三百六十話「和解の後で」
先程までは人々の活気で賑わっていた大通り。しかし突然の暴力沙汰が起きてしまった今、辺りはしんと静まり返っていた。そりゃあそうだろう。突然街中で法術が行使された上、人一人が吹っ飛ばされてしまったのだから。
その数メートル程吹っ飛ばされた被害者であるレゴさんは、未だ石畳の上に寝っ転がったまま。しかしそんなレゴさんを前にまだ警戒を解いていないらしく、こっくんは手のひらをそちらの方へと向けている。それだけでも十分すぎるくらいの緊張感が漂っているというのに、何事かと少し遠巻きにしながら私達の様子を窺う人達の存在がこの空気に拍車をかけていた。
……さてこの状況、どうしたものか。私のこめかみに、一筋の冷や汗がたらりと伝っていく。とりあえずそうだなぁ……レゴさんが不審者として警備隊を呼ばれるような事態も、こっくんが加害者側として警備隊を呼ばれるような事態も、避けなければならないことだけは確かだ。
「……も、もー! こっくんってば! ちょっと突き飛ばそうとしてやり過ぎちゃったんだね!」
「……? お姉さ、」
「私を守ろうとしてくれたのかな? でも大丈夫、あの人は知ってるお兄さんだからね!」
「……え、」
そう瞬時に判断した私は、わざと明るく大きな声を上げた。ついでに不思議そうに見上げてくるこっくんの頭も小突いておく。必死に目配せを送れば、多少は意図を理解してくれたらしい。小さな声で「……ごめんなさい」と呟いたこっくんは、まるで反省し恥じらう少年のように俯いてみせた。すると子供が法術を失敗しただけだと思ってくれたのか、周囲の空気が途端緩んでいく。足を止めていた人達の何人かも、大きな問題ではないと判断したのか去っていった。
……よかった。さっきのこっくんの行動は明らかにやりすぎだったが、よくよく考えずともこの子はレゴさんのことを知らないのだ。先程のレゴさんの行動はこっくんの視点から見れば、「私が突然知らない男に抱きつかれた」という風に映るわけで。そうなると法術でぶん殴るのも正当……いや、正当防衛にはならないかもしれないが。と、とにかく! 理由はあってのことなのだ。だからそれが原因で牢屋アゲイン、なんて大惨事は避けたい。
「……っ、ごめんなさいレゴさん! 大丈夫ですか……?」
「…………あれ、嬢ちゃん?」
「はい、私です……」
ついでに、レゴさんが「突如女の子に抱きついた不審者」として牢屋にぶち込まれてしまうのも。そんな具合でこっくんを落ち着かせた私は、そのままダッシュでレゴさんの方へと駆け寄った。話しかけてみたところ返事が返ってきたので、どうやら意識はありそうである。レゴさんがハーフとは言え幻獣人でよかった。先の轟音から判断するに、人間だったらワンチャンお陀仏だったかもしれない。
「……なんだ、知り合いか」
「警備隊は呼ばなくて大丈夫そうね。起きてるみたいだし」
「ったく、人騒がせだなぁ……」
ほっと一息をついたところで、状況は更に改善された。どうやら今の私達の会話で、完全に先程の暴力沙汰が身内のちょっとしたハプニングだと分かっていただけたらしい。まだ残ってこちらを案じてくれていた、或いは興味本位で見守っていた野次馬の方々は、まるで何事も無かったようにこの場を去っていく。お騒がせして大変申し訳ない。いやこの場合、私は特に悪いことをしていないような気もするが。
「……ごめんお姉さん、まさか知り合いとは」
「いや、私も言ってなかったから……。と、レゴさん? 体とか起こせそうですか? あれだったら手を貸します」
「んー……や、大丈夫だな。女の子に支えてもらうほど、まだ老いぼれちゃねぇよ」
……一応、情報共有を怠っていたという罪はあるかもしれない。近づいてきたこっくんの申し訳なさそうな表情に、私の心情はころりと転がった。そういえばこういう事件に遭遇したという話は事細かにしたことがあっても、ヒナちゃんやこっくん、アオちゃんに今まで出会った人達については詳細を話したことがなかったような。
こういうことが今後も起こりうる以上、そのうちブローサの街からピリア村までの知り合いの話を全員の共通事項にしておく必要があるかもしれない。早めに済ませておこうと脳内にメモしつつ、私はレゴさんへと手を差し伸べる。ここは往来のど真ん中。いつまでも寝転がっていては、周りの人達の邪魔になるだろう。話をするにしても端の方に行かなければ。だが、流石幻獣人だけあってレゴさんは丈夫だった。軽く首を回したかと思えば、私の手を断りあっさりと立ち上がって歩き出す。数歩歩いたところで立ち止まり、手招かれた以上黙って見送る訳にも行かず。私たちは大人しく彼に付いていくことにした。
「……さて、ここまで来りゃいいかな。で、嬢ちゃん。そっちの坊主は知らん顔だけどどちらさんだ? あとあの過保護な坊ちゃんは? ついで、時空断裂に巻き込まれたって話はマジか?」
「れ、レゴさん……質問が多いです」
「おっと……悪いな、聞きたいことがありすぎてよ」
そして辿り着いた路地裏にて。早速と言わんばかりに質問攻めにしてきたレゴさんに、私は目を白黒とさせることになってしまった。どうやら聞きたいことが大いにあるようである。まぁ、時空断裂のことも知っているようだし当たり前か。さて、どこから話したものか。
「……まず、俺はコク。さっきは不審者だと勘違いして殴り飛ばした。ごめんなさい」
「お、おおう。いや、俺も勘違いされるようなことしちまったからな。お互い様でいこう。あ、俺はレゴって呼ばれることが多いです」
「レゴさん、ね。わかった」
「さん……!?」
と、私が話を纏めようとしている隙にこっくんが自己紹介を始めてくれた。そういえば時空断裂辺りのこと以外は、こっくんに話してもらっても問題ないのか。私が話を纏めている間に自分で話せることは話す、それがこっくんなりのお詫びらしい。少々突っ走るところはあるが自分の責任は果たす、こっくんはそういういい子なのである。
尚レゴさんは、こっくんが謝れる子だということに大変驚いているようだが。ついでにさん付けされたことにも。こちらを衝撃の表情で見つめてくるレゴさんに、私は眉を下げた。いや、そんな表情をされましても。多分レゴさんが想像している子の方が、世界的に見ても圧倒的なイレギュラーだと思うのだが。
「……嬢ちゃん、また随分物騒な子供連れてると思ったけど、こっちの子は礼儀出来てんなぁ」
「あ、あはは……比べる相手が悪いと思います……」
「それは確かに」
「…………」
なんて考えたものの、どうやらファーストインプレッションが悪かったらしい。成程。初撃の容赦の無さにこっくんをシロ様の同類だと思ったからこそ、謝られたことに驚いてしまったと。でも正直こっくんとシロ様を比べるのはどうかと思う。あんな覇王みたいな子がそこらかしこに居てたまるか、というか。ほらこっくんも、「あんなのとは一緒にしないでほしい」という顔をしているし。
「で、そのやべー方はどこ行った? あとヒナの嬢ちゃんと毛玉も。あの二人、そう簡単には嬢ちゃんから離れないだろ」
「あれから旅の人数も増えまして……今は別行動中なんですよ」
「へぇ……」
さりげにシロ様を「やべー方」なんて呼び方をしたレゴさんを前に、これが本人にバレたら容赦なくしばかれそうだななんてことを考えながら。私は不思議そうにするレゴさんに苦い笑いを向けた。そんな別行動がありえない事みたいに言わなくとも、レゴさんが知っている二人は私が居なきゃ生きていけない訳ではないだろうに。……ない、よな?
「成程なぁ。……もしかして、その増えた旅の仲間ってのはこの子含め全員幻獣人か?」
「……!」
「いやま、流石にわかるよ。さっきの法術は暴走なんかじゃない。綿密に計算された精鋭がやるような代物だ。ただのガキにできることじゃねぇって」
「…………」
風船のように一瞬浮かんだ不安。しかしそれは、レゴさんの鋭い言葉ですぐに弾けていった。まさかこっくんを幻獣人だとあの一撃だけで見破っていたとは。だからこそ、先程彼はこっくんの言動に驚いていたのだろうか。幻獣人、かつ容赦のない振る舞い。それらを前に、こっくんがシロ様と似たもの同士なのだと判断して。でも、その宛が外れて。
私と同じ事を考えたらしい。けれどシロ様と同類にされたことは不満だが、法術を褒めて貰えたのは嬉しかったのだろう。複雑な表情を浮かべるこっくんを視界の端に、私はレゴさんを見上げた。こちらを心配そうに見下ろす視線は、あの時と変わらない。レゴさんになら話しても大丈夫だろうか。これまでの旅と、私の周りを今どんな色が彩っているかを。
「……今時間あんなら、色々聞かせてくれよ。あの後の、嬢ちゃん達が辿ってきた旅を」
「……はい。どうやら心配もおかけしてしまったようなので」
うん、大丈夫。きっとシロ様だって許してくれるはずだ。こっくんに一度目配せを。頷いてくれたのを確認した私は、これまでの旅をレゴさんへと話すことにした。あの出発の後、時空断裂に巻き込まれてから。それからのことを全て。……でも、赤い羽や災厄級の話は避けて。




