三百四十二話「ささやかな祝い事」
「……あの様子だとミハイル・マスクは極刑。まぁ、死刑になると思う」
「死刑……?」
ある程度教皇のことを理解出来たので、それぞれの幻獣人の統治の方法からミハイル・マスクの方へと話を戻すことにした私。するとこっくんは暗い表情で、少しだけ躊躇うようにそう告げた。しけい、シケイ、死刑。それはつまり、死罪ということ? 私は一瞬、その言葉を上手く飲み込めなかった。
忘念実の存在は禁忌そのものだとイファさんは言っていた。シロ様だって、あの白い植物について深い憎しみを滾らせていたように感じた。だとしてもそれを所持していたというだけで死刑? 確かに彼が企んだことは許されることでは無いけれど、私は一生許せないけれど、それでもただ持っていただけでそんな罪になるのだろうか。犯罪は未然に防げたというのに。そんな私の疑問は、こっくんが晴らしてくれた。
「……実は一人だけ、忘念実の被害者が見つかったんだ」
「え……!?」
「あの日お姉さんを執拗に殺そうとしてた、あのメイド服の人。彼女は忘念実の被害者だったらしい」
「…………っ、」
どうして未然に防げた犯罪で加害者の罪がそんなに重くなったのか。それは忘念実に関わるのが許されることの無い禁忌だったから、なんて理由だけではなかった。思い浮かぶは月下の下揺れる銀色の髪。私を殺そうと刃を迫らせた彼女が、忘念実の被害者。最後の最後までミハイル・マスクを助けようと足掻いてた、あの人が。
「彼女は子供の頃にミハイル・マスクが父親から貰ったプレゼントだったらしい。『美しい奴隷がほしい』っていう」
「……そん、な」
「生憎その父親は火事か何かで亡くなったらしくて、証拠とかももう無いけど。でもそいつがかつて忘念実を使って犯罪行為をしていた可能性はある。というかミハイル・マスクはその事業を継ごうとしたのかも」
「…………」
美しい、奴隷がほしい。ただそれだけの、幼子の無垢で残酷な願い一つで世界から忘れ去られて。そして彼女はずっとずっとずっとミハイル・マスクに尽くしてきたのだろうか。幾許とも知れぬ年月を、文字通り命を賭ける形で。
そしてこっくんはさっき「被害者が見つかった」と言っていた。ミハイル・マスクのやろうとしていたことが父親を継いでの事業だったのなら、確かに彼女以外に忘念実の被害者が居る可能性はある。つまり私たちは全く未然に事件を防ぐことなんて出来ていなくて、もしかしたら世界から忘れ去られた人はまだいっぱい居て。そこまで考えたところで、そっと手の甲に触れた温度。はっと意識を取り戻せば、シロ様が私の手を握っていた。
「……他の被害者は見つかりそうなのか?」
「難しい、ってさ。考え無しに事を公にするわけにもいかないし、さっき言った通り証拠は全部焼けたっぽいから」
「そ、っか……」
……それを後悔しても、その事に痛みを感じても、過去に戻れるわけでもない私にはどうしようも無いんだった。だからせめてシロ様のように、今出来ることを探していかなければ。生憎と出来ることは少ないようだけど。
「……彼女のこと、だけど」
「うん」
「幼少期に親元から離されて世界から忘れられて、彼女が生きるために出来たことと言えばミハイル・マスクに依存することだけ」
「……だから、あの人は」
「……うん。あの人にとっては、ミハイル・マスクが世界だったんだろうね」
その証拠に、ミハイル・マスクがペラペラと全貌を明らかにしたのに反してあの人は何も言わなかったらしいよ。こっくんの言葉に胸が詰まる心地がする。だからあの人はあんなに必死になってミハイル・マスクを助けようとして、けれど表情に色が乗ることはなくて。それは真実、長い月日が彼女の心を奴隷として殺してしまったからだったのだろう。
「……彼女の処分は保留。どうしたらいいかわからないみたい」
「そっか……」
そしてそんな被害者たちはこの世界に何人も居るかもしれなくて。でも見つけることだって難しくて。私に、何が出来るだろう。見つけることも難しい忘念実の被害者たちを探して、それで? 見つけたところでその人達に関する記憶を周りが取り戻す方法なんてないというのに。
……いや、ないのだろうか? そういえば治療方法に関しては何も聞かされていなかったことにそこで気づく。仮に治療方法なんて存在しないとしても、それは今だから。忘念実の仕組みさえ分かれば、失われた記憶を取り戻す方法を見つけることも出来るのでは……?
「……お姉さん?」
「……あ、ごめん。ちょっと気になることがあって」
「気になること……?」
「うん」
クドラ族がかつての歴史で全部燃やしてしまったというサンプル。当時は被害者が皆凄惨な人体実験に利用されたことで残しておく必要も無いと判断されたのだろうが、それはつまり忘念実は研究された事がないということではないだろうか。
忘念実は植物。効果がいくら人智を超えたものであろうとも、植物による毒性を打ち消すことは必ずしも不可能という訳では無いはず。しかも人間より頭のいいレイブ族ならば、特効薬を作ることだって出来るのではないだろうか。そうしたら少なくとも、メイドのお姉さんを助けることは出来るかもしれない。
「あとでイファさんと……こっくんにも、話を聞きたいかな。でも今はちょっと、頭を整理したい感じ」
「……そっか、しょうがないね」
でも今すぐどうこうするには考えが甘すぎるだろう。少し落ち着いて考えたところで改めて、という形を取った方がいいはずだ。その時はイファさんとこっくんに相談、……いや、シロ様にも話しておいた方がいいか。だって私の手の甲を掴む手の力が段々強く、いや強いな!? 痛いからそろそろ勘弁して欲しい。
「まぁとにかく、犯人の一味はまるっと逮捕。手下共がベラベラ話してくれたおかげで、俺たちが捕まえなかった残党共も捕まったみたいだよ」
「よかった……」
「こういう時、悪党共の足を引っ張りたがるタチって役に立つよね」
「あ、あはは……」
私がチラッと視線を向け、必死に懇願をすれば納得していただけたらしい。自分にも話せよという顔をしながらも、シロ様はこっくんの話を聞く姿勢へと戻った。そのこっくんはこっくんで何や腹黒いことを言っているが……。うんまぁ、悪い人達が一網打尽にされたのならいいか。
「で、伯爵令嬢から伝言」
「ん?」
「『色々落ち着いたら約束は果たしてもらうわよ』って。……お姉さん、大丈夫?」
「……ウン」
ついでに私も一網打尽にされそうである。そういえばそれがあったんだった。イファさんと二人でのお話、か。一体何を聞かれるやら。まぁまぁ鋭くていらっしゃるので、言葉でぐさぐさに刺されまくらないか今から心配である。
けれど彼女はあれで結構優しい人だから何とかなるだろう、多分。そんなわけで安心させるように心配そうなこっくんに笑いかけてみたものの、逆に不安にさせてしまったらしい。瞳の中の疑念は更に強くなっていった。流石にお話くらいはできるのでそこまで過保護にならなくてもいいのだが……ああ、もしかしてそういうことか。
「……私の法術のことが心配、なのかな?」
「……!」
「そんなに心配ならシロ様と糸結んでいくよ。そうしたらどこかに攫われても大丈夫、ね?」
「……うん、そうだね」
そういえば昨夜の事件で私の特殊な法術がイファさんにガッツリ見られていたのだった。多分こっくんはその件で私を心配してくれていたのだろう。いくらイファさんが悪い人ではないとしても、興味を持ってグイグイ聞かれ果てには付与のことまで詳らかにしてしまうのではないか、と。
しかし流石の私とてそれを話すほど愚かでは無い。最悪無理やり聞き出されそうなら全力で抵抗するまでである。今回の件でよくわかった。強い力は狙われる。そしてその影響は周りの人にまで及んでしまう。ヒナちゃんはあの事件のせいでその力を周りに見せざるを得なかった。つまり何も悪くなかったが、詰められて話してしまった場合私が百悪い。それを避けるためにもシロ様と繋いでおく、とそう言えばこっくんはようやく安心したように微笑んでくれる。よかったよかった。
「……ん、来たか」
「ん?なにが、」
「ミコ姉起きてる!? あたし達でご飯作ったよー!!」
「お姉ちゃん……お姉ちゃん!!」
「ピュイッ!」
少々不安だったイファさんとの話し合いにも策ができたところで。そのタイミングで部屋の扉から飛び込んできたのは元気そうなヒナちゃんにアオちゃん、そしてフルフ。後ろからは苦笑を浮かべたジョウさんと、器用にも料理が乗った皿を何枚も重ねて持っているアイさんの姿が。どうやら買い出しを終え、料理まで済ませてくれたらしい。
さて、それならば私もそろそろ養生に専念することにしようか。ぎゅうっと両側から抱きついてきたヒナちゃんとアオちゃん、そして頭の上に乗っかったフルフを受け止めつつ。事件が無事に解決したお祝いパーティは、小さな部屋で密やかに開かれるのであった。
城崎尊、元女子高生。一時休憩と寄ったカサヴァの街で起きた騒動は、フルフが私達の本当の仲間になるという形で終結した。しかし残るのは忘念実の落とした影とそれをどうにか出来るかもしれないという予感。
お互いひとりぼっち同士。シロ様との未来の約束を大切に胸に抱えながら、船は別れを超えてまた動き出す。この先で待っている枯渇死事件の最初の被害者、ラム。彼との出会いが「あの子」にどんな影響を及ぼすのか。それを今の私はまだ知らなかった。
これにて第九章は終幕となります。この後一週間ほどのお休みを頂き、次回更新は10/21の月曜日になる予定です。
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