三百三十一話「舞台作りの暗躍」
腰までたなびく銀の髪に薄い水色の瞳。クラシカルな雰囲気のメイド服に身を包んだ月影を纏う襲撃者の彼女は、まるで人形かのような風貌をしていた。たとえばお屋敷の中でアンティークな椅子に腰を掛けていれば、人間だとは到底思えないような。だがこうして動き回っている今を見ても尚、彼女が人形のように思えてしまうのは。両手に構えた二つの細剣の無機質な光が、彼女を人から乖離させているように思えるからだろうか。
「っ、……ふっ、」
「……人の身にしては、中々やるようで」
私やイファさんを守るためか、アイさんが槍で彼女を押し込めるように中庭へと連れ去って暫く。二人の決着は未だに付いていなかった。理由は様々である。一番大きい理由を上げるとすれば、彼女の参戦を機に屋敷から続々と投入される兵士たちの動きが良くなったから。一人が手柄を焦って突っ込むような動きから、多数で囲んで無理矢理に始末をつけようとする形になってしまったのだ。全ては彼女の「囲んで叩け」の一言で。
そうなると対多数の訓練もしていそうなジョウさん、法術で一気に片を付けられるこっくんはともかく、ヒナちゃんやアオちゃんはなかなかにきついものがあるらしい。いや、アオちゃんは実力的には事足りているのだろう。ただ意識がどうしてもヒナちゃんの方に割かれてしまうのか、時折隙が出来てしまうところがある。そしてその穴を埋めようとジョウさんが多忙になり、こっくんはこっくんで私達の護衛をメインに切り替えたせいで殲滅が難しくなっていると。
「……ちょっと都合が悪いわね。あの人、結構な手練れよ。ミツダツ族ならどうにかなると思うけど、時間がかかればかかるほどこちら側に怪我人が出る可能性が上がるわ」
「……はい」
つまるところイファさんの言うように、現状はあまり芳しくないというわけだ。まさか相手方にこんなに強いお姉さんがいるとは、想像もしてなかったというか。だが誰も彼もがいわゆる雑兵という想定の方が甘かったかもしれない。というか仮に敵が強い人ばかりだったとしても、この面々ならば特に問題はなかったはずなのだ。なら何故こんな現実を招いてしまっているのか。
私から見て理由は二つ。一つ目は相手が完全にこちらを殺す気で来ているのに対して、こちらは相手を殺してしまうわけにはいかないという点である。私達側の目的としては彼らの犯罪を明るみに晒し,忘念実を使った犯罪を未然に防ぎたい。そのためにはできれば犯人一味には全員生きていてもらった方が都合がいいというわけだ。こちら側が正義だと警備隊の人達に信じてもらうためにも。だが相手が殺す気で来ているというのに手加減するのは、実力差が相当にあっても中々に難しいのだろう。全員が全員もっと強力な術を使えるというのに、それを使わずに殺さないよう無力化しなくてはいけないのだから。
それと大きな要因がもう一つ。
「……コクさんが派手に法術を使えないのがやはり問題ね」
「…………」
そう、こっくん。こっくんは小説やゲームの世界で例えるのなら、魔法使い的な力の使い方を得意とする。だがこっくんは今この場で派手に法術を使うことができないのだ。相手を殺してはいけないという条件ともう一つ、この乱戦状態では派手な法術を使うことは味方を巻き込むことになってしまうから。
あと場所も悪い。ここは密林かつ山頂。そんな場所で火の法術を使っては山火事になる可能性があるし、水は土砂崩れの可能性へと繋がってしまう。となると使えるのは風と土だが、土はこのあたりの地盤をダメにしてしまう可能性があるので大っぴらには使えない。で、風の法術はこっくんの一番の苦手分野。シロ様を筆頭としたクドラ族が土の法術を苦手とするように、レイブ族は風の法術が一番苦手なのだ。それでも知の一族、使えないことはないが……消耗はかなり大きくなる。そうなるとメリットよりもデメリットが勝ってしまうのだろう。
「……っ、ヒナ!」
「わっ、……!」
「ぐっ、く、クソ……!!」
ほら、今。背後から迫ってきた熊の獣人らしき男性にヒナちゃんが襲われそうなのを見て、とっさに助けに入ったらしい。風の法術を使って男性を吹き飛ばしたこっくんだったが、見るからに扱いに慣れていなそうであった。山中という場面、かつ相手を殺さないことが狙いならば風の法術はかなりのアドバンテージを誇ると思うのだが、それが使い慣れぬ武器ならば逆に不利となる。
「……どうするの、『お姉さん』?」
「…………」
「さっきから黙ってみているつもりはない、って顔してるわよ」
幸いにしてこっくんのサポートの甲斐あり、隙を突く形で男性はヒナちゃんが伸したが……こんな場面が続いてはこの先不幸が訪れる可能性はあるだろう。そうだ、イファさんの言う通り。それが訪れるのを黙って見てはいられない。アイさんの方はまだ決着がつかないようであるし、そうなってくると頼れるのは自分と……そして糸くんだけというわけだ。
「……イファさん、すみません」
「え? っ、ちょっと……!」
「離れないでください。それと、気取られないよう」
「……わかった、わよ」
……大丈夫、案はある。上手く行くかはいまいち不明だが、今の自分ならばどうにかならないこともないはず。いや、どうにかするんだ。付いてきておいて何もできませんでした、なんて。そんなのはあの子たちの年長者として情けないと言う他ないだろう。ふっと息を深く吐けば、覚悟は存外あっさりと決まった。自分に自信を持つのだ。自分ならば出来ると、ただ愚直にそう信じろ。
そうやって心落ちつければ、後は実行に移すのみ。戦況を見ながら、フルフの捜索のため時折手に持ったカップへと視線を落としていたイファさん。そんな彼女を私は自分の方へと引き寄せた。お互いの息遣いが聞こえるくらいの至近距離。説明もなく突然密着してしまえば、当然苦言を呈されてしまうわけで。でも私の真剣な声音を聞いて、意味のない行動ではないと察してくれたのだろう。一度は荒げた声をすっかり潜めてくれたイファさんに感謝しつつ、私はじっと乱戦状態の屋敷前を見据えた。
……なるほど。アオちゃんを守るためか、ジョウさんの位置は基本的に動かない。そしてヒナちゃんもシロ様の教えがあってか、あまり自分の立ち位置を変えることはしていないようだ。アオちゃんはちょこちょこ動いているが対応できないほどのことではないはず。となると、作戦を行動に移す上で問題になるのはアイさんだが。
メイド服の彼女の猛攻が逐一鋭いせいか、屋敷前を縦横無尽に動き回るアイさん。二人の行動が乱戦にさらなる緊張感を与えているのは差し置いて、あれを”捕まえる”のは至難の業となってくるだろう。さてどうするべきか。まさかアイさんだけ放っておく、というわけにも……。
「…………!」
しかしそんな迷いは、彼女の深い青の瞳がこちらへと振り返ったことでシャボン玉のように弾けていった。激しい鍔迫り合いを繰り返す最中浮かべた笑顔は、間違いなく私に向けられたもので。合わせてくれる、ということらしい。本当に察しがいい人だ。周りにいつも気を遣える、優しくて綺麗な人。彼女はいつだって、私なんかに純粋な期待を寄せてくれている。それを、全幅の信頼を、裏切るわけにはいかない。
「……行き、ます」
「……しくじらないでね」
「はいっ……!」
深呼吸を一つ。私は用意していた「透明な」糸を確認していた場所へと伸ばしていった。まずは地面全体、それと屋敷と屋敷前を遮るための壁用のものも忘れず。透明なシャッターを作る準備が出来たら、今度はそれぞれ戦ってくれている仲間たちの足元へと糸を伸ばしていく。そうしてその足元にひそかに、糸の玉を作った。
乱戦状態の戦士たちは誰も気づかない。気づけるはずがない。地面を覆う形で張り巡らされた透明な床にも、いつ屋敷と遮断されるかもわからない現状にも。こっそり伸びていく糸を、ゆっくりと力を蓄えていく糸を。私がみんなを守るために使う力を。忘れないように私とイファさんの周りには『三人用』の糸を蓄える。用意が出来れば、あとはもう。
「アイさん! こっちです!」
「はい!」
「っ……!」
私の目論見にひそかに気づいてくれていた、彼女を呼ぶだけ!
「っ、え……!?」
「ひゃっ!? な、なにっ……!?」
「こ、れは……」
アイさんがこちらへと飛び込んできた瞬間、私はメイド服の女性が入るよりも早く自分たちの周りに籠繭を編み上げた。それと同時、ヒナちゃんアオちゃんジョウさんの周りにひそかに蓄えていた分の糸も編み上げてしまう。そしたらもう、透明だった地面とシャッターは可視化してしまって。そうして。
「……こっくん!」
「っえ、お姉さ、」
「派手にお願いします!」
「……!」
地盤も仲間も気にしなくて良くなった魔法使いさんに、盛大な一発をお見舞いしてもらうのみだ。私の声に一瞬狼狽したような声を上げたこっくんは、しかし次の瞬間には自分のためのフィールドが整えられたことに気づいたらしい。戦っていた相手が突然何かに囲われたのを見てか、籠繭の外の世界からはざわめきと……あっすごいガンガン叩かれてる。これ多分メイドさんだ。察するにあの双剣で繭ごと仕留めようとしているのだろう。殺意が高すぎる。
でも。
「『沼鎮』!」
「!」
残念なことに今は、見ている相手が違うのだ。




