三百二十二話「街に用意された陰謀」
「……はぁ」
結局ミハイル・マスクの部屋からは忘念実以外にめぼしいものは見つからず。私は酷使した目を手で覆いながら、ソファーにぐったりと背中を預けていた。いやほんと、本当に疲れた。視力は良い方ではあるが、ここまで物を注視して探そうとしたのは久しぶりである。
フルフが昼に行方不明になって、それから探すほど数時間。現在時刻はそろそろ十八時に回ろうとしているところだ。まだイファさんのお部屋にお邪魔していた私達は、これから夕食を取ろうとしている。こっくんがシロ様との連絡のために席を外しているので、彼が帰って来てからのことにはなるが。
「何食べる? あたしが払うから遠慮は無しよ」
「え、いえ私達の分は自分で……」
「あたしの奢りじゃご飯が不味くなる、と?」
「……オネガイシマス」
しかしまぁ、こっくんが居ないとイファさんの圧に押されっぱなしになってしまいがちだ。今のはどう答えれば奢りを遠慮できたのだろう。これでは諸々の事件解決後に待っているという、二人きりでのお話タイムにもいささか不安が残ってしまうというか。
けれどイファさんは決して悪い人では無い。お付きらしき人にメニュー表を渡され、あわあわとしながらも真剣に夕食を考えているらしいヒナちゃんを見守る。最初にヒナちゃん、つまりこの場で一番小さな子に選ぶ権利を与えてくれるあたり態度は高圧的だが根は優しいというか。店長さんと仲がいいのも頷ける。彼女も変わった人ではあったが、面倒見がよく優しい人だった。
「……なに?」
「いえ、なんでも」
「……なんか腹の立つ視線ね。貴方の食事この激辛明太むすびにしてもいい?」
「そ、そのメニューは是非こっくんに……」
それと同じくらい苛烈だが。危うく夕食が地獄になりかけたのをギリギリのところで阻止しつつ、夕食は普通の、至って普通の鮭のおにぎりにしておいた。手早く食べれるものであれば、フルフの情報が入ってもすぐ動ける。同じ理由でヒナちゃんもサンドイッチを選んでいたし、あとはこっくんの食事だが……。
「ただいま。シロたち今から戻ってくるって」
「あ、おかえりなさい。ご飯先に選んじゃったらどうかな?」
「そうする。……ん、コレ」
おお、また丁度いいタイミングで戻ってきてくれた。こっくんの気遣いレベルはどこまで行くのだろう。いや、たまたまタイミングがよかっただけなのだろうが。戻ってきて早々、メニューにあった『激辛明太むすび』を選んだこっくん。相変わらず辛いものがお好きである。
さて、これで食事の準備は済んだ。届けて貰えるまでこっくんからの報告を聞くべきだろう。ちらりと視線を向ければ、心得たと言わんばかりにこっくんは頷いてくれた。ソファーに腰をかけると、彼はテーブルの上に置かれたままであった忘念実について書かれたファイルへと一度視線を向ける。船の食事メニューを見て一瞬緩んでいた顔が、すっと引き締められた。
「まずシロとアオからの報告。フルフの目撃証言、及び風での情報収集は不発に終わったらしい。フルフの件については何も収穫がなかったって」
「……そっか」
「でも二人だって一日何も得られずに突っ立ってたわけじゃない」
「と、いうと?」
ここまで連絡が無いことから察していたが、やはりフルフに関する情報は街では見つけられなかったようだ。けれどあれだけやる気のあった二人が収穫なし、というだけで話を終わらせるわけがない。一名はやる気じゃなくて殺る気だった気がするが、そこには言及しないでおくとして。
「まずアオの報告から。フルフを見かけたという目撃証言こそ得られなかったらしいけど、最近妙なことが無かったかっていう質問には複数同じ回答があったらしい」
「最近妙なこと……?」
「そこはあいつの考え。フルフの誘拐が慎重に手を回して行われたことだったら、街の方にも何か工作してたんじゃないかって思ったらしいよ」
「成程……!」
挑発的に微笑んだイファさんに対して特に反応を見せることなく、まずはアオちゃんの聞き込みによる報告を淡々と告げるこっくん。確かに、アオちゃんにはこの計画がかなり念入りに準備された可能性があることは事前に話していた。そこから街の方にも何か手回しをされた可能性を考えたらしい。うちの子、賢すぎるのでは。
い、いやいや、今はそんな親バカを発揮している暇は無いのだった。ここで大事なのはアオちゃんの狙い通り、「妙なこと」はあったということ。ではその妙なこととは一体。私がそう考えることなど計算のうちだったのだろう。瞳を細めると、こっくんは話を続けた。
「で、その妙なことってのが密林関連」
「……!」
「みつりん……フルフちゃんの、お家」
「……カサヴァの街の北にあるサンザ山とその密林に、最近見知らぬ人間や獣人が出入りしてたらしい。それも、かなりの数。登山客にしても多すぎたって話だ」
まさかここで密林というワードに繋がってくるとは。これが因果というものだろうかと、少し不安そうな表情になったヒナちゃんの頭を撫でて宥めつつ。それにしても山とそこに出入りする人々か。地元の人からも怪しまれる程度の人数が出入りしていたとなると、可能性としては。
「……となると、たとえばそこに犯人の根城になってる基地があるかもだね」
「うん。そこにフルフが居るなら、シロが街で情報を探れなかった理由も付く。山奥まではあいつの風は届かないだろうから」
「……山奥の基地ね。忘念実のことがある以上、用意するだけの時間が無いとは言いきれない。従魔の誘拐の方は短期間で決めたことにしても、そっちの計画は長期に及ぶものの可能性の方が高いもの」
たとえば多くの人数が登山目的ではなく山に出入りしているとして、それは何か人目につかない場所に拠点を作ろうとしているからだとは考えられないだろうか。飛躍した発想かもしれないが、危険かつ禁忌な植物を取り扱うとなれば人里離れた拠点は必要だ。山奥なら格好の場所だろう。犯人がミハイル・マスク、つまり貴族ならば秘密裏に大勢を雇うことも不可能ではないはず。
どうやらこっくんもイファさんも同じことを考えていたらしい。真剣な表情の二人によって、次々と私の考えが補強されていく。シロ様が風でフルフの居場所を探れなかった理由も、流石にフルフ捕獲のために拠点を確保する必要が無い矛盾も、考えようと思えば全てに全て説明が付いてしまうのだ。都合がいいと言われればそうだが、理由が付けられるのであれば可能性はゼロではないわけで。
「で、続いてシロの方の話なんだけど」
「うん」
「街中から異常と言える数と大きさの金属音が聞こえた、らしい」
「……うん?」
出来ればシロ様の方の報告で説を補強したい、と期待を込めてこっくんを見つめていた私。しかし想定とは予想外の方向へと駆け抜けていった報告に、私はつい首を傾げてしまった。金属音? シロ様の言うことならば意味が無いわけがないけれど、私ではよく意味がわからない。
「こっからはシロ曰くなんだけど、街中で金属音が聞こえるのはそう不自然なことじゃないらしい。シロの言う金属音は、武器が揺れたり鞘と擦れたりする音のことだ」
「……それなら、その報告の件も別に不自然じゃないんじゃ?」
「不自然なのは音の大きさと数だって言ってた。街で武器を携帯しているのは基本的に討伐者や兵士が多いけど、訓練している奴からはそんな大きく音はならない」
「……そうなんだ」
私がいまいち理解出来ずに……まぁイファさんもヒナちゃんも不思議そうな表情をしていたが。とにかく疑問を浮かべたことを察してか、補足を入れてくれたこっくん。成程、私の耳ではわからないがシロ様にとって街中で金属音がするのは日常だと。だがその日常において、この街での音はうるさすぎる。それが不自然ということか。
「そして、数も。明らか武器を持ち慣れてないやつらが大人数街を闊歩している。武器を持たせた雑魚を寄せ集めたようだってシロは言ってた」
「……!」
「まるで戦争でも始まるかのようだ、って」
そしてその違和感はそう繋がってくるらしい。武器を携帯した素人が多い街、文字にしてしまえば物騒極まりない。これだけを聞けば、シロ様の言うように戦争の一歩手前か何かだと勘違いするだろう。が、前提条件があると話はまた変わってくるはずだ。相手は船でフルフを奪うことは諦めた。それは事が露見するのを嫌ってのこともあるだろうが、貴族相手にそこそこ暴れていたシロ様からの妨害を恐れての可能性もあるだろう。
船という逃げ場のない密室の中、欲しい対象は強力な護衛付き。だが場所を街に、いいや山奥にある拠点に。そしてその場所に素人の寄せ集めとはいえ多くの武力を用意したならば? 相手の真の目的がヒナちゃんだとすると、シロ様との武力衝突は余計避けられなくなる。だから船での期間を準備期間に利用し、今カサヴァの街に犯人は巨大な檻を用意した。
「色々繋がって来てる、ってわけね」
全部が全部、繋がってきている。まだこれらの推測が正しいとは限らないが、まるっきり見当違いにも思えなくて。……今頃フルフは、一体何をしているのだろう。どうか怪我などはせず、私達が助けに来るのを大人しく待っていますように。心の中でだけ願いを唱えると、私はそこで運ばれてきた食事を摂ることにした。何をするにしてもまず食が基本。これからの展望についてはシロ様やアオちゃんと合流してからにしよう。




