三百四十九話「疑いを晴らすべく」
「そういえばお姉さん、伯爵令嬢から伝言なんだけど」
「うん?」
「明日船が出発したら話がしたい、部屋に来いってさ」
「おおう……」
さてはて、フルフとの契約も果たし柘榴くんという新たな仲間を迎え入れたおかげで私の護衛という問題も解決したわけだが。しかし今新たに問題が浮上してしまった。いや、この問題……というか難題は随分と前から存在していて、なんやかんやと先送りになっていたものだったのだが。
伯爵令嬢。こっくんがそう呼ぶのは勿論イファさんのことである。イファさんとのお話の件、か。ワンチャン今回の事件のことで流れるかと思っていたが、イファさんは忘れていなかったようだ。というか彼女はまだ船に乗り続けるのか。殆どの貴族が船を降りたというのに中々の度胸の持ち主である。いや、冠の水なんて組織に所属している時点で彼女は普通のお嬢様なんかではないのだが。
「……イファさんは何が聞きたいんだろうね?」
一度立ち上がり、柘榴くんを抱っこしたままに私のベッドの上……つまり、シロ様の隣に移動した私。そのままぽんぽんと隣を叩けば、少し躊躇いながらもこっくんが隣に来てくれる。ヒナちゃんとアオちゃんは最初から真ん中のベッドに座ってこちらへと視線を向けているし、これで会議の準備は整ったと言っていいだろう。そんなわけで、私は皆に問いかけてみることにした。
ちなみにここ数日間で赤い羽のことやビャクの件、災厄級が人の手により各地で暴れ回っている可能性などの情報はヒナちゃんやアオちゃんにも共有済みである。二人は私が思うよりも弱くなかった。それならば知らないままで居るよりも知った上で防衛に備えた方がいい、という結論をシロ様やこっくんと話し合って出したのだ。
話をしている時、二人はところどころショックを受けた様子ではあったが、これからの旅に怯えることは無かった。むしろ前向きに「それならもっと強くならなきゃ!」と拳を握るくらいであった、というか。元気なのは嬉しいが、ちょっと思考がシロ様寄りになっていないだろうか。将来が少し心配である。
「んー、ミコ姉の力のこと? それとも災厄級のことに勘づいている、とか」
「後者は別に話してもいい。でも力のことは駄目だ。それだけは絶対に隠さないと」
まぁそれはともかく。こうして隠す必要が無くなったのは素直にありがたい。少し思案した後、自分なりに考えた答えを出したのだろう。手を挙げて答えたアオちゃんの解答をこっくんが補強する。
成程、どちらもある線だろう。あの戦いの時、イファさんは私の糸の力にかなりの興味を持っていたようだった。聞いてくる可能性は十二分にある。それと災厄級のこともそう。イファさんは冠の水に所属する人間。各地に散らばった組織の一員ならば、世界情勢にだって詳しいはずだ。こんなにもあちこちで災厄級が暴れ回るのは妙な話らしいし、霧雪大蛇やらタコやらの件に関わっている私に話を聞きたいのかもしれない。だが、しかし。
「…………わたし達に聞かれたらダメなことって、言ってたの」
「えっ? それってどういう意味?」
「えっとね、あのお姉さん、お姉ちゃんと話したいって言った時にそう言ってた、よ……?」
「そなの? あたし達に聞かれたらダメなこと……?」
「……ああ、確かに言ってた。『貴方達幻獣人に聞かれたら都合が悪いこと』って」
……そう、そこなのである。奇しくも私と同じことを考えていたらしいヒナちゃんの方へと視線を向けつつ、私は眉を下げた。あの場に居なかったシロ様とアオちゃんは詳細を知らないだろうが、確かにイファさんはそんなことを言っていたのだ。こっくんの言うように、幻獣人に聞かれては都合の悪いことだと。だから私と二人きりで話したいのだと、そのように。
「……となると、災厄級のことではないのかな? ミコ姉の力のことだって、その後にあの令嬢さんは知ったんだよねー?」
「そうだ。だけどそれだとまるで検討が付かなくなる」
「確かに! あたし達に知られたら都合が悪いことを、あたし達が知ってたらおかしいもんね?」
アオちゃんとこっくんの言うように、そうなると今挙げた二つは除外される。店長さんが隠してくれていたのか、イファさんは当初私の糸の力について知らないようだった。彼女の当初の予定では、それについて聞くつもりはなかったはず。そして各地で起こっている災厄級の騒ぎだって。それについては、シロ様たちに聞かれたって何も都合が悪くないはずなのだ。
「赤い羽」
「……え、シロ様?」
「赤い羽に霧雪大蛇の件。恐らくは、冠の水が知っているのはそれくらいか」
となると、一体イファさんは私に何を話そうとしている? 或いは打ち明けようとしているのか。振り出しに戻ってしまったような感覚に首を傾げれば、その時隣から声がした。ずっと黙っていたシロ様が、その重い口を開けたのである。
「……それ、どういう意味だよ」
「お前ならわかるだろう。あの女は我らを疑っている可能性がある」
「え……?」
「…………!」
赤い羽に、霧雪大蛇? シロ様は一体何を……とそこまで考えたところで、その二色の瞳が言いたいことに気づいた私は息を飲んだ。その外でこっくんが何やら喧嘩腰に尋ねているが、今はそれを窘める余裕もない。気づいたことを受け止めることでただ精一杯だったのだ。
イファさんは枯渇死や冠の水周りについて店長さんと同じ、いやそれ以上に詳しく見えた。となると赤い羽がある日の犯行現場に残されていたことも、霧雪大蛇が「人間や獣人」の為せる範囲ではあの場所に訪れることはできなかったことも知っているはず。その上で今回私に幻獣人には話せないこと、と話を持ちかけてきた。それはつまり、そういうことなのだろうか?
「……あちらの持つ情報と我らの特徴が一致していることが仇になったな」
「…………」
シロ様としては、そういうことを言いたいらしい。となるとイファさんの狙いは私に探りを入れること。彼女はきっと疑っているのだ。枯渇死事件や霧雪大蛇の騒ぎの裏側には幻獣人が深く関わっているのではないかと。そして私の傍には赤い羽の持ち主である少女や、霧雪大蛇の幼体を駆除する禁足地に入ることができるミツダツ族の少女が居る。だから幻獣人を剥がした上で私への接触を狙ってきた。
「…………ええと、それなら? 警戒しなくていい感じ?」
「………え?」
「だってあたし達悪いことしてないし、お祖母様もそだよ? まぁ他に悪い人がいるのは間違いなさそうだけど……」
「……そう、だね?」
と、戦慄を覚えたのはそこまでで。きょとんと丸まったアオちゃんの瞳を前に、無意識の内に全身に入れていた力は徐々に抜けていった。顔を強ばらせていたヒナちゃんもきっとそう。ぱちぱちと赤い瞳を瞬かせると、少女は確かにと言わんばかりに頷いた。私も同じくである。
確かに。なんかシロ様の醸し出す重苦しい雰囲気のせいでつい緊張してしまったが、そう言われればそうだ。仮にその件でイファさんに探られても、私達に痛い腹はない。せいぜいがタコとか蝉とかキメラの話を共有するくらいである。ついでに私達もその件を追ってるんですよ〜、でも詳しいことは知らないんですよ〜とアピールするとか?
「……俺も魔物の支配方法についてなんて研究したことないし、ヒナは年齢や経歴的に今までの事件を引き起こすのは不可能だ。お姉さんがその辺を伝えれば、まぁ普通に納得してもらえるか」
「うんうん。こっくんもヒナちゃんも関係なーし。……あ、でもシロくんはおじさんが関わってるかもしれないんだ……」
「…………」
「……シロお兄ちゃん、」
……でもそうか、シロ様には触れられたくないところがあるのか。シロ様は昔私に教えてくれた。ビャクが赤い羽を持つ何者かと話していた、と。それこそが信頼していた叔父の裏切りの理由なのかもしれないと。そうなると、世界で起こっている異変にはビャクが深く関わっているかもしれないわけで。
アオちゃんにヒナちゃん、こっくんでさえシロ様に気遣わしげな視線を向ける。過去シロ様に起こった出来事は凄惨なんて言葉でも済ませることが出来ない、最悪に惨たらしいものだ。小さな少年は一夜にして家族も一族も失い、これから先の展望すらも打ち砕かれた。その上でシロ様は、叔父が怪しいからという理由でイファさんに疑われたりするのだろうか。
いや、そんなことはさせない。
「……でも、シロ様は関係ないよ」
「……ミコ」
「だって本当に枯渇死にビャクが関わっていたとしたら、それはシロ様としても止めたいもののはず。違う?」
だって私が知っている。シロ様は何も関係がないことも、絶望に晒されながらも謎を解き明かそうともがいている事を。もしイファさんが何か誤解をしているのなら、私がそれを解き明かすまでだ。その思いでシロ様の手を握れば、こちらを見上げた瞳は僅かに見開かれた。そしてその瞳は、ゆっくりと細められ。
「……違わない」
「うん」
ぽふんと、私の肩に乗せられた温もりは暖かい。こうやってシロ様が私の肩に頭を預けてくれる以上、その信頼に精一杯答えなくては。よし、結局イファさんが何を話すかは予想しかできなかった。だが、少なくとも気合いは十二分に入っただろう。明日何があっても、私は皆の名誉を守り抜く。そしてシロ様を安心させてみせるのだ!
……尚、数分経ったところで私とシロ様はこっくんとアオちゃんによって引き剥がされるのだった。近すぎるのは禁止、との事。何か最近、二人の風紀の取り締まりが厳しい気がする。それを見たヒナちゃんがきょとんとしてるのだけが癒しであった。




