三百五十七話「港町ズェリ」
「あ、ミコ姉! 見えてきたよ!」
「どれどれ?……ほんとだ、港だね」
「わぁ……!」
澄み渡る青空の下、心地よい潮風と共に進んでいく船。昼食を摂ってからおおよそ一時間程だろうか。ずっと変化のなかった海原に、人工的な建物が見えてくる。真っ白な埠頭は、まだ距離があるここからでも光を吸って眩しく輝いて見えた。ついでに真新しい街を前に、瞳の中に光を散りばめ始めた二人の少女の瞳も。
ウィラの街ともまた違う、どこか都会的な雰囲気を纏った港町。どうやらかねてよりの目的地であった「あの街」には、予定時刻通り到着しそうである。今回の旅路では質の悪いナンパにも、誘拐にも、災厄級の魔物にも遭遇しなかったことに安堵しつつ。……いや、最後のは早々遭遇してたまるかって話なのだが。
「三人とも、そろそろ着くから荷物の最終確認しておいて」
「はーい! 行こっ、ヒナちゃん!」
「うん。お姉ちゃんも」
「ふふ、そうだね」
遠くから聞こえてきたこっくんの声に、デッキの手すりへとかけていた手を離して。そしてわくわくとした表情を浮かべるヒナちゃんとアオちゃんに連れられる形で、今日でお別れの部屋へと向かい出す。結構お世話になったので名残惜しい気持ちもあるが、観覧船イェブリオとは今日でお別れだ。しっかりと忘れ物がないか確認しておかなければ。
特に私の場合、持ち物が色々とあれなので。脳内に過ぎるあれやそれやこれ。どれか一つでも置いてきては後々大混乱になるからと気を引き締める。あと今はお昼寝中のフルフと柘榴くんもちゃんと起こしておかなければ。一応とはいえ主という立場になった以上、その責任もしっかりと背負わねばならないのである。すっかり仲良くなったのか二人寄り添って眠るようになった二匹を思えば、自然と口元には笑みが浮かんだ。
さて、イファさんや長老さんと情報共有をしたあの日から八日程過ぎた今日。私達はあと少しで、本来の目的地であったズェリに到着する。
港町ズェリ。それはムットールというムツドリ族の領地にある海に面した小さな街である。とはいっても、私にその情報を齎してくれたのはシロ様だったりこっくんだったり、あとはここ一週間で私からの呼び名を無理やりアーシャに書き換えてきたイファ、じゃないアーシャさんだったり。とにかく、ほぼほぼ人伝に知った話なのだが。
なんでも漁業と観光業が盛んで、特に名物なのは「白亜の宿り辺」と呼ばれる真っ白な港。イェブリオ程の規模の船さえも余裕で受け入れることができる泊地。そこに寄り添う港はアーチ状で描かれており、高台などから見下ろすと月のようにも見えて美しいらしい。街並みもカラフルなレンガで彩られていて、とにかく見るところには困らないのだとか。
「……んー!! 久しぶりの地面! 落ち着くね!」
「お前、一応水を司る民だろ」
「あたしは箱入りだったから、地面のが落ち着くの!」
そんな、他の乗客の人や添乗員さんでざわつく港にて。全員無事に船を降りた私達は、久しぶりの地面を前に港の端の方で少し休憩していた。船旅にも大分慣れたものだと思ったが、やはり揺れない地面の安心感とは比べることはできない。一応は島国育ちなのに、やはり海が近くにない町で育ったのが原因なのだろうか。
いや、海の力を引き継ぎ水場で育ってきたアオちゃんの言い分もどうやら私と同じようなので、本人の資質の方が重要そうだ。思い切り伸びをするまでは上機嫌だったのに、こっくんに突っ込まれて頬を膨らませた美少女を微笑ましく見守りつつ。
「ガウ……」
「うん?……ああ、お散歩したくなっちゃったのかな? でも……」
「グル…………」
次いで私は唸り始めた柘榴くんを見下ろした。魔物とは言え一応イヌ科の習性みたいなものがあるのか、久しぶりの地面を前に今にも走り出したそうである。さすがに今はどこかに行かれたら困るので抱きかかえているが、流石にそろそろこのフラストレーションも晴らしてあげた方がよさそうだ。
「……わたしも、久しぶりに飛びたいな」
「え、ヒナちゃん?」
「あ、ごめんなさい。今はいそがしいからまたあとで、だよね」
「…………」
とはいえ今は宿を取る方が優先だろうか、なんてことを考えた瞬間。ぽつりと聞こえてきたヒナちゃんの声に、私は眉を下げてしまった。そうか、ヒナちゃんだってそういう風に思う時があるのか。思えばヒナちゃんが飛べたのはミツダツ族の里にて私をあの塔の上にまで連れて行った時が最後。あの時だって急を要していたのだから、満足には飛べなかったはず。しょんぼりとしていた顔を見ていると、そのお願いを叶えてあげたい欲求に駆られるというか。
「……えー! ヒナちゃんが飛んでるとこ、あたし見てみたいな!」
「え、でも……」
「ヒナちゃんの赤い羽、あたし一瞬しか見たことないし! 駄目、かな?」
「う、うーん……」
と、どうやらそう思ったのは私だけではなかったらしい。先ほどまでこっくんと言い争いをしていたというのにこちらの話はちゃんと聞いていたのか、突然ヒナちゃんの背中に抱き着いたアオちゃん。少し離れたところでは、先ほどまでの争い相手だったはずのこっくんがぽかんと目を見開いている。
しかしそんなこっくんのことは歯牙にもかけず、アオちゃんはヒナちゃんを見つめおねだりをし始めた。潤んだ青い瞳は最高級品の宝石のようで、それを間近で突き付けられているヒナちゃんはたじろいだように瞳を揺らしている。飛びたい思い、アオちゃんの期待に応えたい思い。でも、私に迷惑はかけたくないという思い。きっとそれらの間で揺れているのだろう。でも最後のは、ヒナちゃんが気にすることではないのだ。
「……それなら二手に分かれよっか。宿を取らなきゃいけないから、そっちは私が行ってくるよ。このネックレスもあるし」
「ああ、成人を示せるやつだっけ? だったら俺もお姉さんと一緒に行くよ。値切りとか手伝えるし」
「そ、それは頼もしい……」
飛びたいという少女の純粋な願いの一つも叶えてあげられないようでは、彼女から向けられている「お姉ちゃん」の呼び名が廃る。そんなわけでアオちゃんが上手くこちらへと流してくれた渡り船に乗り込めば、流れを読んでくれたらしいこっくんも加勢してくれた。値切りか、確かにその辺は自信がないのでこっくんに着いてきてもらえるのは非常に助かる。こっくんなら何かしらの事件を起こしたりもしないだろうし。
「そんなわけでヒナちゃん、アオちゃんと一緒に遊んでおいで? こっちに大人数が居る必要はないし、あとで空から見た街のことを教えてくれると助かるな」
「っ、うん! ありがとう、お姉ちゃん!」
「ミコ姉愛してる~!」
「あ、あい……ありがとう、でいいのかな?」
事を静観する構えなのか、先ほどから口を出してこないシロ様の方へ一度視線を向けつつ。まぁ今はシロ様のことよりもヒナちゃんだ。心配性なところのあるヒナちゃんが負い目を背負うことはないように告げれば、私への迷惑という部分が吹き飛んでいったらしい。使命感とわくわくに満ちた赤い瞳がこちらをきらきらと見つめる。ついでに、うるうるとした青い瞳も。
……愛してるって、そう簡単に言っていいものなのだろうか。特にアオちゃんレベルの美少女の場合、その一言で人生が狂わされる人が居そうなのでいろいろ心配である。いや、ミツダツ族は美辞麗句にも詳しそうだし、愛してるだって挨拶の一種くらいの可能性があるか? 色々と思案した結果さらりと受け流してみることにした。にこにこ笑顔のままなのでやっぱり特に深い意味はなかったらしい。……いや、よく見たら目の奥は笑っていないような。
「じゃ、じゃあシロ様は……ヒナちゃんとアオちゃんの護衛、お願い出来る?」
「ああ。……コク、ミコは任せるぞ」
「わかってる。お姉さんに不躾に近づいてくるやつは全員吹っ飛ばしておくから」
「それでいい」
「いや、良くないよ……?」
乙女心は難しいものである。多分上手く返せていなかったんだろうなと視線を逸らし、ついでに話も逸らした私。私とこっくんがペアになるのなら、シロ様にはヒナちゃんとアオちゃんの方に付いてもらったほうがいいだろう。そんなわけで話を振れば、特に躊躇うことなく頷いたシロ様。いつかは私の傍を離れるのも嫌がったのに、まさか快諾とは。日に日にこっくんとの信頼関係が深まっているようで何よりである。あるいは、こっくんの容赦のなさがシロ様に近づいているとも言えるが。お願いなので、吹っ飛ばす方向性はなしでお願いしたい。
「……宿探しとなると、魔物連れは目立つか。ミコ、柘榴とフルフも任せろ。我が躾を施しておく」
「ピュッ!?」
「キュウン……」
「ほ、程々にね……?」
あと、うちの従魔をしごくつもりが満々なのも。哀れシロ様に目をつけられたフルフと柘榴くんは、あっという間にヒナちゃんと私の手から奪われ抱え込まれてしまった。二匹ともこちらへと助けを求める視線を送ってきているが、生憎私には助けられそうにないので諦めてほしい。フルフはともかく、柘榴くんは多分めいっぱい走ることが出来るのでメリットがないわけではないはずだ。それが地獄の鬼ごっこである可能性は目を瞑ることにして。
「じゃあお姉さん、俺達も行こうか」
「う、うん。ちょっと色々心配だけどね」
「……まぁ、多分大丈夫だよ」
きらきら笑顔のヒナちゃんと、若干私を膨れ顔(それでも尚目が潰れるほどの美少女)で見つめていたアオちゃん。そして若干テンションの高いシロ様に哀れにも連れられて行ってしまったフルフと柘榴くん。港の奥へと向かっていった三人と二匹をこっくんと二人で見送った後、私達は皆が行った方向とは逆……町の方へと向かうのだった。二匹の無事を祈りつつ。




