三十六話「三日後の彼ら」
「……出来た!」
「ピュ!」
ちくちくちく、四角く切った白い布を二枚合わせては白い糸で並縫いして。そうして紐を通す用の穴を開けて、目立たない箇所で玉留めをすれば原型の完成だ。一応サイズはどうかと左目に合わせれば、からっぽの目は隠れて視界は良好。これならば眼帯として不足なしである。
そうして出来上がった四角い布地のその穴に、裁縫箱の中に入れっぱなしにしておいた白い紐を通していく。これは母の日におばあちゃんに贈った巾着、それに使ったあまりだ。白地に赤椿の柄の巾着。たしか紐は白と赤で迷って、あの時は結局赤を使ったのだったか。懐かしい思い出に瞳を伏せながらも、私は完成品を掲げた。それに呼応するように、隣で見守ってくれていたフルフも声を上げる。
「うん、君のおかげで出来たよ」
「ピュー!」
「ありがとうね」
その声に視線をずらして見下ろせば、そこにはどこか得意げに跳ねる毛玉の姿。そんな今回の功労者に笑みを浮かべて礼を告げれば、任せろというようにフルフはまた鳴いた。
なんとただいま眼帯を作ったこの布は、ふわふわのこの子が作ったものだったりする。この小さな生き物が、糸を紡ぎそこから布を織る。それがいまいち現実味のない光景であったことは、記憶に新しい。まぁそれに関しては、後で語ろうか。
さて、改めまして本日はシロ様と蝉との激闘から三日経って四日目の朝。私とシロ様は、変わらずに旅立ちの準備をしていた。いわゆる保存食とか、今作ってた眼帯とか、これからの旅で必要になるであろう日用品の準備である。
……遅いと、そう言ってくれることなかれ。他にもやらなければいけないことがあったし、準備が万全であって悪いことはないというのが、私とシロ様の共通認識である。この世界はシロ様の話を聞く限り、日本と違って安全面のインフラ整備が安定していないのだ。外の状況がわからない以上、用心は必要である。
更に言えば、ここはクドラの領地であるクレイシュ。当主であったシロ様のお父さんが亡くなった以上、生き残った側のビャクが何か手回しをしていないとは限らない。ビャクの目的が何かははっきりしていないが、どんな形でも真実を知りクドラの瞳を引き継いだシロ様は邪魔な存在のはず。だから当人であるシロ様は、今は情報収集のために街の近くまで赴いている。風の法術を使い、街の外から少しでも今の状況を探るために。
旅の物資の準備に、情報収集。それに加えて、やることは他にも残っている。例えばその一つとして、今は私達の傍で暮らしているこの子の群れも未だ見つけられていないのだ。
「……君の家族は、どこに居るんだろうね」
「ピュ?」
作った眼帯を手に、溜息を一つ。私の問いかけに、当の本魔物である毛玉は不思議そうに鳴くだけ。答えは期待していなかったが、それでも眉は八の字に下がる。正直この子の群れに関しては、現状手詰まりなのだ。それが発覚したのが、昨日のこと。
『……全力で森を探ったが、やはりこいつに似た生き物はこの森に居ない可能性が高い』
昨日、取ってきたきのこを焼きながらシロ様が告げた言葉を思い出す。先程、あれから三日が経ったと言ったのを覚えているだろうか。シロ様はその内の一日を私の能力の確認に、二日をフルフの群れ探しに費やした。だがシロ様が二日もかけて全力で森の中を探っても、私達と暮らしているこの子以外のフルフは見つけられなかった。その気配もまた、同様に皆無だったらしい。
そこから予想できるのは、この森には他のフルフが居ないということ。もしかしたらシロ様が確認できていない部分もあるのかもしれないが、シロ様の探知能力を考えるとその可能性は低い。何せ私が知る限り、シロ様は風を扱えば蟻のような小さな生き物すらも見つけられるのだ。例え奥地に隠れ住んでいるとしても、その探知能力に気配すらも引っかからないというのは妙な話だろう。
「もし、見つけられなかったらどうしようか」
「ピュ!」
「……もう、遊んでる場合じゃないんだよ?」
あれから呆気なく開くようになった裁縫箱を閉じ、眼帯をその上に置いて。そうして私は小屋の床に座っていたフルフを持ち上げる。片手に収まるその子を両手の上に置けば、その子は話を理解していないのか楽しそうに跳ねた。それに苦笑を零し窘めても、やはり言葉が通じている気配はない。遊んでくれるの!? と告げるようにその茶色いまんまるな瞳はこちらを見つめている。
「……うーん、一緒に来るにしてもなぁ」
跳ねるその子を横目に、私は少し考えてみた。数日過ごしたことでわかったのは、この子が図太くも寂しがりで優しい子だということ。シロ様と二人で話をしていれば、自分も混ぜろというように突撃してくる。だがその反面、難しい顔をしているシロ様には心配そうに寄り添ったりするのだ。言葉は通じないが、人の表情の変化には繊細らしい。
後は……ご飯をよく食べる。食べてはシロ様に法力を注がれ、布を作っている。生物図鑑によると、そうして定期的に法力を注がないと満腹になりすぎて倒れてしまうらしい。おかげ様で私のリュックにはいくらか布が溜まっていた。シロ様曰く、人の手で織られた物よりも上等らしい。それを告げるシロ様は、どこか不服そうな表情をしていたけれど。
「危ない、よね」
ここ数日間に起きた穏やかで賑やかな生活を思い出しつつ、私はそこで眉を寄せた。この子を一人この森に置いていくことは、出来ない。何せ人懐っこく寂しがりなのだ。置いていって野生動物や魔物に食べられたりでもすればと考えれば、その選択は取れそうになかった。
だがしかし、連れていくという選択肢もまたどうなのだろうか。私達の旅は観光の旅なんて穏やかな物ではない。一応名目とすれば、真実と永住の地を探す旅だろうか。後半は後から私が勝手に付け足しただけだが。まぁともかく、危険な旅になる可能性は高い。その旅に戦えない魔物であるこの子を、連れて行っても良いのか。
「……うーん、どうしよう」
「何がだ」
「ひっ!?」
「ピッ!?」
跳ねるのに飽きたのか、今度は手に擦り寄るその子を見つめて。だがそうして再び考えようとした私に、突如として後ろから掛けられた声。思わず高く叫んで素早く後ろを振り返れば、そこには目を丸くしたシロ様が居る。いや、その顔をしたいのは私の方なのだが。
「び、っくりした……心臓止まるかと思った」
「……悪い?」
「なんでそこ疑問形なの! 気配消して近づかれるの、ほんとにびっくりするんだからね!」
心臓が痛いほどに加速している。手の中のフルフも、私の叫び声にか若干毛を逆立たせているように見えた。思わず若干声を荒立てて、私はシロ様をじとりと見つめる。けれどその原因であるシロ様は、どこか納得がいかないような表情を浮かべて首を傾げていて。
なんでそんな不思議そうな顔をしているのか。音も立てずに扉を開け、背後まで忍び寄ってきたのはそちらだというのに。……いやもしかしたらそれが、クドラ族においての標準なのかもしれないけど。想像してみたら、存外しっくり来た。気配を消すのが通常運転の、クドラ族。うん、何も違和感がない。それどころか、気配を消さない方がしっくりこない。
「……まぁいっか。おかえりなさい、シロ様」
「ピュ!」
何せ武を重んじる一族。気配を消すのが当然であってもおかしくないかと、そう考えて心臓を落ち着かせつつ。私はとりあえず、未だ不可解そうに眉を寄せるシロ様におかえりと告げた。すると私の真似をしているつもりなのか、手の中のフルフも元気良く鳴く。逆立っていた毛並みは、いつのまにか落ち着いていた。
「……ああ、ただいま」
私達の言葉に、寄っていたシロ様の眉が解ける。先程の仏頂面とは違い、少しだけ口元を笑みで飾ったシロ様。やはり何日経っても、美少年の神々しい笑みには慣れないものである。美人は三日で飽きる、多分その説は嘘だ。少なくとも美少年は何日見ても慣れない。
うぐと、内心自分よりも美しいその笑顔にダメージを受けつつ。私はそっと、自分の隣の床をぽんぽんと叩いた。そうすればシロ様は、隣に腰を下ろしてくれる。そういうところは年下らしく可愛いのだけどな、と考えて。しかし私は隣に座った彼の表情に顔を引き締めた。隣のシロ様は、真剣な表情を浮かべてこちらを見つめている。これは、何か話がある時の顔だ。
「早速だが、話すことがある」
「……うん、街の様子だよね?」
どうやら、想定通りに何かがあったらしい。眉を寄せたシロ様の表情に、私の眉も釣られるようにして寄っていく。何もなかったのなら、こんな顔はしないだろう。私は小さく息を吐いて、こちらを見つめるシロ様を見つめる。先程まで穏やかだった小屋には、徐々に緊張が伸びていった。
「ああ、街の様子についてだが……やはり、ビャクの手は伸びていた」
「!」
そうしてシロ様は口を開く。その口が発したのは、やはり予想通りの言葉だった。とは言えその予想は、あまり当たってほしくなかったのだけれど。
「ピュ……」
ぎゅっと拳を握りしめそうになって、しかしそこで触れたふわふわな感触にフルフの存在を思い出す。私はまた握りしめそうになってはいけないとフルフの位置を膝の上へと移しつつ、シロ様の言葉を待った。心做しか膝上のフルフも、不安そうにシロ様を見つめている気がする。
「そこでミコ、お前に頼みたいことがある」
「え、っと……私に?」
「ああ」
だがそこで続いた予想外の言葉に、私は思わず返事が裏返りそうになった。ビャクの手が伸びていた。それは事前に考えておいた通り、何かしらの形でシロ様にとって不都合な情報がばらまかれていたということだろう。だからてっきり今からそれに関してや、その対抗策について話すと思っていたのだが。
このタイミングで私に頼みたいことって、なんだろう。何かの言い間違いかと思って聞き返しても、シロ様は淡々と頷くだけ。表情からは判断ができないし、もうこれはシロ様から直接聞くしか無いらしい。そう考えてシロ様をじっと見つめれば、心得たという風に少年は頷いて、そうして。
「我の服を仕立ててほしい」
「……え?」
またしても意味のわからないことを、告げたのである。




