三百二十四話「いざ潜入」
いいものがある。そう言ったイファさんが自分の荷物を漁り始めて暫く。シロ様やアオちゃんが食事を摂ったかどうか確認したり、お互いの情報を改めて交換したり。そうこうしているうち、イファさんは手に何かを持って戻ってきた。あれは……香水用の小瓶?
「昔家のツテで貰った試供品なんだけど、香りが合わなくってね。瓶は綺麗だから残しておいたのだけれど、これなら都合が良さそうじゃない?」
「……それにお水を入れて、シロ様に持ち歩いてもらうってことですか?」
「そうね。この蓋あたりに紐を結べばネックレスになって丁度いいんじゃないかしら」
「う、うーん……」
成程、香水用の小瓶。普通の瓶ならば大きすぎるが、試供品用の小瓶ならば大きさとしても申し分ないだろう。イファさんの言う通り蓋のあたりに紐や鎖をグルグルと結びつければ、簡易的ではあるがネックレスとして機能するはずだ。が、一つ問題点が。
シロ様はアクセサリーをあまり好まない。理由は至って単純、シロ様の動きに並大抵の強度の紐やら鎖やらが着いて来れないからである。車並みの速度で走る人間に負けずにちぎれないでいられるネックレスの鎖や、イヤリングなどの金具がどこにあるやら。ピアスであれば大丈夫かもしれないが、残念なことにシロ様にピアスホールは空いていない。シロ様はそんなにオシャレに興味はないし。いや、そんなことはどうでも良くて。
つまるところ、これから戦闘も予想されるであろうシロ様の動きに耐えることが出来る鎖や紐があるのだろうか。これが問題点である。
「ミコ」
「うん? 何?」
「お前が結べ」
が、思ったよりも話は単純だった。イファさんから貰った小瓶を差し出し、私に顎を突き出したシロ様。最初はよく分からなかったが、続けられた言葉でその意図に気づく。ああそうか、確かに私の糸ならばシロ様の動きにも耐えうる。なんてったってシロ様の刃にすら耐えられるらしいので。
そうと決まれば話は早い。イファさんが怪訝そうに見てくるのを受け流し……いや、この法術イファさんに見せていいんだろうか? あ、でもイファさんは店長さんと繋がっているのだから、村を糸が覆ったことも知っていてもおかしくないのか。それならば見せるにあたって問題はないはず。その点を差し置いても彼女は信頼出来る人なわけで。
「じゃあシロ様、動かないでね」
「ん」
私は今日も左手の小指に付けていた指輪を一度撫でると、そっとその小瓶へと糸を伸ばした。私の意思通りに動き始めた糸くんはしゅるしゅると小瓶の蓋部分にきつく巻き付き、その上で輪を描き始める。少し待てば簡易的なネックレスの出来上がり。細い糸だから視界的には頼りなさそうだが、これでも強度だけは自信がある。
「……弾力があるやつか。これならちぎれる心配は無いな」
「うん。あのタコと戦った時のと一緒」
「へー……シロ、終わったらそれ貸せ。見る」
「ああ」
びよびよと伸びるタイプの紐を伸ばすシロ様の姿は、どうやらこっくんの興味も引き付けたらしい。こっくんは私よりも私の特殊な法力に興味関心を持っているようなので、いつもと違うという糸が気になったのだろう。そんなに興味があるなら今すぐ一本出して渡してあげたいところだが……生憎、今は研究させてあげる時間が無い。
もう一度ネックレスの強度を確認するように紐を伸ばし、そして納得の行く出来だとご満足いただけたらしい。小さく頷いたシロ様は、今度はこっくんの方へと視線を向けた。あとはこの瓶の中のお水にこっくんの水鏡の法術を使ってもらい、移動監視カメラになってもらえればそれで解決……。
「あれ? お水入ってなくない?」
「……あ」
「…………」
「……忘れてたな」
が、そういえばこの瓶は貰った時点で空き瓶だった。そしてそこから水を入れたりなんてことも勿論していない。気が急くあまり中に水を入れるのを忘れていたことを思い出し、私は間の抜けた声を上げた。ちなみに忘れてたのは私だけではなく、シロ様とこっくんもである。まずい、犯人の根城を前に思ったより冷静になれていないのかも知らない。
「もー、三人ってばうっかりだなぁ。あたしが入れたげる!」
「あ、ありがとうアオちゃん……」
ツッコミを入れてくれたついで、法術で水を注いでくれたアオちゃんにお礼を言う。これなら水鏡の術も問題なく発動できるだろう。……自分も何かしたいのか、そわそわと瓶を見つめるヒナちゃんには少しの間待っていただいて。どうせこれから突撃するのだから、ヒナちゃんの短弓も大活躍するだろう。それに星火も。ヒナちゃんにしか出来ないことはいくらだってある。
イファさんの呆れたような視線を受け止めつつ、咳払いしたこっくんが水鏡の術を張るのを見守る。こっくんが何かを呟いたかとおもえば、さっきの紅茶の水面と同じく瓶の中の水がこぽこぽと動き始めた。そして暫く、その水は元通りの水面へと戻る。
「……コクお兄ちゃん、何にも映ってないよ?」
「こっちは送信側だから。イファ伯爵令嬢、このカップ借りる」
「ええ、お好きにどうぞ」
特に何も映っていない透明な水を不思議に思ったのか、首を傾げるヒナちゃん。だがこっくんの言う通り、シロ様が身につけるこちらの小瓶の方は送信側……例えるのであればカメラで画像を送ってる側なのだ。その情報を受け取る別媒体はこっくん側でもう一つ用意しなくてはいけない、ということである。
どうやらそっちはカップでどうにかするらしい。まぁそう都合よく香水瓶が何個もあるわけがないので、致し方なしというべきか。寧ろ一個あっただけでよかった。なくても作戦に支障はないだろうが、放っておけば放っておくだけフルフが危険な目に遭う確率は高くなる。フルフを早い段階から探せることに越したことはないのだ。
「……これで準備は整った。ってことだよね、ミコ姉?」
「……うん、そうだね」
「……フルフちゃん」
こっくんの方のカップには、無事私達の顔が映った。これが今シロ様が首にかけた小瓶が映している景色、ということだろう。水鏡の術はちゃんと発動した、ということである。……フルフを助けるための作戦は決まったし、必要な人員は集まった。こうして準備が整ったのなら、あとは作戦を実行するだけ。
そう考えると、少し緊張する。フルフが居るかも定かでは無い、けれど間違いなくほの暗い陰謀を企んでいる相手とこれから対峙しに行くのだ。シロ様のことは心配していないが、他の誰かが怪我をする可能性は十分に有り得る。私だって無事で済むかはわからない。でも私本体はともかく、籠繭は包囲網だけではなく防御面においても役に立つ。だから子供たちが危険に立ち向かっていく中、私一人だけ安全圏にいる訳にはいかないのだ。だから怖いとか、そんな感情は……。
「……心配しないで二人とも! あたし、これでも強いんだから。二人やフルフちゃんを傷つける奴は、あたしが串刺しにしたげる!」
「くし……!?」
「あ、あはは……アオちゃんありがとう……」
……今のでちょっと、吹き飛んでいった気がする。まさか絶世の美少女にそんなことを言われるとは。串刺し、串刺しか。シロ様やこっくんに負けず劣らず物騒な発言だ。お団子のように刺した人を携えて快活な笑みを浮かべるアオちゃんが想像出来てしまった。やる気があるのはいい事だけれど、出来ればそんな光景は見たくは無い。
「……わたしも、お姉ちゃんを守る。ええと、ええと、みんなおでこに命中させる……!」
「っ、ヒナちゃん……!」
「……ヒナ、気にしなくていいから。ま、気が抜けたようで何よりだけど」
なので余計ヒナちゃんの可愛さが際立ってしまった。い、いや、冷静に考えればちょっとアレか? おでこってことは全部頭を撃ち抜くぞって言ってるようなものだし。だがヒナちゃんの発言は完全にアオちゃんに触発されてのことだ。頑張るぞと拳を握ってる姿はただ可愛い。可愛いと思わせて欲しい。
呆れたようなこっくんの言葉に、ふっと思わず笑みが零れてしまう。大丈夫、大丈夫だ。皆はいつも通り、それなら私もいつも通りで大丈夫。いつも通り、自分に出来ることを精一杯やって結果を得る。それだけでいいのだ。いつだってそうしてきたのだから。
だから、待っててねフルフ。
「……ならば出る。お前達もすぐ出発しろ」
「見張り絞めてけよ。そっちのが後々楽だ」
「誰にものを言っている?」
さぁ、いよいよ作戦開始だ。ぎゅっと手を握り締めれば、一度私の方に視線を向けたシロ様が立ち上がる。早速出発ということらしい。夜の登山は危ないが、シロ様は夜目が効く上に身体能力も人間の比ではないのだ。心配するだけ怒られてしまうだろう。むしろ後から登ることになる自分の身を心配するべきだ。
「シロ様、見つからないように気をつけてね」
「……ああ、問題ない」
でもせめて一言だけ。私が名前を呼べば振り返ってくれたシロ様。全員の期待の視線を受けても全く動じないシロ様は相変わらず強くて、そして真っ直ぐで。彼の胸元で揺れる糸も、こころなしか誇らしそうに見えた。その気持ちは、私にだってわかる。そうだよね、君だってシロ様の役に立ちたいよね。だって君を作り上げた私がそうなのだから。だから、頑張っておいで。
「全員気絶させれば、目撃者は居ない。そうだろう?」
「……」
しかしまぁその一言で、そんなささやかな感傷は全て台無しになったが。




