある裁縫箱を、しかも一人の時に。
『っ!?』
開いた瞬間、まず感じた変化は指輪の熱。じりじりと肌を焦がすかのように熱くなっていく指輪に思わず息を飲めば、それと同時に開いた裁縫箱から光は溢れ出す。その光の奔流が眩しすぎて目を瞑って、更にと告げるように熱くなっていく指輪の熱に耐えて。そうして少し経った後に目を開ければ、そこには変わらずにそこに佇む裁縫箱があった。
特に変化なしの現状に、首を傾げた私。しかしそんな呑気な思考は、次に目を向けた指輪で飛んでいった。小指に嵌められたそれを見下ろせば、その指輪には変化があったのである。銀のシンプルな指輪、それを飾るのは乳白色の石。けれど乳白色だったはずのそれの中心には、紫の菖蒲が咲いていた。
その瞬間私の脳裏に過ぎったのは「やばい」という端的な一言である。シロ様は繊細な容姿とは反面基本的には粗雑だが、部屋の汚さと私の変化には敏感すぎるくらいであった。こんなピンキーリングの小さな変化にも、その内帰ってくる少年は目ざとく気づくだろう。そうして何があったと、その目に威圧感を乗せて問いかけてくるはずだ。
そうすればお叱りは免れないだろうなと、冷や汗がたらり。すっかり失念していたが、この裁縫箱は私が力に目覚めた切欠なのだ。それを知って何故迂闊なことをしたと、そう怒られるのは目に見えている。ただ眼帯を作りたかっただけ、それだけだったのに。
『……あ』
だがそんな焦りは、現実逃避に裁縫箱を閉じたことで消えていった。なんと裁縫箱を閉じたら、咲いていた菖蒲も姿を消したのである。お、と思って再び開ければ、今度は熱も何もなく指輪に菖蒲が咲く。そこからわかったのは、どうやらこの菖蒲は裁縫箱を開いている時にしか咲かないということ。
……お叱りは免れそうだと、そう安堵した卑怯な私のことをどうか許してほしい。怯え過ぎだと言われるかもしれないが、絶世の美少年の極寒の笑みを以て淡々と諭されるお叱りは、本当に心に来るのだ。なんというか、シロ様は芯を折るような説教をしてくる。シンプルに恐ろしい。
しかしそうして安堵すれば人間というのは調子に乗るもので、暇つぶしがてら私は裁縫箱を開いて指輪に浮かんだ菖蒲を眺めていた。前にも話したと思うが、私は菖蒲が好きなのである。なんせ亡き両親との思い出に深く関わっており、そうして居なくなったあの人との思い出にも菖蒲は咲いているから。
眼帯を作ることは記憶の彼方に。ぼんやりと菖蒲を眺めては、過去に想いを馳せて。そんな穏やかな時間の最中、私はふとその菖蒲に触れた。裁縫箱にも菖蒲は咲いておれど、そこに色はない。久々に色の持ったその花に、例え描かれたまがい物であっても触れたくなった。けれどそれが、また一つやらかしを重ねることになったのである。
『……っ!?』
菖蒲に触れた瞬間、体力がごっそりと持っていかれる感覚。それに思わずよろめいて、小屋の床に倒れ込んで。しかしそんな中でも状況を理解しようと視線を上げれば、私の小指から伸びた一本の糸はぐにゃりとした不定形を保ってこちらを見下ろす。あの日の夜のように、どうすればいいかを問いかけるように。
なんとなく形を問いかけるように見えた私がその時に思い出したのは、部活で作っていた浴衣のことである。夏祭りが来月にあるということで、部活の皆で自分の浴衣を作って遊びに行こう。そんな、淡い青春の約束。もう叶うことがないそれを、作りかけで置いてきてしまった菖蒲柄のそれを、未練からか思い描いてしまったのが悪かったのかもしれない。
『……え?』
倒れ込んで茫然自失と零れた声。不定形だった糸は形を、明確な何かに変えていく。それは私が思い浮かべた浴衣の形と、それを締める帯の形に。そうして呆然と私が見ている中、眼帯を作ろうと取り出した布の中の浅葱と群青の布を伸びていった糸はひょいと持ち上げて。
そこからはもう、お察しの通りである。倒れ込んだ私を置いて、好き勝手に伸びた糸くんは針や鋏を使い浴衣を仕立てていった。それはもう主人が嫉妬するほどの、ミシンさながらの正確さを以てである。浅葱の布に美しい菖蒲の刺繍を入れて、型紙なんてなしでふわふわと浮いたまま原型を作るように鋏で布を切っていき、襟を整えたり八口を作るように切り目を入れたり。部活動中私が苦労したのは何なのだと言うように、それは帯と同時あっという間に出来上がっていった。呆然と力なく倒れ伏す、私を置いて。
「……そういうこと、デス」
さて、現実に戻ろう。一連の事件の説明を終えた私に突き刺さるのは、威圧感を携えた視線。こちらが立ち上がりあちらは座っているというのに、このプレッシャーは何なのだろう。シロ様が強者すぎるせいなのか、私が弱者すぎるせいなのか。
「……ミコ、座れ」
「……はい」
そうして怒らないと言ったあの発言は何だったのか、当然のように私の軽率さを叱り始めたシロ様。やはり怒らないなんて約束には何の意味もない。その説教については、どうか割愛させてほしい。多分聞いても、思うところがある人はメンタルが削られるだけなので。ボロボロになるのは私だけでいいのである、うん。




