三百四十一話「統治の在り方」
「あ、おはようお姉さん。パン買ってきたけど、お腹空いてる?」
シロ様とのささやかな時間はあっという間に過ぎていき、気づけば時刻は十八時程。ある程度話し終えたところで一度二人息をつけば、扉がガチャリと音を立てて開いた。開かれた扉の先、そこから漂ってきたのは小麦のいい匂い。突然の来訪者はお土産らしきパンを紙袋に詰めて帰ってきてくれたこっくんだった、というわけである。
「おかえりなさい、こっくん! それとおはよう。パンもよかったら貰えると嬉しいな」
「うん……シロも、ほら。で、食べながらでいいから話聞けよ」
「ああ」
いつから出かけていたのかはわからないが、大分遅いお帰りのような。街で調査でもしていたのだろうか? 或いはイファさんの付き添い? そういえば、ミハイル・マスクの件はあの後どうなったのだろう。そんな疑問を抱えながらも、私はこっくんの厚意にありがたく甘えることにした。
何やら話があるらしく、自分が使ってる方のベッドに腰をかけるこっくん。こちらへと向けられる物言いたげな視線は、私とシロ様がぴったりとくっついて座っているからだろうか。当然と言えば当然のことなのだが、こっくんは風紀に厳しい。多分ヒナちゃんの成長に悪影響がないかを心配しているのだろう。あまり心配をかけてはいけないので、こっそりシロ様から離れてみる。すると若干険しい色が浮かんでいた瞳孔は僅かに緩んだ。
「……あれ、でもヒナちゃんとアオちゃん、それにフルフは?」
「ヒナたちならアオの従兄弟二人と一緒。お姉さんが中々起きなかったから、法力が回復しやすい食材を買いに行ってるっぽい」
「え、えっ……!?」
「多分そろそろ戻ってきて、あとは船の料理場でも借りてなんか作るんじゃない?」
しかしそこで思い出したことが一つ。そういえばヒナちゃんにアオちゃん、フルフは一体どこに行ったのか。ヒナちゃんは以前ウィラでの眠りから目覚めた時も居なかったが、その時は確かシロ様と特訓をしていたからという理由があったはず。あんな事件の後だと言うのに、まさか三人でどこかにでも出かけて……?
が、その心配はまさしく杞憂だった。こっくんの説明に私は思わずぱちぱちと瞬きをしてしまう。あの子たちは私のためという理由で、なにやら豪華な護衛さんたちと街を歩いているらしい。心配をかけて申し訳ないやら、その気持ちが有難いやら。あの事件の後で大丈夫だろうかという不安もあれど、よく良く考えれば殆どの犯人たちは捕まえたのだし問題は無いだろう。あの集団において、手練なんてあのメイドさんくらいだったものだし。
「そんなわけで、パンは一つくらいの方がいいかも」
「……ふふ、そうだね。入んなくなっちゃう」
「どれがいい?」
「じゃあ、折角だしこっくんのオススメで」
「……了解」
ともかく二人と一匹のことはアイさんとジョウさんに任せておけば問題ないだろう。安堵と共に肩から力を抜けば、こっくんが紙袋の中身を見せてくれる。どうやら私が一番最初に選んでいいとの事。その病人特権に感謝しつつ、私はこっくんに自分が食べるパンを選んでもらうことにした。これもまぁ、病人特権という事で。
「……んで、ミハイル・マスクのことについてなんだけど」
「んぐ、……うん」
「無事立証できて逮捕。あれだと教皇のとこまで送られそう」
「……教皇?」
こっくんが私にと選んでくれたのはシンプルながら最高に美味しいクロワッサン。あまり量がなくそれでいて満足感の高いチョイスに感謝しつつ食べていると、こっくんは話を始めた。なんでも今日こっくんは私の代打のシロ様の代打として、イファさんと取り調べに応じていたらしい。苦労をかけて申し訳ない限りである。
で、船にあった忘念実と屋敷にあった忘念実。船はミハイル・マスクの部屋だったし、あの山奥の土地の権利書の署名も勿論ミハイル・マスク。どちらも裏付けできる情報が身近にあったおかげか、彼の逮捕はトントン拍子だったらしい。それはいいのだが……教皇とは、一体どこのどちら様だろうか?
「ムツドリを統べる一族の長だ。ミツダツで言う族長、レイブでいう長老、クドラで言うのであれば当主」
「……そ、それは何か違いが?」
「権利の握り方はそれぞれだな。教皇はムツドリ族の自由を重んじる。こういった時に問題があれば出てきて処理するくらいで、ムツドリ族に縦社会は基本存在しない」
疑問に思っていたらシロ様が説明してくれた。ついでに他の幻獣人のトップの名称まで。成程、教皇というのはムツドリ族のトップということらしい。どうやら大分ミツダツの族長様とは勝手が違うようだが……そもそもの話、里を築いているミツダツ族とハーフもいるムツドリでは話が違うのも当たり前だろうか。
「ミツダツはあの通り、一族を導く女王様って感じ。レイブの長老は一番賢い者が五年おきに選ばれて、大きな貢献が認められて抜擢された数人の賢者達を纏めてる。最終的な決定権を持つくらいで、基本的に不干渉だよ。全員人と関わるよりも自分の知を極めたいから」
「大分一族によって統治法は違うんだね……」
「ミツダツ族はその美貌から人間から狙われることも多い。閉鎖的な環境にした上で未来を導く者を上に据える、ってのは合理的な考えだ。逆にムツドリ族は人や獣人とも関係を持つ以上、自由にしないと色々ままならないんだと思う」
うん、どうやらその通りらしい。こっくんの補足に私は納得した。ミツダツ族がどちらかというと閉鎖的なのも、ムツドリ族が逆にあけっぴろげで多らかなのも、それぞれの一族の信念やら能力が関わってきているのだろう。逆にしたら色々問題が起こって厄介なことになりそうだ。
人間や獣人との上手い関わり方を模索してきた結果が今、というわけか。教皇、というのには何か宗教的な一面も関わってきそうな気がするが……まぁ、今は重要な問題ではないか。とにかくミハイル・マスクの問題が重要視されている、ということがわかっただけで十分だ。これで安心して任せられるというものである。
「ん? じゃあクドラは?」
「単純な話だ」
「……んん?」
けれどそこで一つ疑問が。ミツダツ族とムツドリ族、それとレイブ族のことも少しわかった。だがクドラ族はそれならどんな統治をしているのだろう。一瞬聞いていいものか迷ったが、ここは聞かない方が不自然だろうかと勇気を出してみる。ちらりと視線を向けた先、パンを頬張るシロ様の表情に変化は見られなかった。
「強い奴が一番偉い。一番になりたかったらそいつとの一騎打ちに勝つ」
「…………わぁ」
「それだけだ」
いつもの様子のまま、いつも通りのことを告げるシロ様。それはなんとも、私が見てきたクドラ族らしかった。まぁ強さを信条とする一族だし、多少は……でもそんなんで統治者を決めて大丈夫なのだろうか。恐らく表情からその疑問を汲み取ってくれたのだろう。こっくんがこっそりとフォローを入れてくれる。
「……大陸の西側は魔物が一番多いから。強い奴が偉いってのはある種正解で、クドラ族の治世は今までちゃんと回ってきてるんだよね」
「そ、そっかぁ……」
回っているのなら、いいのか。少し困惑しつつも頷いた瞬間、新たに浮かび上がってきたのは不安。魔物が一番多い、か。そしてそれを一番強いシロ様のお父さん、そして彼を始めとした歴代のクドラの瞳の継承者、つまり当主の人達が殲滅してきて……でも、今は。
「お姉さん?」
「……ううん、なんでも。途中で横槍さしてごめんね。ミハイル・マスクの話の続きを聞かせてくれるかな?」
「……うん」
さっき聞いた話の余韻が、今まだ私の中に残っている。それなら今魔物が多いという西の大地は、一体誰が守っているのだろうか。その疑問と不安を振り切って、私はこっくんに笑いかけた。今は考えるべきじゃない。考えたってどうしようもない。だからどうか。
あの桜の街の私たちを助けてくれた家族が、無事でありますように。それだけを願った。




