三百二十八話「整えられた舞台の中」
火花が夜の空を密やかに彩る。空を見上げていない誰かには、決して気づかれないように。それを合図に音もなく走り出したのはジョウさん。彼が見張りの人達に急接近する最中、タイミングを合わせて法術を行使する気らしいこっくんの指先に光が灯った。
「ぐあっ……!?」
「っ、なんだてめっ……!? ぐっ……!」
「っおい、お前……!」
こっくんが虎視眈々とタイミングを狙い定める中、ジョウさんの槍先が一人目の見張りの人へと差し向けられる。殺す気は無いのだろう。切っ先に近い柄の部分で一人目の首を強く殴打、振り回すような形で二人目の頭も叩く。しかし当然ながらそんな形で襲撃をしかければ、残りの三人には気づかれてしまうわけで。
突如現れた槍を構える美丈夫に恐れをなしてか、二人は腰を抜かしてくれた。しかし一人は何かの異常を察知してか、屋敷の方へと走り出してしまう。恐れていた事態だ。このまま私達の襲撃を中の人達にまで周知されてしまえば逃げ出す人が現れるかもしれないし、そもそも私が籠繭を張るのを邪魔される恐れもある。だがあれだけ作戦を練っておいて、ここで失敗するようなタイプじゃないのだ。
「っ、なんだこっ、ひっ、ひぃ……!?」
「たす、たすけて……!」
「ひぃ……!」
そう、こっくんは。最初に走っていった一人が突如転んだかと思えば、地面から伸びてきたのは蔓のような何か。それは彼を地面へと沈めると、怯えていた他の二人も巻き込んだ。船であの嫌な貴族の護衛の人たちにしたように、いいやそれ以上に。彼らは徐々に徐々に地面へとめり込んでいく。
沈む恐怖でか、彼らの声はどんどんか細く引き攣ったものになっていった。叫ぶ気力すらも生き埋めになるかもしれないという恐怖で削られてしまったらしい。先に怯えた二人が意識を失って、そして次に駆け出していった彼が意識を失えばその時点で埋没は止められる。槍で殴られて地面に倒れている人が二人、頭だけが埋まっていない形で地面に埋まる人が三人。これで正面入口の見張りの人達は無力化できた。
「……悪いけど、暫く埋まってて。殺しはしないから」
「……おい、遅い。大分冷や冷やしたぞ」
「ごめん、ちょっと行動を見たかった。薄々察してたけど、案の定ろくに訓練されてないみたいだ」
ふっとこっくんが小さく溜息を吐けば、見張りを沈めたジョウさんが文句を言いながら戻ってくる。確かに、同時と言うには大分タイミングがずれていたかもしれない。けれどそこにはこっくんなりの狙いがあったのだろう。相手の力量を計る、と言う。
「言っとくけどまずそうだったらすぐにどうにかしてたから。そこについての文句はナシで」
「……お前もシロさんと同様のふてぶてしさだな」
「は? 一緒にしないでくれる?」
それでこっくんの予想通り、彼らはそこまで訓練されていない兵隊だったと。一応様子はちゃんと見ていたのだと言い張るこっくんを前に、ジョウさんは呆れたように告げた。が、それはこっくんの地雷である。眉を寄せて腕を組んだこっくんは、そのままジョウさんに詰め寄り自分かどれだけシロ様とは違うのかを語り始めた。……う、うーん、今はそんな場合じゃないと思うのだが。
「……騒ぎにならないところ、あちらも終わったようですね。ミコさん、もうそろそろよろしいかと」
「あっ、えっと……」
「包囲網、さっさと作っちゃいなさい。ちなみに今のところ水面にフルフさんは映ってないわ」
「あっはい……」
……当然そんな場合じゃないので、あの二人はスルーということらしい。優しく促してきたアイさんと、呆れたように腕を組みながら急かしてきたイファさん。一応こっくんに了承は取りたかったのだが、あの様子を見るに暫く勢いは収まらないだろう。なんなら籠繭を張って強制的に平静を取り戻させた方が早い気がする。
なんだか締まらないなぁなんてことを考えつつ。私はそっと左手の小指にはめられた指輪を撫でた。伸びていった白い糸は闇の中でふわふわと揺れて、ゆっくりと密林の中を掻き分けるように伸びていく。しゅるしゅる、しゅるしゅる。やがて糸くんは屋敷全体を囲う形で、私の元へと戻って来た。
「……じゃあ、行きます。イファさん、外に出てなくて大丈夫ですか?」
「護衛していただけるんでしょ? なら魔物が居るかもしれない場所に一人で居るよりはマシだわ」
「ふふ、随分と豪胆な方のようですね。ミコさん、そういうことなのでお構いなく」
「はい、わかりました」
あとはこれを、起動させるだけ。一応イファさんに最後の確認をすると、私は左手から伸びてる糸を右手で掴む形で集中した。息を吸って、吐いて、そして頭の中を無にする。大丈夫、まだ異変には気づかれていない。でもこれから気づかれるかもしれない。だから誰も逃げられないように、語られた悲劇をもう一度は繰り返させないために。何より、フルフを救うために。
再び目を開ければ、もう私の目には糸しか映らなかった。小指に付けられた指輪、そこから伸びていく無数の糸たち。それらは最初に屋敷を囲う形で張り巡らされた最初の糸へと向かっていく。まずは下方向に、足の指すら出せないほどに隙間を埋めたら上方向に。……伸びて、伸びて、真っ直ぐ。屋敷の屋根も全部閉じ込めて、そして形が出来たのなら。
あとは全部、編むだけ。
「っ、あ……」
「っ、ミコさん!」
「……ご、ごめんない。ちょっとくらくら、して」
「……いえ、ご無事なら何よりです。ですがお辛いでしょうし、私に寄りかかってください」
それを脳裏で描いた瞬間、ごっそりと法力が持っていかれる感覚があった。服を仕立てたりする時よりはマシだが、やはりこの感覚には慣れない。なんというか、ずっと寝転んでいた時に急に立ち上がった感覚とでも言うべきか。思わず倒れ込みそうになったところで、アイさんの手に支えられる。心配そうな表情に少しふらついただけだと伝えれば、花のようなかんばせは安心したように緩められた。
「……ま、これだけの物を作ったならそれくらい負荷はかかるでしょうね。これ、強度は?」
「あ、シロ様の攻撃でも切れないそう、です……」
「……貴方もトンデモ枠って訳」
「えっ」
「ふふ、ミコさんはとても素敵な方ですよ」
その間も籠繭は徐々に編まれていく。最初はふくらはぎから地面までを閉じて、そこが終われば腰に差しかかる位までの高さを囲って。それを見ていたイファさんが、突如つんと糸をつついた。そうすれば反抗するかのように束ねられた糸達は揺れる。思っていた感触が返ってこなかったからか、怪訝そうにしたイファさん。その質問に恐る恐ると答えれば、悲しきかな引かれてしまった。
そ、そりゃまぁシロ様の刃でも切れない糸は自分でもやばいとは思うが……。というかアイさんのそれはフォローなのだろうか。トンデモってところは否定してくれていない気がする。いや褒められているのだから素直に喜ぶべき? 私の頭をぐるぐると疑問が巡っている間も、糸くんたちは順調に編まれて行った。相変わらず持ち主とは違い優秀である。
「ただ、……っ、あー!! アイ姉ずるい! あたしが見張りの人たちをつついてる間に!」
「あ、アオちゃん……」
「……お姉ちゃん、大丈夫? 具合、わるい?」
「……おかえりなさい、ヒナちゃん。私は大丈夫だよ」
と、籠繭の大体三分の一程度が完成したタイミングで二人も戻ってきた。帰還早々アイさんに食ってかかったアオちゃんと、私に駆け寄って来て心配そうに見上げてくれたヒナちゃん。どうやら二人に怪我はなさそうである。どうやらあちらの見張りの人達に眠ってもらう過程で特に問題は起きなかったらしい。少し心配だったからほっとした。
「……だから俺はシロとは違うわけ。わかった?」
「わ、わかったって……くそ、変なとこ突っ込んじまった……」
ついでに、あっちの喧嘩も終わりを迎えたようである。腕を組んで厳しい表情を見せるこっくんと、心底困り果てたような顔で頭を下げるジョウさん。……つくづくジョウさんには色々申し訳ないというか。シロ様のことでも色々溜飲を飲み干していただいてるだろうし、そのうち何かしら詫びを入れた方がいいかもしれない。
でもそれは、全て片付いた後。
「っおいなんだこれ……! 何が起こってやがる……!?」
「新手の魔物か……? こんなの聞いたことがない……」
「くそ、風の法術を使える奴は外からの応援を呼べ!」
それから暫く、籠繭が屋根までを覆いかけたそんな間際のこと。ようやっと異変に気づいたらしい訓練不足の兵士さんたちは、ぞろぞろと屋敷から出てきた。その数、数え切れないほど。その上増援まで用意されているらしい。ミハイル・マスクはこの計画でどれだけの人員を用意しているのやら。
けれど何人居ようと、全員捕らえるだけである。仮に末端のものを逃がすことはあっても、主犯であるミハイル・マスクだけは逃がしてはならない。そう思った瞬間、籠繭のてっぺんが閉じられた。よし、これで私に何かない限り中にいる人達は誰も逃げられない。外からも誰も入って来れない。ようやっと暴れたい放題、というわけである。




